神名龍子
実は、同じようなテーマについての私の考えも併記するつもりだったのだが、これは一つの独立した考察として扱うのがふさわしいと思い返した。そこで今回は、本人から送られた講演録と追記、末尾に私からの簡単な評を加えるに留め、私の考察は後日、別に掲載することにした。
ご紹介あずかった吉岡純子です
今から20年ほど前の、暗い前の話をします。まだ性同一性障害という言葉も一般に知られていなかった、原科先生がおっしゃる暗黒時代の話です。私はまだ学生で、TVだったころ。ある女装クラブで初対面の方から、こんなことを言われたんですよ。私が名刺を渡そうとすると、その方は「名刺を渡すんじゃない」って言うんですね。
その時は私はまだ若かったですし、当然その言葉に反発はしたのですが、でも、それから20年、私も、いろいろあって、まあ今は女性扱いでなんとか社会のすみっこで生きていけるくらいにまではなりましたけど、いつかその方の言うことにも一理あるなあと思うようになりました。
その間、私の生活圏内で、--私の知り合いの知り合いの範囲だけですけど--当事者同士、および当事者が絡んだ殺人事件が1件、放火事件が2件、障害事件が4件、暴行、乱闘事件が5件ほどありました。2年に一回は刑法に抵触する事件が起きているわけです。まあいい成績ですね!
これが脅迫、恫喝、名誉毀損、ストーカー行為、怪文書、迷惑メール、インターネット上での口喧嘩にいたっては、日常茶飯事なのは皆さんも経験なさっていることだと思います。
なんでこんなに事件が多いのか、自分なりにその理由を考えてみたのですね。おそらく原因はこの三つでしょう。
図1をお願いします。
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(図1) 当事者および、当事者グループ同士に起きる 1. 人間関係の密度の濃さ 2. 対人関係スキルの未熟 3. 感情や欲望の投影 |
1.は、横溝正史の小説「八墓村」とか「犬神家の一族」お思い出していただけるといいんですけど。人間関係が少数の人々の中だけでやりとりされている社会の中で、おたがいの関係が濃密になるため、たがいの感情が、たとえば「好き」とか「嫌い」とかが強烈に増幅起きる現象ですね。性同一性障害の患者も少数の人たちの間で人間関係が完結していますから同様な現象が起きてしまうわけです。
2.は、読んでいただけたとおりのことです。性同一性障害の当事者は、多かれ少なかれ自分の本心を他の人に語るということを、成長の過程で十分に行ってきていません。そのために自己表現が他の人たちよりも下手くそなんですね。そのせいでトラブルが増えるわけです。
3.の「投影」は、これは精神分析学の用語なんですが、自分の内にある自分では認めたくない資質や感情、欲望、対象などを、自分の外にある、他の人やものの中にあるかのように感じてしまう作用をいいます。
一例をあげますね。
これは私の経験なんですけど、私が、今から5年くらい前にインターネットの、某掲示板を読んで書き込みをしていたときのことなんですね。あるフルタイムフルパッシングのMTF TSの方がこんな書き込みをしたわけです。
という書き込みをしている方がいらっしゃいまして。それで、当然、私はその書き込みにカチンときちゃいまして、まあ、そのときは、若気の至りで、自分がつたない脳味噌で考えられる限りの超イヤミなレスを書き込んでしまったのです。いやあ相手には悪いことしちゃったなあと反省しています。
でも、本当に問題なのは、なんで私がそこまでカチンときてしまったのか?なんですよ。
よくよく考えたら、相手の方は、別に私のことを怒らそうと思って書いたわけではないんですよ。それなのに何故、私がそこまでカチンときてしまったかというと、それは私自身が、自分の容姿に関して強烈な劣等感を持っているからなんですね。さらには、フルパスでフルタイムなその方に対する羨望とその裏返しの嫉妬ですよね。
でも、自分はそういった自分でも嫌いな部分を直視するのは嫌なんです、誰しも自分のそういう所は見たくないわけですね。
そうすると、ついつい、それを相手のせいにして、自分が、その方から攻撃されたかのように感じてしまうわけです。よく考えればその方は私を直接に攻撃するつもりでそんな書き込みをしたはずはないんです。でもそう感じてしまうわけですよ。
また、当事者同士、同じ苦しみを共有してもらるはずという思い込みもありますよね。それなのに、自分の気に触ること言う相手は許さないと考えてしまうわけです、でもこれは一種の甘え、つまり「依存」ですよね。冷静に考えたら、相手と自分では性同一性障害をかかえているという点では同じでも、生活歴も性格も職業も感性も生活パターンも全部違うわけですから、相手の気持ちなんて解らなくて当然なんですよ。
それでまあインターネットで喧嘩していても私自身の問題には何の解決にもならないんです。自分も相手もキズつくだけだし、私のレスを読んだ人たちもイヤな思いをするだけ。パス率があがるでなし、女性として働けるようになるわけでなし、SRSの費用がたまるわけでなし。そこまで気がついて、自分は、もうインターネットで書き込みをするのはやめちゃったんですけど、まだそれに思いがいかない方たちがまだ、悪口合戦を続けているわけです。
こういうのが「投影」の一例ですね。当事者同士は、おたがいに「投影」しやすいんです。それは、お互いに親愛の情というプラスに働くこともあるんですが、それが裏目にでると、強烈な憎しみや攻撃性も引き出してしまうことにもなるわけです。
この1.2.3.の三つの現象は、別に性同一性障害に特有のことではなくて、人間社会には普通によく起きていることなんです。ですが性同一性障害の場合、それが悪循環を起こすことで、より事態が深刻にしているようです。
図2をお願いします。
(図2)アイデンティティ不安 ↑ ↓ 対人関係のスキルの低下 依存的な他者への投影 ↑ ↓ 人間関係の密度があがる ← 対人関係のトラブル |
これをどう防ぐかですが、私が自分で試してみて結構効果があったなあと思うものは次の方法です。
それぞれ、どんな効果があったかきちんと説明したいのですが、今は時間がないので、それは別の機会にします。
いずれにしても、ポイントは、自分の意見や感情、自分のあり方を相手の意見や感情、相手のあり方と混同しないように、--つまり投影や同一視をしないように--、落ち着いて相手の話を聞いたり、自分の意見を表明したりする手法です。
くわしいことは、大きな書店の心理学や精神医学のコーナーにその手の本は並んでならんでますし、今日は専門の精神科や心理療法士の先生もいらっしゃってますから、後で質問されるといいと思います。
また私見ですが 1.の「人間関係」に関しては、最近では、皆様の努力の甲斐あって、一般社会の側の受け入れ体制が進んだおかげで、だいぶ改善してきました。おかげで当事者間のトラブルも昔ほど悲惨なケースは、少なくなってきたように感じます。
20年前に私に「仲間は絶対に信用しちゃダメだよ」といった先輩には、今では「大丈夫ですよ」と笑って答えられるようにはなってきたとは考えています。
しかし一方では、社会のサポートを享受できてなんとか上手に生きていける当事者グループとと、スパイラルに落ち込んでしまってそこから抜け出せない当事者グループに二極化しているのではないかと思うこともあります。それを解決するのは簡単ではないでしょう。この発表が解決の一助にでもなれば幸いです。
以上で私の発表を終わらせていただきます。ご拝聴ありがとうございました。
この発表に関しては後で皆様から「よくぞ言ってくれました」的な大変好意的な評価をいただきました(爆)。こんな素人研究に対して身に余る光栄だと思っています。
また被差別部落問題や在日朝鮮人問題など差別の問題で地道に活動なさってらっしゃる方から、「アサーショントレーニング」は自分たちも教えているとの貴重なご指摘もいただきました。
たしかアサーションは、女性や被差別者など、権利が侵害されやすい少数者のために60年代のアメリカで始まったカウンセリング技法でしたね。
自分の感情や思いを攻撃的にならず、卑屈にならず、周囲に対してきちんと主張するトレーニングを日頃からこころがけることで、他者に受け入れられる体験を積むことで、自己肯定感を回復する効果をねらった訓練です。
また辛口なご批判を三ついただきました。
まず当事者のHさんより、「こじつけっぽい」とのご指摘がありました。ちょっと強引な論法だったかな?
また女装家のJMさんより「TVのTSに対する悪感情はわかるけど、TSのTVに対する悪感情が分析されていない」とのご指摘がありました。え〜ん、時間がなかったんですぅ。それに相手の内面を自分がかってに分析して決めつけるのも相手に対して失礼ですし、争いを増やすだけだと思ったので、今回は自分の感情だけを分析することにしました。当事者同士のグループダイナミクスに関してはまだまだ研究の余地はあると思いますが……。えっ「TSのTVに対する感情のほうが深刻な問題……」。う〜ん、そこにつっこむと紛争を増やしそうだから止めましょう。(爆)
それから精神分析がご専門のT先生から、「投影」の意味がズレてるとのご指摘を受けました。ううううっ。これは痛い批判だ。自分ではちゃんと調べたつもりだったのに……。これだから素人は困る。本当は「投影」とは、自分が怒ったり、喜んだりした時、それを相手が怒っているとか、喜んでいると感じるというケースを指す言葉だそうです。
じゃ今回のケースは何だろう「転移」かな?、「同一視」?? う〜ん精神分析の用語は難しい。もう一度、勉強し直さねば。書き直しても、また間違えると困るから、上記の文章ではそのままにしておきました。この文書を引用する場合は、その点を含みおきください。
それからロジャーズ派の精神療法やアサーショントレーニングについて参考書を教えて欲しいとのこと。私のお薦めは……
です。両書とも、単純なテクニックの紹介ではなく、日常的な会話の局面で、心がけていけば自然とトレーニングできるように構成されていてずいぶん役に立つ書物です。
私は専門家ではないので、これ以上のことをやりたい方は、ご自分で、専門の書籍を探すなり、いい先生に習いに行くなりしてくださいね。
彼女と私とは、まだ年号が「昭和」だった頃からの古い友人で、出会った当初からとても頭のよい人だった。何かにつけて彼女からさまざまなことを教えてもらい、さらにはパソコン通信【EON】を一緒に運用していた仲である。今回の考察もとてもよく考えられている上に、具体的な例を挙げたり、難解な用語を避けるなど、理解のしやすさという点でもよく工夫されている。彼女の面目躍如というべきだろう。
彼女は追記の中で、ある精神分析の専門家から「投影」の意味がズレてると指摘されたと書いている。私の理解では、彼女が簡潔に説明している、
は間違っていないように思える。おそらく指摘の対象は、その直後に挙げられている「例」の方だったのではないだろうか。この例は一見すると、劣等感を刺激されたという話になっている。彼女はここで「自分の容姿に関して強烈な劣等感を持っている」と述べているが、しかし彼女は相手の書き込みを見て「この人がこんなことを言うのは自分の容姿に劣等感があるからだ」と思ったわけではない。これを、どう考えるべきか。
もしこれを「投影」の例として語り得るとしたら、おそらくこういう事だ。劣等感を刺激されてアイデンティティ不安に陥った人が、相手に対して悪意(嫌悪や憎悪など)を感じる。そして、その時に「彼女が私にこんなことを言うのは、彼女が私に対して悪意を感じているからだ」と考えてしまうような場合である。実際に、吉岡さんが相手から「攻撃された」と思ったときには、相手が持っているであろう攻撃の動機を「自分に対する悪意」という形で了解していたはずなのだ。しかしこのときに存在していたのは、実は吉岡さんの「相手に対する悪意」だったのである。
このような場合には、相手に対する悪意という段階を媒介して、「図2」のように「アイデンティティ不安」から「他者への投影」へとつながってゆくのではないだろうか。つまりこの例で「投影」されるのは「劣等感」ではなく「悪意」だという話になる。
ついでに書いておくと、ここで彼女が述べている「劣等感」も、精神分析でいう「コンプレックス」ではなさそうだ。精神分析でいう「コンプレックス」は当人が自覚していないものをいうが、おそらくこの時点では彼女は「自分の容姿に関して強烈な劣等感を持っている」ことを自覚していたと思われるからだ(その劣等感が妥当なものであるかどうかは別問題である)。また、彼女は「転移」という言葉も挙げているが、この例は少なくともフロイトがいう「転移」や「逆転移」にも該当しそうにない。「同一視」にも該当しないだろう。強いて言えば、「図2」にある「アイデンティティ不安」は当てはまりそうに思う。
「TVのTSに対する悪感情はわかるけど、TSのTVに対する悪感情が分析されていない」という指摘も当たってはいると思うのだが、当日の7分間という発表時間を考えると、そこまで説明しきることは困難だったのではないかと思う。実は私もこの指摘は当日、指摘者から直接に聞いているのだが、そのときの話では「TSのTVに対する攻撃の方が、逆のパターンよりも多いのではないか」ということだった。私もこの説に賛成だが、もしその理由を説明しようとするなら、TV と TS の様々な差異について検証した上で、「TVのTSに対する悪感情」と「TSのTVに対する悪感情」とをそれぞれ別に説明しなくてはならない。
それから私の考えでは、必ずしも TV と TS とは「人間関係の密度の濃さ」を共有していないのではないか、という疑問がある。他の地域ではどうか知らないが、少なくとも東京では TV と TS とが同じ自助グループに属してその内部で反目しているという印象がないからである。
もちろん「人間関係の密度があがる」ことによってトラブルが発生するケースも存在する。これは否定できない事実である。私は当日、吉岡さん本人から直接に、彼女が TS 同士のトラブルでもこの考察と同じ理由が当てはまると考えていると聞いている。私としてはむしろ彼女の考察は「TS 同士のトラブル」にこそよく当てはまるのではないかと思う。
しかし私としてはそれだけではなく、T's 同士の人間関係におけるトラブルで、他の理由についても考えてみたい。つまり、T's 同士の人間関係におけるトラブルには、ケースによって異なる構造が存在しており、トラブルをこの構造の違いによって何種類かに分類することが可能なのではないか、と考えている。
ここで重要なことは、対人関係において複数の要因の悪循環構造があるという、吉岡さんの指摘だ。これはさしあたって「直感的に」いうのだが、トラブルの原因となるような何種類かの構造は、おそらくこの悪循環構造になっているという点で、共通しているのではないかと思う(だから原因が何であれ一度このような状況に陥ると容易に抜けられない)。
ただし、ここで挙げたようないくつかの課題は、彼女の今回の考察の延長上に出て来たものであり、その意味でも今回の彼女の講演は、一つの立派な功績として評価され、記憶されるべきである。
あえて個人的な欲をいうなら、このような考察をもっと早くに(6年ほど前に)始めて欲しかった。そうすれば私は今ごろ、彼女に任せっきりで何もせずに済んだかも知れない。したがって「ジェンダー素描」や「りゅこ倫」を展開することもなく、高卒らしく(?)彼女の言うことを「ふむふむ」と聞いているだけの立場に安んじていることができただろう。
