番外3.「障害」について考える

神名龍子


 今回、浩加さんホームページの「マイ・オピニオン」中、「障害って...」という一文を拝見して、いくつか新たに気がついたことがありましたので、また「番外」の形でそれについて書いてみたいと思います。


 上記「障害って...」の中では、タイトルの通り「障害」という言葉について考察されているわけですが、その「障害」というのは具体的には「性同一性障害」の「障害」ですね。そして、その「障害」という言葉については、以前から「自分は障害(者)ではない」という人達がいるけれども、「性同一性障害」は「障害」、それも精神障害ではないと言いきれるのかどうかということです。

 その前に、まず言葉について整理しておきたいと思います。

 私はつい最近、「『続柄』を疑え」の中で、簡単にではありますが、「続柄」を表わす言葉について和語と漢語の比較を試みました。しかし「性同一性障害」というのは漢字で書かれてはいますけれども、これは漢語ではなくて、英語の「Gender Identity Disorder」の日本語訳ですね。私の感覚では、日本語の「障害」と、英語の「disorder」とでは、ちょっとニュアンスが異なるのではないかという気がします。

 日本での「障害」という言葉はその意味する範囲が広くて、病気とか身心に関わることだけを挙げてみても、英語では「disorder」の他に「trouble」とか「handicap」など、いくつかの障害に種類があるわけです。

 「お好み焼き」を英語にして、もう一回日本語にしたら「好き焼き」になったという冗談がありますけれども(笑)、「性同一性障害」の「障害」が「disorder」の訳であるのに対して、「自分は障害(者)ではない」という主張の中の「障害(者)」は、おそらく「handicap(handicapped person)」の意味で使われていると思うんです。だから話がややこしくなるんで、たぶん英語圏には、こんな問題は存在しないんじゃないかと思うんですけどね。

 英語の「disorder」は身心機能の不調や、比較的軽い病気に使うようで、例えば入院が必要なくらいの精神障害だったら、「disorder」は使わずに「a mentally handicapped person」になるでしょう。あんまりブッ壊れているようなら(^^;)文脈によっては「trouble」(故障)になるかも知れません。

 ですから、「disorder」を「障害」と訳しても間違いとはいえないんですけれども、ただ「障害」という言葉には「disorder」以外のニュアンスもあるので、それが誤解のもとになっていると思うんです。まず、その区別をつける必要がある。

 また、当事者がその意味の区別をしっかり付けていたとしても、世間一般が意味を取り違えていたら、その違いは説明する必要があるわけです。しかし、「自分は障害(者)ではない」という表現ではまずくて、これでは意味の違いを説明できません。むしろ、誤解を再生産してしまう危険があって、この言い回しは何とかならないかと思いますね。


 ところで、「自分は障害(者)ではない」という言葉は、浩加さんホームページの元の文では、「障害(者)などではない!! 」という表現になっていたのを少し直したものなんですけど、元の記述通りの主張をしていた人がいるとしたら、まるでうつ病などの「感情障害」や身障者に対する差別感があるようで、問題だと思いますね。

 自分自身が差別から逃れようとしている時に、他の被差別者を引き合いに出して「あいつらなんかとは違うんだ」ということは、矛盾した行為だし、それは誰もが醜いと感じます。わたしは他の被差別者との共闘ということまでは考えていませんけれども、だからといってそういう人達を差別していいということにはならないのが当然で、これは社会的ルールから逸脱していると思います。そういう反則者が社会に受け入れられないのは当然で、それどころか、すます差別がひどくなるかも知れません。

 そういう発言をする人が個人的に差別される分には、私は(私自身が、そういう人物に対しては自信を持って差別するタチなので ^^;)そういう人の弁護までしようとは思いませんけれど、それを理由に、他の「性同一性障害」の人達まで差別される、あるいは攻撃の対象にされるのは困る。以前、「薬害エイズ」のエイズ患者の一部が、「自分達はホモなんかじゃない」といって、いわゆる「ゲイ差別」をしていた事がありましたけど、それとよく似ていますね。自分に対する差別には敏感でも、差別そのものについてまともに考えたことがあるとは思えないような人が、「性同一性障害」当事者の中にも時々いて、こういう、内部で解決すべき問題も残っているのではないかと思います。

 それから、精神科で診断される症名であることから、「性同一性障害」が精神障害と考えられる。すると、「自分は障害(者)ではない」という主張のもう一つの理由は、本人が「精神障害=害悪」という認識を、世間一般と共有しているという事があるんじゃないかと思うんですね。そうでなければ「自分は障害(者)ではない」と主張するよりも、堂々と「障害、必ずしも害悪にあらず」というべきなんです。これはおそらく、精神病に対する古い偏見が根強く残っていることから来ていると思います。これはM,フーコーが書いていることですけれども、西洋でも「狂気」というのは精神医学の対象になるまでは「病気」ではなかったわけです。日本ではもっと最近まで「病気」以外の何かだと思われていました。狐憑きとかね。何か悪いことをした因縁でかかるものみたいに思われていて、「害悪」というよりも「罪悪」に近いものとして、忌避されたわけです。

 確かに「性同一性障害」は「狂気」でも「害悪」でも(もちろん「罪悪」でも)ありませんから、その違いを冷静に説明するのは当然のこととして何の問題もないわけですが、その説明も「あいつらなんかとは違うんだ」という言い方になると、おかしな事になってくる。それは自戒しておくべきだと思いますね。

 これは単に差別の問題だけではなくて、例えば「性同一性障害」が「狂気」ではないとしても、「性同一性障害」によるさまざまなストレスなどが原因になって・・・、まぁ、分裂症とまでいかなくても、うつ病くらいにはなるかも知れない。そういう時に、その人達を「あいつらは違うんだ」といって切り捨てられるのかという問題が出てくるわけです。

 これは人ごとではなく、「性同一性障害」当事者が、多かれ少なかれ否定しがたく、可能性として持っている事だと思うんです。だいたい、うつ病は「性同一性障害」じゃなくたってかかるもので、その証拠に(?)私だって一度かかったんですから(笑 ^^;)。

 それが、もし自分に順番が回ってきた時に、「他の性同一性障害の人達は、私などとは違うんだ」と言えるのかというと、たぶん言えない(笑)。差別というのは、自分のアイデンティティ補償のためにするものですから、原理的にいえば、差別する側にいたような人はなおさら自分から「される側」に回るとは思えません。ならば、されて嫌な差別は、しないことです。


 ですから、「性同一性障害」というのは、「精神の障害を持つ」という事にはなるかも知れませんが、仮にそうであっても、少なくとも公的な「害悪(や、罪悪)」ではありません。私的には家庭内に問題が起きるとか、あるいは当事者自身にとっても何らかの害を生み出しているかも知れませんけれども、「性同一性障害」のために心神喪失状態にあって逆噴射しましたということはないわけです。上に書いたように「性同一性障害」によるストレスが原因で神経症や分裂症になったらやるかも知れませんけれども、少なくとも「性同一性障害」が直接的な原因になることはないわけです。間接的原因であっても「害悪」だというのなら、会社勤めや受験勉強も「害悪」ですよ(笑)。そっちの方が圧倒的に人数が多いんだから、そっちから何とかしろという話になります。

 それから、もし「自分は障害(者)ではない」ということを、程度や種類の問題ではなく「病気ではない」という意味で言ってる人がいるとしたら、これもまた別の問題が出てきます。病気でないのなら健康保険が使えないということになりますね。それどころか、病気でない以上は「治療」ではないということになりますから、性別再判定(性転換)手術そのものが認められないでしょうね。まぁ、「病気ではない」という意味で主張している人がいるかどうか、知りませんけれども・・・。


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