from 匿名希望者さん (2001年11月10日 15:42)
ご心配いただいたうつの件ですが、夫は、何年か前から気分が落ち込んだり、次の日にはよくなったり、ということが続いていましたので、「うつ」のことで病院に行ってはどうか、ということは再三勧めていました。女装の件については、私が精神・神経科のカウンセリング施設を探して、そういうところもあるよ、と一度だけ紹介したこともありましたが、結局夫はいきませんでした。プライバシーも守れないような病院に行ったのは、まるで、「やっぱり病院はダメなんだ」と自分へのいいわけに使っているようにも思われたほどです。うつの方では、一緒に行こうか、などとまで言ったこともあったのですが、ダメでした。ただ、私の知っているうつ病の人とは若干症状が異なるのかもしれません。うつ病ではなくうつ状態なのかも。それも病院に行けばわかるんじゃないかと思うんですけれどね。
さて、夫の女装についてですが、そうです。私は夫の女装がいやです。とくに女装と性的興奮が結びついているところが。ただ、私に実害があったのは一昔前の話であり、現時点では私には対しては何もありません。それなのに、なぜ私は何かの拍子に夫に対して今でも激怒してしまうのか、ずっと自分自身、不思議でした。ヒステリックになる自分もいやでしたし、恨みの気持ちを捨ててしまいたいと思っておりました。
神名さんの書き込みを見て、あの一昔前の何年間かのことが、私の心の傷になっているのだ、ということがやっと心から納得できました。
その頃の女装にまつわる夫からの性的暴力と、夫自身の否認(「そんなことはしていない」「気づかなかった」「言ってくれればよかったのに」「僕は良い夫だ」など)、望まれて結婚したはずだったのに結局は女装の隠れ蓑として使われた自分、そんなことが傷になっていたようです。この辺のことについては詳しく書き出すと今でも動揺しますので、この程度にします。
私から話したため、少なくとも性的暴力は一昔前に終わっています。女装の隠れ蓑とされることも今はありません。
ただ、何気ない夫の一言や性的快楽を求めて女装する男性をテレビで見たとき、夫の女装自体ははいまだ続いていることなどに、昔のつらかったことが思い出されて、ヒステリーになる、でも、今の夫は何もしていないから自分の気持ちがうまく伝わらない、そんな調子だったようです。
それは、頭ではぼんやりとわかっていたのですが、心から納得したことはありませんでした。
ですから、神名さんに非常によい契機をいただいたようです。
夫婦のルールについては私も考えたことがありました。ただ、これまで何ヶ月も夫には「体調が悪いからダメ」と夫婦間の問題の話を匂わすだけでも断られてきました。テーブルについてもくれない、というやつですね。ごく最近になって話し合う気持ちは出てきたようです。でも、状況はドラスティックに変わるようなのでどうなることやら。私自身、一時的には加害者と被害者の関係であったものが共に暮らしていけるのか、と疑問にも思っています。いま、ルールを作るとしたら、う〜ん、女装するのなら一人旅をしてください、というような要求になってしまいそうです。
『家族を「する」家』で連想したのですが、夫の実家は私にとって非常に奇妙な間取りでした。増改築を繰り返したのだそうですが、まず、応接間が他から独立したつくりになっており、それがとても立派でした。悪く言うと、「この部屋にはお金をかけています」というのが客にもろにわかってしまうような部屋です。家族の団欒の間となるべきところはダイニングキッチンでしたが、キッチンがとても広い割にはダイニングが狭かったように思います。皆が個室を持っており、夫も幼児の頃から個室を与えられており、夫と妻は別室であり、各部屋にテレビがありました。私は最初に訪れたときから居心地の悪さを感じたのですが、家の構造と家族内の関係がシンクロしていました。
この部分なのですが、まさに夫はこういう状態をずっと続けているのだと思うのですが、実際のところ、解決方法はあるのでしょうか。ルール以外に。私自身、夫に病院やカウンセリングを勧めたものの、そんなんで直るのかな〜という疑問も持っているのです。
夫の状態は、アルコール依存症や薬物依存症のような病気なのでしょうか?
それなら、直る(厳密にはこれらの病気では直るとは言わないと思いますが)と納得できるのです。
それともこれは「生き方」なのでしょうか。それなら、病院に行けばさらに傷つくだけのようにも思うのです。
夫のプライバシーは守りたいと思っていますので、詳しくは書けないことをお許しください。
読んでいただいて、ありがとうございました。
匿名希望者
女装を一つの「生き方」として捉えている人たちもいますし、そう考えるのが妥当だろうと思える人たちも存在することは事実なのです。しかし、ご主人の場合には「生き方」というには少々(?)無理があるような印象を受けます。少なくとも、ご主人の女装は自分の意志で「こうやって生きて行こう」と自己決定的に選択した「生き方」ではありませんよね。
私はつい最近、このHPの「ジェンダー素描」というコーナーに、「フェティシズム的服装倒錯症という悩み」という一文を掲載しました。そこで述べたことですが、フェティシズム的服装倒錯症も含めていわゆる精神疾患とされているものは、「心」の不自由さに対して自分で折り合いをつけることが出来ない状態のことです。だからその大半は、しばしば本人にとっても「悩み」や「苦痛」という形で自覚されます。
人は誰でも、別に精神疾患じゃなくても、やっぱり身の回りのことや自分自身の「心」が思うようにならないという経験をしているわけですね。だけど普通は、それでもなんとか折り合いをつけながら生きているわけです。それが上手く行かない状態が継続しているために精神的苦痛を抱え込んでしまうこと。これが精神疾患だと考えてください。ですから正常と疾患とはあくまでも程度の違いであって、両者の間に明確な境界線が引けるわけではありません。
ですから、そういう意味では、ご主人の女装もこれに該当すると思います。ただ精神というのは目に見えないものですから、身体の病気と違って「正常(健康)とはこういうものだ」という決まった状態があるわけではありません。どんな状態であれ、不自由さとそれなりに折り合いをつける事が出来れば、悩みや苦痛は解決されるからです(必ずしも、スカッとさわやか、というわけにはいきませんが)。
そうすると、この心の不自由さとは何か、が問題ですね。人の「心」、この場合にはフロイトやユングのような深層心理学でいう「無意識」と言い換えてもよいと思いますが、これは私達が「意識」とか「理性」という形で自覚している心とは、ちょっと違った構造を持っています。これは、「意識」や「理性」のようにそのつど考えて(判断をして)行動を起こすのではなく、刷り込まれてしまった(身体化・内面化した)行動原理なのです。
それで、時には両者の間で齟齬が生じることがあります。「意識」や「理性」で考えれば不合理としか思えないことを、つい「無意識に」やってしまう。誰でもある程度は日常的に経験することなのですが、これが続くと自分自身に対して不安を抱かざるを得なくなります。これが、「心」の不自由さに対して自分で折り合いをつけることが出来ない状態ということです。
こういう自分の自由にならない「心」、つまり無意識は、普段はそこにどんな行動原理が刷り込まれているのか、知ることが出来ません(というよりも、直接に知ることが出来ない領域を、私達は無意識と呼んでいるわけです)。実生活上で不都合が起こらなければ、それを知ろうとする動機が生じませんから、知らないままに気にせずに生活して行けます。だけど、「意識」や「理性」が「なんか変だぞ?」と思うような行動を「無意識」が起こしてしまう。それがあんまり繰り返されると不安になる。
「不安」というのは、何か困ったことがある(あるいは困ったことが起こりそうだ)ということは判っているけれども、それが何なのか具体的に判らない、そういう状態のときに生じる感情です。逆にいえば、「無意識」にどんな行動原理が刷り込まれていて、それは「意識」や「理性」との間にどんな違いがあるのか、それがわかれば不安は去ります。原理的にはそういう事になりますね。
フェティシズム的服装倒錯症も同じで、女装の原因を「性欲だ」ということは出来ますが、しかしこれは「説明」になっていません。性欲を持つ男性のすべてが女装するわけではありませんから、ではなぜ自分の場合には性欲が女装を呼び寄せるのかという問題が出てきます。しかし、そこは意識化・言語化されていない。フェティシズム的服装倒錯症のほとんどの方は、こういう状態だと思います。
では、直接に知ることが出来ない領域である「無意識」の内容を、どうやって知ることが出来るのか。私達は、直接に「無意識」を知ることは出来なくても、「無意識」が起こした自分の言動を知ることは出来ます。そこから逆算するようにして「無意識」の内容が何であるかを解釈するのです。でも、これは難しいので、普通はちょっと自分では出来ない。そういう時に専門家の手を借りるわけです。つまり、精神科医やカウンセラーですね。
| ※ | 精神科医の場合は症状によっては投薬という手段を使うこともありますが、「女装を治す薬」はありませんから、それはここでは脇に置いて考える事にします。 |
精神科医やカウンセラーのカウンセリングというのは、彼らが「治してくれる」のではなく、自分で自分の無意識に刷り込まれている行動原理を知る、そのための手助けです。それがカウンセリングの本質だと思います。しかも、頭で「理解」するのではなく、「なるほどそうだったのか」と腑に落ちるように、実感として了解する。別の言葉でいうと、「自己理解」ではなく「自己了解」が必要だということになります。そういう意味では、ご主人はともかく、匿名希望者さんご自身は「自己了解」に向っているみたいですね(^^)。
| ※ | 精神科医やカウンセラーの場合、学派や流派によって用いる手段がバラバラですが、実はやっていることは同じ「自己了解」のサポートだといえるでしょう。私の場合にはそれを精神医学や心理学によってではなく、哲学をベースにしてお答えしているわけです。 |
それで、ご主人について、ルール以外に解決方法があるかどうかということですね。
これは優美さんへのお答えの中でも書いたことですが、女装癖を精神医学によって意図的になくす確実な方法はありません。しかしそれは、女装癖そのものが絶対に解決不可能な問題につながっている、という事を意味しません。ですから、確実な方法があるかといわれたら困ってしまうのですが、解決の可能性があるという事は否定できないと思います。
もうひとつ、これはご主人の実家の間取りのお話から勝手に想像するのですが、簡単にいえば来客があった場合に使う応接間を除けば、家族各個人のスペース(個室や台所)は確保していても、共有空間としてのリビングやダイニングが貧相(失礼)だということですね。そして、各人の部屋にテレビがある。どうも家族間のコミュニケーションがあまりなかったのではないかという気がします。前回と今回の内容からは年齢が判らないのですが、おそらく私と同世代(30代後半)か私よりも下ではないかと思います。そうだとすると、とてもイメージしやすいですね(まさに『家族を「する」家』で取り上げられているような例かと思います)。そういう環境で育ったということと、
| > | 夫自身の否認(「そんなことはしていない」「気づかなかった」「言ってくれればよかったのに」「僕は良い夫だ」など) |
ということも考え合わせると、(あくまでも私の想像ですが)ご主人には基本的に他者との関係を上手く作れないようなところがあるのかも知れません。そうすると、女装よりもこちらの方が、より根本的な問題なのではないかという気もします。「テーブルについてもくれない」というのも、そのこととつながっているように思えます。
ですから、女装という要件を除けば、これは現在では非常に相談の多いケースなのではないかと思いますし、その点に関しては精神科医やカウンセラーにとっても「扱いなれたケース」だという可能性も高いのではないでしょうか。変な言い方ですが、そこにかえってカウンセリングを受けることの「希望」を見出せるように思います。
ただ、上に書いた「自己了解」とは一種の「気づき」ですから、それに先だってクライエント(カウンセラーを受ける人)の側に「問い」(問題意識)があることが望ましいでしょう。当人が問題だと思っていないものを「解決しましょう」といっても、カウンセリングという「対話」が成立しにくいと思います。ご主人が足を運びたがらないというのも、「夫自身の否認」に見られるように、問題意識が希薄なのかもしれません。では、それをどうするか。
私もあまり詳しくは知らないのですが、精神療法の一つに家族療法というのがあるそうです。普通は、不登校の子供などを抱える親などが(多くは母親が、時には両親揃って)相談に来るという事が多いそうです。この場合、いわば問題の当事者は「不登校の子供」なのですが、当人をカウンセリングの場に引っ張り出せないので親が来る。そういうカウンセリングがあるのだそうです。子供とご主人との違いはありますが、当人が消極的ならばそういう方法もある、ということは知っておいて損はないと思います。前回も書いたように、これはご主人の問題というよりもご夫婦の「関係」の問題ですから、(カウンセラーにもよるのでしょうが)家族療法の視点は意外に有効かもしれませんね。
