from ムンさん (2001年11月10日 13:56)
私の場合、ネットに限らず実生活でも同じことなんですけれども、T's (MTF) も含めて「女同士」の、いわゆる雑談では、話し方やその際の発想法(会話の運びに影響する)などは女性的になりますね。自分では気がつかなかったんですけど、しぐさにも変化があるそうです(^^;)。
ただ、特に MTF の場合、ネット上で理屈のやり取りも多くて、そういう場合にはどうしても他の人たちから見て男性的なイメージが入ってしまう。別にマッチョになるという意味ではなくて(笑)、むしろ理論的に話をすることに「男性的」というイメージが付きまとうみたいですね。これもネットに限らず、通常の会話でも同じことが言えます。
誤解のないように書いておきますけれども、これは女性が常に「理論的ではない」という事を意味しません(同時に、男性が常に理論的であるわけでもありません)。ただ、個々の人間に対して、あるいは同じ人間についてもその時々の振るまいに対して、理論的と情緒的というパターン分けはあるわけです。こうしたパターン分けは、人間理解のための一つの方法ですね。そして「情緒的=女性的」というのは、私の考えでは現実の女性の大半が情緒的であるということではなくて、女性に情緒的であることを求める視線が存在する、ということだと思います。
もう少し具体的にいうと、女性が情緒的であることに、ある種の魅力を感じる人が多い、ということだろうと思います。ですからこれは客観的事実として「情緒的=女性的」という事ではなくて、そうあって欲しいという願望を含んだ価値観だと思うのです。私はそれを、フェミニズムのように罪悪視するわけではなくて(そもそも、こうした人々の「好み」の問題を断罪できるような「正義」の視座など存在しないと思うからです)、とりあえずここでは単に事実として認識しておきたいと思います。
もちろん、この「情緒的」は悪い意味での「感情的」とは違いますし、常に徹底して「情緒的」な人物がもしいるとしたら、これは男女を問わずちょっと迷惑な人だなぁ、と思いますけど、平素が理論的な女性であってもふと情緒的な一面を見せられることで、安心感のようなものを感じることがありますよね。
だからある意味では、「情緒的」であることは、女性そのものの特徴というよりも、女性の魅力の一つの典型として語られているのだと思います。「男はこうあるべき、女はこうあるべき」と固定的に主張する保守派も、それを相対化しようとするフェミニストも、ここのところを勘違いしていると思います。性に関して調べていると、こういう対立に出合うことも多いと思いますけど、対立する二つの意見の内のどちらが正しいというのではなく、どちらもそれぞれ間違っているというのが私の持論です。
なんだか、注釈の方が長くなってしまいましたけれども(^^;)、さらに具体的な疑問点などがありましたら、またいつでも書きこんでくださいね。
