from 会津里花さん (2001年08月12日 08:44)
龍子さん、こんにちは。
「戸籍の性別訂正」についてさまざまなご意見が出ているようですけれど、元々私はそこまでするつもりはありませんでした。
(なので、多くの人たちのご意見はまだちゃんと読んでいません……)
ただ、ちょっとしたリアリティで「もしもやったら……」ということを考えると、「ああ、やっぱりむずかしい問題があるんだなあ」と感じてしまいました。
私の場合、既婚+子持ち→離婚、という状態です。
戸籍の性別を「訂正」すると、これは「間違っていたから正しいものに戻す」ということで、心情的にはぴったり……なのかもしれないけれど、問題は「訂正」だと「過去に遡って効果が発生する」ということなのではないでしょうか。
すると、私の結婚は「同性どうしの結婚」で、子どもにとっては「母親が二人いる」ことになるのでしょうか、戸籍上……
「同性婚」は、それはそれでいろいろ考えなくてはならない問題かもしれませんけれど私の場合、「過去は過去、今は今」というふうに、ある意味すっぱり割り切ってしまっているのです。
「訂正」して、過去のどこを見ても私が「オトコだった」などという記録がこの世に残らないようにする、というのはとても魅力的な考えではありますけれど、「過去を書き換える」のは、どうしてもやっぱり、引っかかってしまいます。
「訂正」ではなく「変更」ではダメなのでしょうか?
「元男、今女」……就職などでそういう「汚れた(?)過去」が周囲に知られてしまうのは、確かに不利な場合も今の時代にはまだまだ多いと思いますけれど、……
事実は事実なのです。
私は、自分が「見るからに性転換者」ということもありますけれど(そんなことないよ、と言ってくれる人もあんがい多かったりするけど……ヘンな自慢すると後がコワい(-_-;)、「戸籍上、元は男だった、しかし今は女として生きようとしている」ということを、どうしても知られなければならないときにはしっかり示した上で、それでも認めてもらえる、ということを望むしかないような気がします。
*こんなふうにカンタンに言ってしまえるのは、「いちいち住民票や戸籍を提示しなくても登録できる」ような「準公的な機関への登録」については、こともなげに「女性」でやってしまっているからです。
具体的に何、というのは今ここで提示できませんけれど、例えば「公民館で行われるお役所主催の講座などの行事」のようなもの、といえばいかがでしょうか。
*「男女どちらとして扱われるか」ということと、「気持ち悪いと思われないか」ということを、ごっちゃにするべきではないような気もします。
例えば、私は塾教師をしていたことがあったけれど、「あの先生お○まだから気持ち悪い、教わりたくない」と思う生徒がいたら、私は商売上がったり、なのでやるべきではないんですよね。
当然子どもがそういう反応することはありえます(ただ単に自分の「第二次性徴」があるだけで、非常に強い違和感を感じてしまって苦しむ場合だってあるくらいですから……「性同一性障害」の原因の一つになっているという気もしますけれど……)。
でも、そのときに、保護者にもご理解いただいた上で「気持ち悪い、ってどうしてそう感じるんだろうね」といったような問いかけから、いちいち自分がトランスについて悩む、ということではなくても、子どもが「性」というものについて考えるきっかけになれば、例えば(なんだか「原理主義的」な臭いのする)「性転換者排除」の風潮なんかも、少しずつでも解消していくのではないでしょうか。
私自身は「ブルーボーイ事件世代」なので、ある面「性転換=有罪=麻薬やなんかと同じ『犯罪』」というような価値観を植え付けられて育ってしまいましたけれど、……で、逆に「そういうことも世の中にはありうる」と普通に教えられて育ったとしても、それならトランスなんかしなくてもいいや、という結論が得られたかどうかは大いに疑問なんですけれど……どんな時代であっても、子どもが自分の「性」について、あれこれ思い悩むことを「隠蔽」してしまわずに生きていけるような社会であってくれればなあ、と思います。
これは何も「T's」に限ったことじゃないと思います。
例えば、それで「他者からの性的侵入」を防ぐことができるようになれば、それはそれでいい、とも思います。
(最後のほうはちょっとはしょってしまって意味不明ですね、すみませんm(__)m)
| > | 「訂正」ではなく「変更」ではダメなのでしょうか? |
おそらく、現行の戸籍法を根拠として戸籍の性別を変えることが考えられてきたために、「訂正」の語が使われることが多いのだと思います。なぜなら、戸籍法には性別(続柄)の「変更」についての規定がなくて「訂正」についてしか定めていないからです。ですから、現行の法律を前提として考える限りは、「訂正」しかありません。
逆にいえば、戸籍法が改正されて「変更」の条文が追加されるか、あるいは、例えば性転換法(仮称)のような新しい法律が議員立法などによって成立した場合には、「変更」もあり得るかも知れませんね。
| > | 当然子どもがそういう反応することはありえます(ただ単に自分の「第二次性徴」があるだけで、非常に強い違和感を感じてしまって苦しむ場合だってあるくらいですから……「性同一性障害」の原因の一つになっているという気もしますけれど……)。 でも、そのときに、保護者にもご理解いただいた上で「気持ち悪い、ってどうしてそう感じるんだろうね」といったような問いかけから、いちいち自分がトランスについて悩む、ということではなくても、子どもが「性」というものについて考えるきっかけになれば、例えば(なんだか「原理主義的」な臭いのする)「性転換者排除」の風潮なんかも、少しずつでも解消していくのではないでしょうか。 |
この考え方はまったく正しくて(まぁ、対象は子供に限りませんが)、この「気持ち悪い」という感じがやってくることに対して「それはいけないことだ」といって封じこめてしまったら、この問題についてそれ以上考えることは不可能になってしまいます。だけど、実際には当事者の側がそれをやってきた。これは反省すべき点だと思います。
最近、「New Trans Gender Cafe Gold」で書いたんですけど、たとえば見た目に異様な身障者がいたとして、彼らの「見た目」に対して最初は違和感や嫌悪感を感じてしまうということがあると思うんです。そこで、そういう嫌悪感を「感じてしまう」ことに対して倫理的に糾弾することには意味がありません。そもそも自由意思によって「生じさせた」嫌悪感ではないのですから、これは倫理の問題ではないんですね。
こういう違和感や嫌悪感というのは時間の問題であって、時間がたてば「なれ」るものです。人間というのは、それくらいの適応力は持っています。ただ、性格が悪いなどの別の理由で嫌われるとその嫌悪感が、「見た目」と(あるいは私達の場合なら性同一性障害であることと)結び付けられてしまって、「なれ」るものも「なれ」られなくなってしまう。でも、そういう人間関係の悪さというのは、身障者や GID 以外の誰にもありがちなものとして、普通は別問題として考えるべきなのです。
倫理というのは「善悪」の問題を扱うわけですが、「気持ち悪い」というのは感性の問題であって、これはむしろ「美醜」に属する問題なんですね。「美醜」の問題を倫理で計ってもしかたがない。ここで差別を持ちこもうとする人達は、こういう感性の問題と、「アイデンティティ保障」を動機とする差別とを混同しているんですね。だから、「あれも差別、これも差別」とあらゆる領域を倫理で計るという、トンチンカンなことをやってしまう(笑)。
竹田青嗣さんによれば「美」の本質は感性化された「よい」だということですけど、そうすると、「よい」関係さえ築くことが出来たら、そしてそれがある程度の期間続いたら、「気持ち悪い」と感じた感性も徐々に編み変えられる。それは1日や2日では無理だと思いますが、ここで相手を糾弾したら好転するものも好転しなくなるんです。ですからおっしゃる通り、考えるきっかけ、自分の内側に生じた「気持ち悪さ」と向き合うきっかけを奪うべきではありませんね。
| > | 逆に「そういうことも世の中にはありうる」と普通に教えられて育ったとしても、それならトランスなんかしなくてもいいや、という結論が得られたかどうかは大いに疑問なんですけれど |
これは無理でしょう(^^;)。性別違和、特に性同一性障害のような場合には、これは今後の自分の人生をどのように思い描くかということと密接不可分な関係にあります。そのためにはどうしてもトランスは必要です。
この「必要」を支える条件がいくつかあって、一つは自分の欲望(今後の自分の人生の思い描き)を本人が納得ずくの上で変更できれば、トランスは必要なくなります。ですが、これは要するに性自認を自分の身体の性別に合わせて編み変えるということですから、これはご存知の通り、そのための有効・確実な方法がまだないわけですね。二つ目に、これはその人が生活する社会の中に、男女の違いというものがある以上は、無理だということです。この違いがあるからこそトランスが必要になるわけですが、では男女の違いがなくなる事があるかというと、これは断言してもいいけど、絶対にありえません(笑)。ジェンダーの内容は変化することはあっても、それがなくなることはあり得ないからです。
これはジェンダーレベルの性差を「なくすべきではない」というのではなくて、単に事実として「なくならない」という意味です。人間に身体レベルの性差に根ざした欲望が存在する限り、人間はジェンダーレベルでも何らかの仕方で必ず自分達を「男」と「女」に分節せざるを得ないからです。逆にいえば、ジェンダーレベルの性差をなくすためには、その根底にある人々の欲望を抑圧せざるを得ないわけで、私にはどうしても、そんな社会が素晴らしいとは思えませんしね(^^;)。
