from 109@優美さん (2001年10月29日 01:07)
お龍様、1年振りでございます。去年パートタイム女装外出をした優美です。「女性声のとっさの出し方」というレヴェルの貴重なお話を頂き、その節は有難う御座いました。今回はこの前の川村さんのお話が、まさに自分のもやもやを代弁していただいた貴重なカウンセリングなので、眼から鱗が剥がれ落ちました。この僕のシュチュエーションが同じでして、TVの再発を繰り返し、精神科へ7年間も通院しています。いまだ失業中のため、カウンセリングや睡眠障害での薬物療法をしています。でも、「TVは、まず治すことは無理です」とドクターと女性カウンセラーから言われています。(当然といえば当然ですが)今は、自己の最も精神が安定する性で生きるのが、精神衛生上、楽だという見解に現在はあります。ユニクロ的な「UNI-SEX」風にマイナーチェンジしてはいたり、現在月2回ほどデートできる♀子はいますが、手も握ったりしてません。女体と膣(SEX)への予期不安とかで、萎えてしまうのがネックですね。(だいぶ前に、西川口の駅前本番…ブルースカイ?や池袋リトルベアーByファションマーサージ゙)へ出向き、萎えて失敗の連続!
---中学高校大學と女装外出がさらにエスカレートし、電車移動〜深夜ドライブ外出---全身を鏡に写し、ナルシス状態---1人暮しで週末女装化がエスカレート---自分に酔いしれ、マスターベーションで果てて、強い疲労感と嫌悪感←悪循環---魔のトライアングル循環へ、TV&TS専門精神科への診療が続いていいます。
ネックは「SEX」モードです。1人Hは続きますが、僕も「イメクラ」や「痴漢イメクラ」行った方が現場を知る意味で、女装癖も薄めていきたいです。長文かきこにて失礼しました。助言いただけたら嬉しいです。
女性に近づくということ=男性から遠ざかることが教訓です。 パートタイムTVでも色々リスクありますから…。
これも繰り返し書いていることですが、私はあらゆる認識の底板になっているのは「欲望」だと思っていて、そこに着目しない限りは TS の性自認も絶対に変化しないと思っています。そして、これは TV についてもまったく同じことがいえるのですが、その構造が性自認の場合とは異なっているのだと思います。
優美さんも、前回の川村さんも、女性に対する性的な欲望はあるわけでしょう。ですが、女性をイメージしてのマスターベーションは出来ても、現実の女性がいると性的になえる。そこに現実の女性という他者がいるとダメだということですよね。
変なたとえですけど、子供でも自宅のトイレ以外で排泄が出来ないという例があります。この場合、本人は意識していませんけど、人間の行動というのは状況から強い束縛を受けていることがある。排泄や性行為というのは特に社会的・文化的な規制が強い行為ですから、他の行為よりも状況による束縛を受けやすいと思うんです。そしてその束縛は、意識のレベルではなく、いわば身体に刻み込まれている。優美さんの場合にも、この子供の排泄と同じで、特に他人(女性)がいる場での射精が出来ないのではないかと思います。
その「身体に書きこまれた束縛」を書き換えるには、頭でわかっているだけではダメで(というか、既に頭ではわかっているけどダメなわけで)、心理療法の中のいわゆる行動療法のように、現実の体験の中で書き換えて行くしかないと思う。なぜかというと、現在の身体に刻み込まれている束縛が、これまでの長い経験の中でいつの間にか刷り込まれたものだからです。だから、それを書き換えようとする場合にも、それなりの期間と行動を必要とする。人間の身心は、そういう構造になっていると思います。
だから、何があろうと絶対に TV は治らないという事はないんですけど、すぐに女性とセックスが出来る方法があるかといわれたら、私も困ってしまいます(^^;)。ですが、いきなり性行為という事を考えなければ、前回書いた「実際に女性と接することの中から、女装よりも大きなエロティシズムを得ること」はできると思う。
あるいは、エロティシズムを求めることさえまだ性急過ぎて、その前にエロス(性的な意味に限らない、広い意味での良い感じ)を得ることから段階的に始めてもよいと思います。例えば、手を握るとか、そっと抱き寄せて、その温もりを味わうように感じてみる、とかですね。そういう非常に基本的な形でも、他者としての現実の女性との一体感や、そこから得られるエロスというものがあるでしょう。性行為を試みてダメだというなら、ダメなことを繰り返してもダメなんです。ダメだという事が繰り返し刷り込まれてしまいますから、もしかしたら逆効果にもなりかねません(^^;)。焦ることなく、とことん基本に立ち返ったほうが、結局は早いと思います。
そしてそこから、性的快感を得るための性行為というよりも、「愛でる」という気持ちで接して行くようにすること。たぶん、それがないとつらくなる。身体化した束縛がかかっている場合、おそらく現実の女性を相手に欲望を満たすということに、一種の罪障感が伴っているのではないかと思うのです。だから、性的欲望の満足ということを一度、目的から外して接した方がよくて、そういう欲望が出てきても耐えてみる。
そういう欲望が生じる自分を責めるのではなくて、「愛でる」気持ちと、そうした欲望との間に、明確な境界線が引けないということが実感できるまで、ただただ自分の欲望を見つめてみたらよいと思います。そうしたら、「愛でる」気持ちはよいことで、性的欲望は悪いことだというような価値観は(たぶんそういう価値観が身体化=内面化していると思いますが)、消えて行くと思います。
誤解のないように書いておきますが、性的欲望それ自体は「悪」ではないけど、その発現の仕方には善悪があります。その区別がつけばよいのです。他の、怒りや妬みといった感情も同じことで、そういった心の働きがなくなったら、それは死んだ心です。それらの心の働きを否定したり押し殺すのではなく、ただ、その使い方を考えて掴み取ることが必要なのです。
