本質直観について


from mori さん (2001年07月04日 23:47)

神名さん、こんばんわ、moriです。
「「本質直観」と「内観法」」のお返事、ありがとうございました。
神名さんの思索体験がよく理解できました。

■その中で、「「ありのまま」に見ようと思ったのですが・・・「ありのまま」とはどういうことなのか、という疑問が起きました。」という神名さんの表現は、実によく分かりました。このこと(ありのまま)に関しては、私も時々、同じような経験をしました。
本当に、何が「ありのまま」なのかが分からないことが多いですね。

■さて、本論の「「本質直観」と「内観法」」です。
神名さんが「『哲学的思考 −フッサール現象学の核心』(西研・筑摩書房)の142ページ「4.心理学的−現象学的還元」以降をお読みになれば、両者の違いはかなり理解出来るのではないかと思います。」ということで、142ページ以降を一寸読んでみましたが、表現が難しくて、十分には違いを理解できませんでした。
●両者のやり方は似ているようですが、どうも、狙いが違うような気がしました。
やはり、途中から読んだので、理解が不充分であったのかと思い、最初から読み直し始めた所です。

■私も本で読んだだけですので、もう「内観法」のことは忘れることにして、これからは、西さんの『哲学的思考』を読み、又9月からの西さんの「現象学講座」を勉強して、なんとか、本質直観を活用できるように頑張ってみるつもりです。
今後ともよろしくお願い致します。以上


「本質直観」と「内観法」

 「本質直観」と「内観法」では狙いが違うのではないかとのことですが、少なくとも「現象学」と「内観心理学」との比較で言えば、まったくその通りだと思います。

 ではその違いは何かというと、フッサールのいう「学の基礎付け」です。つまり「内観心理学」では憶見(ドクサ)を排除して認識そのものを取り出すわけで、その点は「現象学」でも同じなのですが、「現象学」ではその認識の妥当性の根拠をも掘り下げて問うわけです。そこで、両者の射程の深さに違いが生じるのだと理解しています。

 「本質直観」というのは、私の理解ではこれは技術(アート)であって、剣術と同様、その原理を理解するだけではなく、実際にやってみることで身につけるものだと思います。ですから、mori さんのようにある程度以上の理解を得られた方は、テーマを決めて実際に試みてみるのがよろしいかと思います。

 テーマとしては、このHPにも掲載している「無意識」「身体」「現実」などの他、様々な感情(なつかしさ、あこがれ、恥ずかしさ、etc.)などがあります。また、「スポーツ、ゲームにおける規則の存在理由」でも、まず「ゲームとは何か」を本質直観することから答えを得ています。

 私の場合には最初は独習だったのですが、これは出来ることなら、少なくとも最初の内は何人かで意見の擦り合わせをしながら進めて行くほうが面白く、学ぶところも多いと思います。また今度の9月の講座の合宿でもその機会がありますので、その節はよろしくお願いいたします。

L.Jin-na


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