新 西遊記


前書きに代えて

 今回、エッチシーンを期待しておられる方は、ここから先を読まれることをお勧めしません。ただし、何らかの奇特な理由でこの作品を気に入っておられて、ストーリーを追いたい方は無理をしてでも読みましょう。今後の物語に欠かせないいくつかの展開があります。

(改頁のつもり)

 さてさて、なんとなくいい雰囲気でクカモンガを出立したエルウィン一行も西へ進むほどに旅路は険しさを増し、いつまでも安閑とはしていられなくなってまいります。とりあえずの次なる目的地はアフラと並ぶ大都邑デステイン(第三回参照)。そこに辿り着くまでの間には如何なる危難が横たわっておりますことやら。
 まずは第五回を御読み下さい。


第五話



「今日は晴れ上がっていい天気だわね」
 馬上で揺られながらエルウィンが誰にともなく話しかけた。
 クカモンガを出立してはや八日。生まれてこのかたイスマスで暮らし続け、遠くてもアフラまでしか足を伸ばしたことのないエルウィンやネルにとっては、これといって見るもののない山間の街道をひたすら西へと歩き続けることも感興を催させるものらしい。
 デステインまでは大きな町もなく、道々の村にある旅亭を借り、あるいは馬に積んでいるテントを張って野宿をしたりしてここまでやって来た。野宿も最初のうちは目新しくて楽しく感じるものだが、これが続くと充分な睡眠や体力の回復といった面で問題が出てくる。ゼニアやレノラ、ヘラなどにしてみれば、身体のつくりのちがいからあまり苦にならないのだが、旅慣れない少年少女に気を使って幾分足取りは緩やかなものにならざるを得ない。
 だがエルウィンもネルもさすがに子供らしく適応力を発揮して、身体が慣れてきた様子である。ひとつには同年代の友達がいることが互いの気持ちを引き立てているのだろうが、実質的な生活面でネルが参加している意味は案外大きい。
 宿屋に泊まるにしても野宿をするにしても、食事や金銭管理、はたまた生理的欲求の感覚は人間と天使や魔族ではずれがある。ゼニアたちに家事の真似事ができないわけではないのだが、エルウィンが多少の不便を忍んで黙っていると気がつかないことが多いのである。その点、家事万能のネルがいれば炊事洗濯からエルウィンの機嫌や体調まで、間接的に眼を行き届かせることができる。ついでにネルの用意する食事は、道具の不十分な野宿などでも質量ともヘラさえ満足させられるものだった。ヘラにしてもクカモンガでの“饗宴”のこともあり、自然ネル同行賛成論へ百八十度転向して寛容な態度で接するようになっていた。
「今日はエル・エマドまで行けるわ」
 ゼニアが晴れ上がった空を見上げながらエルウィンに応えた。
「でも二日前の雨で河が増水して渡し舟が出せないっていうことはないかしら?」
 ヘラが道行きを案じた。
 河というのは東大陸を縦断して南の大珊瑚海へと流れ込むアーニュドルス河のことである。この河は水深を測ること能わず、川幅は対岸が霞む大河であるため、人力では橋をかけることができず、川越えのいくつかの街道は渡し舟によって交通の便が確保されている。
 アーニュドルス河は政治や経済、文化的にも東大陸を二つに分ける地理的境界線となっている。その河水の色と河の両側にそびえる峨々たる山々の眺望から通称を両界山黒竜河とも呼ばれていた。
「普段でも水量の多い河なんだから、あれくらいの雨で船が出せないなんてことはないでしょう」
 ゼニアが楽観論を開陳した。
 一行はそれでも大事を取って、シェダドという村で余分に一泊して様子を見ている。ちなみにエル・エマドは黒竜河の西側、シェダドは東側に位置する街道沿いの小村で、どちらも四五件の旅亭があった。
 二日前の道中で雨に降られエルウィンとネルの身体を心配したこともあっての宿泊延長だったが、そのおかげで慣れない野宿などの疲労も抜け落ちたようで、今朝は少年少女ともいたって元気な表情である。
 ただ、小さな村の旅籠に泊まっていてはネルの枕元に忍んでいけないレノラだけが幾分空腹そうにしていた。
「でも、宿屋で同宿していた西からきた商人さんの言ってたことが気になりますぅ」
「そうそう」
 ヘラが相槌を打った。
 噂というのは、ここ二年ばかりのことだが河の近辺に妖しげなものが住み着いて、河の付近の住民や渡し舟に対して良からぬことをするという噂である。生け贄の羊や供物を捧げたりすると一時は怪事も収まるというのだが、一月と静かになっていてはくれず、近在の村々の出費も馬鹿にならない。
 何度かデステインからも天使が派出してきてこれを退治しようとしたのだが、妖魔は水中に身を隠してしまうので容易に捕まえられずに今に至っているという。
「宿屋のオジサンの話しでは、川面の涼しい早朝にはあんまり現れないそうですけど、陽が高くなると危ないそうですぅ」
 レノラが小耳にはさんだ情報を受け売りした。
「渡し場に着くのは昼前だね」
 ネルが心配そうに言う。
「その魔物、毎日勤勉に出るってんでもないんでしょう?  朝だって絶対安全ていうわけでもないんだし。晩は危なくって船出せないし」
 そう言ってゼニアはチラッとヘラに目配せした。
「こっちは腕利きがいるんだから、心配することはないわよ。なんならあたしが先行して様子を見てくるわ」
 久々に腕前を披露しようと張り切っているゼニアが背後に背負ったフランベルジェの肩紐に手をやった。攻撃型のゼニアは待つのが性に合わない。それにここらでヘラ相手に得点を稼いでやろうという対抗意識もあるのだろう。
「あてにしてるわ」
 エルウィンが口元をほころばせた。




 一行があれこれ喋りながら渡し場へと向かったことはさておいて、一方黒竜河の畔ではエルウィンたちが通りかかるのを待っている者がいた。
 イスマス以来消息を絶っていた天女の蒲公英である。どこでどうしていたものか明らかではないが、彼女は陰にまわって一行に付き従い、旅の安全を見守っていたのだった。このあたりにはエルウィンたちに四日ほど先行して辿り着いていたのだが、シェダドの村でこの河のよからぬ噂を聞き込んで一行が追いついてくるのを待つことにしたのだった。
 蒲公英にしてみれば日の当たる場所で警護役を勤めたいのだが、レノラの膨腹破裂の一件(第二話参照)で気まずいものを抱えていた。そのレノラがエルウィンに同道していることもあり、また一度は警護役を辞した立場もあって遠慮して姿を隠していたのである。今のままの立場で旅を続けるのは侘びしい話だが、一行の前に名乗り出る機会でも訪れないかぎりどうしようもない。
 これも自分で選択した道であると蒲公英は自らを納得させつつ人知れぬ露払いをつとめていた。
「少し早いけど、みんなが渡し場に来る前にお昼にしようかな」
 先日の雨も上がって良い天気である。朝から行き来する渡し舟や河の様子を観察していたが、いまのところ怪しげな気配はない。
 蒲公英は木陰に座り心地のよさそうな岩を見つけると、腰を下ろして背負った包みをほどいた。包みの中には着替えと若干の路銀、それに袖の中に仕込む暗器(隠し武器のこと)や食料などが入っている。
 蒲公英は食料の入った包みから村で買い求めたパンや酢漬けの野菜(ピクルスのような保存食)、果物などを取り出した。肉やチーズなどがないのは、天女はなまぐさものを避けるからである。彼女はパンより米飯が好きなのだが、東海の仙山から引っ越してこのかた、とんと和風の食事にはお目にかかっていない。もっとも、成仙してからこのかた、食べるものに執着したことはないのだが。
 
 蒲公英が今後の旅のことなどをあれこれ考えながらパンを千切っていると、一人の老人が杖を突きつき上流から川沿いの道を下ってくるのに気がついた。人間としては相当長生きの部類に入るだろう。日差しよけの帽子の下の皺深い顔に山羊のような顎髭をたなびかせている。
 その旅塵に薄汚れた服装はどことなくその年齢にそぐわないものを感じる。これほどの年寄りが一人旅をできるとは思えないし、だいいち街道は公英のいる場所より下流である。ひょっとしたら近所の老人かもしれないが、それにしてもかくしゃくとしている。蒲公英の見たところでは八、九十は越えているように見えるのだが、小柄なものの(多分、蒲公英自身より小さい)背は曲がっておらず足取りも軽い。
『まあ、人間の老い方もいろいろあるんだろうから』
 蒲公英が軽く会釈をすると老人は立ち止まって値踏みするようにしげしげと彼女を見た。
「おやまあ、若い娘さんが独りで何をしていなさる?」
 しっかり肚から出ている声で老人が話しかけてきた。
「ええ、旅の連れが追いついてくるのを待っています」
「そうかの。しかし街道はもっと下じゃぞ。最近この河には怪しげなものが出るそうじゃし、こんなところに独りでおるのは物騒じゃぞ」
「ええ、まあ」
 蒲公英は曖昧に返事を濁した。
「それともなんぞ人目を憚らねばならん事情でもあるのかの」
 痛いところを突かれた蒲公英がわずかに柳眉を曇らせた。
「おお、失敬しっけい。いらざる詮索をしてしもうたわ。ところで、儂も歩きすぎて足が疲れておるでの。横で休ませてもろうてもかまわんかの」
「どうぞ」
 妙に鋭い老人を少々怪しみながらも、蒲公英には断る理由も見当たらない。少し横へ腰をずらせて老人が腰をかける場所を作ってやった。
「ありがたいのう」
「大したものはありませんが、食べ物も水もあります。いかがですか?」
「いやいや、気をつかわんでもらいたい。儂は河の流れでも眺めながらゆっくりしておるでの」
「このあたりの景色がお好きなのですか?」
 蒲公英はちぎったパンを口へ持っていきながら尋ねた。
「そういうわけでもないが、二年、いやいや三年ぶりかの。久しぶりに見る河じゃからの」
 やはり遠くから来たらしい。
「では御近所の方ではないので?  そのお歳で三年間も旅をしておられたのですか?
 ああ、すいません。これも余計な詮索でしたね」
「こりゃ一本取られた。お互いにわけありの旅人というわけじゃの。まあ、是非にと問うなら儂のほうの事情は明かさんでもないがの。年寄りはとかく暇での。話し相手が見つかると、こういう機会は逃さぬもんじゃて」
 老人は山羊髭を川面を伝ってくる風になびかせてほっほっほっと笑った。
 妙な年寄りだが悪い人ではなさそうである。エルウィンたちが通りかかるまでの暇つぶしに蒲公英も老人のほとんど一方的な会話に耳を傾けていた。
 蒲公英が昼食を終えて包みを片づけるころ、老人は別れの挨拶を交わすと街道向けて道を下っていった。彼女はその場に残って老人を見送りながら、もうすぐ通りかかるはずの一行を待ち続けた。



 蒲公英の予想より早くエルウィン一行は昼前に渡し場にさしかかった。川幅が広いうえに増水しているので、エルウィンとネルが船酔いしないように昼食は渡河した後にしたので到着が早まったのだった。
 渡し舟は大抵渡し場の近所にある宿屋と抱き合わせで経営されていて、桟橋はその組合の共同管理となっている。女将が宿屋を切り盛りして亭主が艇長を勤めていたりする場合が多く、泊まった宿屋で話しをつけておけば船客が多い日などでも席を空けておいてくれるので船に乗りそびれる心配がない。近所の川漁師や農民が小銭稼ぎに小舟を出したりすることもある。
 無論エルウィンたちはシェダドの村の宿屋で船を予約していた。船が桟橋のどのあたりで待っているかも聞いているし、そうでなくとも昨晩宿屋の食堂で一杯ひっかけていた艇長や水夫たちの顔も憶えていた。
 渡し舟は幅の広い平底舟で全長は十五メートル以上ある。馬や馬車まで渡すことを考えると、この河ではこれでもさほど大きくない部類に入る。船は小さな帆を張ることもできるが、推進力のほとんどは六人から十人ぐらいの乗り組んでいる水夫たちが握る櫓に依存していた。船は河の流れに乗って斜め切って対岸に着くので、上流向けて漕ぎ戻る人手が必要だからである。このため今日のように河が増水していると水夫の人手を増やすので、渡し賃は少々割高になる。
 
「よろしくお願いします」
 午前中に一往復してきて肩脱ぎで休んでいる艇長にエルウィンたちは挨拶した。
「おや、お嬢さんに坊ちゃん、それにお客さんがた、いらしたんですか」
 見た目武骨な艇長はそれでも愛想良く挨拶を返した。
「船は出せます?」
 ゼニアが尋ねた。
「ああ、出せんことはないんですがね。この天気だし、この前供え物をして二週間ぐらい立ってるからなあ」
 そういって艇長はあごをしゃくった。
 艇長が指し示した方向を一同が見ると、桟橋から少し離れた川岸に粗末な石組みの祭壇が設けられている。祭壇には一本の杭が突っ立てられていて、多分それに生け贄の家畜を結びつけるのだろう。
 この季節にしては幾分日差しが強いが、滔々と流れるアーニュドルス河の川面を二三の渡し舟が行き交っている長閑な風景には、そのとってつけたような祭壇は場違いに見えた。
「出るの?」
 今度はヘラが尋ねた。こんな川岸まで魔物が供物を取りに来るのを知って不安になったらしい。
「出たんですよ、別の船ですけどね。水夫が一人」
 よく分からない物言いである。
「死んだの?」
「死んだらおおごとですよ。なんだかね、見えないものを水中から吹きつけてくるんです。そしたら十日ぐらい病気になって寝込んじまうんですよ。おれたちはそれを鬼弾ってよんでますけど」
「避ける方法はないの?」
「いっときは木の板なんぞを楯代わりに船べりに並べてみたんですがね。板に穴が開くんですよ。かんつう?  そう、貫通するっていうんですか。人間は当たっても病気になるだけで、血は出ないんですがね。ええ、銅板張っても駄目でしたよ」
「じゃあ、お手上げじゃない」
 ゼニアが顔を顰めた。
「なあに、お客さんは船底に伏せてりゃいいんです。たぶん船霊様のお守りでもあるんでしょうな。船底に穴を開けられたりしたことは一度もないんです。でもそうなると櫓が扱えないでしょうが。帆だけで走るとだいぶ下流に着いちまうし。で、上流向けて漕ぎ戻るときに水夫がやられちまうというわけなんですよ」
「とにかくあたしたちも先を急いでるのよ。無理にとはいわないけど、五割増しでもいいから船出せない?  心付け(チップ)もはずむから」
 こちらの足下を見ていたわけでもないのだろうが、あまり乗り気でなかった艇長の心が動かされたらしい。後ろを振り向くと怯えた表情を隠してやる気のなさそうにブラブラしていた水夫たちも話しの成り行きに耳を澄ませている。
「でもいいんですかい?  こういうことがあるときは大抵河の魔物が腹を空かせてるんで、供え物を要求しているんですよ。旅を急いでいなさるんなら、金さえ出してくれりゃあ、そのあたりで羊か豚でも買ってきますがね。そうすりゃ晩の間に魔物が喰っちまうから、明日の朝は安全に渡ることができますよ」
 この提案にはゼニアが反対した。
「なんの、船頭さんはあたしたちの腕前を知らないからそう言うけど、こっちだって怪物退治の専門家ですよ。そこまで手間暇かけるよりも、出たら出たであたしたちが退治するほうがよっぽど手っ取り早いです。そうすれば災いを根こそぎ取り除けるわけで、皆さんも余計な出費をせず枕を高くして寝られるというものです」
 別段金が惜しいわけではないし、エルウィンの安全を無視するわけでもないが、好戦的なゼニアは話しを聞いたときから腕が鳴っているし、地域住民の皆様方へのサービス提供という考えもある。
「はぁ、そりゃあそれで有り難い話しですが。とにかくこっちはお客さんがたを無事に渡すのが商売ですから、船を出してる最中にドンパチなっちゃ困りますぜ。でも、もし本当に退治してくれるんでしたら、エル・エマドの村ではただで宿屋を用意させますし、その辺の家を回って謝礼だって集めてきますぜ」
 船賃を無料にするとは言わないあたりが商魂たくましい。
「いえ、お礼のほうは結構ですから・・・・」
「ゼニア、祭壇!」
 エルウィンが横道へそれた会話を引き戻そうとしたとき、ヘラが緊張した声で注意を促した。
 桟橋にいる全員の目がヘラの声にしたがって一斉に祭壇のあたりの水面に注がれた。見れば水面になにやら河の流れとは違う水の動きがある。と、次の瞬間には渦を巻き始め、ドッと竜巻のように水の円柱が立ち上った。
「いけねえや、出ちまった! ! あんたがあんまり腕自慢するからだよ」
 ゼニアの所為でもあるまいが、桟橋はたちまち大混乱になる。水夫たちが大慌てで陸を目指して逃げ出した。
「お客さん、早く地面のところに上がるんだよ! !」
 そう叫ぶ艇長は早くも桟橋を半分以上駆け戻っていた。
「ヘラ!」
「うむっ!」
 ゼニアに指示されるよりもはやくヘラがエルウィンを庇う体勢にはいった。
「ネルくん、逃げるですぅ」
 レノラがしがみつくようにしてネルを引っ張る。
「待って。馬が・・・」
 ネルは馬の手綱と格闘していた。
 船に乗り込ませるために荷物を降ろしたばかりの馬が、幅の狭い桟橋の上で怯えてしまい脚を突っ張って動こうとしない。動かないだけならまだしも、暴れて棒立ちにでもなれば蹄に引っ掛けられる恐れすらあった。
「来るぞ!」
 戦闘態勢になったゼニアの額の角がヌッと伸びた。
 祭壇の付近で立ち上っていた水の竜巻がこちらの存在に気づいたように動き始めた。空高く巻き上げられた河の水が風に流されながら霧雨のように降ってきて桟橋を濡らす。
「ヘラ、みんなを陸へ」
 ゼニアがフランベルジェの鞘を払う。ヘラが片手に三尖両刃刀を構え、片手にエルウィンを抱き寄せた。
「ネル君、馬は・・・!」
 ヘラが注意しようとした瞬間、水柱が一気にこちらへ突進してきた。人もろとも船も桟橋も巻き上げんばかりの勢いである。もはや逃げ出そうにも間に合わない。
「この場は任せろ! ! ヘラ、後を頼む」
 背の翼をひろげたゼニアが空を蹴って飛び出した。
 どのような術を使っているものか、水の円柱がその形を保ったまま切り倒される巨木のようにこちらめがけてゆっくり傾いてくる。圧倒的な水量で桟橋の上に残っているものを押し流そうというのであろう。
「レノラ、飛べ! !」
 叫びながらヘラが翼を生やした。脇に楽々とエルウィンを抱え上げている。
「あわわ、ネルくん、馬は諦めて」
 レノラがオタオタしながらもネルの手から手綱をもぎ取った。そのままネルを抱えて飛び立とうとするのだが、運動音痴の上に非力なレノラでは離陸も容易ではない。
「もちっと身体鍛えなさいよ」
 エルウィンを小脇に抱えたヘラが横からネルの腕をつかんで離陸を助けた。大柄で俊敏さにはいささか欠けるものの、ヘラが体力にものをいわせて飛空術を使えば三人いっぺんにでも釣り上げることができる。
「ゼニア、あれは逼水の術(水を押さえる術)よ。敵は水中じゃない。あそこの中ほどにいるわ」
 ヘラが水柱の真ん中あたりを指さした。水の属性を持つ彼女は、こういう状況ではゼニアよりも感覚が鋭い。
「おうよ! 爆雷波、三連弾」
 立て続けに連射された火球がヘラの指し示したあたりに叩き込まれる。次の瞬間、水柱が水蒸気爆発を起こしてドッと崩れ落ちた。
 覆いかぶさるように降り注いでくる大量の水をかろうじてヘラたちが躱した。
「そこか」
 ゼニアは緊箍の能力を引きだすと、頭上から叩き付けてくる水もものともせずに影目がけて突っ込んでいき、フランベルジェを両手で振り回すと一撃を加えようとした。
 だが相手もそれを疾く察したらしく、鉤爪のついた前肢を伸ばすとフランベルジェの切っ先を受け止め、ゼニアの横をすり抜けていく。『竜か!?』(注
 竜は東洋では聖獣とされ、その出現は瑞兆ですが、西洋では一般に暴力・悪の象徴とされ怪物視されているようです)
 ゼニアは水煙に見え隠れしながら桟橋めがけて急降下していく竜を追った。だが一歩先んじている竜は桟橋の上で立ち往生していたネルの白馬を引っ掴むと河の中に飛び込んでいった。
 闇雲に竜を追って勝手の分からぬ水の中へ飛び込んでいくのは危険である。ゼニアは空中に留まって呪文を唱えはじめた。
 これはいわゆる“移山履海の術”(山を移し海をひっくり返す術)といわれるもので、世界を形作っている四大元素の精霊、いまの場合は水の精霊に働き掛けて気脈を乱すのである。この術は見た目に派手な現象は起きないが、術力の強い大天使や魔族の総裁たちなら術の範囲内の生命体を根こそぎ滅ぼすこともできる。
 むろんゼニアはそれほどの大技は使えないが、河の水を掻き回して竜を燻りだすぐらいのことはできる。竜とて本質をもって生命エネルギーを運行している以上、水の中の気を乱されて安穏としていられるはずはない。
 案の定、しばらく呪文を唱えていると、我慢できなくなった竜が水面を割って飛び出してきた。
 竜は雲を踏んで空へ舞い上がると変化して人の姿をとった。年の頃は三十前後の気の強そうな女性である。それが朱塗りの鎧を身にまとい、腰に吊るした一振りの宝剣を抜き放つとゼニアの前に立ちふさがった。
「なんですか、貴女は。妙な術を使ってひとに不愉快な思いをさせるとはどういうことです」
 いかにも年上の女性らしく、叱責するようにゼニアをなじった。
「なにが不愉快だ。こちらは千年祭の祭司の一行だぞ。祭司は脅かすは、馬は奪うは、その上ここ数年、河を渡ろうとすると人たちに危害を加えて供物を要求していたとか。ここで会ったが百年目、おとなしく我らの門下に帰順して馬を返し河を渡る手助けをすればよし、そうでなければ明日以降の飯の心配をする必要はなくなると思え」
 ゼニアは額の角を振り立て、犬歯を剥き、魔族生来の凶暴さを見せつけて竜の化身を威嚇した。
 だが竜の化身とてゼニアの口上程度で恐れ入るはずもない。
「いかなる理由があろうとも、この河はこちらの領分。人間とて勝手に船を出して魚を捕ったり、旅人を乗せて金を稼いでいるではないですか。力のあるものが己の利をはかるのは当たり前のこと。そちらが頭を下げて礼を尽くし、牛の二三頭も供えるなら今までの悪口は見逃してあげても構いませんが、そうでなければこの河を渡って西へ向かうことなどさせません」
 頭を下げろと言われて、逆にゼニアは完全に頭に血が上った。
「力の優劣を競うというなら、なおさら頭を下げたりする必要はないわ。こっちこそ、あんたがいま掻っ攫っていった馬に加えて、二三頭の驢馬でもつけて返すって言うんなら見逃してあげてもいいけど、そうでないなら今すぐその鎧を脱いで白装束(死装束)に着替えたほうがいいわよ」
 売り言葉に買い言葉も、ここまでくれば交渉決裂は明らかである。
 竜の化身は剣を振りかぶってゼニアに斬りかかってきた。
「この蝙蝠もどきの女郎め(ゼニアの翼は蝙蝠のような皮膜)
 言わせておけば好き勝手なことを。白装束はそっちに誂えてやるから、この剣でもくらいなさい」
「なめてくれたな、この鱗の生えた泥鰌(ドジョウ)め
 そんなちゃちなあたしが斬れると思うのか」
 ゼニアも勇を奮ってこれを迎え撃つ。
 河岸の方からはエルウィンたちをはじめとして、とうの昔に逃げ散っていた水夫たちも草叢や木立の陰から顔を覗かせて声援を送る。
 憤怒の勢いに励ましの余勢も駆り、ついでに緊箍の能力まで引き出しての空中戦ともなればそんじょそこらの水怪ではゼニアにかなうはずがない。十四五合と斬り結ばないうちに竜の化身である女怪の手並みが乱れはじめた。
 ゼニアが隙を見て頭から真っ二つにしてやろうとすると、女怪はこれを受け止めると見せかけて、背を向けると河の中ほどへ逃走しはじめた。
「逃げるな! !」
 ゼニアが急降下して女怪と水面の間に入り、相手の退路を断とうとした。緊箍の能力を引きだせば、スピード勝負でも彼女の方に分がある。
 だが、追いついたゼニアが背後から女怪を一刀のもとに切り捨てようとしたとき、下方の水面がわずかにさざ波だった。
「うおぉっ!?」
 強烈な苦痛にゼニアが吼えた。
 船頭が教えてくれた目に見えない攻撃、鬼弾である。
 体勢が崩れたゼニアめがけて水中から縄状のものが繰り出されてきた。
「ゼニアさん!」
 岸で見ていたレノラが悲鳴を上げた。
「いかん!」
 レノラの横でヘラが唸る。もはや助けに行っても間に合わない。
 縄状のものに搦め捕られたゼニアはそのまま水の中へ引きずり込まれていった。



「仕舞った ! 出遅れたわ」
 遠目に成り行きを見守っていた蒲公英は臍を噛んだ。ゼニアの手並みが鮮やかなので、一気に勝負を付けられないまでも、水怪を敗走させて追い払うことができると踏んでいたのだが、敵が一人とは限らないことを予想していなかったのである。
 エルウィン一行が動揺していることは傍目にも分かる。ヘラが血気に逸ってゼニアを助けに行かないのは、一見無情なようだが冷静な判断である。水の属性を持つヘラなら水中でも遅れをとることはあるまいが、一対二では勝利を収め難いし、一方の相手をしている間にもう一方がエルウィンたちを襲うことも考えられる。
 こうなっては公英も陰から手助けしようなどとしている場合ではない。ゼニアが自力で脱出してくることに期待すべきでもない。取り急ぎ一行に合流し、ヘラと力を合わせてゼニアを救出しつつ河を渡る方策をとるべきだろう。
 そう決断した蒲公英は一行のもとに合流すべくその場を飛び立とうとした。
「あぁ、娘さん、お待ちなされ」
 不意に蒲公英の背後で声がした。驚いた彼女が振り向くと、先程別れた老人がやはり先程と同様飄々とした風情で髭を微風になびかせていた。歩いて引き返してきたというよりも最初からその場に立っていたように見える。
「貴方はいったい?」
 蒲公英は警戒して鉄扇を構えた。
 この老人は只者ではない。気配も足音も感じさせずに彼女の背後をとれるものなどそうそういるものではない。
「物騒なものを構えるでない。儂はお前さんの敵ではないよ」
 老人は歯の抜けた口でホッホッホッと笑った。しなびた顔が相好を崩すと虫に食われた干し柿のようだが、醜怪というよりは愛嬌を感じさせる表情である。
 蒲公英は構えを解いて鉄扇子を帯に挟んだ。怪老の正体が分からないので油断はしていないが、彼女の背後をとった者を出し抜けるかどうか確信が持てない。もし老人が怪しい挙動をすれば、攻撃呪文で牽制しつついったん退いて間合いをとるつもりだった。
「お前さんが助けに行ったとて、正面切って戦えばあの二怪を相手に勝つことはなかなか難しかろう。見てのとおり、あれの手並みはさほどのものでもないが、先程あの魔族のものを撃ち落として搦め捕った術は特別な魔道のアイテムによるもの。むやみに戦いを挑むのは危険じゃ」
 蒲公英ははたと思い当たった。
「御老人、あなたはどうしてそのようなことを知っておられるのです?  もしや長老派の方々のおひとりでは?」 (第二回参照)
 老人は深刻な事態などどこ吹く風でにこにこしている。
「いかにもいかにも」
 まるで蒲公英と謎解き遊びを楽しんでいるようだった。老人は玄孫が初めて言葉を喋ったかのように感心して蒲公英の顔を眺めている。
「おおかたイスマスに来た上級天使から聞いたのであろう。祭司選抜の伝達役はガブリエルというたかの。いかにも儂は長老派のひとり。仲間うちでは黒竜河の河伯と呼ばれておる。東方の結界の守護者じゃ。新たなる千年期の巡礼者がこの地より生まれると知り、この河を結界として以東の地を守護しておった。河の底には黒竜河黒竜洞府と呼ばれる神殿があってな。儂はここに住んでおったのだが、二年ほど前二匹の妖魔が住み着きおって、洞の宝物を持ち出し不埒な行いをしておるのじゃ」
 なるほど家を留守にしていても、長老派は天地のことに通じている。
「まさか、その妖魔に追い出されたのですか?」
 長老派が勝てぬほどに手ごわい相手なのだろうかと蒲公英は首を傾げた。
「いや、結界が広すぎて所々のほつれ目から小悪党が出入りしよるでの。見回りのために留守にしておったら勝手に上がり込んでおったのじゃ」
「で、先刻の攻撃はその宝物の能力なのですか?」
「そうじゃ」
 随分と不用心でいい加減な爺様である。
「ではその武器と神殿は長老様のものなのでしょう。長老様のお力で宝物の能力を封印して水怪を退治し、祭司一行の西行きを助けてはいただけませんでしょうか」
 蒲公英は礼儀を尽くして頭を下げた。
「面倒くさいからいやじゃ」
 河伯はいかにも面倒くさそうに言う。その姿は借りのもののくせに、まるで本当に偏屈な年寄りのような物言いだった。ガブリエルの言っていたとおり、長老派は世事にかかわるのが好きではないらしい。
 蒲公英としては、河伯が協力してくれないとなると、こんなところでグズグズしているわけにはいかない。河伯は蒲公英が気分を害して表情をわずかに変えたのを咎めた。
「まあ、そうムッとするな。己の本分を尽くさずして神頼みにしようとするなぞしていては、おまえもあの一行も西天で主を拝することなどできはしまいぞ」
「されどこのまま待っていても、何も解決いたしません」
 気の急く蒲公英は風を起こして飛び立とうとした。
「そう先を急くな。彼奴らは洞の宝物にその能力を依存しておると言ったであろう。それを逆手にとれば退治するのは容易なことじゃ。それに儂にはこの先の展開が読めておる。それを教えてやるから、もう少し年寄りの話し相手をせい」
「はあ」
 世間話のような雰囲気だが、長老派の命令である。蒲公英はやむを得ず袂に孕んだ風をおさめて老人の話しを聞こうとした。
「まずあの飛び道具は鬼弾という術じゃが、あれは水の属性の気を利用したもの。肉眼では見えぬし当たれば毒にやられる。じゃが人間には効果があっても、おぬしたちには致命傷にならん。さっきのような不意打ちでなければな・・・・儂の見たところ、あの大柄な天使なら相当の攻撃にも耐えられそうじゃ。そこでおぬしの役割じゃが・・・・」
 河伯は話し続けながら懐から黒く濁った珠を取り出した。



 一方、馬を奪われゼニアを捕らえられたエルウィン一行は、とりあえず難を避けて河岸を離れ、街道を引き返したところで休んでいた。渡し場にたむろしていた船待ちの客や水夫たちもクモの子を散らすように逃げてしまっていた。
「ヘラさん、どうするの?」
 エルウィンが尋ねた。
「とりあえずは下流の方に迂回して、安全に河を渡れそうなところを探しましょう。それから近所の村で馬を買って旅を続けるんです」
「ゼニアさんは?」
「川底に引っ張り込まれてどうなったのか分からない。どうしようもないわ」
「じゃあ、見捨てて行くっていうの?」
 驚いたネルが口をはさんだ。
「警護役は消耗人員だから。あくまでエルウィンの安全が最優先なの。それにゼニアだって、今ごろどうなってるか・・・」
 すでに命はなくなっているかのような物言いである。
「ふみぃ〜〜、無精しちゃいやですぅ。お願いですからゼニアさんを助けてください」
 レノラが身を揉んで頼む。
「そうよ。先へ進むにしても、せめてゼニアさんがどうなったか確認しなきゃ」
 エルウィンがレノラに賛成した。
「でも相手は二人よ。一方と戦っているうちに、もう片方があなた達を襲ったら」
「それはないと思うの。さっきの様子だと水から離れたがらないようだし、先に馬を襲ったことからして、うわさ通りこのあたりに住み着いているだけの魔物だと思うの。アフラの時みたいに特にあたしを狙ってはいないみたい」
 エルウィンはなかなか正確に観察している。
「それじゃあどうするの?」
 全員反対の様子にヘラも迂回論を撤回した。
「あたしたちは安全なところに隠れてるから、とりあえず一戦してみて。うまく相手を捕まえられたら、こっちの人質にしてゼニアさんを取り返すのよ」
 ヘラの防御力には定評があるし、今度は敵の手のうちも分かっているからそうそう後れを取ることはないと思う。むろん、危険だと判断すれば後退するのは構わない。
 エルウィンは筋道を立ててヘラの助力を頼んだ。
「分かったわ」
 エルウィンの妥当な提案にヘラも同意した。彼女にしてもゼニアのことが気掛かりでないことはないのだが、それ以上にエルウィンたちに嫌われることがこわい。逆に功をあげればアフラでの借り(第三回参照)をゼニアに返せるし、みんなの好意を得られれば後々寝所での楽しみにもありつけるかもしれない。
 ヘラは装具の点検をすると三尖両刃刀を携えると背中の羽翼を伸ばして舞い上がる。
「気をつけて」
「ゼニアさんをおねがいしますぅ」
 声援からの声援を受けてヘラは黒竜河の水の中へ飛び込んでいった。



「くそっ、解けない」
 身体に食い込むように巻き付いている縄を解こうとゼニアはもがいた。手足をきつく縛められているので息をつくのがやっとという有り様である。諦めて周囲を見回すと先程の竜が人型に変化したのか、母娘とおぼしき二人が祭壇の大鼎(広辞苑注
 鼎 =中国古代の銅器の一。器形は両耳・三足を有する。食物を煮るのに用いたが、後には祭祀用。王室の宝器として王位・権威の象徴となる)の前に立ってなにやらしている。
 ゼニアが唸りながらもがいているのに気づいた二人が振り返った。鳥に捕まった芋虫のように為す術のないゼニアを見て、娘の方がクスリと笑った。
「それは幌金縄(こうきんじょう)という特別なアイテムよ。ちょっとやそっとのことで切れたりしないし、呪文を唱えないと解けないのよ」
 勝者の余裕というものか、ゼニアと戦った年嵩の女が優雅に挨拶した。
「ようこそ黒竜洞へ。私は竜女。これが娘の」
「小竜です」
 小馬鹿にしたようにまた娘が笑う。
 ゼニアは猛烈に腹をたてた。
「これ、ほどきなさいよ! ! じゃないと、あたしの相棒が乗り込んできて、こんなケチな水洞なんか一撃でぶっ潰すわよ。そうなってから命ごいしたって遅いんだから!」
 犬歯剥き出しの凶悪な面相でゼニアが罵った。本当にヘラが助けに来てくれるとは期待していないのだが、打つ手もない以上せいぜい虚勢を張るしかない。
「脅したって無駄ですのよ。貴女のお仲間ならもと来た道を戻っていったわ。おおかた下流で河を渡るつもりでしょうけど、そっちは私たちの領分ではないからどうでもいいことよ。私たちは私たちで久しぶりの御馳走を楽しみましょう」
「ごちそうぅ〜? ! こら待て、あんたらあたしを食べる気か?」
「ええ、まあ。といっても頭からかじるわけじゃありませんから御心配なく」
 そういいながら母娘の竜の化身が近づいてきた。
 ゼニアは身を捩って縄を振りほどこうとするが、幌金縄はいっそうきつく身体に食い込んでくるばかりである。ゼニアは二人がかりで担ぎ上げられると、牡牛でも丸ごと煮てしまえそうな大鼎の傍に連れてこられた。担がれたゼニアが首をひねって鼎を覗き込むと、中には異様に澄みきった水が半分くらい溜められていた。
 さては煮て食うつもりだな、と思う間もなくゼニアは鼎の中にドボンッと投げ込まれた。
「うわっ、ぷっ!」
 水はゼニアの股下ぐらいまでしかないのだが、手足の自由がきかない彼女は鼎の底で咽せながら浮き沈みした。
「げほっ、げほっ、くそっ、ここから出せっ!」
 なんとか足を突っ張って姿勢を確保したゼニアが内壁に背を押し付けて叫んだ。すると二怪が上から見下ろしてきた。
「その中に入っている液体はただの水ではないのよ。この黒竜河流域の全ての水と関わりのある、天象地象を司る元気(広辞苑注 天地間に広がり、万物生成の根本となる精気)ともいうべきもの。半時(約一時間)も漬かっていれば貴女の本質にも干渉してエネルギーを同化してしまうわ」
「あたしをスープにして飲もうっての」
「スープにするまでもないわ。私たちはこの水宮の宝器である大鼎に自分たちの本質を宿らせているの。だから鼎の中に“溶け出した”貴女のエネルギーはそのまま私たちのものになるのよ」
 魔物の中には自分の体内で気を練ったりするのが苦手なものもいる。こういう魔物は魔法のアイテムに自分の本質を宿らせて、能力を伸ばしたしたり本質の変成を防いだりすることがあるのだ。
 この竜の母娘の場合もそれに当たるのだろうが、とどのつまり鼎の中のゼニアは今のままの状態で母娘の腹の中で消化を待っていることになる。
「あ、あたしなんか食べたら、頭が腫れて目が潰れるわよ !」
 ゼニアは慌てた。竜女の言うことが嘘ではない証拠に、だんだん力が抜けてきてうっかりすると意識の焦点が定まらなくなってくる。鬼弾の毒の影響もあるのだろうが、このままではどれくらい持ちこたえられるか分からない。
「どうぞそのままごゆっくり」
 母娘の姿が見上げるゼニアの視界から消えた。
 ところで祭壇から降りた母娘は洞周辺の河水の動きに変動があることを察知した。水中に結界を張り巡らせていることもあるが、そうでなくとも黒竜河の流れを司る宝器に本質を同調させているから、寝ていても河中の様子は手に取るように分かる。
「お母様?」
「さきほどあの魔族が言っていた相棒でしょう。わざわざ私たちの領分である水の中にやって来るとは、振り上げた斧の下に首を差し出すようなもの」
「今度はわたくしが行って参ります。幌金縄はありませんが鬼弾の術は使えます。追い払うか時間を稼ぐぐらいはできるでしょう。鼎の中の魔族が吸収されてしまえば、一人ずつ捕まえて久しぶりに満腹するまで食事を楽しみましょう」
 竜には血肉への嗜好があるが、魔族や天使のエネルギーを吸収したほうが効率がいいし、相手の能力を取り込んでレベルアップすることもできる。その意味では格好の餌食が向こうからやって来てくれるというわけである。
 小竜は人型のままの姿に鎧をまとうと宝剣を引っさげて洞を出陣していった。



 河中に飛び込んだヘラは用心しながらも、なるべく急いで水怪の隠れ家のありそうな場所へ急いでいた。特にこの河に詳しいというわけではないが、水の属性をもつだけに水中での勝手は心得ている。
 海にせよ河にせよ、水の中というのはなかなか天使や魔族の支配力の及びにくいところで、成仙(仙人に成ること。つまり寿命とか生物としての能力的な境界を越えてより高度な存在になること)したり妖怪になったりした水棲生物が気ままな暮らしをしている場所である。なかには天使たちと結んで人間の水上交通や漁の便宜を図ってくれたりするものもいるが、この河の主は明らかにそうではない。
 水怪が二匹ぎりならまだよいのだが、団体で現れた日には直ちにまわれ右して逃げなければヘラも危ないのである。
 水中での人型の不利(水の抵抗が大きい)を補うために、ヘラは水壁防御の術を用いて水の被膜を作り出していた。これなら身体の周囲の水が防御壁の役割を果たすと同時に、水の抵抗を減らせるので俊敏さが損なわれない。天使としては珍しいのだが、体重の重いヘラにとっては飛空術で空を飛ぶより水中のほうが得意なのである。
 黒竜洞の二怪がヘラの接近を感じ取っていたように、ヘラも川底の様子をかなり正確に読み取っていた。彼女が水怪の住み処があるのではないかと睨んだ辺りからなにものかが水を掻き分けて近付いてしてきた。
 近寄ってみると見かけは年の頃十六七、漆塗りの黒い鎧に面防なしの兜を被り、腰に一振りの宝剣を佩いた少女である。
「お前かっ! うちの相棒と馬をさらっていったのは! !
 どっちもさっさと返して河を渡らせろ」
 ヘラが一喝すると小竜も負けずに、
「この河はこっちの領分、いわば家のようなもの。ひとが家の中でなにをしようとこっちの勝手よ。ひとのうちに上がり込んで怒鳴り散らすとはどういう了見! !」
「何が家だっ! ! 河は天下の往来だ。それを屁理屈こねて、道理の暗いことを言いやがって。この小娘がっ! !」
 小娘呼ばわりされて小竜も怒り、
「馬はとうの昔に食べちゃったから返しようがないし、あんたの相棒はこれから喰うところだから返さない!
 この大女が、身体だけじゃなく態度まででかいとは! ! ひとを小娘呼ばわりする前に、自分がちっとは痩せたらどう! ! !」
 大きい太い重いの三語はヘラにとっては禁句である。ヘラは大いに怒って三尖両刃刀を振りかざした。
「もう許さん。こっちが下手にでていれば、言うに事欠いてなんちゅうことを!
 容赦をするのは口喧嘩、剣を抜いたら容赦せぬ、という言葉を知らんのか。さあ、来い。この長柄を三合受けられたら褒めてやる! !」
「なにをほざくか。あんたこそ、山椒は小粒でも辛い、という言葉を知らんのか。ウドの大木め、この剣をくらえ!」
 小竜も剣を抜き放つとヘラめがけて斬りかかった。
 ヘラも三尖両刃の大刀をふるって迎え撃った。
 膂力においても技量においてもヘラのほうに一日の長があるのだが、彼女は小竜を取っ捉まえてゼニア交換の人質にしなければならない。水辺の方へ誘い出すべくじりじりと退きながら縛妖鎖をつかう機会を窺う。
 いっぽうの小竜はヘラの戦意がさほどでもないと見て取ると、調子に乗って宝剣を振るいめったやたらと斬りつけてきた。
 かくして両者一進一退の攻防を水中で繰り広げたことはさておいて黒竜洞の中では・・・



 河伯の指示にしたがってヘラと小竜の戦う様子を窺っていた蒲公英は、陰風に身を隠して洞内に忍び込んでいた。
『なるほど話に聞いた通り、入り口から見た感じよりもずっと広いわ』
 ただ川底の岩盤をくりぬいているだけの空間ではないのだろう。洞内の空気は外とは微妙に異なっていた。
 蒲公英が物陰に身を潜めながら洞の奥へと進んでいくと、祭壇のある大広間へ出た。祭壇には身の丈の倍近くありそうな大鼎が据えられていた。鼎の横には階段が取り付けられていて、そこに人間の女性の姿をした妖魔が立っていた。妖魔は竹竿の棒をもって鼎の中身をかき回したり突いたりしていた。
 時折鼎の中から罵声やら何かが水の中でもがいているような音が聞こえてくる。その中にゼニアが放り込まれているらしい。どういう具合かは分からないが、ゼニアが自力で鼎から出られないのが良くない状況であるのは容易に察せられた。
 悠長にしている時間はない。蒲公英は鉄扇子を構えるといきなり物陰から飛びだした。
「何奴! ?」
 驚いた竜女が振り向いた。よもや黒竜洞の結界をくぐって秘かに忍び込めるものがいるとは思っていなかったのだろう。
 風を切って蒲公英が一気に間合いを詰める。
 最初の驚きから立ち直った竜女が何かを投げつける仕草をした。
「当たるか!」
 蒲公英が空中で身をかわした。
 一瞬前まで彼女がいた空間を何かがかすめ飛ぶ。
「よけた? ! まさか」
 河伯の教えを受けたおかげで、蒲公英は目に見えない鬼弾の発せられるタイミング、弾速と弾道まで承知している。
 蒲公英が鉄扇子で女怪を打ち据えようとした。竜女は原形をあらわして竜の姿になると蒲公英を爪にかけてひねり潰そうとしてきた。
「旋風(つむじかぜ)!」
 目眩しの風を竜の顔に叩き付ける。風にあおられた竜が瞬膜を引き上げて一瞬怯んだ隙に蒲公英は飛び下がって竜の爪をよけた。そして畳みかけるように攻撃呪文を唱える。
「鎌鼬 !」
 蒲公英は両袖から真空刃を操る風の精霊を繰り出した。今度の鎌鼬はレノラのレオタードを切り裂いたような生易しいものではない。(第一回参照)
 世に竜鱗の鎧といわれるものは最高の防御アイテムの一つだが、蒲公英の鎌鼬はそれですら割ることができる。袖口から飛び出した鎌鼬は彼女を引き裂こうと伸ばしてきた竜の前肢を切り裂いた。
 苦痛の咆哮をあげながらも、竜は怯まずに狼牙棍(棘を取り付けた棒状の打撃武器)のような尻尾を振り回して蒲公英を叩き潰そうとする。
「衝撃破壊砲! !」
 蒲公英の周囲の空気が一瞬にして手元で圧縮され、音速以上の速さで前方に向けて発射される。そのときに発生する衝撃波がもろに竜を弾き飛ばして洞内の壁に叩き付けた。『なるほど河伯様の仰しゃっておられた通りだわ』
 見れば竜は壁に叩き付けられたダメージで幾分視点が定まらない様子で警戒と威嚇の唸り声をあげているが、前肢や胴体にさほどの手傷は負っていない。
 本質が大鼎に宿っているので肉体への攻撃が致命傷にならないうえに、鼎に蓄えられた元気から回復に必要なエネルギーを得られるので蒲公英の大技もさほどの効果をあげていないのだった。
「そういうときにはこの宝珠を使うがよかろう」
 そういって河伯がくれたあまり奇麗とは言えない球体を蒲公英は懐から取り出した。河伯は宝珠といっていたが、見た目は黒いというより濁っているような感じだし、手触りは湿っているわけでもないのにヌルヌルして気味が悪い。それに少し変な臭いもする。
 蒲公英はその感触に顔を顰めながらも珠をしっかり握って大鼎めがけて投げ込んだ。



 その瞬間小竜の身体に異変が起こった。
 丁々発止のやり取りでヘラと互角に戦っているように見えた小竜が、ウッとひと声呻くと片手を腹にやってつんのめった。
「隙ありっ! !」
 この機会をヘラが見逃すはずがない。ヘラは腰に吊るした縛妖鎖を繰り出した。縛妖鎖は獲物を見つけた海蛇のようにウネウネと延び、十重二十重に小竜の体に巻き付いた。
 小竜が身悶え、鎖が軋む。
「無駄よ。その鎖はわたしが呪文を唱えないかぎり解けないわ」
 得意満面のヘラが縛妖鎖を手繰り込む。無論、水怪の片割れが助けに現れるかもしれないので油断はしていない。
 だが小竜がもがいているのは縛めをほどこうとしてのことだけではない。
「??」
 ものすごい力で力んでいるのか鎖が緊張して鎧に食い込むようにヘラの目には見えたが・・・・
「うぐぅ・・・鎖を・・鎖を緩めて下さ・・・」
 小竜が息も絶え絶えにヘラに哀願しようとした。再び縛妖鎖が軋みをあげた。
「えっ! ?」
 今度はヘラも小竜の身体の異変に気がついた。先程から縛妖鎖が軋んでいるのは水怪が力を込めて鎖を断ち切ろうとしているからではない。小竜の身体が、特に腹部のあたりがゆっくりと、だが確実に膨らんできているのだった。
「いったい?・・・」
 何が起こってるのかヘラには分からない。だが膨張する圧力は信じられないほどのものであるらしく、縛妖鎖を緩めないと本当に引き千切られてしまいそうである。ヘラが慌てて縛妖鎖を緩めると、途端に小竜の腹が爆発的な勢いで膨らみはじめた。
 鎧を結び固定している紐や金具が弾け飛び、鎧が河の流れにさらわれていく。と瞬く間もなく戦袍や下着もズタズタに裂けてその下から二抱えはありそうな腹が重々しく揺れながら飛び出してきた。
 この腹で小竜が水面に浮かんでいかないのは、おそらく爆腹の中身が液体だからだろう。
 ヘラがそう考えているうちにも小竜の腹はどんどん膨らんでいく。それにつれて縛妖鎖を緩めてやらなければ、今にもはち切れそうな腹に鎖が食い込んで大爆発してしまいそうだった。
「お、お願いです・・助けて下さいぃ」
 今や四人がかりでも抱えきれるかどうかという超腹で小竜は水の中に浮かんでいた。手足もほとんど動かすことができず、水の中を自在に泳ぎまわる術力も失われてしまったらしい。ヘラが足首に縛妖鎖をくくりつけていなければ、巨大な水風船のように下流へ流されていってしまったはずである。
「それにしても・・・・」
 捕まえたのはいいが、後の処置に困る。このまま引っ張ってエルウィンたちのところへ連れていこうとしても、水から引き上げたら自重で腹が裂けてしまうだろう。このまま川底のどこかにある住み処へ連れていって人質交換をするか、この場で腹を突っついて退治するか二つに一つしかなさそうである。
「いい?  これからあんたを人質にして、交換にうちの相棒を開放してもらうわ。だからあんたの住み処を教えなさい。いやだの“い”の字でも行った日には、その腹をこれで突っついて破裂させてやるわ」
 ヘラは左手で縛妖鎖を手繰り寄せながら、右手で三尖両刃刀の切っ先をユラユラと河の流れに揺れている超腹に毛一筋の間近まで近づけた。
「ひっ!
 そっ、それだけはやめて下さい! !」
 小竜が悲鳴に近い声をあげた。こうなっては抵抗のしようもない。しぶしぶヘラに黒竜洞の場所を教える。
「それじゃあ行くわよ」
 ヘラが風船体型の小竜を引っ張りはじめた。
「あっ、あっ、ちょ、ちょっと速すぎます。お腹が割れちゃうぅ」
 小竜が腹の向こうで泣き声で頼んだ。あまり速く引っ張られると、水の抵抗で腹に圧力がかかってしまうのである」
「いちいちうるさいなあ。勝手に馬は喰うわ、相棒は攫うわ。その上勝手に膨らみやがってそんなでかい腹になって、しかもまだ膨らみ続けてる。なんの病気が知らないけど、あんまりゆっくりしてると洞に着く前に腹が破裂しちゃうわよ」
「ひっ! !」
 確かにヘラの言うとおり。先程までの勢いはないが、まだ小竜の腹は膨らみ続けていて、そうこうしているうちにも一回り大きくなっていた。
「は、早くはやく。貴女の御友人はお返ししますから急いで下さい」
「あー、もう、面倒くさいなぁ、早く遅くって。いっそこの場で・・・」
「これこれ、そのような短気を起こしてはいかんぞ」
 ヘラの背後で不意に何者かの声がした。



「これが宝珠の能力・・・」
 黒竜洞内の蒲公英も唖然としていた。彼女の目の前には自分の体の五倍ぐらいは軽くある巨大に膨れ上がった腹の下敷きになって身動きできなくなっている竜がいた。これなら手のひらサイズの鎌鼬でちょっと腹の皮に傷をつけてやれば大爆発間違いなしである。
「・・・と、その前にゼニアを・・・」
 蒲公英は大鼎の傍に行くと中を覗き込んだ。
 中の液体(元気)は今までの凍てつくような無色透明からどす黒く濁っておまけに異臭までしていた。粘りこそないものの、ドブ溝や肥溜めの底と大差ないように見える。その液体の中で炎のような赤毛を黒く染めてゼニアが浮き沈みしていた。
「あんまし触りたくないなぁ」
 ふと横を見ると先程ひとの姿をしていた竜女が鼎の中をかき回していた長い棒がある。その片方に鉤がついていてそれでゼニアを引っぱり上げることができそうだった。
 蒲公英は鉤竿を鼎の中に下ろすと、ゼニアを縛めている幌金縄に引っかけた。
「誰?  ヘラ?  助けに来てくれたの?」
 鼎の中でエネルギーを吸い取られて朦朧としているうえに、汚水で目がふさがっている。
 蒲公英は返事をする間も惜しんでゼニアを引っぱり上げると、彼女の顔を拭ってやった。
「あぁ?  あんた、蒲公英!?」
 ようやく人心地ついたゼニアが救出者の顔を見て驚きの声をあげた。
「えぇ」
 蒲公英は言葉少なに返事した。
 もはや水怪の妖力が失われてしまったせいか、幌金縄は鼎から出た途端にぱらりと解けて頭を落とされた蛇のように床に横たわった。
「で、あれ、あんたがやっつけたの?」
 周囲の状況に気がついたゼニアが蒲公英の手を振りほどき憤然として立ち上がった。
「アフラの時にコッソリ加勢したのもあんたでしょ?」(第三話後半参照)
「・・・・・」
 自分が不覚をとったことを恥じているのか、窮地を蒲公英ごときに助けられたのが気に入らないのか。おそらくはその両方なのだろうが、ゼニアは鬱屈した感情を振り払うため、苦しそうに上下している竜の巨大な腹に飛びかかって殴りつけようとした。
「ちょ、ちょっと待って」
 蒲公英が慌ててゼニアを止めようとした。と同時に横から、
「これこれ、八つ当たりはいかんぞ」
 不意に老人の声が響いた。驚いたゼニアが振り返ると蒲公英の横に見慣れない年寄りがいる。
「河伯様」
 気づいた蒲公英も慌てて頭を下げた。
「誰?」
 事情を知らないゼニアが眉を顰めた。
「この神殿の本当の持ち主で、長老派の方々のお一人なの。この竜たちを退治する方法を教えてくれたのも河伯様なのよ」
 蒲公英が説明した。
 老人の素性を聞いたゼニアは慌てて河伯の前に跪いた。
「竜たち、ということはもう一匹も?」
「いま、お前さんの相棒が引っ立ててくるところじゃよ」
 河伯が洞の入り口の方を杖で指し示すと、ヘラが肌色の巨大な球体を半ば押し、半ば引きずってくるところだった。
 言うまでもなくこの球体は限界まで腹を膨らまされた小竜なのだが、洞内の空間を形作る特殊な力場のおかげで水中から引っ張り出されても自重で破裂してしまうのを免れているのだった。
 娘の変わり果てた姿を見た竜が悲しそうな唸り声をあげた。
「ああ、ゼニア無事だったの?  さっき私も河の中でそちらの河伯様と・・・」
「蒲公英から聞いたわ」
 ゼニアがヘラの話しを遮った。
「あぁ、そっちがイスマスの蒲公英ね。噂には聞いてたわ」
「はじめまして」
 蒲公英が先達のヘラと挨拶を交わした。
「さて、挨拶もすんだことじゃし、役者もそろうた。では祭司の顔でも拝ませてもらおうか」



「・・・というわけでの。こうして黒竜河の水怪をおさめることができたというわけじゃ」
 河伯はいかにも話し好きの年寄りらしく、エルウィンにことの顛末を語っていた。周囲ではネルやレノラ、それにゼニア、ヘラ、蒲公英は言うに及ばず、もとの体型に戻してもらって人間の姿をしている竜女と小竜も控えていた。
「で、その河伯様が公英さんに渡された宝珠というのはいったい何だったのです?」
 エルウィンが興味津々で質問した。
「鼎の中に蓄えられておる水の元気というのは、清浄なものじゃ。この気を乱してしまえば、本質を鼎に宿らせておるそこな竜どもは神通力を失う。蒲公英に渡した珠は清浄の反対、つまり汚濁した気じゃな。それをどうやって作ったかということは、そこの娘さんのためにも明かさんほうがええじゃろ」
 可笑しそうに河伯はゼニアを見た。
「と、いうことは〔 放送禁止用語 〕や〔 食事中に失礼 〕なものから気を抽出したっていうことですかぁ?  どうりでお姉さま、少し臭いと思いましたぁ」
 誰も口に出せなかったことをレノラが思わず言ってしまう。ゼニアが耳まで赤くなったので、みんながクスリと笑った。
 ただ、腹の中にその汚濁した気をたっぷりと注ぎ込まれて破裂寸前まで膨らまされてしまった竜の母娘だけは、ゼニアに大いに同情している表情を浮かべている。蒲公英はそれを握った自分の手を着物の袖でこっそり拭いた。
「で、あの幌金縄というアイテムは何だったのです?」
 話題を変えるためにゼニアが質問した。
「ああ、あれか。あれは儂が普段着に使っている帯じゃよ。旅には必要ないので無憂靴やら混元傘やら白貂袋(三つとも魔法アイテムらしい。詳細不明)と一緒に行李にいれておいたのじゃが、それをこやつらが勝手に持ち出したのじゃよ。褌(ふんどし)じゃなくてよかったのぅ」
「そ、そうですね・・・」
 もうなにをきいても薮蛇になりそうなのでゼニアは沈黙した。ヘラや蒲公英は改めて河伯の神通広大なことに驚いた。
「話しは変わるけど、濡れた荷物はともかく、兄さんから借りた馬食べられちゃったんだよね。これからどうしよう?」
 ネルが誰にともなく言った。
「確かにお前さんには悪いことをしたの」
 河伯が好々爺然としてネルに言う。
「じゃがこれからの幾山河、長い道のりじゃし今回のような災難に出くわすこともあるじゃろう。そういうときに普通の馬では乗っ取る者も乗られとる馬も幾つ命があっても足らんじゃろ。そのために儂が新しい馬を用意してやろう。ほれ」
 そういうと河伯が杖で小竜を指し示した。
 すると驚いたことに小竜がみんなの見ている前でよく肥えた白馬に変じた。
「今まで儂の家に上がり込んで悪さをしてきた償いじゃ。祭司を無事に西天まで送り届けるのじゃ。功果を得て帰還したあかつきには、再び母娘共々安楽に暮らせるように取り計ろうてやるでの」
「はい、分かりました」
 竜女が首肯くと白馬も軽くいなないた。
「それと・・・」
 河伯は懐から錦織の小さな袋を二つ取り出した。見た目の割にずしっと重そうな袋をエルウィンに渡し、軽そうな袋をレノラに渡す。
「これは?」
 エルウィンが袋の重さを手で測りながら尋ねた。
「行く先ざきで出会う災難を避けるためのな。困ったときにその中の宝珠を使うがよい」
 いわゆる智嚢(ちのう
 注=三国志演義で軍師の諸葛孔明などが、未来のある状況下での対応策を記した作戦指示書を出陣前の諸将に渡していましたが、この場合もそれに類するものと考えていただいて結構です)というものである。
「また宝珠ですか?」
 蒲公英の時のように汚いものでも入っているのではないか。エルウィンが不審な表情をした。
「心配せんでもええ。何なら開けて見てみい。今度のはそんなものではないから途中で捨てたりするな」
「はあ」
 まだ少し信用してないのかエルウィンが袋の口を少し開けてみる。袋の中には象牙のような乳白色の宝珠が一個と小さく折り畳んだ手紙のようなものが入っていた。
「あたしのは何が入ってるんですぅ?」
 エルウィンの袋になにやら良さそうなものが入っているので、レノラも期待して尋ねた。
「その前に聞くがの。お前が腰に下げておるのはなんじゃ」
「これですか?  これはイスマスの長老様から頂いたカドケウスの杖ですぅ」
「その使用説明書じゃ」
「説明書なら貰いましたけど」
 レノラが目をクルリとさせる。もっと良いものが入っていると思ったのだろう。
 河伯が一つ溜め息をついた。
「あやつはの、ひとの背中を突き飛ばしはするが大事なことは何一つ教えんのじゃ。儂の張った結界を越えるといろいろ不都合なことも起こるじゃろうし、近々それの力が必要になるときがくるでの。それでも読んで勉強せい」
「は〜い」
 レノラはあまり得した気分にならなかったらしい。
「さて、それではこれで用事もすんだことじゃ」
 河伯はよっこらせと立ち上がった。
「儂も長旅でのどが渇いた。家で茶でも入れてくれ。ついでに洞内の掃除でもせい。娘が帰ってくるまで間があるし、どうせお前らが散らかしたんじゃからな」
 河伯は竜女を連れて川底の神殿へ戻っていった。
 後に残ったエルウィンたちは頭を下げてその後ろ姿を見送った。



「必ず来てくれるって思ってたわ」
「・・・・」
「でも随分遅かったじゃない。遅刻は今度限りにしてよね」
「・・・はい」



 エルウィン達が黒竜河を渡りきるころ、滔々たる水の流れもわずかばかりその黒い妖しさを減じたように見えた。渡し船から新しい白馬をひきだして荷を積み直すと、再び遥か西を目指して歩き始める一行。
 それを河岸の高台から見下ろす二つの影があった。
 足元まであるゆったりとした黒い僧服を羽織った長身の男が、傍らの矮躯の男に振り返る。同じく黒い頭巾に包まれた顔の造作はしかとは分からない。しかし、わずかに覗く顎の先から口元にかけての肌の色は、まるでたったいま墓穴から起きだしてきた死人のようだった。
「やはり来たか。お前の言うたとおり、アフラでの仕掛けはうまくいかなんだようだ。所詮、身を持ち崩したやつらの同族。あてにはしておらなんだが・・・」
 矮躯の中年男は頭巾の中を覗くように見上げた。
「此度の祭司は年端もいかぬ少女。やはりその手にかけるのは気が咎めますかな?  それともやつらを警戒させてしまったので、仕事が少々厄介になりましたか?」
 中年男が嘲弄するようにわずかに口元を歪めた。
 自ら雇った刺客の技量を疑っているわけではないが、雇われ者はとかく扱いが難しい。怒らせるのは避けねばならないが、多少は挑発してみても罰は当たるまい。
「ふむ、益体もない。私の口がこのような無用の言葉を吐き出すのは、人であったころの残滓が残っているからだろう」
 頭巾の下の口はそれ自体が勝手に意志を持って喋っているようで、頬から顎にかけての筋肉と皮膚は驚くほど表情と生気が欠如していた。
「結界を出れば互角の勝負、いや、むしろこちらに歩があるか」
「では?」
「デステインの前で仕掛けよう。仕事はさっさと済ませてしまったほうがよい。お前の主もそれが望みなのだろう?」
 勝手に動く紫がかった黒い唇を見ていた中年男は眉を顰めた。
 黒衣の男が頭巾を被っていてくれるのは、ある意味有り難いことである。矮躯の男自身、数々の修羅場をくぐり抜けてきた結果その魂は鉄石のように冷えきっていた。が、それでも黒衣の男の頭巾の中を覗き込みたいとは思わない。
「打ち合わせ通り仲間を集めておいてくれ。もうすこし様子を窺ってから私も行く」
「承知しました」
 言葉少なにこたえると、矮躯の男は気配を忍ばせてその場を立ち去った。
 矮躯の男は猿のごとく木々の間を跳び、鹿のように草叢を駆け抜けていった。
 神行法を心得ている男は、まったく休みもせずに常人が十日かかる道程を半日で駆け抜ける。
 死仮面の異名をとる刺客を背後に残し、土蜘蛛と称する邪神の代理人はこの道の先に待つ異形の者共に合流するためにひたすら路を急いだ。
 黒衣の男がこの場に残ってしばし祭司一行を見送っていたのは、散りゆく桜を人々が愛でるのに似ていた。ただし男はこれから散る命、自らの手で散らす命を鑑賞し愛でていたのである。
「あまり待たすのも悪かろうな」
 高台に残った黒衣の男が誰にともなく呟いた。仲間を待たすのが悪いのか、襲撃目標である祭司一行を待たせるのが気の毒なのか判然としない口調である。
 またしても無用の言葉を喋ったことに気付いて唇が歪んだ。御世辞にも笑っているとはいえないような唇の引き攣り、それが男のユーモアに対する反応だった。
「では、私も行くとするか」
 死仮面のマグナスと名乗る不死者の姿は、一陣の風の中に塵のごとく掻き消えた。(第五回、了)



後書き
 さて連載も一年を迎えての第五回、いかがでしたでしょうか?
 前回までと違って本番シーンがなかったことを残念に思っておられる読者もいるでしょう。しかし、これもたびたび前作までの後書きで書いてきたように、物語に折り込みずみの計画であります。(ほんとか?)蒲公英のエッチについては後々の展開を御期待下さいとしか現時点では言えません。
 今回の本編は二万五千字で、前作までの字数の平均値を大きく下回っていますが、執筆開始時の計画では毎回の分量をこのくらいに抑えて、掲載回数をもっと増やすはずだったのです。ところがどうしても第四回までは“大きなお腹でエッチする”ことにこだわって、脱稿予定が二転三転で延期されていました。ここまで付き合って下さった読者の方には本当に申し訳ないと思っています。
 ところでレギュラーメンバーも揃ったところで、この顔触れについて少々触れておきます。
 ゼニア、ヘラ、蒲公英の三人が戦闘要員であることはお読みいただければ分かりますが、これを本家西遊記の孫悟空、猪八戒、沙悟浄に当てはめると誤解が生じます。
 まず孫悟空のことですが、彼は石から生まれた妖猿で、如来によって五行山の下敷きにされ三蔵法師と出会うまでは、斉天大聖、つまり天にひとしい大聖人と号していました。これに対して八戒と悟浄は天界を追放された将軍で、悟空と比べると相当実力が劣っています。
 これに対して、ゼニア、ヘラ、蒲公英はタイプこそ違うものの、戦闘力はかなり伯仲しています。第三回ではヘラをゼニアが助け、第五回ではゼニアを蒲公英が助けています。三人の属性は火水風、レノラの持ってるカドケウスの杖が土(第二回参照。強引な設定です)となっていてこれで一応四大元素が揃うわけです。レノラ自身は治療専門で戦闘力は期待できませんが、今回の河伯の振りもあります。今後の活躍に期待しましょう。(ネタばらしするなよ)
 とにかくそういったわけで、この物語のレギュラーメンバーは孫悟空タイプの断トツの猛者というのはいなくて、各々が足りない部分を補いあって協力していくように設定されています。人間、魔族、天使と各二人ずつのメンバーというわけです。
 男女の比率が少々アンバランスですが、それはこの物語がそもそもぼて小説だからです。深く突っ込まないで下さい。
 白馬に転じた小竜については、今後特に人の姿になってぼて化するという予定はありません。ちなみに本家西遊記でも三蔵の白馬は竜の化身でした(実は孫悟空のすぐあと、猪八戒の前にメンバーに加わっているのです)が、一度だけ原形に戻って黄袍怪と戦っています。とくにリクエストがあれば考えてみたいと思います。
 ところで今回のエピローグに登場した怪しげな二人組み。次回で大激闘が繰り広げられる雲行きは容易に分かったと思います。
 その正体と実力はすぐに明らかになりますが、彼らは大昔にわたしが冒険ファンタジー(非ぼて)小説を考えたときに用意した敵キャラです。Alわーるどとは縁もゆかりもない生粋の悪役ですが、こんにち日の目をみるに至って個人的に感慨深いものがあります。
 弱い悪役は敵役(適役)ではない。どうせやるなら血も涸れ、灰になるまで徹底的に戦っていただきましょう。それでこそ主人公達も引き立つのです。彼らがどのようにこの物語に彩りを添えてくれるか私自身も楽しみにしています。企画倒れに終わりませんよーに。
 というわけで旅の初頭からいきなりの激突激戦ですが、濡れ場の少なさは我慢していただいて、次回第六回でお会いしましょう。