from ひろかさん (2001年12月26日 00:22)
「ジェンダー素描」61「戸籍にまつわる反論・2」,対論の真樹子さんの「性別の法的基準について」ともども読ませていただきました。
率直な感想として,ことをいたずらに複雑化している,と感じるのはわたしだけでしょうか?
神名さんの論の中には
と太字の強調もなされまさにそのとおりとわたしは考えます。ですが,いずれのご意見を拝見しても,そのことが具体的にどういうことなのかと考えれば,もっとずっと単純明快なことのように思うのです。
要するに戸籍,戸籍簿は「本人ひとりのもの」と考えることができないフシを認めることができる,ということだと思うのです。
つまり,ある人物の戸籍簿は一定の条件が整えば本人はもとより他人でも閲覧可能なものです。本人がどんなに自分が第一子の男子ではなく第一子の「女子」なのだ,つまり「私は長男ではありえず長女なのだ」と自覚を抱き,それを主張しようとも,それを聞いたものが戸籍簿の写しを入手し,それを本人に提示することで容易に否定でき,かつそれが第三者にも受け入れられるものとなっている,ということが最大の着眼点だと思います。
そこには本人の自覚,つまり本人の行動規範であるにも関わらず,他者が,ありていに言えば「口出しをできる」根拠を与えていることになり,ひいては本人がいかに常識的(デファクトスタンダード)な意識・規範を持っていようとも,それを他人が恣意的に否定できる,つまり,本人をデファクトスタンダード(常識)からの逸脱者と決め付け得る力を与えるものとなってしまっていることだと思うのです。
当事者意識としては,「それは困る・迷惑だ」のレベルから「人権・人格・自尊心の侵害だ」というレベル,ほかいろいろなレベルでの不満をみちびくことになり,いわゆる社会的性別が自覚性別に沿って回っている人が,何らかの理由で戸籍提示を,本人に対して突きつけられたとき,さまざまな不利益をも招き得ることになります。
つぎに,生物学的性別として,たしかに染色体レベルで論じるのは「性別不変の原理」あるいはそう捉えてきた慣行にとってとても便利な根拠であることは否めません。
そして一朝一夕にそれら原理・慣行を覆すことは社会的な混乱をも招くことになります。
が,しかし,では生れた際,染色体レベルでの検査を受けて性別割り当てを受けた人は全人口のどれ程の割合なのでしょうか?本当にごく少数の判別不能な人にかぎりそれを行い,結果として ISだったなど,もっと面倒なことになりかねなかったりしますが,あり得るの程度の割合なのではないでしょうか?
そして,実務上「第一次性徴」と言うように目視によるレベルで判断し,それに不都合がなかったというケースがまた大半なはずです。それでもなお,逆に目視での判断を狂わせる形での ISだった場合は,いくつかの判例で,特にそのための対症外科措置が施されていればなおさら,戸籍の続柄記載の「訂正」が認められているはずです。
さて,生物学的には今のところ逆立ちしたところで,GID者の性別根拠は覆りません。
しかし,医療レベルでの性別判定が出生届のよりどころとされ,それは目視の域を出なくても(仮に ISで判断を誤ろうと,本人が記載どおりでよいなら)それが一個人の一生の性別として,人生のさまざまな岐路に影響を与え得る性別として確定されています。
さて,SRSつまり「性別再指定手術」,それを好んで当事者が使うのはなぜですか?
性を転換する,「別の性別になる」手術というニュアンスが除かれ,加えて「性別を改めて判断し直しめる」手術というニュアンスだからだと思います(実際にはニュアンスどころではないと思いますが)。
つまるところ,無秩序にではなく本人の自覚がある(GID の診断やその他心理テスト,場合によったら鑑定(?)),さらに社会的な性別が長期継続かつ将来的にも変ることが見込めない(不可逆)であることをもって,とするなら,『目視で決められたものを,また目視で決め直し』て不都合はないであろう,という論拠でどうなのでしょうか?
まとめれば,
ということを論理的につなげれば,おのずと記載変更(訂正?)の条件というのはゆるぎなく決まると考えられるのですが……。
なお,それが未来に向かって,民意が本当に性別の境界性の撤廃や自由化や緩和を望んだとき,こんどはトランスジェンダーが旗手となって己の,生れたがままの(真実の??)身体をもって性別記載変更や撤廃などの行動を起こすことを否定するものではありません。
ここではただ,現時点で民意の GID者に対する無作為による放置,そして結果的な排斥の是正を求めているだけです(たとえばハンセン病の前例のように)。
一応、弁明がましいことを書いておくと(^^;)、真紀子さんと私のやり取りは、原理論レベルの応酬なんです。それでお互いにやたらと抽象概念が出てくるんですけど、お互いに相手のいっていることの意味は判っている(と思う ^^;)。もちろん、お互いに相手の主張には納得できないから意見対立は続いているわけですけれども(笑)、真樹子さんの「性別の法的基準について」は最近の彼女の論述の中では特に理路がハッキリしていて(彼女には過去にもそういうものがたくさんありますが)、彼女が何を言いたいのか、何故そういいたいのかということの理解に苦しむことはありませんでした。
私の主張は、簡単に言ってしまえば、ひろかさんが今回述べられた内容でよいのです。ただ、どんどん話を掘り下げて、原理論レベルでの応酬が続くから、それが難解に思える人が増えて来るんだと思います。難解に思えることが悪いというのではなくて、それは当然なんですけど、ただ、そういう応酬になるにもそれなりの経緯があります。
例えば、ひろかさんのいう「目視」は、私のいう「認識」と同じことなんですけど、『目視で決められたものを,また目視で決め直し』て不都合はないということになると、やはり戸籍変更の条件として SRS が含まれるという話になりますよね。でも真樹子さんとしては、その条件を認められない。私の考えでは、そのために彼女には、なんとかこの「目視」、つまり「認識」を相対化したいというモチーフがあったと思うのです。そこを争点として、彼女と私との間で攻防戦が繰り広げられている、という状態ですね。
その「認識」を相対化の手段というのは、現代思想の中にいくらでも見つけることが出来て、彼女はそのあたりもそれなりに勉強しているように思えます。彼女の発言の中には、見覚えのある言い回しや(手段の)範型がたくさん見られますし、彼女自身もかつてデリダくらい知ってると書いていましたから、この推測はたぶん間違っていないでしょう。ただ、既に私の側にはそれらに対する反論の用意が出来ている。だから私は困らないんですけど、結果的にはどんどん原理論の応酬に陥ってしまって、傍目には「あれは何をやってるんだ」という事になるんでしょうね(^^;)。
ただ、私は彼女がジェンダーフリーの思想を当てにしている限り、TG に未来はないと思っていて、それはジェンダーフリーが基本的に対抗主義の構造を持っているからです。そこから、外性器という基準がデファクト・スタンダードであるような現在の民意が間違っている、というような言い方が出てきてしまう。自分達が真理を握っていて、それを啓蒙するんだという考え方になってしまうわけです。
だけど、SRS を経ない TG が性自認の性別で受け入れられるためには、「あなた達は間違っている」といって社会を糾弾してもだめで、それを実現するのは思想の啓蒙の問題ではありません。理屈で相手の反論を封じても、内面の違和感は残ってしまう。その違和感を抑圧しても、かえって反感を買うだけです。それを、どう解決するのかということを考える必要があります。
TG を性自認の性別で受け入れる感覚というのは、ごく日常的な個的な付き合いの中で自然に醸成されるもので、けっして頭で理解させて作るものではないんですね。人間は、親しい付き合いをすればするほど、相手のもつ特殊な性質(例えば GID の他に、在日とか身障者とか)が気にならなくなります。
これは何度も書いていることですけれども、私が哲学を習っている先生のうちのお一人が在日朝鮮人です。だけど、お互いに相手が在日だとか性同一性障害だということは、いちいち意識にのぼらなくなる。なぜかというと、お互いの付き合いの中で、それとは全く別のものを求めているからですね。私は知識を求めるし、先生は当然、私がその知識を理解することを求めます(あまり期待に応えていませんが ^^;)。そういう関係においては、お互いが持つ「相手像」の中で、在日だとか性同一性障害が占める割合が相対的に小さくなって行きます。だけど、こういう関係は対抗主義的な態度からは、けっして出て来ません。万が一にもあり得ないことですけれども、もしこの先生が私に「お前たち日本人は…」といい、私が「あなたがた間違った性意識の持ち主は…」といって糾弾しあったら、どういうことになるでしょうか(笑 ^^;)。
それで私は以前から、「よい関係」ということを繰り返しいうわけです。私の考えでは、TG が SRS を受けることなく戸籍変更を認められようと思ったら、まずその前に TG が TG として受け入れられる段階を経る必要がある。そういう状態が作れない内に戸籍変更を認めろといっても、土台を固めずに家を建てようとするようなものですね。突飛な要求としか受け取られないだろうと思います。
彼女が元々は何を専攻していた人なのか知りませんが、ただ論理的な思考については、相当程度の訓練を受けている人だと思います。逆にいうと、飛躍した思考なら誰でも出来るわけです(笑)。しかし、TS に比べると TG はまだ先行きの道のりが長いので、その飛躍の間を埋める思考が必要なんですね。だから私としては、彼女には既存の対抗主義なんか当てにしないで、 TG が TG として受け入れられるための、TG 独自の思想を打ち立てる方に向って欲しいと思っています。もちろん実際にどうするかは彼女自身が決めることですが、少なくともそれが出来るだけの知識と能力のある人だと思う。その意味でも、確かに、現在の状況はけっして望ましいものとはいえませんね。
