72.でたらめてジェンダーフリー

神名龍子


 以下は、ある掲示板に投稿した文章を元にリライトしたものである(ちなみに前回の71.ジェンダーフリーの検閲思想も、別のサイトの掲示板への投稿に大幅に加筆したものである)。きっかけになったのは、その掲示板に投稿されていた、ある刊行物の文章だった。東京都文京区区民部女性青少年課発行の季刊「PARTNER」21号(平成14年2月発行)の特集「あらためてジェンダーフリー」からの、東京都立大教授・江原由美子氏の文章の抜粋である(他に作家の吉岡忍氏の文章が掲載されていたらしい)。まずはその文章を以下に引用する。

  • ジェンダーとは、社会的・文化的に形成された性別についての概念や知識を意味します。こうしたジェンダーは、昔から私たちが受け継いできた文化や伝統の中に無数存在します。「美人は得」とか「男の甲斐性」などの言い回しの中にも、あるいは服装・外見・言葉遣い・しぐさなどの慣習の中にも、冠婚葬祭やお祭りなどの伝統的儀式の中にも、文学や宗教や学問などの知的遺産の中にも、ジェンダーを見出すことができます。
  • ジェンダーフリーとは、こうしたジェンダーの中で、男女平等という価値観と矛盾するものを、現代の社会生活に一致するように一つ一つ見直し、一人一人が固定的なジェンダーの枠にとらわれないで生きられる社会をつくろうとする取り組みを意味します。
    21世紀をむかえて、日本社会においては少子・高齢化が急速に進行しています。この少子・高齢化の一つの原因となっていると思われるのが「男は仕事、女は家庭」という固定的な性別役割分担意識です。性別役割分担意識を前提とすると、男性は家事育児労働を担う必要がないという考え方が正当化されてしまい、男性を中心とした職場では、家庭生活無視の長時間労働慣行や既婚女性に対する性差別が温存されてしまいます。こうした社会においては、女性の側から見ると、結婚することは家事育児を一人で担うこと、職業意識が困難になり経済的依存状態になることであるように思えてきます。男性から見ると、結婚することは「妻子を養う」経済的負担を一人で担わざるをえなくなることであるように思えてしまうのです。ですから、こうした性別役割分担を前提として結婚しても、二人の生活は空間的にも時間的にもバラバラになり、二人で家庭を築いていくという楽しさを実感することが難しくなり、かえって自分の肩に誰にも代ってもらえない思い「役割」を背負いこんでしまうような孤独感を感じがちになってしまうのです。
  • 結婚の魅力が薄れてきたのは、こうした性別役割分担意識を前提とした結婚生活に魅力を感じない人が増えてきたのが一因だと思います。その結果、未婚化・晩婚化が起こり少子化が進行しているのです。
    また、性別役割分担を前提にした社会においては、女性は経済的に男性に依存せざるをえなくなり、社会的地位や影響力の点でも男女間に大きな格差が生まれてしまいます。政治・科学技術・文化などにおいても、女性の経験が反映されにくくなってしまいます。
    現代社会における男女の不平等という問題はこの性別役割分担を主な原因としているのです。この性別役割分担という考え方は、産業化以降、職住分離の一般化によって強くなってきた考え方です。
    性別役割分担が定着するにつれて、それ以前の伝統文化や伝統的社会に存在したジェンダーも、おおむね、この性別役割分担を正当化するように編成され直されました。
  • したがって、性別役割分担社会を変革するには、それを正当化するような様々なジェンダーを見直すことが必要です。ここから、ジェンダーフリーという取り組みの必要性が認識されるようになってきたのです。

(「フェミナチを監視する掲示板」[1028](http://www.azaq-net.com/bbs/bbs.cgi?tani6010)から引用)

 これに対して私は、テーマを「平等の意味」と「少子化と性別役割分担」の2つに限って論考を加えた。ただしここに掲載するにあたって、原文の「です・ます」体を「だ・である」体に改め、若干加筆した。なお、以下の拙文では敬称を省略している。


1.「男女平等」とは何か

 細かい批判の前に、まず「平等」とは何かということを明らかにしておく必要があるように思う。例えば、江原が挙げている様々なジェンダーの例の中で、「服装・外見・言葉遣い・しぐさ」というのがある。しかし、女性が「まぁ、やだわ」と頬に手を当てることはあっても、男性がそういうしぐさをすることはない(普通は ^^;)。しかし、これが「男女平等という価値観と矛盾する」と考える人は、(フェミニストを別にすれば)まずいないだろう。一方、選挙のときに「男性は一人で2票できるけど女性は1票だけ」とか、同じ交通違反をしたのに女性だけ反則切符を切られないとか、もしそういう事があるとしたら、これは誰でも「不当だ、男女平等に反する」と思うはずである。

 このことから「男女平等」というのは一般に、「あらゆる意味で男女が同じであるべきだ」という意味ではなく、「ある分野においては同じであるべきだが同じでなくてもよい分野もある」と考えられていることがわかる。ほとんどの人は、「男女平等」をそういう意味で理解していて、だからしぐさの違いを「男女不平等」だとは思わない(男女が同じであるべきだと思わない)のである。

 では、私達はどういう分野において「男女は同じであるべきだ」と考えているのだろうか。これは大雑把にいえば「経済の領域」と「政治の領域」についてである。これを人間同士の関係という側面で見れば、経済の領域は「契約によって成立する関係」であり、政治の領域は「ルールによって成立する関係」である。これは近代社会に共通するルールであって、このルールがなかったら近代社会とはいえない。

 さらにいえば、経済の領域は「自由競争の領域」である。この分野では「自由競争」の前提として「機会の平等」が必要だが「結果の平等」は保障されない。そうじゃないと「自由競争」にならないからだ。ただし、これは放っておくと貧富の差が開きすぎて「機会の平等」が壊れてしまうので、国家が適度に調整する(例えば累進課税などによって富の再配分を行う)。もちろん人々はその「国家」にも参加する。簡単にいえば、国家に参加する人々というのは、自分たちでルール(法律)を作り、ルールを守る人たちのことだ。ここで必要なのが「法の下の平等」である。これも簡単にいえば、ある一定の条件を満たしていれば誰でも政治に参加できるということ。それから、特定の人間に有利なルールを作ってはダメですよ、ということなのだ。

 逆にいえば、この「経済の領域」と「政治の領域」という2つの領域以外では、国家は「平等」を保障しない。結婚その他の、個人的な関係としての「男女」の問題も、国家(や自治体)が介入すべき問題ではない。それは「経済の領域」でも「政治の領域」でもない、別の分野だからだ。そこには法律で保障すべきものとしての「機会の平等」や「法の下の平等」を持ち込むことは出来ない。さらにいえば、いかなる分野においても「結果の平等」を持ち込むことは出来ないのである。

 ならば、江原はジェンダーの問題に対して、いかなる種類の「平等」を持ち込もうとしているのか。私には、そもそも江原が「平等」や「差別」についてまともに考えた事があるとは思えない。彼女はラジカルフェミニズムの出身で、「性差=性差別」という主張をしてきた人物である。差異と差別を同一視してしまう。逆にいえば、江原は差異がないことを「平等」と考えているわけだ

 しかし「平等」というのはそういう意味ではなくて、「違い(差異)があるにも関わらず」平等であるという事が要点である。例えば西欧であれば、カトリックであってもプロテスタントであっても市民(国民)として同等の権利を持つ。人種が違っても同等、性別が違っても同等。だが、江原の(つまりラジカルフェミニズムの)主張を敷衍するならば、差別をなくすためには、性差の否定だけではなく、人間は宗教的にも、人種としても統一されなくてはならないということになる。これは、とても「危険な思想」になるのだ。

 もうひとつ、ラジカルフェミニズムでは、江原自身も含めて「個人的なことは政治的なことである」という主張をしている。これは、江原の主張においては、私が上で述べたような「分野の区別」が存在しないということを意味している。つまり江原の考える「平等」とは「あらゆる分野において一切の差異を抹消すること」なのである。この考えが、いかに私達が持つ「平等」観とかけ離れたものであるか、ご理解頂けるかと思う。


2.少子化と性別役割分担

 少子化と性別役割分担との関係について、江原は何をいいたいのだろうか。江原の主張によれば、性別役割分担は少子化の「一つの原因」なのだそうだ。そして江原の認識では「少子・高齢化が急速に進行」しているのだという。しかし江原は、現在の日本社会では性別役割分担も「急速に進行」していると主張しているわけではない。私が子供の頃には、むしろ人口増加の方が社会問題だったように記憶しているのだが、では当時は性別役割分担がなかったのか。もちろん、そんなはずがない。

 つまり、江原は「性別役割分担」と「少子化」との間に因果関係が存在かのようにほのめかしていながら、その因果関係を詳らかにしているわけではなく、なぜ今になって少子化が「急速に進行」しているのかを、満足に説明できないでいるのである。

 少子化の理由など、「性別役割分担」と無関係で、なおかつ現実的なものをいくらでも挙げることが出来る。真っ先に思いつくのは、高校・大学への進学率が高まって、子供1人当たりにかかる教育費に多額を要するようになったこと。簡単にいえば、(言葉は悪いが)子供は「量より質」の時代になったという事である。また、そのために子供が一人前の社会人になる年齢も高くなる。ある程度の年齢になると、子供を生んでもその子供が一人前になる前に親が定年でリタイアしてしまう。その不安があるために、晩婚化の進行に伴って子供を作るのに躊躇する夫婦が増えたのではないかということ。それから住宅事情の問題。子供に個室を与えることが普通に行われるようになったため、子供の人数が多いと部屋数が不足する。逆にいえば、現在の日本の住宅事情で子供に個室を与えようと考えるなら、子供の数を減らさざるを得なくなるのである。とりあえず、思いつくままに3つほど挙げてみたが、「少子化」に関していえば、このいずれもが、「性別役割分担」などよりよほど切実で現実的な理由であると思う。

 晩婚化が進む理由にしても「性別役割分担意識を前提とした結婚生活に魅力を感じない人が増えてきた」というのは、完全に的外れだ。江原はあくまでも「一因だと思います」という表現を安全弁として使っているが、そんな理由が当てはまる人達が、晩婚女性の内でどれほどの割合を占めるだろうか。私の考えでは、この理由もやはり子供の教育期間の長期化に関係がある。一人前の社会人になる年齢が高くなれば、結婚時期もその分だけ高齢化する、というのが最も単純にして多数派を占める理由ではないだろうか(だからその一方で、非進学組からは「ヤンママ」が出てきたりもする)。

 それから、確かに結婚の魅力が薄れているとは思うのだが、それは他にいろんな生き方の選択肢が出て来たために、結婚の魅力が「相対的に」低下したというのが実際のところだろう。結婚生活が「性別役割分担意識を前提」としていなくても、生き方の選択肢が増えれば、このような変化は多かれ少なかれ起こらざるを得ないものなのだ。もちろん、「性別役割分担意識を前提とした結婚生活に魅力を感じない人」も皆無というわけではなかろうが、そういう人が幾ばくかでも「増えてきた」としたら、その最大の原因はフェミニズム自身ではないか。こういうのを、日本では「マッチポンプ」というのである。

 また、江原の主張によれば、「産業化」以前は、「産業化以降」よりも性別役割分担が強くなかったのだから、当時の結婚生活は今よりも魅力的だったという事になる。この近代批判もフェミニズムが常用するものだが、では現実には、「産業化」以前と現代とで、家事や育児を含めた女性の労働量はどのように変化したのだろうか。

 実は、女性の労働量は昔に比べて減少しているのである。産業別の人口でいうと、「産業化」以前に最も多かったのは農家だ。昔の農家は、男女の区別なく一家総出で野良仕事に出て、その上さらに女性には家事の仕事があった。もちろんこの当時には、掃除機も、ガスコンロも、電子レンジも、洗濯機も、水道も、使い捨ての紙オムツもない。特に水は、家の外の井戸(場合によっては、もっと離れたところにある川)から汲み上げなければならなかったのだから、大変な重労働である。これが養蚕農家になるともっと大変で、季節によってはまず眠れない(^^;)。いくら、昔はもっと子供が親の手伝いをしたといっても、現在の主婦が一人でこなす労働量とは、その量が比較になるはずがない。どう考えても、現在の主婦より魅力的な生活だったと考える事は不可能なのである。

 さらにいえば昔の「家」の中での「嫁」の地位はどのようなものであったか。現在に比べて「低い」という事は出来ても、決してその逆を主張することは不可能である。しかも、フェミニストの意見は、江原のように近代(産業化以降)だけを悪者扱いする意見で占められているわけではない。その典型が、社会学系フェミニストを中心とする家父長制へのこだわりである。どんなに不勉強なフェミニストでも、家父長制が「産業化以降」の産物だと主張する馬鹿はない。封建制時代からの遺制とみなすのが普通である。もちろん封建制時代あるいは家父長制において、「性別役割分担意識」が存在しなかったはずもない。では、女性差別は近代以前の遺制なのか、近代の産物なのか。江原には、是非とも「家父長制」にこだわる社会学系のフェミニストと決着をつけてもらいたいものである。

 さて、現在の女性の労働量の減少には、家電その他のハードウェアの普及と共に、産業化以降の「職住分離の一般化」と「性別役割分担という考え方」の強化が、間違いなく大きな役割を果たしている。江原の主張からすれば、「専業主婦」よりも、多少なりとも昔の形態を残している「農家の嫁」の方が女性に人気がなければおかしいのだ。しかし実際には、「農家の嫁」のなり手がないという事がいわれて久しい。このことが、多くの女性たちにとってどちらが魅力的に見えるかということを、如実に表しているのではないだろうか

L.Jin-na


PREV INDEX NEXT
[前章] / [ジェンダー素描] / [インデックス] / [次章]