神名龍子
昨年5月に、SRS を終了した性同一性障害の当事者6名が、戸籍の性別の訂正を各地の家裁に一斉に申し立てを行った。このことは既に「55.戸籍訂正は『可能性』の要求である」の中でも紹介している。今年の8月になって、その中の1名が許可を認めない決定を受けていたことがわかった(東京新聞によればこの当事者は埼玉医大で SRS を受けた FTM らしい)。この当事者は決定を不服として高裁に抗告したと報じられている。
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戸籍の性別訂正却下 国内で正式性転換手術 家裁 体の性別への違和感に苦しむ性同一性障害のため、埼玉県川越市の埼玉医大で女性から男性への性別再指定手術(性転換手術)を受けた当事者が、戸籍の性別の訂正を申し立てた家事審判で、関東地方の家裁は二十九日までに、訂正を認めない決定をした。この当事者は決定を不服として抗告した。 国内で正式な手続きを経て性転換手術をした人に対する決定は初めて。医療として定着してきた性別の変更を法律上は是認しないという、厳しい判断となった。 弁護士によると、決定は性同一性障害の原因は医学的にまだ不明確と指摘。出生時の性別判断に戸籍法上、訂正が可能な「錯誤」に当たるとは認められないと判断した。 この当事者は埼玉医大で女性から男性への性転換手術を受け、男性として生活している。だが、就職や通院が困難な上、結婚もできないと指摘。憲法で保障された幸福追求権を妨げられていると主張していた。 (東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20020829/eve_____sya_____004.shtml) |
却下理由の一つは、戸籍法の解釈の問題である。現行の戸籍法第113条は、戸籍の記載に「錯誤若しくは遺漏」がある場合に限り記載の変更を認めている。性同一性障害の場合はこの「錯誤」に該当しないと判断されたことになる。もちろん、戸籍法には性同一性障害でも戸籍訂正を認められると「疑いようもなく」判断のできる条文はない。だから私も、現行法の中で戸籍上の性別訂正が認められるとすれば、この第113条の「錯誤」という語をいかに解釈するかという方法しかありえないと考えていた。今回の家裁の決定は、それを否定する内容になっている。
もう一つの理由(というより「争点」というべきかも知れないが)は、「性同一性障害とは何か」という問題である。【さとしの性同一性障害総合研究所】の伊東聰氏は、この問題の一つを、
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インターセックスの場合は戸籍訂正が認められている。 理由は、「身体的に異常が発生している」という客観的かつ具体的な原因がわかるからである。性同一性障害者の場合はそれがみあたらないため、理由としてあげることは困難である。
(「ガイドラインに沿って性別適合手術を受けたケースでも戸籍訂正不可の判決」 |
と簡潔にまとめている。だが、この家裁の言い分はかなりおかしなものだ。この件の当事者は、埼玉医大で性同一性障害と診断された上で SRS を受けている。なるほど性同一性障害の「原因」は現在でも明らかにされているとは言い難い。しかし、原因が何であるかということと、今現在のこの人が何であるかという認識とは別問題である。死体が発見されたとして、死因がわからなくても、その死体が確かに死んでいるということはできる。死因が判らないからという理由で、ある人物が死んでいるか生きているかが判断できないということはあり得ない。
これは極端な例だが、それでは精神鑑定の場合はどうか。ある人物が精神分裂症(統合失調症)であるかどうかということを、裁判所は精神科医に「鑑定」させる。「精神分裂症の原因」が詳らかでなくても、鑑定が採用される例はいくらでもあるはずである。ならば、この当事者が性同一性障害であることは、なぜ医師の診断によっては認められないのか。性同一性障害に、身体的・物質的な特徴がないことを理由に「理由としてあげることは困難である」というのであれば、司法は精神疾患の存在そのものを否定しているに等しい。その一方で精神鑑定を行なっているのは矛盾ではないだろうか。
もうひとつ、これも伊東聰氏の同ページによれば、この当事者は、「脳の性別論」など生物学的な理由として申し立てに挙げていたらしい。しかしこれは、環境的要因も否定できないという理由で採用されていない。私は、これについては裁判所の判断が正しいと思う。しかし、このような指摘をするくらいなら、家裁も性同一性障害が必ずしも物質的要因に還元できないことは認識しているのだろう。ところが一方では、上記のように物質的なメルクマールを求めている。これは要するに、存在の有無も定かでないものを、それと知りながら要求している、ということだ。このような一貫性のなさから、私にはどうしても「否定のための言い掛かり」ではないかと思えてしまうのである。
また、当事者の側が「脳の性別論」などを持ち出したのも、私は賛同できない。これはおそらく以前の、戸籍上の性別は染色体によるべしという司法の「染色体主義」を意識したのではないかと思う。しかし物質から精神を解明することなど、最初から不可能なのである。なんなら百歩どころか百万歩譲って、物質から精神を解明できるとしよう。それが解明されるのはいつの話なのだ? どう考えても戸籍訂正の申し立てに間に合うような研究課題だとは思えない。
ならば「染色体主義=物質主義」の土俵に引きずり込まれれば、勝ち目がないことは最初から判っている。それは「染色体」を「脳」に置き換えても同じことだ。性同一性障害を物質に還元しようというのが、根本的な間違いなのである。上で触れた東京新聞の記事では、この当事者は就職の困難や結婚が出来ないという理由で「憲法で保障された幸福追求権を妨げられている」と主張していたらしい。しかし「幸福」が脳や染色体に還元できるか。「幸福の問題」はあくまでも「実存的な問題」として扱われるべきなのである。
戸籍法第113条の「錯誤」が使えないとなれば、現行法でこの問題を押し進めて行くのは不可能だろう。司法の態度で一貫しているのは、この問題から逃げ回っているという点に限られている。ならば、解決は立法に期待するしかない。繰り返すが、戸籍法には性同一性障害でも戸籍訂正を認められると「疑いようもなく」判断のできる条文はない。戸籍法に限らず、性転換を念頭において作られたとおぼしき法律は一つもない。ならば、当事者も国家もこの問題に正面から向き合って、性転換法を作るべきだ。
もし仮に、現在申請中の誰かが戸籍訂正を認められたとしても、それはあくまでも個別的な決定に過ぎない。「認められる確率」には影響するだろうが、他の当事者が同じように戸籍訂正を認められることを保証するものではない。司法に期待する場合と、立法に期待する場合との、当事者にとって最も大きな意味の違いがここにある。
問題は当事者側の現状にある。最も戸籍訂正を認められやすい条件を持つと考えられる当事者、つまりガイドラインに沿って SRS を受けた人たちが、現在は家裁ないし高裁で司法を相手にしている。この状態が続けば続くほど、立法への働きかけは遅れるだろう。この人たちの何人かは最高裁まで行くかもしれないし、もしかしたら幸運にも戸籍訂正を認められる人だって1人も出てこないと言い切ることは出来ない。よい結果が出るにせよ司法に絶望するにせよ、何らかの結果が出揃うまでは、立法への働きかけは大きなムーブメントとしては起こらないのではないか。現状を見る限り、私にはそのような予測しか出来ない。ならばこの問題は、少なくとも数年間は解決しないということになる。
