神名龍子
前回に引き続き、『不美人論』(藤野美奈子・西研、径書房)を読んで思ったこと。この本の最後の方に、整形(正確には美容形成)の話が出てくる。これを読んで、整形に対する「胡散臭さ」のような感覚は何に根ざしているのだろうか、と考えてみたくなった。あらかじめ書いておくと、この稿では整形についての賛否について何がしかの結論を導き出そうということは考えていない。そうではなくて、現に世間にある「整形に対する胡散臭さ」が何に根ざしているのか、その根拠(あるいは正体)を少しでも明らかにしてみたい、ということが目的である。
この本では、他に「プチ整形」や「縮毛矯正」の話が出てくる。私は、「プチ整形」にはいわゆる整形手術ほどの「胡散臭さ」は感じないし、「縮毛矯正」に対してはそういう感覚はまったく生じない。逆に「整形手術」に匹敵する「胡散臭さ」を感じるのは、男性がハゲを隠すために用いる「カツラ」である。これらに対する、「胡散臭さ」の感度の違いということも、非常に興味深い問題ではある。
私の考えでは、整形に対する「胡散臭さ」には、大きく分けて2つの「嘘っぽさ」が含まれているように思う。一つは美の価値に関わる問題であり、もう一つはその人の「人となり」に関わる問題である。
前者からいうと、日本の社会の中では「美」がある程度「持って生まれたもの」なのだという共通認識があるように思える。もちろん現実には、これは純粋に「生まれつき」の問題なのではなく、アート、テクニック、センス、等々の「磨き方」の問題でもある。しかし、同じ磨くなら美人に生まれついた方が楽だし、目に見える効果も得られやすいので、その努力そのものが楽しい、ということもまた事実だろう。もし何をやっても似合わないということになると、そういう努力をすること自体が自分の「どうしようもなさ」を再確認する作業になってしまうので、ますますつらくなる。
「美」そのものがよいものであることは当然だが、それに加えて天与の「美」を持つことを「さらなる価値」と考える習慣が、日本人にはあったのだと思う。これは「美」だけの話ではなく、何か人並み優れたものを生まれつき持ち合わせている人を、日本人は崇拝し、時には恐れもした。たとえば、生まれつき頭のよい子供を「神童」と称した。神の仕業でなければ鬼神の仕業である。だから、崇められたり恐れられたりする。日本人が古代から持っている、素朴な宗教観といってよい。
だから「美」においても、単に美しく見えればよいというだけではなく、「素で勝負できる」ことに一層の価値が認められたのだと考えられる。現在でも残っているような、京都の舞妓のような「白塗り」は別にして、江戸時代での大半の女性の日常の装いというのは、眉を整え紅をさす(ひく)くらいだっただろう。昔の白粉(おしろい)は鉛(炭酸鉛)の粉を使ったので、これを日常に用いていると鉛毒の害に遭った(1935年に販売が禁止されている)。「白粉焼け」という言葉もあるように、白粉の副作用で肌が蝕まれ、皮膚がつやを失って茶色くなる。これは女性に限らず、昔は役者の職業病でもあった。このことからも白粉が、とても一般の「素人女性」が日常に用いるようなしろものではなかったことがわかる。
その代わりに、昔の女性は最初から「肌を磨く」ことを心がけた。たとえば入浴の際に糠袋(ぬかぶくろ)を用いたのも、その一つである。糠は油分を含んでいるから、板張りの床や漆器を磨くのにも用いられた。いわば「天然ワックス」であるが、もちろん糠にはビタミン類も含まれており、肌に使えば現代でいう「美白」効果も得られる。昔の女性は、磨き込んだ素肌に紅だけで勝負したのだ。したがって持って生まれた顔立ちは、ほぼ「そのまま」だったはずである。「色の白いは七難隠す」という諺もあるくらいだから、その分「肌を磨く」ことには、今以上にウェイトがかかっていたのだろうと考えられる。
「素肌勝負」「素顔勝負」が日本女性の伝統だと考えれば、整形に「胡散臭さ」を観じてしまう事も、ここから説明できる。今でこそ「ガングロ」のような極端な例もあるが、一般に女性の化粧が「ケバい」のは敬遠された。私が子供のころにも、「キャバレーのホステスのような」というのが「ケバい化粧」の代名詞のようなものだったから、そういう化粧は、一般に素人女性のするものだとは考えられていなかったはずである。
厚化粧でもこれだから、整形手術などはいわば「胡散臭さ」の極地のようなものという印象で受け止められてもやむをえない、社会的・精神的風土があったといえるし、現代でもそれが完全に払拭されたとは言い難いのではないだろうか。顔だけでなく、たとえば豊胸手術にも同じような「胡散臭さ」がつきまとう。「素で勝負」している女性が存在する一方で、「作りもの」あるいは「ニセもの」でその勝負に参加するということが、一種のルール違反のように感じられてしまうのではないか。
その点、「縮毛矯正」にその種類の「胡散臭さ」が感じられないのは、髪型は容易に変えられるものだということが、この社会の内で共有されているからだろう。しかも日本人の場合は、直毛がいわば「標準」なのであって、「縮毛矯正」をかけてやっとスタート地点に立ったという印象がある。さまざまなヘアスタイルを工夫して「美」を競うゲームはそこ「から」始まるのであって、「縮毛矯正」をかけたことで他の多くの女性よりも一歩先んじたということにはならない。私自身もかなりクセの強い髪で、特に髪を伸ばしているとそれがあからさまに出る。そのため、ロングヘアだった頃には「縮毛矯正」が欠かせなかったが、それを責められた記憶は一度もない。
もちろんこれは、日本の歴史的な事情を背景として成立している価値観だから、必ずしも普遍性を持つとはいえない。本書では「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始なり」という言葉が出てくるが、その少し前に「韓国は整形OKなんですよね」という言葉があるように、整形の「胡散臭さ」を直接に儒教道徳に結びつけるのは無理があるように思う。
考えてみれば、儒教の本家である中国にも人体改造の歴史がある。宦官の去勢は元は刑罰の一種だから除くとしても、纏足という風習は立派な(?)人体改造であろう。もっとも、一度大きく育った足を小さく改造するわけではないから、これはこれで儒教原理に反しないと解釈されたのかもしれない。しかし、女性の身体的なエロス性を高めるための人体改造について、儒教社会としての歴史が長かった中国・韓国では、日本ほど強い禁忌とは考えられていないことは、確かなことのように思える。これはどういうことなのだろうか。
これはもしかしたら、「美」の基準をどこに求めるかという問題なのかもしれない。「美」の基準は洋の東西を問わず、往々にして上流階級に求められる。それは中国や韓国(朝鮮)のような儒教社会では宮廷であるが(この事情はヨーロッパでも同様であろう)、日本では武家政権の時代が長かった。つまり、貴族政治ではなく軍事政権だった。
日本でも公家社会では、武士以上に中国文化の影響が強かった。単なる文化の輸入ではなく、律令制という制度を輸入して、そこに自分達の存在基盤を置いていたからである。もちろん影響の度合いは時代による違いもあるし(たとえば遣唐使の廃止以前とそれ以降とでは、それなりの様変わりを見せたであろう)、日本では公家社会でも纏足や宦官の風習はなかった。しかし女性の化粧法は、武家と公家では明らかに違っていた。
武士は基本的には百姓である。だから刀を捨てて農民に戻ることを「帰農」という。武家は公家と比べて、基本的には生活が質朴なのだ。そして、広く生活様式の原型となった「上流階級」が、日本では公家ではなく武家なのである。これは女性に限らず、男性にもいえることだ。武士が月代を剃るのは戦場で兜をかぶるときに頭が蒸れるからだという。それなら町人が月代を剃る必要はないはずなのだが、江戸時代にはなぜか町人の男性も月代を剃るようになってしまった。もちろん江戸時代になっても、公家には月代を剃る習慣はない。
余談ながら、私はなぜ江戸時代の日本男性が、左右と両横を残して頭頂部から額にかけて髪を剃る、あの形の月代になったのか不思議だった。皆が同じような形に髪を剃るからには、それなりの理由があると感じられたからである。今のところの私の推測では、その理由は烏帽子にあるのだと思う。もちろん烏帽子は平安時代にも鎌倉・室町時代にも用いられた。烏帽子が頭から落ちないようにするためには、頭頂部の後方に髷を作る必要がある。烏帽子は、この髷に引っかかって固定される。そして時代が下って月代を剃るようになるのだが、この月代は、烏帽子を用いたときには、烏帽子の下に隠れる部分である。つまり月代を剃っても、烏帽子をかぶれば古式そのままの姿に見える。烏帽子をかぶるためには髷を結う必要があり、髷を結うのに必要な後ろ髪と、烏帽子で隠れることのない両横を残すと、剃る事の出来る範囲が決まる。それが、あの月代の形になるのではないか。
話を戻すと、日本の生活様式の原型は公家ではなく、武家である。さらにその原型は農民である。武士も農民も、なまじ身体加工をすれば男女共に働くことが出来なくなる。だから身体加工の必要はないし、むしろ「身体加工をしない必要」があった。中国でも客家には、同様の理由で纏足の習慣がない。
もちろん、もう一つの現実的な理由として、身体改造の技術がなかった、ということもあるだろう。これは日本で昔から、あまり牧畜が盛んでなかったことも、その理由の一つかもしれない。普通、ヨーロッパでも中国でも、雄馬は種馬を残して去勢する。そうしないと気性が荒過ぎるからというのがその理由なのだが、日本にはこの習慣が明治時代までなかった。そのため、明治になって欧米人が日本陸軍の軍馬(オス)を見て驚いたという話がある。
馬でさえこれなのだから、日本では人間に対して使える身体改造の技術といえば、刺青や鉄漿(おはぐろ)などの「着色」が関の山である。もっと大陸との人の行き来があれば、大陸には遊牧民族もおり、多少なりとも身体改造の技術の持ち主がその技を日本に伝えたかもしれない。だが、そもそも日本人は身体改造に無関心であり、魏志倭人伝に見られる刺青さえ、その習慣をやめてしまった。したがって家畜に対するものであれ、人間に対するものであれ、日本の身体改造の技術のほとんどは(ここでは江戸時代の蘭法の外科手術も含め)かなり後になって欧米から伝わったものだといえる。
もう一つの「嘘っぽさ」、つまり「人となり」(人格)に関わる問題に移ることにしよう。そもそも人間にとって「顔」とは何であるか。あつて私が考察した「身体」の本質の一つに、「他者にとっての身体」というのがある。「身体」は他者の視線にさらされるものだ。人は「身体」の姿形や行動によって他者を評価し、他者から評価される。単に容姿だけでなく、性格などの内面やその人の人格そのもの、あるいはその都度の気分に至るまで、様々なことが「身体」によって表現される。「目は口ほどにものを言い」という諺があるように、この意味での「身体」の中でも、とりわけ重要なのが「顔」なのだ。
私達はしばしば、他者の顔立ちやその都度の表現を通して、相手の内面を推し量る。これはほとんど本能的といってもよいもので、生まれて何ヶ月も経たない赤ん坊ですら他者の「顔」に注目することは、よく知られている。
私達は、女性の表面的な化粧には寛大でも、整形という形で顔の内部構造に人工的な手を加える事に、何かしらの違和感を感じてしまう。これはおそらく顔の内部構造が、顔の表情を作るものだからではないだろうか。
数年前に私と同じお店に勤めていた、とあるニューハーフが整形をした。手術後のしばらくの間、彼女の顔に残る包帯の類いよりも、彼女の表情の乏しさに違和感を感じたことがある。身体というのは人工的に作り変えてしまうとしばらくの間、改造された部分を意のままに動かす事が難しくなる。脳が「改造された身体」の動かし方を覚えるのに、少し時間がかかるのだ(私自身も、歯の治療を受けただけでも、しばらく言葉が上手く発音できなくなるという経験もしている)。
したがって、その時の彼女の表情の乏しさは無理からぬことなのだ。そう「頭ではわかる」のだが、しかし感情面で、それほど上手く対処することができなかった。彼女の見慣れた表情が見られないということは、相手の内面を窺い知ることが難しいということであり、彼女とコミュニケーションを交わす上で、どうしてもそのことが気になってしまうのである。
もちろんこれは少しの期間だけの話であり、私もそのような彼女の状態に徐々に慣れてゆき、彼女もまた豊かな表情を取り戻していったのだが、顔を人工的に作り変えるということが、一時的にであれ、彼女とのコミュニケーションに何らかの「欠如」をもたらしたのは事実である。表現を変えていえば、彼女が「仮面」をかぶる事で内面を隠して私に向き合っているかのような、そういう「居心地の悪さ」や「軽い苛立ちと不安」を感じた。
やや大袈裟にいえば、「顔」とはその持ち主の「人格」そのものと感じられるものである。もちろんそれを逆手に取って「胡散臭さ」を感じさせずに人を騙すプロの詐欺師もいるが、このこと自体、通常は私達が他者を「顔」を通じて判断していることを前提にしているのである。
人間の「人格」とは、その人が自分の生の中で様々な経験を積み重ねることによって形成されてきたものである。それを人工的に改造するということは、それまでの生を捨てて別人を演じるような「胡散臭さ」を感じてしまう。
だから整形はよくない…と言いたいのではない。整形後もしばらく付き合っていれば、その相手が、それまで自分が知っていた「その人」と同一人物であることが、深く了解できるからだ。そうなれば、整形に由来する違和感や「胡散臭さ」は消える。しかし、整形すると事前に聞いたときや、上記のように手術後のしばらくの間には、違和感が生じてしまうのは避け難いことである。
そして整形する側から言えば、おそらくは「顔」が自分の「人格」とみなされてしまう(少なくとも、その判断根拠にされてしまう)からこそ、それを「よりよいもの」に変えたいと思うのだろうし、そのことにも根拠があるのだ。
