from ひろかさん (2001年05月21日 22:28)
さて,せっかく書き始めたのでもう少し話を進めていいでしょうか?
| > | 私が、戸籍訂正を含めた様々な T's の問題について、「既存のジェンダーを巡る議論との関わりは避けられない」と思うのは、それがごく日常的な生活場面の問題につながっているからなんです。<略>些細なことまで、いろいろな可能性が閉ざされているということがあるはずなんですね。それは普段は意識しないような、日常の生活面での様々な事柄について、かなりの割合でジェンダーが関係しているという事実とつながっています。 |
もっともだと思います。でも(と食い下がるのもなんだかヘンですけど),
| > | MTF の場合でいうと、フルタイムの TG や TS が化粧をし、スカートをはいて街を闊歩していて、それが認められるのは、別にジェンダーフリーが実現しているからというわけではないでしょう。 |
まさにそこだと思います。そしてこの神名さんの弁がよく言い表してくださっていると,わたしは思います。でも,
| > | 女性が女性として当然の姿で歩いていると思われているだけですし、また当人もそう思われたい、ということだろうと思うんですね。 |
はまさに「既存のジェンダー」を踏襲するものなのではないかと思うのですけど,どうでしょうか?
わたしだけの感覚という人もいるかもしれませんけど,要は「既存のジェンダー」にはまれればそれで十分と感じるのが MtF GIDだと思います。性同一性障害はとかく SRSを意識しつつ論じられがちですけど,根本では,実のところはすごく漠然としたものなのでしょうけど,生れの性別に帰属感が持てないのみならず,人によっては幼い頃から,別の人では RLEを通してでも,生まれとは逆の性別への帰属感を持ってしまうことだと思います。簡単に言ってしまえば(MtFの場合)「○○子ちゃんと同じ」みたいな感覚(あえて"ジェンダー強調"の名で例をつくりました)。
極端な話がその帰属感が公私にわたって認められているとき,SRSへの危急的な願望はいくらかでも先送りできるような気が,何人かの事例を眺めていて,することがあります。本人たちは,公の場面で自分の感じる性別と認知されていますけど,別の側面,プライベートももちろんあり,その面での生れもった性器についての煩わしさはついて回りますから,SRSを望みやめることはできないかもしれませんけど,現代人が社会帰属を一義として生きている以上,「公>私」的な立場を取らざるを得ない場面が多いと思います。ありていに言ってしまえば金銭を裏づけとして生きざるを得ない現代,「生きること≒稼ぐこと」,「生きていてナンボのもの」ってなればみんな社会参加をするでしょう。
長いものに巻かれ,大樹の陰に寄るのもたぶん厭わない。というか不自由は感じないと思うのです。そんなとき「既存のジェンダー」もまたしかりだと,わたしは思うのですが……。
ただ,ひとつ付け加えるなら,MtF GID者が「女性として」,極端にはラディカルフェミニズムに寄ることも決して妨げられるべきではないとも思います。あくまで「女性の一員として」(つまりその性別帰属感と認知を確固な物にして)。
おっしゃる通りです、すみません。これは私のミスです。早速、訂正させていただきました。
さて、本論に入る前に、ちょっと確認しておきたいのですが、ひろかさんは、真樹子さんの、
| > | 既存のジェンダーを巡る議論との関わり |
を、どのような意味で受け取っていますか? この表現は、
の、少なくとも2種類の解釈があると思うんですね。「既存の」という言葉が、「ジェンダー」にかかるのか「論議」にかかるのかで、意味が違ってしまう。
ひろかさんの解釈は「既存のジェンダー」とカッコでくくっているくらいですから前者だろうと思うんですけど、私の解釈では、真樹子さんはおそらく後者の意味で書かれたのではないかと思うんですね。つまり、性差の存在を前提として性別変更を認めるべきだという意見を展開する事は、既存の「ジェンダーを巡る議論(性差否定論)」との関わり(根本的な意見対立)を招きますよという意味で書かれたのではないかと。
それで私の解釈では、真樹子さんは「それでは当事者コミュニティはともかく多くの支持を得られないと思う」と言いたかったのではないかと思うんですね。「ナントカ論」のような形を取る言説としては、確かに性差否定の意見は声が大きいから、このような危惧を持つ人がいても不思議ではないと思いますし、これはこれで一つの意見だと思います。
ただ、それでは大多数の人が性別の違いについて何の実感も持っていないのかといったら、私はそんな事はないと思うんですね。「既存のジェンダー」は人々の実感の中でそれなりに根付いているし、これまでの戸籍訂正に反対する意見の多くは、性差否定を根拠としたものではなく、むしろ性差を絶対化しすぎる側から「性別の固定の主張」という形で出ていると思うのです。
こういう意見に対しての私の反論は、
の3点にまとめる事が出来ます。「反論」と書きましたが、これは「ジェンダーレベルの性差を認める」という意味では、「性差を絶対化しすぎる人たち」と同意見です。実際には、認めるも認めないもなくて、上に挙げたように、「ジェンダーレベルの性差が存在しない社会」など古今東西どこにも存在した事実はないわけで、その現実をありのままに認識しようということです。ただ、ジェンダーとセックスとの結びつきを無条件に絶対化することなく、数万人に一人くらいの割で緩めて欲しいということですね。
私が書いていることは、まさに「既存のジェンダー」の踏襲です。「可能性をめがける」という人間に普遍的な在り方が、GID 当事者において阻害されているのは、まさに当事者が自分の性自認のジェンダーを踏襲しているからなんです。それに対して、性差否定論者は「ジェンダーの再生産」等の非難を浴びせるでしょう。ですが、私達に必要なのは、こういった一部フェミニストに対する無条件降伏ではなく、世の多くの男女と同様に自分(達)の可能性を追求する事だと思います。私達には、自分達の可能性を放棄してまで「彼らの正義」に殉じなければならない理由は何もないからです。
それで私は昨日、
等と書いたわけで、これはひろかさんの考えるところとそれほど違わないのではないかと思うんですね。
| > | ただ,ひとつ付け加えるなら,MtF GID者が「女性として」,極端にはラディカルフェミニズムに寄ることも決して妨げられるべきではないとも思います。あくまで「女性の一員として」(つまりその性別帰属感と認知を確固な物にして)。 |
フェミニズムどころか「イワシの頭」でも、「信じるだけ・寄るだけ」ならその人の自由ですから(^^;)、「ラディカルフェミニズムに寄ること」を妨げはしませんが、問題は「自分が GID である」という自覚と、「性差の否定」を主張する実践とが、「その人の中でどのように折り合っているのか?」ということなんです。
これが例えば、昔の婦人参政権の問題だとか、現代の雇用の男女間の不平等といった具体的な問題に関するものであるなら、そういった問題の解決を求める事と、当人が GID である事とは、別に矛盾しませんよね。ですから、そういう場合には問題ないのですが、ラジカル・フェミニズムのように性差否定の度が過ぎると、「だったら何故あなた自身は GID という形で性差にこだわるのか(あるいは、こだわったのか)」という話になってしまう。その自分自身の内側の矛盾も解決できていない人に、他者に向って性差否定を押しつける権利はないでしょう。
「GID当事者として」ではなく「女性の一員として」押しつけているのですと言われたって、納得する人がいるはずがありません。そういうのは誰でも「ずるい」と思うでしょう。なぜなら、どのような立場をとるにせよ同一人物である限り、「その人の中でどのように折り合っているのか?」という問いは常に付いて回るからです。
つまり、ラジカル・フェミニズム(およびその他の性差否定論)に「寄る」のは構わないとしても、その主張を他人に押し付けるのは、せめて自分自身が抱えている矛盾を解決してからにしてくれ、という事です(もっとも、今までこの矛盾を解き得た GID 当事者は、私の知る限り一人も存在しませんが・・・ ^^;)。
また、もし「矛盾の解決など大きな世話で、何を主張しようとその人の自由と権利の問題だ」という事であれば、「それに反論し矛盾を突くことはこちらの自由と権利に基づくものである」ということになります。
| > | もし GID者の,戸籍上の続柄の書き換えの可能性が戸籍法113条のみが根拠であるとしたら,その条文が「訂正」以外の措置を準備していないのは,これ(神名註:「立法の不作為」のこと)に当たらないのでしょうか? |
という、ひろかさんのご意見について、という事ですね。ひろかさんは、ここに引用した部分のもう少し後の部分で、
| > | しかるに,立法府は今のところ何もしていない。 |
と述べられているのですが、それでは例の与党議員らによる「勉強会」は、ひろかさんの中ではどういう評価になっているのでしょうか。「何もしていない」というのは言い過ぎで、私は「何かしようにも知識がないから、まず性同一性障害について学んでいるのだ」と理解していますが・・・。また、
| > | 司法は当事者の「訂正」の許可を求める申し立てを立て続けに却下し,結果,当事者は国の整備する書類を根拠に不利益を与えられている |
という見解についていえば、家裁での決定に不服がある場合には控訴・上告という手段が用意されています。もしこの見解に見込みがあると考える人がいたら(司法がこの見解を認める可能性があると判断したら)、とっくに控訴に及んでいるのではないでしょうか。
以下は私見・・・というよりも、単なる「空想」という方が正確でしょうけど、私が気になるのは、例の「SRS を終了した性同一性障害の当事者6名による、今月24日の戸籍の性別の訂正の一斉申し立て」です。「一斉申し立て」というからには誰かが「音頭取り」をしているはずなんですけど、その誰か(個人であれ団体であれ)が見当たりません。これはとても不自然なことですね。この報道のニュースソースは、どこなんでしょうか。通信社に情報が送られたのであれ、記者会見が開かれたのであれ、それをやった「誰か」が存在しているはずなんです。
それで、これは誠に不謹慎ながら「もしこうだとしたら面白いな」という程度の「妄想」ですけど、例えばこの「一斉申し立て」と同じ24日に「性転換法(仮称)」の法案が国会に提出されるとしたらどうでしょう。そうなれば、両者がリンクして報道されることも予想されますから、世間に対しても司法に対しても、さぞかしインパクトを与えるだろうなと思うんですね(笑)。
ただ、私は今の国会の会期を知らないので(をい ^^;)、もしあまり残りの日数がないようなら、よほどの成算がない限りは無理でしょう(未成立で会期が切れると自動的に廃案になってしまいますから)。でも、南野議員(現・厚生労働省副大臣)は臓器移植法のときも粘り強く取り組んだ実績のある人ですし(参考『脳死と臓器移植法』)、たとえ今国会ではだめだとしても、南野議員がこの問題に取り組んでいる限り、私は立法の可能性について割と楽観視しているのです。
ちなみに、この『脳死と臓器移植法』(中島みち・文春新書)は、性同一性障害とは直接の関係はありませんが、法律の成立過程を知る上でも、南野議員のその際の取り組みを知る上でも「お勧め」です。
