最近のことなど


from 純子さん (2003年10月06日 13:30)

 神名龍子さま、お久しぶりです。お元気ですか?
以前、新宿の某お店を止めたときに、仏壇の花を贈られてしまった純子でございます。
 なにやら T's の世界は思いっきり「政治の季節」を迎えているみたいですね。龍子さんもいろいろと巻き込まれているみたいで、ご苦労がしのばれます。
 私といえば、ここんところ仕事の合間にはじめたバレエのレッスンにはまってしまって、バレエ教室という、超「女の園」(爆)で政治にも T's にも関係のないところでバタバタしています。経済的にも、時間的にも、とても政治の世界にまで足をのばすゆとりがない。周りの女の子たち(社会人クラスなのでやや年輩の方もいらっしゃいますが、気分はみんな十七歳ということで……)は、みんな見事に踊るのに、私ときた日には「瀕死の白鳥」というより「溺死の白鳥」といった風情でジタバタジタバタしています。「だれ!、白鳥の湖に中性洗剤を撒いたのは!」
 ちなみにバレエの世界では、ポワント(トゥシューズのことね)が履けるというのは、武道の「黒帯」みたいなところがあって。「まあ、お姉さま、ポワントお履きになっていらっしゃるんですが?」なんて、思わず言葉使いが敬語になったりして。ちなみにそこまでいくのには早い人でやっぱり二年くらいかかるそうで。う〜む私の運動神経だと、一生無理かも……。くそ、負けるもんか、絶対、ポワントを履くまでやってやる。(現在の目標)

ところで、話は唐突にかわりますが、

 最近、【日本の選挙】加藤秀次郎著、中公新書という本を読みました。
 タイトルからして非常に地味な本で、選挙に関しての常識的な知識を仕入れたいと思ってなにげに手にとってみたのですが、これがなかなかどうして著者の情熱を感じるいい本でした。単なる選挙制度に関する解説本というより、選挙という普通選挙制度をもつ国家の住民なら誰もが行う行動と通じ、現在の高度な政治学上の学説と現実の政治の関係に関して考察してみました。という風情の立派な著作です。
 特に私がインスパイアされたのは、政治における多数派と少数派をどう考えるかという問題でした。T'sはもちろん少数派なんですが、その少数派が自分の権利を守るためにどういう戦略をとっていくか考える上ですごく参考になると思います。

 あ、それとマイノリティ問題に関しては
 最近ビデオレンタルが開始された【ギャング・オブ・ニューヨーク】(デカプリオ、太ったなあ)を先日、借りてきて視ました。
 南北戦争の頃のニューヨークのスラム地区を巡ってのイングランド系移民のギャング団とアイルランド系移民のギャング団の抗争に1863年起きたニューヨークで起きた4日にわたる徴兵制度反対の大暴動をからめた映画なんですが、歴史年表をわきに置いて見ていると、これが結構、面白かった。
 父親をイングランド系ギャングに殺されて孤児になった主人公(デカプリオ)が孤児院で成長するんですが、その間に「ペリーが浦賀にきてるな」とか「咸臨丸がアメリカ行ってるんだよなあ」とかぼんやり考えながら視ていたんです。
 孤児院を卒業したデカプリオ演ずる主人公は、親の仇討ちをするために自分の出自を隠して敵のボスの手下になるんですが、これが清水の次郎長の子分、森の石松が死んだ年なんですね。
 当時のニューヨークで火事がおきると、消防団がかけつけてくるんですが、隣の区画の消防団もきちゃうと消火活動そっちのけで消防団同士で喧嘩が始まってしまう。(「め組」と「ろ組」がケンカはじめちゃったよ〜)そのすきに主人公が火事場泥棒するとか。
 それで主人公は敵のボスに気に入られて、どんどん出世するんですが、いよいよ暗殺というところで、正体がバレてしまって、返り討ちにあってしまうんです。(長州藩、下関で外国船を砲撃、高杉晋作が奇兵隊を組織)
 でもなんとか生き延びて再起。再びアイルランド系ギャング団を組織して、いよいよ親の敵の組織と対決することになるんですが、ちょうどその日、唐突にニューヨークの貧民街を中心に全市で大暴動(血税一揆だぁ)が発生してしまうんです。
 まあ、徴兵免除のための300ドルも払えない貧しい人たちや、移民船でアメリカについたばかりの言葉もろくに知らない人たちが、いきなり南部につれていかれて、みんな死体で帰ってきちゃうんですから、そりゃ怒るわなぁ。「リンカーンのくそ野郎くたばれ!」感じになってしまうわけです。
 それで暴徒たちは自分たちが徴兵されるのは黒人たちのせいだとばかりに、黒人の住んでる地域を襲って殺し始めてしまう。(おいおい!)
 警察も暴徒を鎮圧できなくなり、軍隊(北軍、最高司令官はリンカーン)に出動を要請。軍は暴徒鎮圧のために、軍艦がイースト川から、暴徒めがけて艦砲射撃してしまう(いやあ、すごいな人民の人民による人民のための政治って!)
 そうなるとギャングたちも抗争どころじゃない、砲弾をかいくぐって逃げまどうんですが、暴徒と間違われ、軍隊にどんどん殺されていってしまう。主人公はなんとか生き延びて親の仇を打つんですが、騒動が終わったあと、累々と横たわる死体の山を前に「もうイングランドもアイルランドも、敵も味方もねえよなあ」とため息をつく……。そうやって、死んでいった多くの人たちの犠牲の上に、現在のニューヨークの街ができあがったのです、終わりという映画でした。
 ちなみにこの暴動のあった翌年、池田屋を新撰組が襲撃、禁門の変が起こり、第一次長州征伐が始まると……。
 う〜ん、歴史年表を参照しながら視ていると、アメリカの歴史と日本の歴史が妙にシンクロしていて、近代国家が始まるってこういうことなんだなあと、感慨深い思いに浸ってしまった映画でした。

 そういえば、昔、「TS原理主義」がどうしたの「ジェンダーフリー」がどうしたのと、狭いマイノリティ集団の中でいろいろやりあったものですが、今となってはどうでもいいというか。今の自分の生活が大事になってしまいました(笑)。
 歴史の流れってそういうものなんでしょうか。それとも、単に歳をとっただけ……。
まあ、いいや、バレエのレッスンに行けば気分は十七歳だし……。

 ということで最近の近況報告でした。


自営の「護民官」として

>以前、新宿の某お店を止めたときに、仏壇の花を贈られてしまった純子でございます。

 いや、あれは…ね、花束を買ってきたのは○○○ちゃんなんだってば。私は照明を落とした暗い店内で、それと知らずに手渡しちゃっただけなんだってばぁ…(^^;)。

 んで、T's の方は、「政治の季節」というより、全体としてはむしろ「一段落」という感じではないでしょうか。まぁ、私が一線から退いてしまったからそう感じるのかも知れないけど(^^;)。そして、だからこそ対抗主義を振りかざしてアテがはずれた一部の人たちがボヤいてるという感じでしょうね。でも、私は相変わらず目が前を向いていて、とりあえず私の今の T's 関係の目標は、「年内に家族論をそれなりの形に仕上げる」です。

 中公新書では、私は最近、『福祉国家の闘い』(武田龍夫)という本を読みました。新刊ではなく一昨年の本ですね。「福祉国家」スウェーデンの惨状が、冷静な目を通して描かれています。「惨状」といっても昔からひどかったわけではなくて、近年の犯罪の増加や、福祉施設での様々な問題などについて述べられています。老人施設なんか、「公営の姥捨て山」ですね(^^;)。特にストックホルムの治安の悪さは、読んでいて意外なほどです。著者は、ニューヨーク並になったらお終いだと書いていますけど、実はニューヨークは90年代から治安の回復が進んでいるので、現在に限っていえばニューヨークの方が安全かもしれません(^^;)。

 それから、『人間にとって法とは何か』(橋爪大三郎・PHP新書)。先月の「お龍さんの徒然草」に書いた『なぜ私はここに「いる」のか』と同様、第2期人間学アカデミーの講演録です。これは終わりの方の、第11〜12章がおもしろかった。リバタリアニズムなんてのも押さえておかなくちゃならないなぁ、う〜む…。

 あと、『ハンディキャップ論』(佐藤幹夫・洋泉社新書y)。最初に書店でタイトルを見た時はゴルフやボーリングの話かと思い、「佐藤幹夫」という著者名でようやく障害者の話だとわかった。というわけで、タイトルには工夫の余地があると思えるものの(^^;)、内容はおすすめ。障害者と「向き合う」ということがどういうことか、よくわかります。

 もうひとつ、『自由を考える』(東浩紀/大澤真幸・NHKブックス)。これは先月「りゅこ倫」の「ポストモダン言語論の形而上学的性質」で取り上げた内田樹氏と同様の、ポストモダンの欠陥がモロに出ていました。内田氏が「言語と自由」というテーマで「自由の形而上学」を背景に展開しているように、東・大澤両氏も「権力と自由」というテーマで同じことをしています。東氏の『存在論的、郵便的』は面白かったのにな…。

 『日本の選挙』も近いうちに読んでみますね(^^)。

>そういえば、昔、「TS原理主義」がどうしたの「ジェンダーフリー」がどうしたのと、狭いマイノリティ集団の中でいろいろやりあったものですが、今となってはどうでもいいというか。今の自分の生活が大事になってしまいました(笑)。

 それでいいんじゃないでしょうか(笑)。それは歴史の流れというよりも、たとえ運動に加わるにしても、「社会正義の実現のため」とかじゃなくて、自分の生活が大事だからやるのが本当でしょう。それが基本だと思うんだよね。そういう「基本」が、日本の社会運動の中で長年に渡って忘れられていたんだと思います。

 それじゃお前はどうして未だに思想なんかやってるんだと言われそうだけど(笑)、私の中にはかつて叩き込まれた「護民官精神」が残っているからだと思います。それで今でも時々、「警視庁を退職して、独立してフリーの警察官やってる」なんて冗談言ってますけど(^^;)。

 昔、警備実施中に「なぜ私はこの社会を守るんだろう」と思ったことがあるんです。考えてみると、単に「職務だから」というのではない。なぜかというと、自分の中にそれなりに納得感があったからです。では、この納得感の正体は何かというと、この社会が正しい社会だからというのでは、全然ない(笑)。そもそも、何が「正しい社会」なのかなんて判らないわけですから、そんな理由で納得しているはずがありません。

 この納得感の根拠は、自分の含めて多くの人々が、この社会の中で「それなりに」暮らして行けるということなんですね。もちろんそれは、今の社会が完璧な社会だということを意味しなくて、解決しなければならない問題はあるわけです。ただ現状でも「それなりに」暮らして行けるということと、必要な解決や改革の可能性が開かれているということ。この条件がある限り、「この社会をぶっ潰してしまえ」という意見が多数を占めることはあり得なくて、それはせいぜ一握りの極左などが主張しているに過ぎないわけです。

 だからもし多数の人々が、このままでは明日の生活もわからないような状態に置かれて、どんな社会になろうと今よりマシだと思うようになったら、私も大塩平八郎のように(笑)、立ちあがるかも知れません。だけど、そうでない限り、問題解決や改革の可能性込みでこの社会を守ることが、人々の生活を守ることだと思った。いくら説明しても、誤解したい人はするんでしょうけど(笑)、国家が絶対的な正しさを握っていて、それを守るのだということではありません。だからあくまでも「護国官」ではなく「護民官」です。

 この意識が今でも続いていて、T's に関しても解決すべき問題はあるのだけれども、その解決は社会秩序の維持と両立できるし、両立しなければならない。もちろん純子さんは知ってると思うんだけど、これが私の、昔から一貫した基本スタンスです。とにかく今の制度をぶっ壊せばいいんだという、対抗主義にはまったくコミットできなくて、それでいまだにジェンダーフリー批判とかやってるわけです(笑 ^^;)。

 この「護民官」精神を失った厚生省(当時)が起こしたのが、薬害エイズですね。厚生省というのは、もともと戦時中に内務省から分かれて出来た役所です。その後さらに厚生省から労働省が分かれ、近年に再び合併して厚生労働省になりました。

 先ほど書いた「護国官」というのは警察官のような公安職だけではなくて、内務官僚は皆「護民官たれ」と教えられていたわけです。正確にいうと昔は「牧民官」という言葉が使われていて、戦後になって、国民を動物にたとえているようでよろしくない、ということで「護民官」になった。だけど、その精神は一緒です。「牧民官」の「牧」というのは、放牧という言葉があるように、放し飼いですね。対語は旧ソ連のような収容所国家で、これは「牧」ではなくて「ブロイラー」です(^^;)。それではいかん、と明治時代から言われてたわけですね。まぁ、それでもフーコーなんかに言わせれば「生の権力」とか言って批判するんだけど(^^;)、じゃぁ守るのやめた、とは言えないし、戦後になって時代が変わったから国民を守らなくてもいいんだ、というものでもない。

 ついでに書いておくと、内務省というのは悪の権化のように言われているけど、実は明治初期の設立時に一番強い権力を持っていて、その後は権力が低下の一途をたどった役所です(笑)。そのために、昭和初期には軍部に逆らう力もなかった。現在の内務省の評判の悪さは、特高警察の評判の悪さに由来するのだと思いますけど、でも一方で、地方行政なんかでは県民を守って奔走したり命を落とした人もたくさんいるわけです。

 だけど、厚生官僚はこの「護民官」精神を忘れて薬害エイズを引き起こしてしまった。今年5月の gid.jp のフォーラムの時に、薬害エイズの大阪HIV訴訟の原告団事務局長だった、家西悟代議士(民主党)とお話する機会があったんですけど、あの事件は、かつて厚生官僚と同じ内務省の系譜を引く役所にいた者としては許し難いと思う。「護民官」ということを思い出させなければいけませんよ。そう言ったんです。

 既に「官」を辞めた私が「護民官」であり続けようというのは、見方によっては一種の「ドン・キホーテ」ですよね。それはわかってる(^^;)。わかっているのだけれども、2つ見逃せないことがあって、ひとつは「護民官」であることを忘れた官僚の引き起こす災禍です。もう一つは、現在のジェンダーフリーのように行政に入り込んで人々の「意識」まで制御しようとする動きです。つまり、ブロイラーに詰め込まれたくなくて、頼むから「牧」の状態で置いといてくれということです(笑)。

 それから私は、皆が私と同じように考えるべきだとも思いません。こんなのは、私が好きでやってる役目なんだと諦めているところがあります。正直にいえば、でもやっぱりちょっとシンドイから、誰か代わってくれないかなと思うこともあるのだけれど、誰も出てこない(^^;)。

 これはやっぱり、自分自身の内側に動機がある、自分で気になるからやってるわけです。だから他の人も、それぞれ自分が気になることをする。自分自身に対する配慮は、自助努力が原則ですから、自分でしなければ誰もやってくれません。誰でも「今の自分の生活が大事」と思っていいし、それと同時に、他の人も「自分と同じように」そう思ってるということがわかればいい。そうして、個人の外側からの命令や要請で社会運動に駆り立てられたり、ブロイラー社会を目論む人がいなくなればいいと思います。

 だけど、いいなぁ…。私は剣術の稽古では「十七歳」の気分になれないからなぁ…(^^;)。

L.Jin-na


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