35.リストラの嵐

神名龍子


 先日、「Visitor's Room」の、浩加さんから頂いたメッセージに、浩加さんが現在読んでいらっしゃるという「洋書」の話がありました。

 その本に、「どうしても TSと同じトイレを使うのはイヤ!」という話から、最終的に、「手術まで済ませたトランスセクシャルとでさえ化粧室をいっしょに使うことを不快に感じる人は一度カウンセリングを受けた方がいい」という結論に至る内容が書かれているという事だったので、私はそれに対して「その結論はちょっと」というコメントを付けたわけです。

 その時の私の印象では、正直いって、どうせ TS に有利な結論が先に用意されていて、その結論に至るような展開がされているんだろうと思ったのですが、しかし、それは私の早合点だったようです。

 その後、浩加さんから、その部分にどういう事が書いてあるかというお話をうかがったところ、意外にも、といっては何ですが、その展開自体はしっかりしたもののように思えました。つまり、こういう手順を踏めば、たいていの人は認めるであろうというような事が、しっかりと考えられているというのが、その説明から受けた私の印象でした。あいにく、その本の日本語版が(少なくとも現在は)存在しないようで、私には読めないんですけど(^^;)、そういう本だったら私も全部通して読んでみたいと思ったほどです

 ただ、そういう展開からどうして、「手術まで済ませたトランスセクシャルとでさえ化粧室をいっしょに使うことを不快に感じる人は一度カウンセリングを受けた方がいい」という話になるかというと、そこまでの展開に問題があるのではなくて、最後の部分でそこに飛躍しているみたいなんです。

 その前の部分までの展開では、私には上記の通り、「こういう手順を踏めば、たいていの人は認めるであろう」と思えたわけです。つまり、少なくとも一般論的には、それは正しいと思った。しかし、もしかしたらその本の著者は、「こういう手順を踏めば、必ずすべての人が認めるはずだ」と考えているのかも知れません。その違いが、「そうじゃない人はカウンセリングを受けた方がいい」、つまり「異常だ」という話になっているのではないかという気がします。

 あるいは、そこまで考えたところでくたびれて(笑)、そこから先の問題を避けたのかも知れません。もしそうだとしたら、そこまでの考えがしっかりしているだけに、もったいない話だと思います。最後にもう一歩踏み込んで「それでも、なお認めようとしない人がいた場合に、どう考えればよいか」というところまで考えてみて欲しかったと思います。

 しかし、まぁ、最後の「異常」のレッテル貼りへの飛躍を別にすれば、段階を踏む考え方や、その内容はとてもきちんとしていて好感が持てますし、少なくとも「人権、人権」と念仏を唱えていたら自分達の望みがかなうと思っているような考え方よりも、ずっと現実的ですね。私はあまり(ほとんど)T's 関係の本は読まなくなりましたけど、もし、日本語版が出ることがあったら、この本だったら読んでみようかという気になります。


 私が T's 関係の本を読まなくなったのは、もう「人権念仏」や、「都合のよい結論のための文」にはウンザリという気分があるからです。そういうものを読むと、どうしても、「これ、一般(非 T's)が読んで納得すると、本気で思っているのかね」と考えてしまいますし、私が読んでも反論が可能だと思えるものがほとんどです。いくら自分に都合のよいことが書いてあっても、自分に反論可能なものを、自分の主張の根拠に置くことは出来ません。

 それは、著者がどこかの大学の教授であるとか、そういう肩書きで決まるものではなくて、あくまでも内容の問題ですね。内容の問題であって、権威の問題ではない。では、自分に納得できる内容とはどういうものかというと、普段の生活の中での実感に沿うものという意味です。希望に添うものではなく、実感に沿うもの。実感に沿わないものは、「なんかおかしい」と思うわけです。

 先日、青山で開かれた「第一回GID研究会」で聞いた話ですが、カウンセリングに見えるGIDの方の話を聞いていると、話と現実が合わない例が、意外に多くあるそうです。自分が TS だと診断されたくて、自分の過去を本などで得た知識に合致するように語るわけです。そこでは「リストラクチャー」という用語が使われていましたが、これは「再構築」という意味ですね。会社再建という意味で使われている、いわゆるリストラも、この「リストラクチャー」の略です。要するに、GIDだと診断されたくて、自分の過去をリストラしてしまう人達がいる。

 そこで面白かったのは、「私の周囲には自分のGIDの傾向があることに思春期以降に気が付いた人が多いけど、今日の話では、ものごころがついた頃から自覚している例ばかり出てくる」という質問が出たことですね。それに対して「そういう症例を、実際にほとんど扱っていないから」という回答が出ていましたけど、これももしかしたら「リストラクチャー」によるものではないかと思います。

 私の印象でも、T's 同士で自分の過去を語る場合と、カウンセリングで自分の過去を語る場合では、「ものごころがついた頃から自覚した人」と「思春期以降に自覚した人」の人数比が、実際に異なっているのではないかという気がするんですね。そういう状況を作り出すのは簡単な話で、数冊の GID関係の本に、「ものごころがついた頃から自覚した人が圧倒的に多い」と書いてあればいい。

 GID の傾向が「生来のものである」といえば、自分自身の責任を問われることから免れますし(そもそも、どんな責任があるのかと思いますが)、それなりの説得力がありますから、そういう状況があれば、「思春期以降に自覚した人」であっても、「ものごころがついた頃から、そうでした」と言いたくなるのが人情でしょう。おまけに、「思春期以降に自覚した人」は、ニセモノの GID だなんていう、わけの判らないことをいう人まで出てきてしまう(笑)。

 この大モトの原因は、「性自認は変更不可能である」という学説の存在かも知れません。これは今では疑問視されているそうで、私も以前から、この考え方はおかしいと思っていますが、肝心の当事者から、どの程度見直されているのかは疑問です。

 「性自認は変更不可能である」という学説が信じられていれば、自分が GID だと診断されるためには、自分の性別違和が「ものごころがついた頃から」のものであると主張する必要がある。少なくとも、当事者はそう判断するでしょう。それによって、「リストラの嵐」が引き起こされることが考えられます。

 これは一度生じてしまうと、なかなかおさまりません。なぜなら、それによって「ものごころがついた頃から自覚した」という臨床例ばかりが蓄積されるために、「ものごころがついた頃から自覚した人が圧倒的に多い」という説が、統計的に補強されて行くからです。そうなれば、「リストラの嵐」が「リストラの嵐」を再生産し、TS が集団的に「ものごころがついた頃から自覚した」と主張する方向へ、スタンピード(群れの暴走)を起こす事になります。

 しかし、そうなれば逆説的に「ものごころがついた頃から自覚した人が圧倒的に多い」という説の信憑性は薄れて行くわけです。少なくとも、この説が精神医学の世界で疑問視され、その事が当事者の間で知られるようになるまでは、「リストラの嵐」が収まることはないだろうと思われますが、それはそれで、やはり情報に合わせて踊っていることには変わりありません。

 「情報」には二種類あって、ひとつはいわゆるインフォーメーション(information)ですね。もう一つはインテリジェンス(intelligence)です。アメリカの中央情報局は、CIAの略称で有名ですが、「CIA」の真ん中の「I」が、この intelligence です。私達は、単に与えられる情報(information)に躍らされるのではなく、情報の受け取り手としても、また情報を発する立場にあっても、「知性、理解力、思考力」(intelligence)を備えている必要があるのではないでしょうか。

 また、カウンセリングを担当する方には、熟練の刑事のように「リストラクチャー」を見抜く技術も必要ですし、それはおそらくは私が言うまでもなく、訓練の過程でも要求されることだと思います。この、もし機会があれば、この「リストラクチャー」の問題について、詳しくお話を伺ってみたいと思います。

L.Jin-na


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