同性愛の遺伝子


from R. S.さん (2001年10月04日 21:56)

ハエの話ですが、
同性愛をとなる遺伝子が同定されている様です。
ご参考まで。
又、ヒトの同性愛が遺伝傾向を示すとの話もあるようです。
同性愛とT'sは別物とも思いますが、ジェンダーを考察するときには、少々関与する話かもしれません。
site を全て拝見しているわけではないので、すでにご存じかもしれませんが。


器質と気質

 どうもありがとうございます。

 以下は、R.S. さんへの反論というのではなくて、あくまでも、そういう研究発表に対する私の疑問なんですが、例えばこのハエのお話でいうと、まず、ハエのある遺伝子を、いったい何をもって「同性愛をとなる遺伝子」だと判断しているのか、すごく不思議なんですね(^^;)。もっとも、性行動を規定する脳の部位が判明し、その部分の雌雄の性差を決定する遺伝子が同定されるということは、現在の科学の水準でもあり得ると思います。

 ただ遺伝子は、日本では「遺伝子」というから誤解されやすいんですけど、発生過程の「きっかけ」のようなものですね(この意味では、中国語の「起因子」の方がわかりやすいかと思います)。いわば、親の代から遺伝するのは「遺伝子」そのものであって、個体の器質ではありません。器質はあくまでも「遺伝子の結果」だといってもよいのではないかと思うんですね。

 それで、ハエのような昆虫の場合にはかなり本能に規定された動きをしますから、上のような意味での「同性愛をとなる遺伝子」を持つ個体は、その発生過程に問題がない限り、ほとんどといってよいくらい同性愛的な性行動を起こすだろうと推測できます。ですから、ハエの場合には私もそれなりに納得も出来るわけです。

 ところが人間の場合には、その行動を本能に規定される度合いは、「ない」といってもよいくらいに極端に低いですね(^^;)。間脳や小脳などをひっくるめて「原始的な脳」と呼ぶとすると、人間は「原始的な脳」に対して大脳が占める割合が大きく、とりわけ新皮質が他の種には例を見ないくらいに発達しています。私は、人間が本能の規定をほとんど受けないのは、おそらくそのためではないかと思います。なぜかというと、あらゆる行動が本能としてインプットされているとしたら「学習」ということは存在しなくなりますから、人間のように極端に新皮質が発達しても無駄だからです。しかし、そうすると人間が「同性愛をとなる遺伝子」を持っていたとしても、彼(彼女)が必ずしも同性愛者になるとはいえないという事になります(もしかしたら、いくらか発現率が高まるというくらいのことはあるかもしれませんが)。

 それから、ホルモンシャワーの欠如または不足によって、脳の性分化が起こらなかったり不完全になったりする場合、これは遺伝子ではなく発生過程で生じる問題ですけど、前回の終わりの方で例に挙げた東ドイツの調査の例でも、ホモセクシャル(男子)の発現率のピークだった1944年生まれの場合でも、同性愛者数は人口十万人に対して約七十人で、仮に潜在的同性愛社と言われる人の存在を勘案してその数を十倍しても、全体の1%にも満たない数字です。この場合、他の年に生まれた男子に比べて発現率が高いとはいえますが、それでもあまりに少なすぎますね(^^;)。

 そうすると、器質的な原因を完全に否定することは出来ないんですけど、それでも私はやはり育った環境の影響の方が大きいのではないかと思うのです。例えば、鳥類でも哺乳類でも(とりあえず私が知っている例はカナリアとゴリラですが)、メスが存在しない環境で発情期を迎えたオスが、他のオスを対象に性行動に走るという例もあります。さらに人間の場合には、他の動物が持っていないような独特の「価値観」というものが存在しますが、人間の個体がそれぞれどのような価値観を持つかという事は、環境に大きく左右されます。

 現象としての「同性愛」は同じでも、実はそれらは異なる原因から発生した現象だという可能性も残っていると思うのです。遺伝子説、発生説、環境説のいずれが正しいというよりも、もしかしたらいわゆる同性愛者は「遺伝子性同性愛」や「発生性同性愛」、「環境性同性愛」などに分類できて、さらにそれらの組み合わせ(複合型)を考えることさえ可能ですね。

 似たような例でいうと、あるホルモンによって起こるはずの反応が起こらない場合、これは見た目には同じ症状が出るわけですけれども、その原因には、ホルモンが分泌されない場合と、ホルモンは分泌されるけどその受容体が存在しない場合との、2種類が存在します。これと同じように、同性愛もある特定の一つの原因に還元できない可能性が、私はかなりの確率で残っていると思うのです。

 また「性自認」の場合には、これは要するに「認識」(認識内容)ですから、これはもっと問題が難しくなります(^^;)。私はこれは、「自分が何であるか」というよりも、むしろ「自分が何でありたいか」という欲望(希望・願望)の問題だと思っていて、それはとりあえずは他者との関係で決まりますから、ある意味では環境説です。ですが、欲望の発生のメカニズムというのは、実はわからないんです(^^;)。

 もちろん血液中の血糖値が下がると空腹を感じるといった、他の動物にも共通しているような身体的な欲望は、「それなりに」科学で説明可能な部分もあります。ですが「価値観」が絡んだ欲望、例えば「コーラは飲みたくないけど、コーヒーなら飲みたい」という場合、その原因を科学的に説明することは不可能です(科学が「意味」や「価値」の問題を解明することは原理的に不可能だからです)。これはつまり、ある文化環境の中で自分の可能性(欲望)が人間に与えられるという、そのメカニズムがわからないという事ですが、性自認もおそらく、この「欲望」を底板としていて、それ以上は掘り下げて探ることは不可能だと思います。

 ただし仮説としては、遺伝子や発生段階に生じた問題によって身体的性別とは異なる性別の性的欲望が生じ、それが性自認の形成に影響を与えるとか、純粋に特定の文化の中で育つ段階でその文化において形成された価値観によって「女」を目指すようになったとか(MTF の場合)、いろいろ考えることが出来ます。つまり、ここでも同性愛と同様に、「遺伝子性同性愛」や「発生性同性愛」、「環境性同性愛」とそれらの複合型という考えが、仮説としては考えられます。

 ただし、これはやはり証明不可能な仮説だということと、それからもし仮にこれが証明できたとしても、当事者がこれからの自分の生き方を考える上で意味を持たないという2つの理由で、私は自分自身のこの仮説に、まったく執着を持っていません。

 今のところは、様々な研究者が自分の専攻する分野や、自分の研究対象に、結論を限定してしまいやすいという危惧を感じます。遺伝子の研究をしている人は「同性愛をとなる遺伝子」を探すでしょうし、発生学の立場からは発生(脳の性分化)の過程を問題にするでしょう。ですが、それ以前の問題として、彼らは「同性愛の原因は自分の研究分野にある」という確信をどこから得ているのかと思います。また、前回も批判したダイアモンド博士の場合には、問題を自分の研究対象(性自認)とだけ結び付けて、性的指向のことを考えていないように見受けられますし、それぞれ視野狭窄に陥っているような印象を受けてしまうのです。

L.Jin-na


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