神名龍子
もう半月余り前の話になりますが、顔に傷を負わされたニューハーフが、損害賠償の裁判(東京地裁)で勝訴、しかもその賠償額には「女性」としての基準が適用されたという報道がありました。
原告は手術を受けたいわゆるニューハーフで、仕事時間だけではなく、私的な時間を含めて、すべて女性用の化粧品、装飾品、服装を使用。生活ぶりは心身ともに女性と同様で、「事実上の女性」だと認定。「後遺症等級」で「女子の外貌(がいぼう)に醜状を残すもの」と認定し、女性の基準を採用して、賠償額を算定したというものです。
私はこれは、きわめて妥当な判決だと思います。単に T's にとって都合のよい判決という意味ではなく、以前からある「傷害」についての法律上の考え方に合致したものなのです。だから、実はこれは画期的な判例というわけではなく(司法において、性別についてのパラダイムの転換があったわけではなく)、元々あった考え方に従って考えれば、当然こういう判決になると考えられるだろうという意味です。
例えば、ムリヤリ髪を切られた場合、通常の例では、被害者が男性だと「暴行」、女性だと「傷害」で、罪状が異なります。これはどういう事かというと、女性の場合は髪を伸ばしているのが普通で、男性の場合には髪が短くても社会生活上、大きな支障がないという、社会通念上の判断から来ているわけです。つまり戸籍上の性別が問題なのではなくて、実生活上の支障の有無が基準になっているわけですね。これは当然、髪だけでなく顔の傷なども同じ事です。
ニューハーフとか、もしかしたらビジュアル系のタレントとか、そういう人達の場合には、職業上の支障がある。それから、ニューハーフの場合、この判例にあるように、「手術を受けた、いわゆるニューハーフ。私的な時間もすべて女性用の化粧品、装飾品、服装を使用している」という場合には、当然、職業上だけではなく日常生活の上でも支障があると判断される。こうした点を考えると、「事実上の女性だと認定」というのは、従来の法律の考え方からしても、きわめて妥当なものだと思います。
それともう一つ、この判例から期待される事として、戸籍の記載変更(性別)の可能性ですね。この場合、さすがにプレオペの場合には、まだ難しいと思いますが、一応「不可逆」とみなしてもよいポストオペの場合で、かつ上の判例のような意味でも「事実上の女性だと認定」出来る条件がある場合には、記載変更が認められる可能性が高くなったと思うのです。
これは「性別」の基準をどこに置くかという問題なのですが、以前から書いている通り、また上の例からも判る通り、現実に社会的な意味を持つのは、基本的には生物学的な性よりも、ここでいう「事実上の女性」かどうかですね。例えば、これは警察の(司法ではなく行政の)判断の例ですが、被疑者を留置場に入れる場合でも、MTF ならポストオペは女性と一緒に入れる。留置の場合、刑事訴訟法の規定によって時間との勝負になりますから、これは長々と検討するわけにはいかなかったはずの問題で、結局基準になったのは「どちらが、より問題が少ないか」だったと思います。
そういう意味では、社会的には「性別」というのは、既に「身体構造上の性」つまりポストオペの MTF ならば「女性」という事ですが、それと「実生活上の性」とが一致していれば、事実上その性別で扱われるという事に、なっていると思うのです。その理由を一言でいえば、その方が「社会的混乱」が少ないと判断されるからです。
ですから、戸籍の記載変更についても、本人の主観(性自認など)だけの問題として扱うのは非常にまずいやり方で、これはどうしても「社会」(マジョリティ)に対して対抗主義になりやすい。社会を支える諸原理から、権利や自由だけを抜き出してクローズアップすると、どうしても主張がアンバランスになって、説得力を持たないし、その為なおさら対抗主義の方向を選ぶという悪循環を起こします。しかし、現実には「権利」や「自由」それ自体が、社会的なコンセンサスの上に成立している「ルール」なのであって、社会的コンセンサスなき人権というのは語義矛盾ですね。
「身体構造上の性」と「実生活上の性」とが一致している場合には、社会的にその性別で扱われるべきで、現実にそれが既に普通に行われはじめている事、またその方が、いわゆる「公共の福祉」にも反しない(社会的混乱を避ける事が出来る)という点を、私達の主張の前提として押さえておく必要がある。その方がずっと認められやすくなるはずなんです。
はじめの方で私は、この判決は元々あった考え方に従った当然の結果であって、司法において、特に性別についての考え方の転換があったわけではない、という意味のことを書きました。別の言い方をすると、こうした判断基準は「社会通念」に従って考えるという事が前提になっていますから、今回の判決も当然、社会通念に反したものではない、と言うことが出来るはずなんです。
今回の判決は、そういう主張を裏付ける材料としては、非常に有意義なものになると思います。
