39.続・社会的「事実上の性別」

神名龍子


 前回の、「38.社会的『事実上の性別』」で扱った裁判について、「相手にMTFだという事をカムアウトしていなかったために、賠償額が減額されているので、その点についても考えて欲しい」というご意見を頂きました。

 その部分については私は、裁判官が具体的にどういう事を言っているのかを知らないのですが、とりあえずその限りで考えたことを書いてみることにします。

 結論から言ってしまえば、私もこの部分に対しては「変だな」と思うのですが、詳しいことが判りませんので、まず最初は、「文句をいいたい気持ち」を抑えて(笑)、この減額について「もし、そういう事が言えるとしたら」どういう理屈でそうなるのかを考えます。

 ただし、私は法律の専門家ではありませんので(残念ながら、民事に関しては特に弱い)、これは、「たぶんこういうコトかな?」という、神名個人の考えだということをお断りしておきます。

 そして、その次に、それのどこが変なのかを考えることにします。


 まず、この件はそもそも被告(男性)が、原告(ニューハーフ)に補償金を払っていたのに、「原告が戸籍上男性である」と気づいた被告が、支払いを中止、そのために原告が裁判を起こしたというものでした。

 ということは、まず最初(事故後)は二人の間で補償金の支払いについての取り決め(約束)が成立していたわけです。双方が合意の上での約束というのは、例え文書を交わしていなくても、つまり口約束でも、それを両者が認めるなどして、その事実があったということが判れば、これは法律上「契約」とみなされます。ただ通常は「そういう約束をした」という証拠として文書(契約書)を作成するに過ぎません。

 これは例えば、お店に入ってカツ丼を注文する時の事を考えて下さい。この時、店が客にカツ丼を提供し、客は店にその代価を支払うという文書(契約書)を交わすことは、まずありません。この場合、普通は注文するときに、ただ「カツ丼」というだけで、客は「カツ丼の代価を支払う」とは明言していない。しかし、これは世の中の慣習に従って、商品を注文した以上は当然、代価を支払うものという「暗黙の了解」があるとみなされ、この暗黙の了解も契約事項に含まれれるとみなされるわけです。

 第一、そうみなされなければ、いわゆる「無銭飲食」が犯罪(詐欺罪)として成立しません。「カツ丼をくれ」といったらカツ丼が出て来たから「もらった」のだ、「カツ丼を買う」とは言ってない。そういう話になってしまう(笑)。しかしこういう「いいわけ」は、上記の「暗黙の了解」という考え方によって、無効になります。

 話を戻すと、最初の二人の間での補償金についての「契約」についても、おそらく東京地裁は、「原告が女性である」という事が「暗黙の了解」として、その「契約」の合意の前提に含まれている、と判断したのではないかと思います。つまり、被告は「原告が女性である」という前提で「最初の契約」の内容に合意したわけですね。だから、もし被告が最初から「原告がニューハーフである」と知っていた場合には、最初の補償金についての「契約」が成立しなかったか、少なくともその内容が違っていた可能性がある。

 では、被告が当初、「原告が女性である」と思っていた責任はどちらにあるか(挙証責任の所在、というのだそうですが)。最初に事故のあったお店がニューハーフのお店だったら、こんな問題は起きなかっただろうと思いますので、ここではそのお店が普通の女性のお店だと仮定します。そういうお店に勤めていて、見た目にもニューハーフだと判らない、判決にもあった通り生活上も「事実上の女性」である。したがって、「一般的な社会通念に照らせば、被告が原告を女性だと思い込むのは当然と考えられる」というような判断がなされたのではないでしょうか。ですから、言い方は悪いですが、これを「女性だといつわった」と見る場合には、「不作為による錯誤」とみなされるかと思います。

 これはつまり、「代価を払うからカツ丼を提供してくれ」といわずに、ただ「カツ丼」というだけで「代価を払う」という事項が「契約」に含まれる、とみなされるのと同じ事ですね。「性別をいわない場合、どちらに判断されるか」を考えた場合には、原告は女性だと判断されるだろうという前提がある。これは私達の用語で言えば、つまり「パスしてる」という事なんですけど、ここではそれが裏目に出たと考えられます。

 「最初の契約」に際して、「原告側の過失」があったといえるための論理は、おそらく以上のようなものではないかと思います。

 ここでもう一度繰り返しておきたいのは、原告に対して女性の補償基準が適用されたのは、以前からある考え方に従えば当然の結論であって、私の考えでは、これはなんら「画期的」なものではないという事です。そしてここでも同様に、以前からある「契約」についての考え方を用いれば、一応はこういう考え方が出来てしまう。だから今回の判決は全部ひっくるめて、「T's に対する理解」なしでも導き出せる結論だといえるでしょう。


 では次に、もし TS が同じ立場に立った場合に、それに対して異議を唱えるとしたら、どのような事が言えるのか。

 今回の補償額の算定には、原告が「事実上の女性」であるという理由で、女性の基準が用いられています。この場合の「事実上の」というのは、もう少し具体的に言い直すと、「実生活上においての」という意味ですね。

 これは、ごく基本的なことから言えば、この算定に用いられるべき要素と、用いられるべきでない要素がある、という事です。

 例えば「青森県出身の女性」と「鹿児島県出身の女性」とで、出身地の違いを理由に補償額が異なるとしたら、これは誰でも不当だと思う。これは、上記で言う「最初の契約」の場合でも同じですね。被告が「あなたが青森出身なら300万払うけど、鹿児島出身だったら100万しか払わん」というとしたら、それもやはり、誰でも「おかしい」と思うわけです。

 そうすると、「最初の契約」の段階で「原告の過失」がなかったというためには、戸籍上の、あるいは遺伝子的な意味での性別も、出身県と同様、問題ではないという事ができればよいわけです。では、それに代わる要件は何かというと、「実生活上の性別」ですね。そして、記事から判断するかぎり、被告は「最初の契約」において、原告が実生活上、「女性」であるという認識があった。

 これを整理して言い直すとこういう事になります。

 被告は「最初の契約」において、原告が実生活上、女性である事を認識しており、したがって原告の顔の負傷が、その生活上、女性として支障を来すと判断し、合意に踏み切ったとみなすのが妥当である

 つまり、被告が「最初の契約」に合意した前提を、戸籍上および生物学的性別ではなく、実生活上の性別に置くことが出来ればよいわけです。そのためには、原告が顔の傷によってこうむる「生活上の支障」が、戸籍上および生物学的性別と無関係である(それはいわば、出身地と同じだ)という事を、同時に主張する必要がある。

 「原告の過失による減額」に対しての異議としては、これが私が現在考える限りでの、最も筋の通った主張ではないかと思います。

付記(1999/05/25)

 その後、新聞記事を確認した限りでは、「相手にMTFだという事をカムアウトしていなかったために、賠償額が減額された」という事実を確認することは出来なかったことを付記しておきます。

 複数紙の新聞記事によれば、賠償額が「原告の過失」を理由に減額されたのは事実ですが、この「過失」とは「MTFだという事をカムアウトしていなかった」事を指すものではなく、怪我の原因となった事故そのものに対しての原告の過失を指すものと思われます。これは交通事故の示談などにもよくある、いわゆる「過失相殺」の話であって、他のサイトで話題になっていたような、T's に対する差別的な判決内容であるというような事実は、確認することは出来ませんでした

 ※過失相殺・・・ 債務不履行や不法行為に関して、債権者や被害者にも損害の発生や拡大について過失が認められる場合に、裁判所がこれを斟酌して債務者や加害者の支払うべき損害賠償の額を減ずること。(広辞苑第五版)

L.Jin-na


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