8.女装会館、その擁護システム

神名龍子


 「クィア・スタディーズ '97」(クィア・スタディーズ編集委員会・七つ森書館)に納められている、三橋順子さんの「トランスジェンダー論 -文化人類学の視点から-」を大変に面白く読ませていただきました。  これは私が、記号という観点から T's についてもう一度考え直してみようと思ったきっかけ、つまり本稿を書こうと思ったきっかけでもあります。私も以前に女装(TV)について記号という観点から考察した事はあったのですが、正直にいって、三橋順子さんの「トランスジェンダー論 -文化人類学の視点から-」を読むまで忘れていました。

 さて、まず改めて書いておくと、(広義の)TGとは、ジェンダー記号の操作です。ところが、TG以外にも、TGとはまったく異なった目的(性の越境以外の目的)でジェンダー記号の一部を操作するものがあります。平たくいえばポルノだってその一種なのですが、ここではタイトルの通り、「女装会館の擁護システム」の話です。

 「擁護システム」というのは、やはり運動科学から得た概念で、組織の特定の人たちの利益や組織の存立を擁護するシステムのことです。ただし意図的なものであるとは限らず、結果としてそのように働くものも含めた概念なので、その組織の人たち全員がその存在に気付いていない場合もあります。したがって、実はほとんどすべての組織に普遍的に存在するといってもよく、また必ずしも組織の一部の人間、あるいは当の組織にとってばかりではなく、他の人達にとっても悪いものとばかりは言えない面もあります。

 ところで、話を戻すようですが前述の三橋順子さんの「トランスジェンダー論 -文化人類学の視点から-」の中で、女装会館内での女装について以下のように書かれている箇所がありました。

(129〜130ページ)
一般社会とは隔離された閉ざされた別世界である女装クラブなどでは、服装・髪型・化粧など一部の女性ジェンダーの要素を身につけていても、しぐさ・言葉づかい・社会的役割などはまったく元の男性のまま、つまりジェンダー要素の一部は意図的に男性側に残している人がよく見られる。またきれいに化粧はしていても、自分ではできず、常に他者(専門のメイキャッパー)の手を借りている人も多い。この場合も化粧はしていても、化粧という技術(文化)は身につけていない事になり、化粧というジェンダー要素を越境したとは言いにくい。誤解のないように付け加えれば、それはそれで独自の世界であって、別に非難しているわけではない。
 ここで、私が「3.ジェンダー記号の種類と分類」で挙げた、ジェンダー記号の分類表をもう一度見てください(表1)。

ジェンダー記号の例(表1)
散見的記号
(行為・通時的)
運動的記号しぐさ、話し方、言葉遣い、立ち居振る舞い、(性自認、思考法) etc.
社会的記号性役割(gender roll)、通称 etc.
継続的記号
(形・共時的)
身体的記号セックス、体毛、性器、乳房、体形、髪型、筋肉 etc.
外装的記号服装、化粧、アクセサリー etc.
登録的記号本名、性別等、主に公文書上の記載
※これらの分類は当座のものであって、他によい分類方法を考え付いたり、
 ある記号の属するカテゴリーに矛盾があったりすれば変更されることもありうる。

 引用文中の「社会的役割」とは表中の「性役割」と同義かと思います。すると、引用文中において女装クラブの女装者が身に付けているのはすべて「継続的記号」であって、「散見的記号」は含まれていない事に気がつきます。「3.ジェンダー記号の種類と分類」に書いたとおり、「散見的記号」とは「RS(関係記号)」になりうる記号で、「継続的記号」は「FS(姿形記号)」にしかならない種類の記号です。

 これについて、私がかつて2年間ほど通ったある女装クラブでの経験を含めて考えてみましょう。その女装クラブでは、女装の指導をする場合に、ある部分は積極的に指導し、ある部分については消極的であったり排除的であったりしました。引用文にもあるとおり「しぐさ」という「動作」は排除されますが、写真を撮る時のポーズという静止した「形」は指導していました。また、歩き方は多くの人が男性的なままでしたが、座る時には膝の間をあけないなど、ここでもやはり「静止した形」の指導はありました。唯一「通称(女装名)」が例外となっていますが、名前に「動き」はないので、これは「散見的記号」の中でも例外的に「RS」になりません。つまり極力ムーブメントが排されているわけです。これは何を意味するのでしょうか。ヒントは、同じく「トランスジェンダー論 -文化人類学の視点から-」の中にありました。TV・TG・TSの分類に関係して、

(128ページ下段)
指向性の度合いは各々の個人でも時間的に遷移する可能性がある。
と述べられている箇所があります。女装しての来店や外出を認めない女装クラブにとって、TVがTGに遷移するし、社会との関りを持とうとする事は、顧客の流失を意味します。それを防ぐためのジェンダー記号の操作の制限。実はこれこそが、この女装クラブにおける「擁護システム」なのです。

 それではなぜ、「ジェンダー記号の操作の制限」が「TVからTGへの遷移」を防止する効果を持つのでしょうか。

 運動(身体運動)は、人間がその意味を狭義に捉えている場合よりも、ずっと広範囲に渡る身体現象です。例えばある人が1日に2時間の野球のバッティング練習をしているとします。これは裏返していえば、残りの22時間は別の運動をしているという事です。したがって、その22時間の間にゴルフをやり、さらに斧を振るって木を切るなどしていると、野球のバッティングはむしろ下手になります。なぜならバッティングの上達のために1日の内の2時間を割き、それ以上の時間をバッティングとは似て非なる運動、つまりバッティングが下手になる運動に費やしているためです。意外に、あるいは馬鹿馬鹿しくさえ思うかも知れませんが、プロ野球でも、シーズンが始まるとゴルフを禁止する監督もいましたし、バッティングでチームに貢献する選手よりもピッチャーの方がゴルフが得意な傾向にある事に思い当たる人も多いでしょう。したがって、真にバッティングが上達するためには、練習以外の日常生活においても「バッターの意識」と、それに基づいた行動が必要になります。「思考もまた脳という身体の一部によって行う運動である」ということについても、けっして大袈裟なことではありません。

 女装についてもまったく同じ事が言えます。「ジェンダー記号」を「FS」記号だけに制限すると、「女性らしい動き方」の継続が難しくなるのです。例えば女性らしい歩き方を続けるには、少なくとも馴れないうちは「女性が歩く姿」を思い浮かべたり「女性の意識」を保つ事でやりやすくなります。反対に、「女性の意識」を保つためには、女性らしい動きを続けている方がはるかにやりやすいともいえます。ところが「ジェンダー記号」のうち「RS」記号を排して「FS」記号に限定されてしまうと、その動きはどうしても断続的(ぶつ切れ)にならざるをえません。女装をしている場合、この方が性自認などの精神面への影響が少なく、したがって「TVからTGへの遷移」を防止する効果を期待できるのです。

 これに対しては、さらに反論があるでしょう。例えば「性自認」は生後一定の期間に作られるもので、その後は変更がきかないという説があるそうです。しかし、それが事実であれば「TVからTGへの遷移」そのものがありえない話ですし、人間の脳というのはかなり可塑的なものです。短期間にいきなり性自認が男から女に(あるいはその反対に)変わるほどの大きな変化はないかも知れませんが、ものの考え方(思考法)は、少しずつならば変わりうる事は大半の人が認めるところでしょう。こういうものは「意識」と「運動」によって変える事が可能です。ただ、性同一性障害のような場合、その性自認を変化させる事は難しいといえます。なぜならその場合、本人が自覚している性から、本人が望まない性への変化を強いるためです、しかし、TVの性自認は(特に女装を始めたばかりの頃は)「女になればいつも女装していられる」等、むしろ本人が意識的にせよ無意識的にせよ性自認の変更を望む場合すらあり、性同一性障害の場合に比べて容易に遷移しうると見るべきかと思います。

 次に「女装会館の擁護システム」における「RS」記号の排除の方法ですが、これは女装クラブ側にとってもすべてを「擁護システム」として意識しているわけではないという点をあらかじめお断りしておきます。その上でとりあえず思い当たるものを、意識的・無意識的の別なく挙げてみることにします。

 まずMTFTVの従業員からの排除です。従業員側にMTFTVがいてその人物が「RS」記号を好んだり、半ばTG化していれば、ジェンダー記号の制限は難しいものになります。また、長時間に渡って鏡を見ている事それ自体を禁止してはいませんでしたが、そういう状況下で女性らしいしぐさをしていると「あの人、変」というような目で見られる(時に、からかわれるなどする)のです。これも自らまとった「RS」記号の確認であり、女性らしい話し方をする場合も同様でした。同じナルシストでも写真好きの場合には、かなり入れこんでも比較的に寛大です。むろん「一瞬」を切り取る写真とは、「FS」記号に他なりません。つまり「RS」記号に関しては女装クラブの従業員だけでなく、他の客にとっても排除すべきものであるという認識がいつの間にか共有されているのです。このような認識の共有は多くの場合「場の雰囲気」によってなされるため、必ずしも自覚されていません。

 このような場所においては、「女装クラブがお客にさせたい女装」(以下、「させたい女装」と略す)ともいうべきものがあります。それに対して客の側には個々に「したい女装」があるはずです。「させたい女装」と「したい女装」が一致している場合や、両者がそれ程大差ないために「させたい女装」で満足できるという人にとっては、以上はまったく問題にならないでしょう。その意味では確かに、三橋順子さんが書かれている通り「それはそれで独自の世界であって、別に非難」されるものではありません。

 問題は「させたい女装」と「したい女装」が異なる場合、もっとはっきり言えば「TGへ遷移してしまった場合」です。しかもこの場合、「させたい女装」と「したい女装」の間に大きな隔たりが出来ます。他の場所へ行こうにも、それまでの間に、例えば女装スナックが集まる地域へ行かないようにと指導・禁止されているので「ダブルバインド」の状態に置かれることになるわけです。またこの女装クラブが、そのような場所から離れた地域に設置されている事も、女装クラブにとって有利な条件として働きます。この時、以上に述べて来た事象が、「擁護システム」として強力な働きを見せるのです。

 お断りしておきますが、しかし以上はこの女装クラブが、すべて計算の上に作っている・・・というものではなく、少なくとも「擁護システム」全体としては、結果としてそうなっているのです。おそらく初期にはここで述べたようなことは概念として存在しなかったはずですし、現在でも明確に自覚されているかどうかは疑問です。第一、私が通っていた頃はまだ「TV/TS」の2分法が一般的で、TGの概念がありませんでした。そのためそれ以前の、この女装クラブが出来た時点で、ここに解き明かした擁護システムのすべてを意図的に構築する事は不可能だったと考えられます。もっとも、誰が作ったわけでもなく、いつの間にかこういう「擁護システム」が存在しているという事が、恐ろしいといえば恐ろしいのですが、そのこと自体は他のあらゆる団体にも見える普遍的なもので、この女装クラブも例外ではなかったというだけの話です。むしろ、このように判りやすい形であるだけに、解明されてしまえば恐くないとさえいえるでしょう。

 また、「FS」記号については、「擁護システム」うんぬんを別にしても採用されるべく採用されているものです。女装クラブであれば女性ものの洋服や化粧などは当然ですし、写真もまた客側の要望によるサービスという一面がある事は否定しがたい事実です。である以上、写真の出来を考えても、化粧・衣装やポーズの指導もまたそれに付随して必要とされる「FS」記号だということになります。また、さらに単純に考えると「歩き方などの『動き』を教えるのは難しくても、『ポーズ』のような形を教えるのは比較的簡単である」という条件もあります。ただそれだけでは、「FS」記号の採用についての説明にはなっても、ここまで見事に徹底した「RS」記号の排除の、明確な理由としては不充分です。

 この「擁護システム」は、半ば意識的、半ば無意識的な不可解な「何か」です。しかも無意識的な反面については、女装クラブ側のみならず、客側も知ってか知らずかその構築に一役買っていたという意味で、レヴィ・ストロース的な社会無意識と、フロイトのいう個人の無意識との二面性を合わせ持つ現象であるともいえるでしょう。


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