神名龍子
この両者の違いを、対象を音に限らずに一般化すると、前者は、
ところが人間はしばしば、両者を都合よく折り混ぜて利用することがあります。例えばフルコンタクトの空手をやっている人間が「柔道って変な格闘技だな。相手を30秒間押さえつけている事に何の意味があるの?」というような場合ですね。「相手を30秒間押さえつけ」る動作をエティックに見て取り、その評価をイーミックに、つまり空手のルールに即して判断すれば、確かに柔道は「変な格闘技」に見えるでしょう。しかしそういう判断こそ意味がありません。このような判断のしかたをエティミックと呼ぶのです。
TSとTG・TGとの間の、あるいはTS同士での相互差別や、一部のフェミニズムによる T's 批判など、現状ではこの世界にも様々なエティミックな意見が横行しています。例えば以下は、「クィア・スタディーズ’97」中、「トランスジェンダー論 -文化人類学の視点から-」の註においてその筆者の三橋順子氏が引用している、上野千鶴子氏による一部の T's への批判で、
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「性別二元制に何らかの不適合を覚えているが、それから降りようとするわけでも、性別秩序を変えようとするわけでもない。男性としての利益を享受しながら、一時的な代償行為をとっている人びとである。結果としてかれらは性別秩序の維持に貢献する」 (上野千鶴子「『オヤジ』になりたくないキミのためのメンズ・リブのすすめ」、『日本のフェミニズム』別冊『男性学』所収、1995年・岩波書店) |
フェミニズムの理論に従って動く義理があるのはのは、せいぜいフェミニズムを信奉する一部の T's であって、それ以外はそもそも批判されるいわれがないのです。日本人がフランスに行ったとして、現地のフランス人がフランス語で話していることを批判できるでしょうか。それとも上野千鶴子氏はかつての日本が朝鮮に対して日本語の使用を強制したように、 T's をフェミニズムの植民地とでも思っているのでしょうか。この批判の構造はそれと同じ事で、エティミックここに極まれり、です。
| ※ | お断りしておきますが、私はフェミニズムそのものに恨みがあるわけではありません。これは私達 T's のフェミニズムに対する独立性の問題であって、相手がフェミニズム以外の「何か」であっても同種の問題は発生しうるのです。また以上は私個人の意見であって、【EON】の会員すべてが上野氏に批判的であるわけではありません。現に【EON】内において上野氏への私の批判に対する反論があった事を付記しておきます。【EON】は運動団体ではありませんので、ネットワークの運営上の事項(主にネットワークのシステムに関すること)は別として、会員個々の意見の統一などは行っていませんし、今後についてもその必要を感じていません。 |