from みえこさん (2001年11月18日 14:02)
みえこと申します。初めての投稿です。すてきな話しではなく、もちろん哲学的な話しでもないのですが、思いついたことをちょっと書いてみます。
このところ毎日、夢中になっていろいろな女装サイトを訪ね歩いています。わたしはずいぶん長いこと下着女装をしているのですが、こんなにも沢山の女装サイトがあることを知ったのはごく最近のことです。何年か前に一度、「女装」を検索してみたときには、ヒットしたのは女装者のいるクラブやバーばかりだったように思います。夜、都内に出かけるチャンスのないわたしには無縁のところと思い、その後この方面は見ていませんでした。
最近になって何気なくチェックしてみたら、女装趣味や実際に女装している方のサイトがこんなに多いなんて、今まで考えもしないことでした。自分でサイトを持っていない方の数は、その何十倍、何百倍なのでしょうね。アメリカは比較にならないほどすごいですね。それに、お名前は上げませんが、日本人のサイトには綺麗な方が大勢なことも本当に驚きです。それに引き替え、外人の写真には拡大するまでもなくパスしたい人がいっぱい、いえパスではなく一目でリードできちゃうからあわてて画面を閉じたりしています。
誰に聞くこともできなかった、いろいろのことを大勢の方が初心者向けに、こと細かく書いて下さっているので、あちらこちらのページを開くたびに目からうろこがはらり。キーボードの上には、うず高いうろこの山ができてしまいました。皆さんの講義をわたしなりに編集して、自分のためのテキストを作ろうとしています。ただ、そのテキストを使って実習をするには、その前にいろいろと解決しなければならないことがあって....
ところで、わたしは性同一性障害については分かりません。わたし自身は、単に女装をして女の人のように振る舞ってみたい、少しでも綺麗になってみたいというだけのことで、本当の女性になりたいという気持ちはないと思っています。条件が許せば、一日中女性の格好をしている生活も、ちょっと面白そうだなとは思います。ドレスして女の人とセックスすることも、ずっと憧れていることの一つです。ですから、体中に毛が生えていて、オッパイがなくておちんちんがある、この今の体を変えたいとはまったく思いません。また、女の人とセックスができなくなることや、男の手であちこち触られたり、お尻に突っ込まれたりすることは、考えただけでもいやでぞっとします。
T's についての真剣な討論の中に場違いな感じですが、取り留めのないことを書きました。今後とも皆さんのお話を参考にさせていただきます。
みえこ
性同一性障害については分からない・・・。はい、とりあえず、それはそれでよいのではないでしょうか(笑)。
基本的には、人の欲望はバラバラです。そうはいっても、人体の仕組みとか、生まれ育った社会的な条件などによって、一定の「枠組み」はあるんですけど、この「枠組み」はあくまでも事後的な認識によって見出されるものですね。その「枠組み」の中にある様々なカテゴリーも同じことで、カテゴリーというのは元々、人がある何らかの価値観を基準にして切り取った「一定の範囲」のことです。別に、あらかじめ客観的な存在としてカテゴリーがあるわけではなくて、人間の認識によって切り分けられたものがカテゴリーなのです。
でも、その「切り取り方」が他の人にとっても「なるほど」(妥当)と思えるようなものだったりすると、他の人達もその「切り取り方」を使ってものを考えるようになります。つまり、複数の人達の間で「切り取り方」が共有されるわけですね。なぜかというと、何かものを考える上で便利な切り取り方と、そうではない切り取り方があるからです。便利な切り取り方は、工夫が進めば進むほど、多くの人に共有されるようになる。
だけど、例えば社会が変わったりすると、どういう「切り取り方」が「よい(便利な)切り取り方」かという基準も変化します。あるいは線引きの仕方は変わらなくても、それによって区別されたカテゴリーの意味付けが変わったりします。これは何も T's に限らず、およそ世の中のカテゴライズというのは、そういうモノ(コト)ですね。
どういう人を「T's」あるいは「TV」と呼ぶかということも、このカテゴライズの問題です。それは人々の間に、あるいは当事者の間に、暗黙の内に一定のコンセンサスが成立して、カテゴライズや用語が定着しているわけです。
しかし逆に、T's だから、あるいは TV だからどうしなければならない、ということはありません(TG や TS も同じ事です)。人間の存在の仕方や、それに対する認識がカテゴライズ(切り取り方)を規定するのであって、カテゴライズが人間を規定するのではありません。
そこを間違えると、「TV は(TG は/TS は)かくあるべし」なんて言い出す人が出てきます。だけど、これは考え方がひっくり返っているんですね。カテゴライズ(切り取り方)が多くの人達に共有されると、ついそこから発生したカテゴリーそれ自体が、あらかじめ客観的に存在していたかのように勘違いしてしまう。これは人間の意識の中で「現実感」が成立する時の「くせ」のようなものです。でも「現実感」というのは、「現実」そのものを認識することではなくて、あくまでも「これは現実だという確信」に過ぎません。
| ※ | だから TV とか TS といった区別は無用だ、というのではありません。そうではなくて、私達はなぜそういう区別を立てているのか、またそれはどのような必要に基づいて打ち立てられた区別なのかを、きちんと理解する、ということが重要なのです。こうしたカテゴリー(TV / TG / TS)がそれ自体として客観的に存在していると考えるのも、逆にこうしたカテゴリーは「作られたもの」だからというだけで無効だと考えるのも、どちらも誤りです。 |
私は、TV / TG / TS の区別は、基本的にはそれぞれの人達の欲望(××したい、××でありたい)の違いだと思っています。言いかえれば、この区別は人間の分類というよりも、欲望の在り方の分類だということになります。
だから、みえこさんが、ご自分が TV だと思っていて、なおかつ、いわゆる性同一性障害という用語で報道されたりしている人達(TG / TS)とは異なる欲望を持っていると自覚することにも、ちゃんと必然性があるのです。そして、その表明は「場違い」なのではなく、ある一人の TV の在り方の記述として、相応の重みを持っている。そう思います。
