5.イーミックとエティック

神名龍子


 記号論と切っても切れないのが音韻学(phonemics)で、これは、音がある特定の言語体系(個別言語)内において果たしている機能を考察・研究する学問なのだそうです。似て非なるものに音声学(phonetics)があって、こちらは音の言語体系内での機能を無視し、言語体系の枠を越えたところでの(汎体系的)音の諸性質を自然科学的に研究します。判りやすくいえば、私が「ハ・ト」といっても、他の日本人が「ハ・ト」といっても、意味するところは同じ「鳩」であり、これを同一の音として捉えるのが音韻学で、音声学においては個々の音の物理的な高さやその他の諸性質を比較して、これを別の音とみなします。

 この両者の違いを、対象を音に限らずに一般化すると、前者は、

あらゆる文化現象について各個別文化体系の機能に注目する認識態度、またそれにより対象化される現象(の側面)を説明する概念。
となり、後者は、
各個別文化体系内の機能を無視し、自然科学的(実質レベル)な差異・同一性にのみ注目する態度、またそれにより対象化される現象(の側面)を説明する概念。
となります。前者をイーミック(emic)、後者をエティック(etic)と呼びます。それぞれ音韻学(phonemics)、音声学(phonetics)の綴りの後半から取った名前です。

 ところが人間はしばしば、両者を都合よく折り混ぜて利用することがあります。例えばフルコンタクトの空手をやっている人間が「柔道って変な格闘技だな。相手を30秒間押さえつけている事に何の意味があるの?」というような場合ですね。「相手を30秒間押さえつけ」る動作をエティックに見て取り、その評価をイーミックに、つまり空手のルールに即して判断すれば、確かに柔道は「変な格闘技」に見えるでしょう。しかしそういう判断こそ意味がありません。このような判断のしかたをエティミックと呼ぶのです。

実質レベルの差異・同一性で対象を捉え、それを媒介として、自己体系の機能を以って他者体系の実質・機能関係を(あるいはしばしば実質・機能関係全体を)非難する態度、またまたそれにより対象化される現象(の側面)を説明する概念。
というところでしょうか。平たくいえば「相対化が出来ない」ということでしょう。

 TSとTG・TGとの間の、あるいはTS同士での相互差別や、一部のフェミニズムによる T's 批判など、現状ではこの世界にも様々なエティミックな意見が横行しています。例えば以下は、「クィア・スタディーズ’97」中、「トランスジェンダー論 -文化人類学の視点から-」の註においてその筆者の三橋順子氏が引用している、上野千鶴子氏による一部の T's への批判で、

「性別二元制に何らかの不適合を覚えているが、それから降りようとするわけでも、性別秩序を変えようとするわけでもない。男性としての利益を享受しながら、一時的な代償行為をとっている人びとである。結果としてかれらは性別秩序の維持に貢献する」

(上野千鶴子「『オヤジ』になりたくないキミのためのメンズ・リブのすすめ」、『日本のフェミニズム』別冊『男性学』所収、1995年・岩波書店)

これなどは、エティミックな意見の典型例です。その通りではあるので単に「事実の指摘」であるとすれば別に否定する必要はありません。しかしこれを「批判」として読む場合には実に空虚な「だからどうした?」としか言い様がないものになってしまいます。ここで「批判」されているのは具体的には「女装者」であるらしいのですが、 T's のいずれにしても、必ずしもフェミニズムの理論に従って動く義理がないのは自明の理でしょう。生まれながらの女性でさえフェミニズムの理論に従っていない人の方が多いのではないでしょうか(笑)。

 フェミニズムの理論に従って動く義理があるのはのは、せいぜいフェミニズムを信奉する一部の T's であって、それ以外はそもそも批判されるいわれがないのです。日本人がフランスに行ったとして、現地のフランス人がフランス語で話していることを批判できるでしょうか。それとも上野千鶴子氏はかつての日本が朝鮮に対して日本語の使用を強制したように、 T's をフェミニズムの植民地とでも思っているのでしょうか。この批判の構造はそれと同じ事で、エティミックここに極まれり、です。

お断りしておきますが、私はフェミニズムそのものに恨みがあるわけではありません。これは私達 T's のフェミニズムに対する独立性の問題であって、相手がフェミニズム以外の「何か」であっても同種の問題は発生しうるのです。また以上は私個人の意見であって、【EON】の会員すべてが上野氏に批判的であるわけではありません。現に【EON】内において上野氏への私の批判に対する反論があった事を付記しておきます。【EON】は運動団体ではありませんので、ネットワークの運営上の事項(主にネットワークのシステムに関すること)は別として、会員個々の意見の統一などは行っていませんし、今後についてもその必要を感じていません。

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