『新・西遊記』
前書き8/22 & 作者の懺悔の巻
さて、前回後書きで書きました通り、そろそろ文章形態の手探りは卒業して
執筆速度の上昇を目指す時期にさしかかっていると自覚しております。
しかし、第一回が三月初旬に筆を起こして完成が五月二十一日で文字数が38.599字、
第二回がOFF会から帰宅した直後の五月二十五日に開始して完成が八月二十一日で42.907字。
(句読点、破線、前書き、後書きを含む)
どちらも執筆期間は約三ヶ月、第二回は24.000字ぐらいで片づけるつもりだったのに、
出来上がってみると七十五パーセント増量というとんでもない見込み違い。
だけどこれは「量とスピードは両立しない」という言い訳にはならないのです。
自分の場合、スランプに落ち込むとひと月ぐらい筆の進まないことがあるから、
これさえ克服できれば月刊は無理でも隔月刊は十分に可能なはず。
まあ、泣いても笑っても、始めたことの始末だけは何年かかってもするつもりです。
もっとも、それにつきあってくれる気の長い読者がいるかどうかは別だけど・・・
それでは長々と愚痴ってしまいましたが、気を取り直して参りましょう
3話前編
さて、遥かな西方を目指して第一歩を踏み出したエルウィンとゼニア
アフラへ転居になったネル、イスマス追放となったレノラ
最初に立ち寄るところは東大陸はラウリウム平原南東部に位置する
殷賑なる都邑アフラでございます
英雄女傑に魑魅魍魎、怪力乱神から好事家(! ?)まで入り乱れ
新たな護衛役との邂逅はいかなるものにあいなるか。
それでは第三回でございます。
プロローグ
天使は空から墜ちた。
錐揉みで地面に叩き付けられた衝撃で、身体が激しく弾み数回転してからようやくとまる。
背から生えた白い羽翼は片翼は半ばちぎれかかり、もう片方も完全にへし折れていた。
手足も奇妙な形にねじれている。
それでも着地した天使は素早く立ち上がろうとした。
強靱な生命力と再生力で破壊された身体を修復し、彼を虚空から叩き落としたものに反撃するために・・・
だがそれもむなしい努力だった。
すでに上空で優位を占めた黒い影が上空から飛びかかり天使の息の根を止めた・・・
二将、アフラにて勇を競うこと
夢魔縛されては、天聖を降さんとすること
「ほら、お嬢さま。見えましたぜ。あれがアフラの街ですぜ」
ルグレが馭者台から胴間声を張り上げた。
ルグレは赤銅色に日焼けした丸顔で恰幅のよい中年男で、この隊商の会計士をつとめている。
エルウィンの父に雇われて二十年以上になるだろう。
前歯が二本欠けているので発声が不明瞭だが、声の大きさはそれを補ってあまりある。
エルウィンとネルが幌馬車の中から顔を出すと、
四台の馬車と十余頭の驢馬からなる隊商は小高い丘を上りきり下りにさしかかったところだった。
アフラの都邑はラウリウム平原の南東に位置するストゥントゥレン盆地にある。
東大陸横断道の東端に位置し、ラウリウム平原に向かって開いた北側をのぞけば三方を山に囲まれ、
港町イスマスからは四日旅程ほどの内陸部にあった。内陸交易の要所であるとともに、
三方の山々から平原めざして流れ込む河川のために農業も盛んである。
丘から見下ろす盆地には向かいの山裾まで畑が広がっていて、そこここに小さな集落が点在してた。
その集落の中心となっているのがアフラである。千四百年以上の歴史を持つ城郭都市で、
過去千年に十数回以上も拡張工事を行ってきた古い城壁とそれに囲まれた旧市街がアフラの西半分を占め、
それにくっつくように、あるいは城郭部分からはみ出したように街の東半分があった。
旧市街を外部と隔てるいくつかの城門は閉じられることがなくなって久しく、
東と南の城壁の煉瓦や石は(日当たりの改善も兼ねて)住人たちの建築材料として徐々に持ち去られ、
加えて三百年以上補修されていないので立ち並ぶ軒並みに呑み込まれかけていたが、
西と北の城壁は遠目には往時の威容をまだ保っていた。
「あそこに着くとお別れだね」
「そんなこと言っちゃイヤですぅ」
ゼニアとレノラはここを通る全ての人々と同じように目の前に広がる遠景を眺めながら商隊の後ろを歩いていた。
縁起を担ぐ商隊の人々から馬車への同乗を断わられたためである。
別に珍しいことではないので、二人とも気にしていない。
ゼニアにしてもエルウィンが商隊に同行していることは警備上望ましいことなので、
アフラまでの道程は結構気楽に勤めることができた。
時々は翼を生やし空を飛んで周囲の状況を偵察したりもするのだが、
商隊と一緒でなければエルウィンを一人にするなどできることではない。
商隊が道々の村や町で商売や小荷駄の引き受けをするために、ここまで来るのに六日かかった。
祭司出立の噂はそこここで聞かれたが、エルウィンが馬車内でネルと大人しくしていたために、
立ち寄った村々でもさほどの大騒ぎにはならずにすんだし、
同道の商人たちのおかげで身分を明かさずに宿を借りるのも容易だった。
これが魔族と少女の二人連れでは目立つことおびただしい。
ネルがいることもエルウィンが大人しくしていることの一助になっている。
一方、レノラも特別にアフラまでの同行を許されていることを理解して、
ネルに余計なちょっかいを出してはいない。
レノラにしてみればネルの精気で“食事”をしたいところなのだろうが、
カドケウスの杖(第二回参照)で地脈から得られるエネルギーだけで我慢していた。
エルウィンがネルとレノラの関係をどの程度承知しているのかは判然としなかったが、
エルウィンとレノラの間にはそれなりの友好的な関係が確立されているようだった。
食事の時でもネルとレノラがエルウィンを挟むようにして談笑してるし、
宿で二人用の部屋を割り当てられたときもゼニアではなくレノラが同室していた。
逆にエルウィンとゼニアの関係は今一つしっくりいっていないようにゼニア自身感じている。
一つにはエルウィンが自分の行動に制約を課せられるのが嫌いな性分なので、
警護役という存在を生理的に鬱陶しく感じているせいもあるが、
蒲公英辞退の遠因がゼニアにあると察していることもある。
蒲公英が警護役参加を辞し、アフラで代理の天使と合流することは、
出発間際に見送りにきたガブリエルからエルウィンに告げられた。
ゼニアもその場にいてガブリエルと挨拶をしたのだが、彼女の見たところ、
エルウィンはガブリエルの告げる表面上もっともと思える理由など少しも信じなかったようだった。
「ああ、そうですか」と言って、エルウィンがゼニアの方をちらっと見たのには、
ゼニア同様ガブリエルも動揺したようだった。エルウィンが事実を知るはずはないのだが、
異様に勘の冴えている彼女のことである。
蒲公英が同行しないことを聞いた時のゼニアの何気ない表情から感得するものがあったに違いない。
エルウィンと蒲公英の間に何らかの友好関係が存在していたとは考えにくいのだが、
彼女なりに蒲公英の立場に同情して、それがゼニアへの疎遠な態度となって現われてるのだろう。
『まあ、こういうことは時間が解決してくれるものだわ。
アフラでレノラやネル君と別れたらお互い寂しくなるしね・・・・
新しい天使が気持ちの良くつきあえるヤツだったらいいんだけど・・・』
アフラを出て西へ向かえば街道沿いに怪物が出現する可能性はグッと高くなる。
ゼニアは額の金箍に軽く触れ、これまた長老から拝領したフランベルジェ
(前回注 炎型の刀身の両手剣。長さは1.5メートルくらい)の重さを背中に感じながら歩き続けた。
腰には今まで愛用してきた長剣を短く改造したククリ(作者注 グルカ刀、グルカ・ナイフともいう。
片刃の湾曲した刀身で草木を薙ぐのにも適している)を差していた。
これは出発までの少ない日数のうちにグロートゥスが作り直してくれたものだった。
防具はこれまで愛用してきた胸甲一つで、下はTバックの下着も同然のレザー・ショーツと、
腹部太股丸出し(作者注 ダーティーペアのユニフォームに近いと御想像下さい)の軽装を貫いている。
鉄製防具の縫い込まれた戦闘用の靴と手甲がなければ水着姿に見えるといっても過言ではない。
“岩山”に起居していた間はこれでも通用したが、人間の間を歩くにはいささか刺激的すぎる格好である。
そんなわけでレノラとおそろい(レノラもボディ・ラインくっきりのレオタードだから)で
足首まである頭巾のついた黒いマントを羽織っていた。
旅先で野宿の時などに使う身の回りの品と幾許かの金銭はまとめて馬車に積ませてもらっていた。
ゼニアもレノラもほとんど身一つの軽装でイスマスを出てきた。
魔族も天使も人間のように物品や財産への執着はほとんどない。
アフラに着けば隊商と別れてエルウィンはネルの長兄の家に泊まる。
アフラの町ではこの先の長い旅路に備えて野宿用のテントや簡単な炊事道具、衣類、保存食、
それらを積む荷駄用の馬か驢馬もネルの兄の口利きで入手する予定だった。
まずはエルウィンとネルを兄の家に預け、ガブリエルから手渡された紹介状を持って
護衛に任命されて待機しているはずの天使を訪ねる。装備一式を揃えるのに丸一日はかかるから、
最低でも二泊はする必要があるとゼニアは考えた。
時間の余裕があればレノラと一晩思い出づくりに励むのもいいかもしれない。
アフラに到着してからの予定をあれこれ組み立てているとルグレが相変わらずの胴間声で
アフラの町のあれこれを説明しているのが聞こえてきた。
「・・・ちいっと遅くなりやすが、昼飯はアフラで食えやすぜ。
ボルテールの坊ちゃんは兄さんの家で食ってもいいでしょうが、
東壁のレオポルド門の近所にある〈牡鶏と牝牛〉亭っつう店がけっこういい酒と料理を出すんですよ。
よければそこで・・・・」
気がつくとレノラが道草をして道端にしゃがみ込み、トネリコの木の根元を杖で突っ突いている。
「あんた何してんのよ?」
「ううっ、オナカが減ったからちょっと木の精を頂いてるんですぅ」
まるで庭先でミミズをついばんでいる鶏のようである。
膨腹破裂の一件で“本質”が傷ついているレノラは、ネル以外から補給する生命エネルギーが
なかなか身体に馴染まないのかあまり燃費がよろしくない。
「ほらぁ、グズグスしてると置いてかれるわよ。
ネル君のは無理にしても、宿に着いたらあたしが相手したげるからあんまり間食しないの」
さりげなくモーションをかけるゼニア。本当は自分がしたいだけである。
(作者注 ゼニアは敏感体質ですぐにいかされてしまいますが、エッチは嫌いではありません)
「あぁん、置いてっちゃイヤですぅ」
風に流れてくるルグレの大声を耳にしながら、ゼニアとレノラは肩を並べて丘を下る隊商の後を追った。
その〈牡鶏と牝牛〉亭はアフラで一番店構えが立派な居酒屋でも最高級の贅沢ができる遊廓でもなかったが、
それなりに店は広く掃除も行き届いていて、手ごろな値段でたっぷりとした食事ができる店であったのは間違いない。
店は昼前から開いていて、ビールやワインなら昼食がてらに飲むこともできる。
(作者注 この世界の多くの国では度数の高いアルコール類、たとえば蒸留酒の類いは
日没前の販売は禁止されているようです)
ついでに店の主人に口をきいてもらえればしかるべき場所で命の洗濯としゃれ込むこともできた。
それなりに楽しめるということが、それなりの客足を集め、その客数に比例してそれなりの揉め事も時々起こる。
この日、〈牡鶏と牝牛〉亭の店内で騒動が起こったとき、不機嫌そうな大柄な女天使が店の前を通りかかった。
彼女の名はヘラ。このアフラに来て百二十年にはなり、
近辺の治安を預かる聖戦士としては一頭抜きん出た存在と言っても過言ではなかった。
では何が抜きん出ているのか、と問われれば文字通り。
ヘラは女性の天使でありながら衆に秀でて身丈が高かった。
人間に例えると二十代半ばの成熟した女性らしいふっくらとした頬と黒みがかった深いブラウンの瞳が印象的な
母性を感じさせる美貌で、ブラウンに近い濃いめで艶のあるブロンドの髪を大人の女性らしく後ろで結い上げまとめている。
広い肩幅に豊かな胸、どっしりとした腰つきで、やや下腹が出っ張り気味だが豊かで肉感的な姿態をしていた。
これで二メートル余の上背と、それを頭からつま先まで覆っている白金色の重装備の鎧がなければ、
よほど痩せ型好みの男性でないかぎり両手を上げて彼女が美しいことを認めたに違いない。
肉欲に溺れるのが御法度の天使の間でも、言い寄ってくるものはそこそこいただろう。
だが世の男性のほとんどは人間と天使とを問わず自分よりも逞しい女性を忌避しがちなものだし、
彼女自身も自分の体格に関して少なからずコンプレックスがあるのか、人前で鎧を脱いだ姿を見せたことが無い。
心理的には聖戦士という役職を鎧い、顔こそ額防一つでその顔立ちを隠してはおらぬものの、
外見的には戦場と見まがう戎装を着け、腰には捕縛用の錬銅の鎖、片手には三尖両刃の長柄刀
(作者注 三尖両刃刀。中国の英雄神である顕聖二郎神君の得物で通称二郎刀ともいう。
給食の先割れスプーンを想像してはいけません)を携えている。
これで眉間に暗雲を漂わせているかのような気難しい表情をして街中を闊歩していれば、
なるほど犯罪の減少には大いに効果があるかもしれぬが、気安く話しかけたり仲良くなろうという者もあらわれぬ道理であった。
ただし大人のように尊敬と畏怖の感情が十分育っていない子供たちのなかには、
平気でヘラに戯れつくものもいたし、そういうときには彼女自身も時折笑顔を見せることがあった。
だが、大抵の場合はヘラはさほど社交的とは言えず、その外見通り鉄壁のような態度を保っていたし、
町の西側に建てられた寺院で他の天使たちと一緒に住まず、郊外の集落からさらに少し離れた畑の中に
一軒家を建ててそこで一人暮らしていた。これはこれでいろんな憶測を呼んだものの、
別段職務には影響のないことなので、特に口に出してとやかく言うものはいなかった。
こう書くと、ヘラという天使は何となく偏屈で閉鎖的な性格と思われるかもしれないが、
これは彼女なりの事情があってのことである。それについてはおいおい語っていくこととしよう。
さて、他にもヘラには他の天使と異なる点があった。
それは大食である。
元来、物質化し肉体を得ている天使でも、元はエネルギー生命体であり、
身体構造のうちで血肉に依存している割合はさほど多くない。
だから人間から食事の習慣に馴染んだ天使や魔族でも一日に一食か二食、それも一回の食事で
口にする食物は同じ体格の人間の必要量の三分の一か四分の一程度だったし、
一月二月飲まず食わずでも目に見えて痩せ衰えるなどということはなかった。
それに比べるとヘラは明らかに大食の気があった。朝晩はほとんど自宅でとっているらしいので、
余人のあずかり知らぬところではあるが、三日おきに近隣の農家から買い込む食料の量は
十人ぐらいの天使を招いて会食でもするのかと思うほどの量だったし、
昼食は街中を巡回中に幾つかある行きつけの店に立ち寄るのだが、
その際には彼女と同じぐらいの体格の人間にして二人前は喰う。
一度などは、町の居酒屋で夕食をとっている最中に酔っぱらった巨漢の行商人に絡まれ、
飲み比べで二人して麦酒(ビール)の一斗樽四本を空け、彼女が勝ったこともある。
そんなわけで、この日ヘラが〈牡鶏と牝牛〉亭の前を通りかかったのは偶然ではない。
ここは行きつけの一軒なので、店が空いていれば昼食をとろうと思ってのことだった。
今日のヘラは特に機嫌が悪そうだったし、そのせいか特に腹も空いていた。
その原因をと問われれば、大きく分けて二つあった。
一つはもうそろそろこのアフラに到着するはずの千年祭の祭司護衛に参加することである。
西方へ帰還するガブリエルの訪問があったのが四日前。
イスマスで蒲公英という天女がやむをえぬ事情によって護衛の任を離れたことを聞かされた。
ヘラにしても天使だから当然魔族蔑視の傾向がある。
護衛の任務自体は彼女なりに名誉なことと考えているが、魔族と同格の立場で同道せねばならぬというのは面白くない。
もう一つはラウリウム平原を跳梁していた怪物の影である。
つい最近、この近辺の魔族が平原の討伐戦で相当程度の戦果をあげた(第一回参照)ことはヘラも聞き及んでいる。
しかし魔族側も若干の損害を被り、このアフラに住んでいた二人の魔族も死亡していた。
この討伐戦で討ち漏らした若干の怪物が平原を離れてこの近辺にも潜入しているという噂があり、
事実この数週間散発的に近郷の村々で人や家畜が正体不明の何者かに襲われるという事件が発生していた。
天使側は四方に捜索の手を伸ばし、この正体不明の怪物の行方を追っているが、
魔族側は前述の人的損害が尾を引いて効率的な捜索が行なわれていないようである。
いずれはこの事件も解決されるのだろうが、ヘラとしては事件の解決を見ずに西へ向かうのは
今まで務めてきた職務を放棄するようで割り切れない思いがあった。
要は、このような事件に関しては天使魔族の両者が歩み寄って共同体制をとればよいのだが、
そうなるとどちらが指揮主導権を握るかでいがみ合いになるのは必定だった。
ヘラからすれば当然向こうがこちらの下につくべきだと思っている。それが祭司の警護役は同格、
アフラの治安維持でも非能率的な別動とくれば、魔族に二重に心を煩わされているような気がして
苛立ちがループ状態になっていた。
ただガブリエルから言われたことだが、西へ向かうにあたっては祭司の安全が最優先の問題となる。
緊急の場合、二人の警護役の意見が分かれるのは非常にまずい。よって表面上は同格同等でも、
チーム内で指揮権の優先順位を合議によって決定するのは一向に差し支えがない。
また職務遂行上パートナーの実力に問題があると考えられるときは、疑義を呈し交代要員を要求するのは可とすると。
雨が降らねば地はかたまらぬか?
祭司との合流を間近に控えて、ヘラは時々妙な予感にとらわれる。
午も少し日が傾いて食事の客も一段落ついているころである。
ヘラが〈牡鶏と牝牛〉亭を覗き込もうとすると中から喧嘩とおぼしき騒動の音が聞こえてきた。
なにやら金を払ったとか払わないとか約束を破ったとか大声で争っている。
喧嘩も止めなければまずいが、武器を持って店内に入るのもまずい。
ヘラが三尖両刃刀を戸口に立て掛けて(作者注 彼女の得物を盗もうとする不埒者などまずいません)から
店に入ろうとすると急に物が砕ける音、何かを叩き付ける音、亭主の半ばおびえた怒声などが聞こえ、
続いてそばかすの目立つ十七八の若い女中が悲鳴を上げながら飛び出してきた。
女中は正面を向いているものの戸口に立っているヘラの長身を認識していない。
このままだとまともにヘラの胴鎧に頭をぶつけかねないので、ヘラが両手で抱きとめた。
女中は動転しているのか一瞬ヘラの右手の中でもがいたが、すぐに上を見上げて彼女と気がついた。
「あっ、ああ、よかった。ヘラ様、御仲間が中で・・・と、とにかく止めてくださいまし・・・」
他の通行人も女中の様子とただならぬ店内の気配に何事かと足を停めて近寄ってきた。事情は分からないが、
店内では椅子テーブルの類いまで投げ飛ばし叩き付けて闘争しているのか、魔女の釜の中のごとき騒乱状態である。
ヘラは腰に吊るした捕縛用の銅鎖を構えると店内に飛び込んでいった。
喧嘩を分けるだけだから三尖刀は必要ないし充分すぎるほどの防具も身にまとっている。
それに得物が無くとも彼女はその体格に相応しく近郷一番の大力の天使で、
大抵の手合いなら拳三発も喰らえば昇天してしまうほどの膂力である。
「何をしているっ ! ! 」
ヘラが店内へ飛び込んでいくと二人の男とおぼしき人影が常人にあらざる勢いで取っ組み合っていた。
二人の周囲ではいまや薪となった安手の机や椅子、陶製の皿やコップの破片が砕け散っていた。
一人は旅装で長身だがやや優男っぽい。こちらは身体から発するエネルギーの波動で
女中が言うところの御仲間、天使であろうと知れた。
もう一人は優男よりも逞しく、取っ組み合いで所々破れてはいたが礼服かと思えるようなサッパリとした服装をしていた。
こちらのほうが腕力に秀でているのか形勢有利で、上になって優男を組み敷き片手で喉元を締め上げ
片手で胸や腹を殴りつけていた。
下の男も殴られてばかりではなく、足を振り上げ体を返そうとし激しくもがいていた。
優男が上の男の脇腹に拳をたたき込んだ拍子に上の男がのけ反り、その顔がヘラに見えた。
不自然なほどに青白い肌に燠のような瞳、頑健そうな鼻筋の下の口は耳まで裂けてるかと思われるほど大きく、
しかも牙のような長い犬歯を剥いていた。その口からは銀色の涎がヌラヌラと垂れて組み敷いた男の胸元を汚し、
喉を締め上げる手の甲には獣のような黒い毛が生え爪は猛禽のように長く尖っていた。
吸血鬼? ! 不死者か !
この世界の吸血鬼、いわゆる不死者(アンデッド)には大別して二種類の起源があった。
一つは不老不死を願う人間が主への信仰を捨て、外法(いわゆる禁呪)を研究し、
これを用いて肉体的な死を超越したもの。
もう一種は、血肉によって得られる快楽に溺れ、本質を損じた天使や魔族が
いかがわしいルートで入手した死体などをベースにして不死者となったものである。
この場合は肉体を依り代とするため、本質の損傷の進行は止まり完全に怪物化してしまうことはない。
このような存在は規範を順守するかぎりは、準天使や準魔族として一応生存権は保証されていた。
此奴ははぐれ者の魔族系不死者らしい。
そう察したヘラは下の天使を助けるべく大股に踏み出した。
「すまんな、亭主。店の戸口を壊すぞ」
ヘラは吸血鬼が殴り付けようと振り上げている腕を無造作に横からつかむとグイッと引っ張った。
吸血鬼もなかなかの体格と体力だが、そのいずれもヘラには及ばない。
横合いから邪魔された吸血鬼は驚いて自由な方の手でヘラを殴り付けたが、
彼女は一向に動じず、軽い嫌悪の表情を浮かべて吸血鬼を釣り上げた。
シャアアァァァァッ ! !
吸血鬼が牙をむいて威嚇した。
口元が黒く汚れているのは血だろうか。ヘラはつかんだ腕を振り回すと戸口の方へ投げ飛ばした。
吸血鬼は猫のようにしなやかに空中で一回転すると着地して踏みとどまろうとした。
だがそれより速くヘラが突進すると、肋(あばら)も砕けよという勢いで体当たりをくらわす。
二人は店の戸口を突き破りそのまま店の外に飛びだした。
女中をはじめ店内をうかがっていた弥次馬たちは、鎧をまとったヘラと獰猛な形相の吸血鬼が
戸板を粉砕して爆発的な勢いで飛び出してきたので、二三の者はこれに突き飛ばされ、
その他の者はクモの子を散らすように逃げ出した。
「お姉さま、あれ何かしら?」
レノラが青玉のような瞳でゼニアを見た。
商隊の一向はレオポルド門の近所の馬車屋に馬と馬車を預け、
三々五々〈牡鶏と牝牛〉亭に向かっているところだった。
見れば一行が向かっている方向に何やら人垣ができていた。
ゼニアが見たところでは人垣の向こうに人間ならぬものの殺気と闘気が立ち昇っていた。
騒動に気がついた物見高い商隊の面々は何事ならんと足を速めているが、
ゼニアとしては如何なるときもエルウィンの安全をはからねばならない。
「レノラ、二人の様子を見てて」
ゼニアはあとを任せると人垣の方へ小走りに急いだ。
ギィィィニャアアアァァァァァッ ! ! !
日光を浴びた吸血鬼が獣じみた苦痛の叫びをあげた。
日光、銀製の武器、頭部と心臓の破壊は如何なる不死者にとっても致命的である。
(作者注 この世界には十字架という法具は存在しません。また、ニンニクが有効という説は迷信のようです。
腐食性の化学薬品による物理的な肉体破壊は可能なようですが、基礎代謝が人間とは異なる不死者には毒物などは一切無効です)
人間の転生した不死者なら日光に皮膚を焼き裂かれ、一瞬にして血が沸騰し肉が煮えたぎり灰になってしまうところだった。
だが天使や魔族から転生した吸血鬼は、不死者としての肉体の脆さを補う防御結界などの術力があるのですぐさま絶命することはない。
それでもやはり日光は強烈な苦痛を引き起こすし、その能力も大きく制限される。
吸血鬼は片手で両眼を焙る日光を遮り、がむしゃらにヘラを押しのけて屋内へ逃げ込もうとした。
口からは身の毛も逆立つ咆哮と緑色の泡が飛び散っていた。
「やかましい ! これでもくらえっ ! ! 」
ヘラは猪突してくる吸血鬼の顔に掌底突きを叩き込んだ。
ヘラの手に相手の鼻の骨がグシャッと折れる感覚が伝わる。
畳む込むようにのけ反った吸血鬼に大きな手で張り手をくれた。
人間ならば首の骨が折れるどころか、頭が千切れて城壁の向こうへ飛んでいくぐらいの勢いだった。
事実、吸血鬼は五六メートルも張り飛ばされ、土煙をあげながら地面を転がり倒れ込んだ。
弥次馬たちの人垣は吹っ飛んできた吸血鬼に再び大きく崩れた。
「や、やめてくれェ ! 殺さないでくれ ! 」
俯せになって地面に顔を伏せ、動けなくなった吸血鬼が身を屈めて哀れみを乞う。
日光を浴びて魔力が尽きたうえ、ヘラの一撃で首の骨が折れたか脳震盪でも起こしたのだろう。
四肢を痙攣させて動けなくなっていた。
「もうそれくらいでいいでしょう。許しておあげなさい。陽の下に放っておくと本当に死んでしまいます」
背後からの声にヘラが振り返ると店内で争っていた天使が服をはたきながら出てきた。
にこやかに笑いながら手を差し出して握手を求める。
「手助けしていただいて有り難う。素晴らしい手並みですね。もしや貴女がヘラさんですか?」
「ああ、そうだが?」
「私の名はマルチスキャン。貴女の交代としてここに寄越されたものです。
デステイン(作者注 西方の町。後日の物語の舞台)からこちらに移ってきました」
マルチスキャンと名乗る天使は紹介状と割り符を取りだして見せた
「そうか」
先刻はやられっぱなしに見えたくせになかなか力強い握手だった。
「ここで立ち話もなんですから、こいつも日陰に連れていって事情をお話ししますよ。
ここであったのも何かの縁です。どうですか、店で一杯やりながらでも」
「ああ、そうするか」
もとよりヘラも昼食にするつもりだったし、詳しい事情も知らずに
準魔族扱いの不死者を死なせてしまっては協定違反
(第二回注 “ドミニオンの和約”によって天使魔族双方とも相手方への武力行使は禁じられてる)
に問われる恐れがあることは承知していた。凶暴化した吸血鬼の戦闘力を奪うために手を貸しただけである。
「は・・やく・・・太陽が・・・グウゥゥ・・・」
二人の足元では毛穴から煙の立ち昇りはじめた吸血鬼が激痛に身をよじっていた。
ヘラとマルチスキャンは両脇から吸血鬼を抱え上げると〈牡鶏と牝牛〉亭の
壊れた戸口の方へ引きずっていった。背後では弥次馬たちの半分は事がおさまったのを見届けて立ち去りはじめ、
あとの半分は口々にヘラの圧倒的な勝ちっぷりを称賛してた。
ふと観衆の戸惑ったようなざわめきと、その中心にいる何者かの視線に気づきヘラが振り返ると、
燃えるような紅毛に黒いマント、長剣を背に吊るした魔族が腕を組んで立っていた。
「女将、久しぶりにこっちの方へ足が向いたんで飯でも食わせてもらおうと思ったんだが。
見りゃあ、取り込み中で大変なようだな。また出直してこようか」
隊商一行の幹事役のルグレが〈牡鶏と牝牛〉亭の女将に挨拶をした。
「嫌ですよぅ、旦那。さっきの見てたんですか? まあ、こんな店ですから喧嘩なんてしょっちゅうですよ。
ヱエ、ああいう取り合わせの取っ組み合いっていうのは珍しいんですけどね。
おかげでごらんの通りメチャメチャですよ。
でももともと汚い店なんですから、夕方までにちょいと掃除をすませてテーブルや椅子を調達してくりゃいいんです」
女将は先程ヘラに助けを求めた女中も含め、四五人のまかないや下男に店内の掃除をさせながら愛想よくこたえた。
「みなさん大人数だし、いまから他の店をあたるのも大変でしょう? 宴会場の方を用意させますから、奥へ上がって下さいな」
「そうかい。じゃあ、少しばかり厄介になろうか」
ルグレが店の外へ声をかけると隊商の商人たちやエルウィンにネル、ゼニアにレノラも店の中に入ってきた。
エルウィンとネルは酒場に足を踏み入れるのが初めてなので少しもの珍しそうにしていた。
二人の少年少女に気づいた女将は笑いながら、
「おやまあ、旦那。若い人に変な遊びを教えちゃあダメですよ」
実はこの〈牡鶏と牝牛〉亭、間口以上に店の奥行きが広く、
しかも裏通りの遊廓と中庭を接して背中合わせに建っているのだった。
次いで女将はゼニアとレノラに目をやり、
「あらあら、今日は遠来の珍しいお客が多い日ですねえ。さっきの人たちも奥の座敷へ通してありますからねえ。
また喧嘩なんかしないで下さいよ。うちの亭主はあちらへ挨拶にいってますんで、
それがすんだらこちらへも顔を出すように言っときますよ」
騒動をおさめてくれた二人の天使への感謝と衰弱した吸血鬼の介抱を兼ねて店の方で一間を貸しているのだ。
「女将さん、あの天使たちはこの町の?」
ゼニアが問うた。心付けに小指の爪ほどの銀の粒(作者注 この世界には万国共通の貨幣などは存在しないので、
商人や旅行者は砂金や一定量に鋳造した銀塊などを持ち歩いています)を女将に握らせる。
「はあ、殿方の方はどちらの方か存じませんが、あの背の高い女性の方はヘラ様と言いまして、
このあたりで一番腕の立つ聖戦士です」
「さっきは何が原因であのような・・・?」
「はあ・・・それが・・・」
ゼニアが魔族なので理由を話せば同族の敵討ちでもするのではと危ぶんでか、女将の歯切れが悪い。
「女将さん、心配は御無用に。私たちも所要があってこの商隊の人たちに同行していますので、
いらぬことに首を突っ込んだりはしません」
「それならお話しますが・・・・」
女将が語ったところによればこうである。
あの吸血鬼がこの店に来たのは先日の日が落ちてだいぶ遅くなったころである。
店としてはこの近在の天使や魔族も時々来る者がいるくらいだから、さほど驚きはしなかった。
先程の格闘で服は襤褸になってしまったが、昨晩は身なりもきちんとしていて紳士然としていたので
店の方でも取り立てて拒む理由はなかった。
しかし、ほかの客の目もあるのでカウンター席に座ってもらうのはいささか具合が悪い。
奥に通して亭主が注文を聞きにいった。
吸血鬼が少量のワインで口を湿しながら注文するのには、腹が空いているので食事がしたい。
ついでに女を抱きたいのでその筋を周旋してくれれば有り難いという。
吸血鬼の食事とくれば血にきまっている。亭主は、夜も遅いので入手は難しいが、
いまから使用人を屠殺場へ使いにやって肉屋の主人に頼めば、豚か羊くらいはさばいてくれるでしょう。
色事については裏が遊廓なのでそちらへ案内しますと答えた。
すると吸血鬼亭主の目を覗き込みは、いや、獣の血には食傷している。私は人間の血が欲しい。
ついてはそちらの顔で血を提供してくれる者を探してくれたら有り難い。相応の金は払うと言い、
大金が入っているらしい革袋の財布を懐から取り出して見せた。
この注文には店の亭主も頭を抱えた。
吸血鬼に血を吸われると、吸われた者も吸血鬼になるという言い伝えは迷信である。
吸血鬼が“自分の子をつくる”には、それなりの複雑な秘儀と体液の交換
(“子”の血を吸い尽くし、その代わりに吸血鬼の血液を飲ませる)が必要である。
その辺のことは亭主も聞き知っていた。
しかし、多くの人々は血を吸われたら吸血鬼になるという迷信を信じいるし、
そうでなくとも禁忌(タブー)視する傾向は強い。血を提供してくれる者がいるかどうか、
とにかく亭主は裏手の遊廓に行って交渉してみた。
話を聞いた遊廓の方でも金を払ってくれるならと、数件の同業者に使いを走らせた。
その結果、大分時間はかかったが大金を貰うという条件で、吸血鬼を客にしてもよいというのと、
少しばかりなら“食事をさせてやってもよい”という二人の娼妓が見つかった。
二人の娼妓が見つかったころには相当夜も遅くなっていたので、亭主は店を閉め、
奥の一室を吸血鬼に貸したのである。
厄介事が持ち上がったのは翌朝も遅くなってのことだった。
吸血鬼は日中は不活発になるので部屋から出てこぬことはさほど不思議ではない。
しかしいかに夜の商売の女とはいえ、昼も近いのに二人の娼妓が降りてこないことが亭主の不審をつのらせた。
使用人を伴い踏み込んでみると、部屋の中には血に酔っている吸血鬼と
一糸まとわぬ裸で寝台に横たわっている二人の娼妓がいた。
女達はよほど手荒い扱いを受けたのか、
二人とも身体の各所に青痣ができるほど凌辱された上に、限界まで血を吸われて貧血で気を失っていた。
娼妓たちを担ぎ出して医療所へ送った後、亭主は吸血鬼を難詰した。
血を飲んでよいのは片方の女だけだし、
第一あのような酷く暴力的な性交をすることは約束違反も甚だしい。二人の娼妓にも、
彼女たちを周旋してくれた遊廓にも多額の弁償をせねばならぬ。
風評がたてばうちの店も信用がなくなって客が寄りつかなくなってしまう。
すると吸血鬼は逆に、それが客に対する物言いか、無礼千万、金は払わぬと言って居丈高に開き直り
牙を剥いて亭主を脅す始末である。
やむを得ず亭主はこの町にいる天使か魔族に助けを求めようとした。
「そこへ偶然お前が通りかかったわけか?」
とヘラ。
「ええ、そうですよ。朝方クカモンガ(作者注 アフラの西方にある町。後日の物語の舞台)を発って
こちらへ到着したばかりだったのです。私ももとは順風耳(作者注 天眼通と同じく天使の役職の一つ。
情報収集係のようなもの)を務めていましたので。
それでこの店から立ち昇っている荒々しい陰の気に気がついたのです」
マルチスキャンが丁寧な口調でこたえた。元順風耳ともなれば、目端はきくのだろうが戦闘力では幾分かヘラに劣るだろう。
助勢を得た借りもあるし、ヘラを先輩として立てている。
もっともヘラの方は相変わらずあまり愛想はよくない。
部屋の隅には象でも絡げられそうなほど太いロープで縛られた吸血鬼が転がされていた。
「そこで私がこの方に仲裁をしてくれるようお頼みしたのですが、話がこじれて斯様な騒ぎになってしまったわけでして・・・」
亭主が二人に店で一番良い酒をすすめながら話しを接いだ。ヘラがいるのでテーブルの上には結構な量の食事が用意されていた。
亭主は吸血鬼の方にはなるべく近寄らぬようにして二人の天使に手ずから給仕した。
「して、お前の名はなんというのだ?」
ヘラは振り返ると吸血鬼に尋ねた。
「・・・アルマンド・・・」
縛められている吸血鬼はふて腐れて答えた。先程陽光を浴びたときの傷はほとんど癒えたようである。
眼には反抗的で凶暴な焔が燃えているが、縛られたうえに天使二人に見張られているので大人しくしている。
もっとも、逃げる算段をしたところで日が沈まぬうちはこの〈牡鶏と牝牛〉亭から一歩も出られない。
「お前の処分だが・・・」
ヘラは吸血鬼アルマンドにグイッと指を突きつけた。
「・・・してしまったことは取り返しがつかん。亭主を脅したことや金の支払いを拒んだこと、
あるいは店の調度を壊したことは金で片が付くかも知れんし、我々天使と争ったことは大目に見てもいい。
しかし、人間の女性二人を傷つけたことは許しがたい」
もしヘラが事情を知ってマルチスキャンの加勢をしていれば、それこそアルマンドの首を引き抜くか、
致命的な状態になるまで太陽の下に放っておいたところである。
「それならどうします? これだけの町になると魔族も住んでいるのでょう。彼らに引き渡しますか?」
マルチスキャンがたずねた。
「引き渡せば間違いなく彼らは“処分”するだろうな」
ヘラの言葉にただでさえ青白いアルマンドの顔色が灰色になった。
その場の勢いで殺してしまったのならともかく、捕縛した以上はアルマンドは準魔族として
“協定”の庇護下にある。犯罪者として相手方に引き渡し、魔族の律法で裁かれねばならない。
だが準魔族や準天使ともなれば同胞からも蔑まされるし、それが罪を犯したともなれば手っ取り早く
“処分”したほうが体面を保つのにもよい方法である。
吸血鬼ともなれば血への抑え難い嗜好からさまざまなトラブルを引き起こすことが多い。
実際、アルマンドは流れ者で当地の魔族にも来訪を告げていないのは、相当後ろ暗いことをしてきたからだろう。
もしそうなら準魔族というよりも準怪物とでもいうべきだった。
『あるいはこいつ、最近この辺りを騒がせている下手人か?』
一瞬ヘラはそう思った。
しかし、頻発している事件の犯人はもっと手際が良く、陽が昇れば逃げられっこないのに、
居直って“無銭飲食”や“無銭交遊”を決め込もうとするアルマンドのごとき愚か者とは格が違うような気がする。
あるいは魔族が行なった“ラウリウム平原の討伐戦”から逃れてきたのかもしれないが、それとて推測の域を出ない。
「ちょ、ちょっと待ってくれないか。金なら全部くれてやる。
出ていけというなら、夕刻にでもここを去って二度とこの町にもあんたたちの前にも姿をあらわさねぇ。
頼むからやつらに引き渡すのだけはやめてくれ」
アルマンドが初めて自発的に口をきいた。やはりヘラの睨んだ通りの前科者なのだろう。
口調が切羽詰まったように上ずっていて、何かを期待するように媚びた笑みさえ浮かべている。
血色の悪い顔のうえに口の端に鋭すぎる犬歯を見せながら媚びられてもちっとも嬉しくはない。
転生する前は三下の魔族だったにちがいないな。
ヘラが露骨に嫌悪の表情を浮かべるとアルマンドは慌てて口の端を結んだ。
マルチスキャンが口を開かなければ、アルマンドの喉を絞めあげて口中の歯を叩き折っていたかもしれない。
「まあまあ、ヘラさん、落ち着いて。こいつを取りなすわけでもありませんが、
こうして我々がここにいるのも何かの縁というものでしょう。
貴女がこいつを取り押さえたことはこの周辺の治安と風紀を正すうえでもよいことだと思いますが、
これが行き過ぎれば良くないことではありませんか?
例えばですが、もしもこいつを魔族に引き渡して“処分”されたらどうなります?
この店は凶暴な犯罪者の出入りしている悪の巣窟であるかのごとき風評が立つでしょう。
そうなっては商売に差し支えるのではありませんかな、御主人?」
「そ、そうですな・・・そうなると困りますな・・・」
急に話の矛先を向けられて亭主は少し慌てた。
一瞬妙な理屈だとは思ったものの、商売に差し支えるのでは、といわれてマルチスキャンの意見に同意してしまう。
「そうでしょう。そこで提案なのですが・・・」
そういってマルチスキャンは懐を探ると一粒の仙丹を取り出した。
「これは私の作ったものでして、これを飲ませると順風耳としての私の術力に共鳴して
三年間はこいつの居場所がわかります。無論吐き出したり薬で下したりすることはできません。
これを飲ませたうえで町を追放するというのはどうでしょう? そうすればこの町に戻ることはおろか、
どこへ行っても悪いことはできますまい。これ以上誰の血も流さずに住みます。
これこそ偉大なる主の慈悲にかなう解決方法ではありませんか」
妙に気取った物言いである。
「ほう?」
「なるほど」
ヘラと亭主はそれぞれ曖昧な返事をした。
「なに、心配いりません。夕刻までこやつをここで見張り、二人して町外れまで護送していけばいいのです。
魔族には翌朝報告すればよいでしょう」
ヘラにしてみれば少々生ぬるい処断のような気もしないではないが、
最初にこの騒動を仲裁しようとしたマルチスキャンの顔も立てなければならない。
さらに今日明日あたり司祭がこの町に到着することを考えれば、あまりこの件に関わり合ってばかりもいられない。
それに外で視線が合った魔戦士のことも気になっていた。初めて見る顔だが、
アルマンドなぞよりも十倍は手強そうな曲者であることは即座に見て取れた。
ヘラがあれこれ考えていると店の者が扉をノックした。亭主が出ていって用件を問う。
「宴会場のお客様がヘラ様に御挨拶したいと申されまして。
なんでもイスマスからやって来た商人たちだそうですが・・・」
使用人の伝言を取り次ぐ亭主は妙な表情をしていた。
「魔族の方も一緒だそうで。それに子供も二人ばかりいて・・・妙な取り合わせの隊商でございますな」
では先程の赤毛の魔戦士は祭司の護衛であったのか。
「会おう」
ヘラは席を立ち上がった。振り返ってマルチスキャンを見る。
「すまないが、急用ができた。この件はマルチスキャン殿に一任しよう。たしかにその仙丹を飲ませば、
アルマンドは悪事を働くことができんだろう。護送に人手が必要なら何人か寄越すが?」
「私だけで結構ですよ。先程は油断して後れを取りましたが、今度はそのようなことはないように注意します。
それに私たちがこいつを追放するのは、いわば魔族に対する越権行為ですから。
かかわり合う者が少ないに越したことはありません」
「なるほど」
アルマンドとて魔族に引き渡されるくらいなら、仙丹一つと引き換えに町を出たほうが得なことは分かるはずである。
「それではあとの処置は任せるぞ。ヤツが仙丹を飲むのを拒むようなら声をかけてくれ。
その時は魔族に引き渡すまでもない。わたしが自分の手でヤツを三枚におろして、天日干しにしてやる」
祭司は年端もいかぬ若い娘ときいていた。亜人との混血で目から鼻へ抜けるように賢く、
機微を察するのに長けているとガブリエルが言っていたのを思い出す。
彼女に会うのはそれなりに興味深いが、こちらから挨拶に出向くというのが面白くない。
些細なことなのだが、こちらから赴くと祭司ばかりではなく、
付き添いの魔族にもこちらから挨拶に行ったことになってしまう。
形式だけの問題とは言え、天使としての矜持が容易にそれを納得させない。
ヘラにしてみれば、店の者が取り次ぎなどせず、魔族の護衛がこちらへ来て挨拶の一つもした後、
祭司に引きあわせるべきだと思う。
いま現在抱えている事件も解決せずに、中途半端なかたちで役職を遷ること。
斬っても捕まえても、次から次へアルマンドのような悪業を背負った堕落した者が沸いて出ること。
アフラの治安を守っての百二十年余。ヘラは周囲に感謝され、尊敬され、その有能さを評価されてきたが、
自身はさほど楽しいとも嬉しいとも思ったことはなかった。
『やれやれ、新しい任務の第一歩が魔族のもとへ出向いて協力協調を誓うこととは泣けてくるわ・・・・』
ヘラは亭主とマルチスキャンに挨拶すると部屋を出た。
− 3話 中編につづく −
後書き兼おわび 10/1
今回、第三回は執筆スピードのアップ、毎月発表という目標を達成するべく全力を投入してきました。
しかし筆が進むほどに書きたいことが増え、現在までに四万二千字以上を書き上げているにもかかわらず、
構成の七十パーセントぐらいしか出来ていないという大部な回になっております。
最近、『風船爆弾』HPの伝言板も活況を呈していますが、
その中に少量で良いから発表期間を短くして欲しいという意見がありました。
これは第二回の時点でAl Catさんにも指摘されていたことで、
読者に待ちぼうけを食わせず、また作品に対する興味を抱き続けていただくためにも必要なことだと思います。
そのようなわけで第三回の執筆は前書きのようなスランプ期間こそなかったものの、
九月完成が量的に不可能となったので分割発表という形を取らせていただくことになりました。
そのために今回はヘラという新キャラの紹介に終わってしまい、
プロローグも表題もなんの意味もなくなっていることを謝罪しなければなりません。
残りの部分は中編と後編という三分割、もしくは後編という二分割で十月中に完成させたいと考えています。
読者の方々の御理解と御容赦を求めます。
第三回完結の時点でダウンロードした文章をひとつなぎに編集して個々人でお楽しみ下さい。
ちなみにヘラはギリシャ神話の女神、ゼウスの妻ではありません。
これはキャラ設定の時点でAlさんに指摘されたことです。
ヘラという名前と容姿などの設定は、数年前に練習的に取り組んでいたぼて小説のキャラから
引っ張ってきたもので、自分なりの思い入れがあるので変更しなかったものです。
旅が本格的になる前に、レギュラーメンバーが揃うまでは各キャラの描き込みが必要な分、
どうしても字数を費やしてしまいがちです。本家西遊記百回本でも第十四回で孫悟空が帰依してから、
白馬(西海龍王の息子)、猪悟能(八戒)、沙悟浄と揃うのは第二十二回のことになるのです。
(ちなみにこの間に黒風王、黄風大王という二妖との闘いがあります)
ここまで回数を費やすつもりはありませんが、それなりの字数が必要な点は御了承下さい。
今回は、前書きの愚痴、本編の中断、後書きの言い訳とも後味の悪い出来になってしまいました。
しかし、自分としては無理をしているとも肩肘を張っているとも思わず、
むしろ同好の士に楽しんでいただける作品を書くことに日々喜びを感じている次第です。
今後とも本作品の愛読御支持をよろしくお願いします。
辛口の批評、作品への要望(キャラ、シチュエーションなど)、意見感想などお待ちしております。
それでは第三回続編にてお会いしましょう。