32.T's と「ペルソナ」

神名龍子


 先日、非 T's の方とお話している中で、素顔の時と女性姿の時との「切り替え」についての話題が出ました。この方とは最近お会いするようになって、お会いするごとに、私が素顔だったり女性姿だったりするので、少々混乱されたようです。

 この「切り替え」の話は、4年ほど前に、「S&Mスナイパー」という雑誌で、作家の館淳一さんからインタビューを受けたときにもこの話題が出ましたので、その部分を引用してみます。

−−男性モードから女装モードの切り換えが難しいってことはありませんか?

「女の顔にするのに髪のブロウから始めて1時間はかかりますから、その間に女装モードに自然に入れます。問題は男に戻る時。お化粧はサッと落とせるので、外見は男でも気分はまだ女装モード。うっかり『いま何時かしら?』って、こうやって時計を見ちゃう(左手首の内側を見る)」(大笑い)

「S&Mスナイパー」(1994年9月号)

 改めて、この「切り替え」について説明すると、つまり素顔(男姿)でいる時と、女性姿でいる時とでは、行動その他がかなり異なるのです。それを、外見にあわせて切り替えなくてはならないわけですね。

 これはつまり、男女の行動が細かいしぐさなども含めて、かなり異なるために必要になるのですが、女性特有のしぐさを男姿でやると、それを見た人は「なんか変」とか「気持ち悪い」と思う。つまり「混乱」を引き起こすのです。それを避けるためには、どちらの姿でいる時にも、行動と外見をあわせる必要があります。男姿になったり、女性姿になったりというのは、つまり外見の(性別の)切り替えなんですが、それにあわせて行動も切り替えるわけですね。

 これは、少なくとも私の場合、ある程度の自己暗示が必要で、上の引用にもあるように女性の姿になるにはそれなりの時間がかかりますし、そもそも「お化粧をする」ということが基本的には女性特有の行動です。ですから、その間に自分が女性としての行動をするように自己暗示をかけるのは比較的容易です。

 そのため、女性の姿でいる時に男性特有のしぐさ等が「うっかり」出てしまうということは、まずありません。ところが逆に、男姿になった時には女性のしぐさが出てしまうことが、今でも時々あるんですね。これは、まず上に挙げたように、男姿になるのには、ほとんど時間がかからないので、自己暗示をかける時間がないということが一つ。

 それから、さらに私の考えでは、女性姿でいる時の方が「女性らしくある」ことの強制力が強いのだろうと思います。この「強制力」は、さらに2種類に分類できて、一つは社会的な要因。つまり性別役割(ジェンダーロール)の在り方の問題です。

 もう一つは、これは私個人の問題で、私は元々男の身体を持っているわけですから、女性姿でいる時に、それがバレては困る。例え相手にそれと判っているような場合でも、自分の「男」の部分を他人にさらしたくないわけです。

 これをさらに突き詰めて見てゆくと、私が、「私」を女性であると確信するためには、性自認だけでは不足だという事です。

 これに対しては、一部の T's(特に TS、TG )からは、「そんなことはない。私は誰が何といおうと女(男)なんだ」という反論もあるかも知れませんね。ですが、それが真実であるならば、その人はある意味では幸せな人です。

 少なくとも、私(神名)が「私」を女性であると確信するためには、「私」を女性として扱ってくれる他者を必要とします。

 ただしこれには条件があって、もし私が他者と一切かかわる必要のない環境にいるのであれば、他者の承認を必要としません。そういう状況では、私がミカンを指して「これはリンゴだ」といっても、誰もそれに対して異議を唱える人がいないからです。それと同じように、私が自分のことを「男」だと思おうが「女」だと思おうが、それはまったく「私の勝手」です。

 しかし私は、この社会の中で他者と関わることなく生きて行く事は出来ません。そういう条件下で、私がミカンを指して「これはリンゴだ」といっても、他の皆が「これはミカンだ」といったら、それがいくら私の目にはリンゴに見えていても、私は自分の目を疑わざるを得ないのです。つまり、そういう条件において、私はそれをリンゴだと確信することが出来ません。

 それと同じように、いくら私が「私」を女性であると思っていても、誰も「私」を女性として扱ってくれなかったら、私は「私」が女性であると確信することは出来ません。したがって、私が他者と関わり合いながら生きて行く以上、私が「私」を女性であると確信出来るためには、「私」が女性であるという他者承認が必要なのです。

 ですから、もし MTF の人で、「私は誰が何といおうと女(男)なんだ」という人、つまり「他者承認を必要としない人」がいるとしたら、それは性自認と他者承認のズレから生じる諸問題を解決する必要を感じていない人ということになります。しかし、実際にそんな人がいるとしたら現実には、性自認と他者承認のズレから社会不適応を起こしているにもかかわらず、その社会不適応を自分で認識出来ない人でしょう。少なくとも、そういう人は、手術や戸籍の変更の必要も感じない(感じる動機がない)はずです。

 しぐさその他の行動を外見にあわせるというのも、「私」が女性であるとか、少なくとも、「こいつは本当は男なんだけれども、まぁ、これなら女として扱ってもいいか」というような、他者承認を得るための、一種の工夫だといえます

 ところが、よくよく考えてみると、実はこれは T's に限らず誰でもやっていることなんです。

 もちろん、普通は男になったり女になったりするわけではありませんけれども、しかし例えば男性であれば、相手や場所などの状況によって、「夫」になったり「父親」になったり「課長」になったりします。その時々で、話し方や声の調子、服装、態度、ものの考え方まで変化しているわけですね。こういう人は、会社で部下に対している時には「課長」として接するわけで、この時にもし「夫」として接したら大変なことになります。上の言葉で言うと、他者承認が得られなくて、やっぱり「なんか変」とか「気持ち悪い」と思われるんです。

 女性も同じですね。相手によって話し方から声の高さまで変わります。たまたま今日、ある会社にお邪魔して、受付の女性にある方の所在をうかがったところ、横を向いて隣の同僚の女性に、「あの人、××課かしら?」と言った声が、外来者の私に対する声よりも音程が低いんです。それから、またこちらを向いて元の音程で受け答えをする。なんだか一人二役を見ているような気持ちになりましたけれども、これは逆に言えば私もやっていることなわけですね。

 人は誰でも、相手や状況によって立場(あるいは、相手との関係)が変化します。そして、他者と関わる上で、その立場ごとに様々な自分を使い分けています。これは他者との関係の基準になるもので、その「様々な自分」のことを、心理学では「ペルソナ」といいます。ユングという心理学者に始まる概念で、元は「仮面」という意味の言葉ですね(他にもキリスト教や神学など別分野で、別の意味に使われるけれども、ここでは関係ないので省略します)。

 人間は社会生活を送る上で、他者承認を必要とし、他者承認によって「自己」を形成するのでしたね。ですから、ペルソナそれ自体が自己を形成するのではなく、人間はペルソナを通じて生まれた関係によって自己像を作り上げていく(自我を再構成し続ける)ということになります。

 これは、基本的には誰でもやっていることなんです。ただ、T's の場合、ちょっと(?)特殊なのは、普通は男性なら男性の、女性なら女性の性別役割の範囲内でペルソナが選択されるのに対して、T's の場合には、その選択範囲が男女の性別役割にまたがっているという、この一点ですね。

 これは、私のような者には、もう当然のことになっているんですけれども、実は、この章の冒頭に書いた非 T's の方との会話の中で、「男になったり女になったりというのが、よく判らない」といわれたました。それで「あぁ、なるほど」と思ったのが、この章を書く必要を感じたきっかけです。

 確かに性別というのは、普通は「変わらないもの」ですから、そういう一般(非 T's)の感覚からすれば、「男になったり女になったりというのが、よく判らない」というのは、ごく普通の感覚なんですね。

 しかし性別以外の「立場」は誰でも複数持っていて、子供でも、家族に対する時と友達に対する時とでは、別のペルソナが見えます。ですから、これはどなたにも「身に覚えがあること」だと思うんです。

 それで、もし性別も変わるとすれば、やっぱり、ここで言う「夫」や「父親」、「課長」、「受付嬢」、「同僚」などと同じく、「男」や「女」も一つの「立場」なんです。といっても、性別は「父親」や「受付嬢」よりも、もっと基本的なランクに位置するものですけれども、むしろ基本的なランクにあるからこそ、一層、外見にあわせて「女(男)」として振る舞う必要が生じるわけです。

 ただし、もちろんこれは外見が男になったり女になったりする場合に、それにあわせてそれぞれ男女のペルソナを使い分けるという話です。ですから、例えば MTF でも常に(フルタイム)女性の姿でいるような人の場合には当然、その必要はありません。外見の通り、ずっと女性として他者承認を得られるように努め、それによって「私」は女性であるという確信を強める事が出来ればよいわけです。

L.Jin-na


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