25.社会的コンセンサス成立に向けて

神名龍子


 今回は、「9.TSの今後と『ゲーム・戦略』」で取り上げた問題のうち、

戸籍の記載事項(主に姓名と性別)の変更の是非の問題。

について、もう少し突っ込んだ形で取り上げてみたいと思います。

 姓名の変更、実際には姓名のうち「名」の、男性名から女性名への変更ですが、これは今年、既に家庭裁判所の判断で、私が知る限り3名の MTF および FTM 方が、認められているそうです。

 姓名の変更の場合、以前から理由の一つに「永年使用」というのがあって、本名ではない名前でも、その名前を長い間使っていて、世間ではその名前で通っているというような場合、その名前を戸籍上の姓名として変更できるというものです。正確には、申請の理由とすることが出来るということで、変更の可否は家庭裁判所の判断によります。

 ですが、上記の3名のうち少なくとも1名の方は、「永年使用」と「性同一性障害」を理由に申請したところ、「永年使用」の実績は認められず、「性同一性障害」のみを理由として、名前の変更が認められたそうで、これはつまり、名前の変更が認められたというだけではなく、「性同一性障害」が名前の変更の理由になりうるという判断を裁判所が示したという意味でも、とても意義のある事だと思います。

 ここで気を付けなければならないのは、「性同一性障害」が名前の変更の理由に「なりうる」ということであって、最終的な判断は、個々に裁判所が行うということです。

 これはもう一つの問題、つまり戸籍上の性別の変更についても同じことでしょうから、単純に「戸籍の変更を認めるか、認めないか」という、「○か×か」というような問題の設定は無意味です。

 それからもう一つは、戸籍の変更に関して、社会的なコンセンサスが取れるかどうかということですね。戸籍というものが、一種の社会的な制度である以上、これも当然のことだと思います。姓名の変更についても、許可の理由として「それが社会的な混乱を招くおそれがないだろう」ということが挙げられています。これは言い換えれば、MTF TS が女性名を名乗ること、あるいは FTM TS が男性名を名乗ることについて、「社会的なコンセンサスが取れるだろう」という判断と考えてもよいでしょう。

 ただ性別の変更については、名前の場合とはちょっと事情が違っていて、例えば「9.TSの今後と『ゲーム・戦略』」でも書いた通り、結婚という問題があります。これは名前の場合と違って、他の人(具体的には結婚の相手)にとっても、大きな問題となる。するとこれは、多くの人にとっての「大きな問題となりうる」という可能性が生まれることを意味します。

 ですからこれを、「戸籍の変更を認めるか、認めないか」という、「○か×か」のような問題の立て方をしたら、「×(認めない)」という意見が多数になるのは、現状では当たり前です。それに対して、「認めない」多数者を責めても仕方がない。ここでいう「仕方がない」とは、それが何の解決にも結びつかないという意味です。

 また、ではその多数者が「○(認める)」になるように、社会的コンセンサスが取れるかというと、これも少なくとも短期間には無理でしょう。

 これは私の考えでは、最初の問題の立て方に無理がある。「認めるか、認めないか(○か×か)」ではなく、「認められる条件は何か」と問うべきなんです。

 戸籍上の性別変更を認めてほしい、という理由として、現在 TS が抱える苦しみや、性同一性障害についてを訴え、「だからこうあるべきだ」と主張するのは、要塞に対して正面攻撃をかけるようなもので、こういう直接的アプローチでは、上手くいかない。これは旧来の社会運動のやり方ですね。私がこれまで何度も指摘しているように、このやり方には、もう先がないと思います。

 例えばこの場合について、あえて歯に衣着せない言い方をすれば、多数者にとって現在 TS が抱える苦しみは他人事です。そして、戸籍上の性別変更を認める事によって得るメリットはなく、逆にそれが「大きな問題となりうる」という可能性だけがあるわけです。だから、このままでは社会的なコンセンサスなど取れるはずがない。またそこで、民主主義とか基本的人権とかの理想論を言い出しても仕方がないわけで(それは旧来の社会運動のやり方で)、その考え方ではらちがあかなかったり、何とかなるとしても時間がかかりすぎます。

 そこで先ほどの、では「認められる条件は何か」が問題になります。つまり、戸籍上の性別変更を認めない場合に、社会にとって(TS 当事者にとってではなく)どんなデメリットがあるか、また、「大きな問題となりうる」可能性を押さえる条件は何かを提示することが必要になります

 後者に付いては、既に「9.TSの今後と『ゲーム・戦略』」で、

結婚前に相手にその事実を告げるとか、告げなかった場合で結婚後にその事実が判明した場合には離婚の理由に出来るというくらいの譲歩は、少なくとも現在の一般の感覚に照らして考えた場合にはやむをえない

と書いています。詳しくは「9.TSの今後と『ゲーム・戦略』」を参照してください。

 今回は前者、つまり、「戸籍上の性別変更を認めない場合に、社会にとってどんなデメリットが想定されるか」について書きます。

 その前にお断りしておきますが、これを考えるには私達が TS(あるいは T's)であることを一時保留して、多数者と同じく社会の一員であるという立場から考察する必要があります。ですから以下の判断にあたって、TS(あるいは T's)の立場としてはこうだとか、こうあって欲しいという話は、ここでは別問題であって、除外して考える必要があり、その区別をしっかりとつけなくてはなりません。

 私がこの問題について以前から気にしているのは、レイプの問題なんですね。現在の法律や判例では、性交というのは異性間での性器の接触に限定されています。ですから、同性同士の場合には強姦罪が成立しないで、これは暴行罪や傷害罪になります。これは売春についても同じで、同性間では売春防止法の規制対象にはなりません(ただし、条例において「売春類似行為」という名で禁止されています)。

 ある MTF TS が性転換(性別再判定手術)を済ませ、戸籍上の名前も女性名に変更し、なおかつ戸籍上の性別が変更できない状態でいたとしましょう。この人がレイプの被害者になった場合に、強姦罪が成立しないということで、果たして社会のコンセンサスが取れるかというと、これはおそらく現状でも無理でしょう。なぜ無理かというと、それによって「社会的混乱」というデメリットが発生する可能性が大きいからです。

 人は通常はまず相手を見かけで判断します。まず容姿、次いでその人の言動などですね。ですから、TS も性転換を済ませ、戸籍上の名前を変更した後は、変更後の性で扱われるのが通態だと思います。もう一ついうと、この「見かけ」というのは、セックスかジェンダーかでいえば、ジェンダーであるわけです。それゆえジェンダーは日本語では社会的性と訳されることもあるわけです。そして身体もジェンダーに合わせてある程度の変更がなされているわけですから、上に挙げた結婚生活の例のような場合を別にすれば、変更後の性で扱われる事によって社会的混乱を招くおそれはまずありません。

 そうしますと、戸籍というのは一種の社会的制度であって、通常の生活で扱われる性が記入されている方が望ましいということになります。ここで、例えば染色体レベルの性を持ち出して、変更前の性で扱うことには、逆に社会的な意味は非常に低いと考えるべきでしょう。なぜなら私達(ここでは T's ではなく、社会一般に生活する人)は、通常、自分についてであれ他人についてであれ、染色体の種類など気にして生活をしているわけではないからです。

 ですから、戸籍上の性の変更が認められないということは、その人が社会の中で扱われている変更後の性と、戸籍上の記載の性とが食い違うことになります。これが社会的混乱の原因になります。そして、それがどのような場合に顕在化するかというと、その一つの例が上に書いたレイプのような場合ですね。当たり前ですが、強姦罪というのは被害者の妊娠の可能性の有無で有罪か無罪かが決まるものではありません。だから被害者の女性がどんな老婆であれ、まあ犯人が犯行に当たって避妊具を装着したとしても、強姦罪は成立するわけです。つまり、生理的には妊娠不可能な被害者も被害者たりうるのが強姦罪ですから、これは染色体の性の問題でもなく、社会的な性の問題として扱う方が、妥当だろうと思います。犯罪というのは(強姦罪に限らず)、裁判にあたっては常にその社会的な影響についての考慮が必要だからです。

 それから、これはネイティブな(生まれながらの)女性にも関係する問題で、そういう女性がレイプの被害に遭った時に、犯人が「被害者はネイティブな女性ではなく、MTF TS だと誤認した」と抗弁したらどうなるのかという問題があります。

 ここでちょっと刑法について説明しておきますと、日本の刑法には、過失は罰しないという原則があります。ですから、過失についても罰するという規定がない限りは無罪になってしまう。そして、強姦罪には過失の処罰規定がないんです。これはおそらく、過失の強姦は罰するべきではないという明確な意思によるものではなく、過失の強姦というものを想定していなかったんでしょうね。ですからこの場合、従来の考え方で行くと、被害者がネイティブな女性であっても無罪になってしまうか、あるいは強姦罪が成立しなくて暴行罪になってしまうという可能性もあるわけです。TS の性転換後の戸籍上の性の変更を認めないと、これからはそういう問題も出てくる可能性があります。しかも TS のみならず、日本の社会全体が抱える問題として出てくる。これまさに「社会的混乱」であって、非常にまずいと思うんです。

 では、そういう可能性も覚悟の上で、なお、戸籍の性別の変更を認めることについて社会的なコンセンサスが取れないのかというと、私はそうは思いません。このレイプの例でいうと、被害者の過去の性が何であれ、また戸籍の記載が何であれ、これが犯人たる男性の意識においても、また社会的にも、男女間の性交の概念に該当する性犯罪として受け取られると予想されるからです。

 これが同性間での強姦(つまり法律上は強姦罪にならない強姦)と違っているのは、「性交」の概念においてです。同性間での強姦を強姦罪としてみとめましょうということになると、これは「異性間の性器の接触」という性交の概念そのものを変更しなくてはなりませんが、ここで挙げた例では旧来の「性交」の概念でも成立します。問題になるのは、それが果たして異性間か同性間かという点ですが、これを論じるのに染色体について論じても本質的な問いにはなりません。普通に考えれば、相手の染色体を検査して異性であることが判って、初めて性的に興奮するという事はまずありえませんから、これはやはり、社会的に受け入れられている性で論じられるべき問題だと考えるのが妥当でしょう。

 今回はとりあえず思い付いた例としてレイプの問題を挙げましたが、こういう「問題」は他にも様々な面に渡って存在すると思います。これまでは自助グループなどでも、主に TS の(あるいは T's の)側からの主張が論じられてきたわけですが、これからは、T's という立場からの「かくあるべし」だけではなく、一般社会の側から見たメリットとデメリットについて考え、「認めてほしい」ではなく「認められる条件は何か」について考えることが必要になると思います


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