from 福田さん (2001年12月29日 11:42)
わたしの場合、読みながら考えていることを、ひとまずは書き留めないと、どうにもこうにも文章を形成することができないと言う癖があります。ひとによっては、ここら辺のステップをとばしてもまともな文章が書けてしまうみたいですが、どうにもこうにも、わたしにはそういうことができません。書き留め法でやると、本体の文章のある地点(時点)の、感想であるわけで、本体の文章(いま読んでいる最中の文章)のもうちょっと後ろの方に、その(わたしが持った)感想に対する答えがちゃんと書いてあるという場合もあります。
で、まあ、
今回は、2、書き留めた文章をそのまま書くという方法で、投稿したいと思います。
というわけで、
●「個性」とは何か──の感想。(文体不統一)
要するに、「安心したい症候群」なんだよな。
しかし、安心したいのだから、不安なのだ。
その不安とはなにか。
マルマルは個性だといういい方に対する、違和感は、わたしにもあります。
マルマルも個性だという言い換えですが、これは、確かに、むなしい。
教育現場においても、点数の差を個性だと言いたくなる部分があるわけで、どうして、それほど相対化しなければならないか。相対化すると一瞬は安心するのだけど、しかし、自体はかわっていないわけだから、かわっていない現実と直面し続けることになる。「まるまるは個性だ」といういい方で、ごまかしが利くかというと、実際には利かない。利かない、現実がつらいからやはり、「まるまるは個性だ」と表明しなければならなくなる。
(「子供達の間に優劣はない、ただ『個性』だけがあるのだ」と言いたがるひとは)本当は差と、差の意味を直感しているのだけど、そいつを出すと自分が差別していることになるし、そのような差を容認していることになるし、そのような差を容認している社会を容認していることになる。だから、「子供達の間に優劣はない、ただ『個性』だけがあるのだ」といういい方で、相対化しようとしているのではないかということですね。同感です。
ぼくには、安心したい症候群のひとたちの気持ちがわかる。それは、そうなる。
教室で教師が言う場合と、点数が低い生徒本人が言う場合、は多少違うな。いいや、意味は同じだけど。
教師が相対主義的なことを言う場合はもちろん、もう一個、屈折しているのだ。この屈折が歯切れの悪さというか、虚無感というか、そういったものを生み出してしまう。
マルクス主義のたとえを使うと、資本家が、労働者の立場を代弁するようなことになる。当然、多少後ろめたい。ということで、もう一個多く屈折する。
「子供達の間に優劣はない、ただ『個性』だけがあるのだ」という考え方を表明してしまう教師と、「子供達の間に優劣はない、ただ『個性』だけがあるのだ」という考え方もあると紹介する大学の講師とでは、大学の講師の方が、もう一個守られているのだ。
「n個の性」というのは、確かに、「ロジカルに生み出された性概念」だ。
相対化したいだよーー(叫ぶ)。
ひとまず、相対化して安心したい現実というのはなにか?
言った後に落ち着くかというと、落ち着かないのだ。落ち着くはずがない。たぶん、むなしいのではないか。
けど、むなしいことをいってもうけているやつもいる。もうけてる、は言い過ぎか。まあ、確かに、いっているひとの背景も考えなきゃな。たぶん、言ってもなにもかわらないから、切迫感があるとは思うのだけど。
問題は、相対的な言語を弄した後に、いい気持ちになれるかどうかだよな。たぶん、なれない。
なるほど、相対的ないい方というのは、ふたに使われるわけか。問題にはふた、ってやつ。しかし、「ふた」ほど明確なわけではない。というわけで「まく」みたいなものだ。薄い膜。薄い膜を掛けた後、事態が好転するかというとねぇ。
●「国」を越える「公」──の感想
おおやけとねいしょんすていとでは、たしかに、食い違うな。感覚が。
おおやけをすくいあげることができなかったんだな。明治から。
藩と国
国と世界
のシフトだけど、これは、ぼくも考えた。
司馬遼太郎の『項羽と劉邦』を読んでいたときに考えたから、ひょっとしたら、そんなことが書いてあるのかも知れない。(じつは、『項羽と劉邦』の方が『龍馬がゆく』よりも思い入れがあるんだよな。おおうけしているのはいやだったんだろうか。)
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ではでは。
人間は、一生に一度も不安を感じないという事はまずないでしょう。そうである以上、不安の解決を求めるということ、それ自体は当然のことだと思います。だけど、動機が理解できるということと、手段を肯定できるというのはまた別問題で、「○○は個性だ」という言い換えは、実は何の解決にもなっていない。不安からの逃避行動にしかなっていない。そういうことだと思うんです。福田さんの言い方でいえば、不安を隠蔽するための「ふた」ないし「まく」でしかないわけですね。
この「不安からの逃避行動」は、現実はどうあれ、言葉の上で何か言えれば、それでなんとか安心出来るという、一種のパーセプション・ゲーム(perception game)の形を取ります。言説上で安心出来る擬似的な世界を構築して、そこに逃げ込む。その擬似的な世界は虚構に過ぎませんから、それが崩壊しないように仲間内で相互に世界確信の強化に努める。その結果として、現実離れした排他的・閉鎖的な集団が出来あがる。「開かれた言語ゲーム」から遠ざかり、「関係の病」に陥ってしまう。そういう構造になっていると思います。
それから、
についてですけど、「すくいあげることができなかった」というよりは、当時は「国」の規模での「公」の意識が、民衆レベルには存在していなかったんだと思います。「藩」とか「村」とか、もっと狭い範囲での「公」の意識はあっても、「日本」という(当時としては)広い範囲の「公」の概念は持ちにくい。例外として、読書階級の一部には「尊王」という抽象概念を通して「日本」を考える契機がありました。その中からいわゆる「志士」なんかも出て来るわけです。もうひとつは商人ですね。政治的な関心は薄くても商売の必要上、流通を通じて頭の中に「日本」の地図を持たざるを得なかった人たちです。
でも当時の人口の少なくとも8割以上を占めていた農民に「日本」を意識しろといっても無理でしょう。それは彼らが蒙昧だったからではなくて、彼らの生活の中にその必要がなかったからです。強いていえば、特定の地域にはそれがあったかも知れません。国内貿易で取引の対象になるような、商品作物を作っていた人たちの中には、上の商人と同じ理由で「日本」という概念がぼんやりとでも、出来あがりつつあったかも知れませんね。
明治になって「日本」という「公」を作ろうとしたときに、その理論的なバックボーンになったのは、経済から発生した「日本」概念ではなく、「尊王」の方でした。そのベースになったのは、中国由来の朱子学です。ただし、中国皇帝ではなく日本の天皇を中心とした世界観を作らなければなりませんから、日本の独自性をいう国学が加味されます。そのために、語弊を恐れずにいえば、とてもつまらない国家になった。
誤解のないように書いておきますが、私は天皇制を否定したいわけではありません。それは日本の習慣として続いてもよいと考えます。ただ、天皇を国家原理として扱ってしまうと、近代国家にならないわけですね。天皇というのは本来、権力ではなく権威です(その点で、中国やプロシャ、ロシアあどの皇帝とは本質的に異なります)。それはどういう権威かというと、要するに日本中を擬似的に大家族・血縁社会とみなして、天皇家がその本家にあたるという考え方です。日本人がかつて家系にこだわったのは、中国のような儒教社会における祖先祭祀の必要からではなく、天皇という「大本家」から見て自分の家がどの程度の「分家」なのかという、その位置付けのためですね。いいかえれば、天皇が権威であるということは、日本社会の秩序の基準という役割をなしてきたということです。
ですが、近代市民国家というのは、血縁や民族、宗教などに「関わりなく」市民として平等だということを原理としています。言い換えれば、国家は血縁や民族、宗教といった小共同体に対して、ある意味で「超越した存在」でなければならないということです。天皇の存在を社会の秩序の基準とみなすことは、人々の日常感覚としては、今後も存続してもよいと思います。だけど、そのことと国家の原理とは、明確に区別されなくてなりません。両者は別次元の問題であって、混同してはいけない。現実的条件としての必要性があったとはいえ(それは認めますが)、国家原理という観点から言えば、明治国家はその区別を明確に出来なかったという点において躓いていたと思います。
