コモリレス2


from 小森さん (2001年05月09日 22:28)

わしの父親は、30分一緒にいれば30分怒り狂うというような状態であった。もう、次から次へと訳の分からんことで怒り狂うのである。しかし、本人はその時、訳が分からないことで怒り狂っている気持ちはないわけで、死にものぐるいになって怒り狂うほど大切なことなのだ。コップと言えば、「コップで水を飲んだ」といって怒り狂われたこともある。わけがわからん。たまたま、その日はカレーだったから、母親が、コップに水を入れてもってきたのだろうけど、それが気にくわなかったんだな。猛烈に怒り狂う。で、また、どれだけ怒り狂ったって、あたりまえなのだ。「なんだってそう」「どこだってそう」なのだ。で、怒り狂った途端に(爆発した途端に)爆発したことになっていないのだ。「そういうことで怒るのはやめてくれ」ということを言えない。言えば、「やってないやってない!!」で、わーーーっと同じように発狂しておしまいだ。「やってないやってない」と騒いでいるときは(まさしく絶叫)やってないつもりなんである。「やってない」自分に、相手がいちゃもんをつけてきた、という感触しかない、らしいのである。「わけのわからないいちゃもん!

(※神名註:この部分判読不能、文字化けか?)

ともかく、こう言うことで「狂っている」やつは、そこでだけ、狂っているわけではなくて、系をなして狂っているのだ。(いろいろと侮辱的なことをしてくる。しかも、侮辱的な事じゃないのである。だから、自分が侮辱的なことを(相手にしたから)それ相応に相手が自分を恨んでいるとか、そういう気持ちは持ちようがないのである。無視すればよいと言うような問題ではなかった。もちろん、無視はしていたし、無視するしかほかに、方法はなかったが。あにきは、きち○○親父を「無視」して、おれも無視した。(自分はひとりだ)と思ったらしいのだ。しかし、もちろん、「無視したから」どれだけヘビメタを鳴らしてもいいと言うことにはならないのだ。しかし、あたりまえのように、鳴らされた。一日10時間はあたりまえなんである。俺は、毎日がきつかった。朝が、きついのである。7時間鳴らされた、次の日の朝がきついのである。全部、俺にかかってくる。しかも、1年や2年の話じゃないのである。


ぼくの場合、共通了解というのは、↑こっち方に進んでしまって、社会運動の方には進まない。
社会運動の、気持ちがあるかというと、濃厚にあったやつで、社会運動の問題も一応わかっている。(神名さんが「マルクス主義的」という言葉で表現している方の問題も、わかる。しかし、それに関してはぼくのほうでは決着が付いていて(それは、ようするに、マルクス主義的な権利闘争ではどうにもならん、という意味で決着が付いて)棚上げ状態なのである。そっちの方の問題を取り上げるとするならば、貧富の差と教育制度(教育機会)の問題になってしまうのである。ぼくのばあい。
しかし、女性の権利運動やマイノリティの権利運動の理論的な問題点や、実際の限界もわかるのである。
欲望論へと向かう道筋もわかるのである。

欲望論が、共通了解かというと、そうではないのだ。
それから、野球のルールのたとえは、(もちろんたとえであるわけど)ちょっとあまいのではないかと思ってしまうところもある。いきなり三塁の方に走るルールを採用しているところと、一塁の方に走るルールを採用しているところが、2対8で分かれていたら、三塁の方に走るルールを採用しているところは折れざるを得ないのではないかと思ってしまうのである。かなり自由で、うろうぼえで、参加者が、みんな同じ資格で参加しており、その都度、ぶつかって作り上げていくというような感じはわからないのだ。それは確かによい。しかし、
参加者が、こうしようああしようということを、話し合えるような状態からはじめているのではなくて、けっこう、決まっているところで、さらにゲームを押し進めているような感じがしないでもない、のだ。(最初の例(2対8)は、なんというか、地域的なもので、あとの例は、なんというか、一個の野球場での話であり、なんというか、話が違ってしまっている部分もあるのだけど)。

それから、とりあえず、マジョリティのほうは、マイノリティーのほうのいうことを(ひとまずは聴いて)ルールを場合によっては変えるような「欲望」があるのかどうかなのだ。マジョリティ(といってしまうが、これは、適切ではないかもしれない)にしてみれば、自分たちのルールでやっていきたい欲望はあるかもしれないけど、(なんらかの困った状態にならない限り)マイノリティのルールを聴いて、それにあわせるというような、自発的な欲望はないのではないかと考えてしまうのである。

最初に言いたかったことは、初期値の問題なのである。
二番目に言いたかったのは、とりあえず、そのルールでうまくやっているひとたちが、ほかのルールを認めることに、なんの徳があるだろうと言う問題なのだ。


共通了解の成立条件

それから、とりあえず、マジョリティのほうは、マイノリティーのほうのいうことを(ひとまずは聴いて)ルールを場合によっては変えるような「欲望」があるのかどうかなのだ。マジョリティ(といってしまうが、これは、適切ではないかもしれない)にしてみれば、自分たちのルールでやっていきたい欲望はあるかもしれないけど、(なんらかの困った状態にならない限り)マイノリティのルールを聴いて、それにあわせるというような、自発的な欲望はないのではないかと考えてしまうのである。

 これは、全くその通りだと思います。ただ、こうした「ルール変更に向う欲望」は「ある/ない」の問題というよりも、そういう欲望が生じるとしたら、どれはどのような条件においてなのか、という、その条件を考える事が必要なのだと思います。それから、「ルール変更に向う欲望」に成立条件が条件があるということは、「ルール変更に向う欲望」は思索の底板をなしているような種類(レベル)の「欲望」ではないということですね。つまり、「欲望」と呼ばれるすべてのものが「うちどめ概念」の資格を持つわけではないのです。

 野球のルールでいうと、アメリカで野球が発生した当初は、バットは平らな木の板だったとか、タッチアウトではなくランナーにボールを投げてぶつければアウトに出来たとか、今とは違ったルールがあったわけですね。でも、どういう経緯があったのか、用具やルールが工夫された結果として、現在の野球があるわけです。では、現在の野球のルールが絶対かといったらそんな事はなくて、もちろんプロ野球や高校野球のような場面に限ったら別なんですけど、そうじゃなければ、5人対5人で「三角ベース」をやってもかまわないわけでしょう(参加者の合意さえ得られれば)。そうした「変則ルール」が普及したら、それはまた別の種目の競技として定着する場合だってあります(ソフトボールのように)。

 野球なら野球のルールは、あらかじめ野球という種目に内在しているわけではなくて、プレイをしていて「面白い」と感じられるかどうかを追求した結果、作り上げられたわけです。だから、人数が少ない、場所が狭いなど、異なる条件のもとでは、その条件下で「面白い」と思えるようにルール変更してもいい。この場合「面白い」を追求するという事が、野球のルールを支える「欲望」になっているわけですね。だから、皆が「それは従来のルールよりも面白い」と思えるような提案が出たら、ルールを変えても構わないわけです。

 マジョリティが「マイノリティーのほうのいうことを(ひとまずは聴いて)ルールを場合によっては変えるような『欲望』」が生じるとしたら、それはどういう場合でしょうか。一つは、この野球の例のように、

です。それから、

ですね。つまり、ルール変更を受け入れようとする「欲望」は、よりよいルールを求める「欲望」、あるいは他者とよい関係を持ちたいという「欲望」など、他の「欲望」に支えられて初めて成立するわけです。逆にいえば、そういう前提条件としての「欲望」がなければ、ルール変更を受け入れようとする「欲望」も成立しない。もちろん「マジョリティはマイノリティーのいうことによく耳を傾けましょう」んていう話でもありません。

 だから、例えば性同一性障害の当事者が性転換を望んでいるけれども、家族が強く反対しているという場合、これはお互いに「性転換を選ぶか・家族を選ぶか」とか「性転換を認めるか・当事者を家族から排除するか」の二者択一の問題になります(とりあえず、ここでいう当事者は成人しているという前提で話を進めます)。

 この場合、相手が自分(自分達)の主張に同調してくれたら問題はないわけですけど、あくまでも自分の主張を通したいのに相手がをれを受け入れない場合には、家族という関係を解消してしまってもよいと思う。なぜなら、この場合には、家族(または家族の一員)を失いたくないという気持ちよりも、自分(自分達)の主張を堅持する気持ちの方が強いということですから、法律上はどうであれ、すでに家族としての精神的な結びつきは失われているか、せいぜい優先順位の低いものとしてしかみなされていない事を意味するからです。「家族」を維持したいという「欲望」が、別の「欲望」に負けている状態なんですね。別に性同一性障害に限らず、様々な親子間の葛藤とか、離婚なんかは、皆このパターンでしょう。

 だから、欲望論が共通了解ではないというのは当然の話で、共通了解が成立する条件として、相手と今後も上手くやって行きたいという「欲望」が必要だということなんです。そう思えない相手とは共通了解が成立しない、あるいは共通了解を成立させようという気にもなれない。だけど、今後もその相手と付き合って行きたいと思うなら、それなりの譲歩もしてしまう。人間って、そういうものではないでしょうか。

L.Jin-na


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