前書き
5/22 早いもので、この連載があるみねこさんのHPに掲載されはじめてからもう一年になります。物語の方はまだまだ家の玄関を出たばかり、わたしの文章力もまだまだ稚拙で、このHPに集う同志諸兄を満足させるには至っていないことと思いますが、今後ともお見捨てなきよう御付き合いをよろしくお願いします。
あ、最近書くことなくなってきた・・・。
歳月は人を待たず、光陰矢の如しと言いますれば、これ以上の前書きは蛇足というもの。読者を待たすのも失礼。それでは気持ちを切り替えて第六回と参りましょう。
第六話
「失せろ」
これで三度目。
酒場のカウンター席の端のスツールに腰掛けているロレイは、人間の男達の冷やかしと嘲笑を受けながら陶製の洋盃(コップ)に注がれた酒で形ばかり唇を湿らせた。
デステインから東へ戻ること旅程一日、フェイクウェイの町でも、この界隈は無秩序と暴力の支配する最低の地区で、その中でもこの酒場の格と雰囲気は最低のそのまた下にある。真っ昼間からたむろしている十数人の輩はこのあたりに巣くっている盗賊やならず者などの類い、あるいはあまりにも飲む打つ買うの三方面での行状が悪くて他の店から締め出しをくっている連中で、到底女性が出入りするような店ではない。それがロレイのように被差別民族である亜人で、しかも傾城傾国ともたとえられるような美貌となればなおさらである。
先刻から執拗にからんでくる者こそいるものの、それ以上の騒ぎが起きないのは彼女が亜人とはいえダークエルフであるからだろう。ダークエルフの一族は“黒い森の魔法使い”とも呼ばれていて、蔑まされている反面恐れられ忌避されてもいる。そうでなければ、店に入ってでっぷりと肥ったがめつそうな主人に一杯目の酒を注文する前に、床に押し倒されて強姦輪姦の修羅場となっていたことは間違いない。
ちなみに店の主人はただ太っているだけではなく、その脂肪の下に山の様な筋肉を抱えているらしく、狭いカウンターないで意外に軽やかな身ごなしで酒をついでまわっていた。袖をまくり上げた前腕は塩漬けの牛の腿のように太く、熊の前肢のように黒い毛が生えていた。手の甲や指にまで剛毛が生えていて、その毛の下に白っぽい傷跡が幾筋か見えることから喧嘩慣れしていることはすぐに分かる。
この主人が睨みを効かせているからロレイに対するちょっかいも本格的になっていないのだろう。だが、べつに店の主人としてはロレイの安全に配慮しているのではなく、店で揉め事を起こされるのが御免なだけである。もし彼女が店を出れば、敷き居をまたいで三歩外のところで強姦されても眉毛一筋動かさずに安物の洋盃を拭き続ける違いない。
ロレイのほかにも店の暗がりには幾人かの女性がいるが、いずれもベールを被ったり厚い化粧をしていてすぐにその道の女と容易に知れる。それもここに出入りしている客同様に他の店では商売させてもらえないような擦り切れた商売女ばかりで、女と見ればその場で犯さずにはいられないような短絡的強姦魔のような男性客にさえほとんど見向きもされていない。
かような状況下でロレイは犯罪者もしくは犯罪者予備軍のような客達に視姦され続けているのだが、それも好んでのことではなく今回の仕事の雇い主の指示であった。約束の時間は近いのだがそれらしい気配はない。毒気に満ちた店の雰囲気に、そろそろ我慢も限界に来つつあった。
そんなロレイの気持ちに応えたかのように入り口の扉が開くと新来の客が入ってきた。
店の中のものは仲間同士で他愛もない会話を続けながらも、新しい客の品定めを全員がおこなう。知り合いや友人ならよし、そうでなければこのような荒くれ者ばかりが集うような場所では揉め事の種になりかねない。それはロレイにしても同様なのだが、彼女の場合は女性であるがために他の客たちの目を楽しませ、“寛大”なもてなしを受けているに過ぎない。
新来の客はまだ年若い旅装の青年だった。どこといって目立つところもなく、開き直って周囲を睥睨し、あるいは威嚇するようなふてぶてしさもない。明らかにこの酒場には不似合いな客である。
背中に背負ったぼろ布をしっかり巻き付けてある長い棒のようなものが、鞘に収まった刀剣の類いであることは傍目にも分かる。鞘の反り具合からして片刃の長刀、いわゆる太刀と呼ばれている武器だろう。しかし、それはさほど筋骨逞しそうでもない青年の持ち物にしては長大で重そうな代物だった。
ただ、青年の態度や物腰は年不相応なほど落ち着いてしっかりしていて、周囲につけ入る隙を与えないものがあるのをロレイは見て取った。
『武術の心得がありそうね。見た目頼りなさそうだけど、舐めてかかると痛い目に会う。それに・・・・この青年、人間ではない。あるいは・・・』
だが、ロレイの観察は他の者と共有するところとはならなかったらしい。
鴨が葱を背負ってやってきたと見て取ったのか、店内の空気はそれと分かるほど変わった。
青年は店内の各所から注がれる視線を無視し、悠揚迫らざる態度でロレイの座っているところから二つ離れたスツールに腰を降ろした。
店主は注文を聞きもせず、カウンター越しにじろりと青年を見た。
「一見の客は断ってるんだがね」
店主は無愛想に言った。揉め事の匂いを嗅ぎつけたので青年には出ていってほしいのだろうが、客観的に見れば善意の警告と受け取れないこともない。
テーブル席では早くも一人ふたりが立ち上がっている。おそらくは酒を注文するふりをしてカウンターの方へ来て、青年に絡もうというのだろう。
「麦酒を」
青年は主人の警告を無視して注文した。
「坊やにはミルクのほうがいいんじゃねえのか」
誰かが聞こえよがしに言うと、店内が嘲笑につつまれた。
「麦酒を」
青年はこれも完全に黙殺して再度注文した。
喧嘩のきっかけが欲しくてうずうずしている客の数人が、無視されたことがカンに障ったのか椅子をひいて立ち上がりそうな気配である。青年が嘲弄に反応すればそれでよし、そうでないのも気に入らないらしい。
「全員に一杯ずつ」
酒を振る舞うということなのだろうが口数が少ない。
緊張しかけた空気がやや軟化した。立ち上がりかけた客達も、再び腰を降ろした。
もっとも、その一杯を全員が飲み終えるころには、いま以上に雰囲気が悪くなっているのは間違いない。所詮は歓迎されざる客なのだ。
「前払いで頼むぜ」
主人がジョッキを棚から取りながらいうと、青年は懐から主人の岩のような握りこぶしよりも大きく膨らんだ巾着袋を取り出した。店内の秘かな視線を一点に集めながら、青年はなにくわぬ表情で銀貨を三枚取り出すとカウンターの上に無造作に置いた。
唾を飲み込む音がどこかで聞こえた様な気がした。
ロレイもわずかに形のよい眉をしかめた。
金がなければ主人も麦酒を出すまいが、多すぎる金を見せびらかすというのも問題がある。あの巾着がカウンターの上の銀貨と同じもので一杯なら青年は自分の死刑執行状にサインしたも同然で、この場には銀貨五枚で殺しを引き受けるような手合いもいるはずなのだ。
あまりにも軽率な振る舞いと言わざるを得ない。その証拠に金の匂いを嗅ぎつけた商売女たちでさえ、その場の雰囲気を察して二の足を踏んでいた。
「そちらの美しい御婦人もどうぞ」
主人が麦酒を注いだジョッキをカウンターに並べ、女達に命じて客たちに配らせる。
会釈されたロレイは軽く首を傾げて礼を返した。格好をつけて危難を招くような者とは関わり合いにならないほうが賢明である。
ロレイが背後の“客”たちに油断を怠らずあれこれ考えを巡らせていると、いちばん奥のテーブルのあたりで誰かが転び、と同時にジョッキや皿の割れる音が盛大に聞こえた。それと同時にテーブルを囲んでいた男達がドッと笑う。
「バカやろう。また落としやがったのか!」
怒声とともに店主の唾がロレイの洋盃に一滴飛び込んできた。ロレイが洋盃を脇に押しやりながら振り向くと、おが屑をまいた床(作者注 酒場ではこぼした酒や料理、吐瀉物などを掃除しやすいように床におが屑をまいておく)に獣人が立ち上がろうとしていた。
ロレイですら失念していたが、店には彼女と同じく商売女らしからぬ女性がもう一人いた。いや、正確には獣人の娘である。
獣人はダークエルフ以上に賎民扱いされている。たぶん奴隷として買われてきてこの酒場で働かされているのだろう。
ウルフリングではあるのだろうが、ディンゴやハウンド(注 どちらもイヌ型獣人の一種族と思って下さい)の血が濃いのだろう。優しげで人懐こい容貌をしていた。腹部の和毛は白く、手足と脇から背中にかけては薄茶色の毛が生えている。衣服を着る必要がほとんどないのと客の目を楽しませる効果を狙ってか、申し訳程度の布きれで恥部を胸を隠していた。照明用の油代をけちっている酒場の暗がりで客に色目を使っている人間の女達よりは、よほど生命力に溢れていて初々しさと色気が程よく備わっていた。
「申し訳ありません。でもお客さんが足を・・・」
獣人の娘が体についたおが屑や食器の破片を払いながら説明しようとした。
「なんだ、この毛むくじゃらが。俺たちが足を引っ掛けたってぇのか?」
奥のテーブルにいた男の一人が脅すように声を荒げた。
そのテーブルについているのは四人。いずれも粗末な革鎧や服の下に鎖帷子を着込んでいる。また全員腰に吊るしていた剣や鉄鞭などをテーブルや壁に立て掛けていた。いずれ劣らぬ凶悪な顔つきで、月に一度も風呂に入らぬ薄汚い風体だが盗みや殺しは毎日でもやりそうな連中である。
「おうっ、オヤジ。教育がなってねえぞ。自分のミスを客のせいにしやがってよぉ」
「そんな・・・あたし・・・」
助けを求めるように獣人の娘は脂ぎった店主の顔を見た。しかし、このような酒場で弱者を助け強者に抗うようなものなどいるわけがない。ましてや相手は四人で武装している。
「こらっ、嘘をつくんじゃない !・・・と、すいませんね、お客さん。こっちで一杯おごりますから」
店主は娘を叱りつけると同時に男たちのためにボトルを一本棚からおろした。割れた食器とボトル代は獣人の娘の給金から引かれるのは言うまでもない。
「おお、そうかよ」
「気が利くな。・・・それにしても、このけだものがっ!」
男の一人が割れた皿の破片を拾おうとしゃがみ込んだ獣娘の脇腹を手加減なしに蹴りつけた。
娘が呻いて床に手をつくと、店中の男たちが再び嗤う。
あまりにも醜悪な光景に、無関心を装いつつもロレイは心中穏やかならぬものがあった。
これが同種族である人間の酌婦なら、これほど無下な扱いはするまい。このような醜悪な種族のみが唯一の主である神、ひいては天使や魔族の恩恵を被り庇護されているとはどういうことなのか。
そのときロレイは妙に動物臭いにおいがするのに気がついた。
「洗面所は何処かな?」
つと横の席の青年が立ち上がって主人に尋ねた。主人はソーセージのような太い指で裏口を指さした。
青年は刀とおぼしき包みを片手に下げている。
これは賢明な処置である。もしカウンターに立て掛けていけば、用を足して戻ってきたときには無くなっていることは確実だろう。
青年は何食わぬ顔で裏口へ向かったが、一瞬脇腹を押さえながら後片づけをしている獣人の娘を一瞥した。ロレイのほうからは青年の背中しか見えないが、青年が立ち上がったときのわずかな空気の動きの中に再び奇妙な匂いを嗅ぎ出した。
『この匂いは・・・?』 ロレイは匂いから何かをイメージすることなどできない。
だが、獣人の娘も酒場の中に異質な空気を嗅ぎつけたかのように、掃除していた顔をあげ不安げに周囲を見回した。
『! !、あの娘、匂いに怯えている』 そのとき奥のテーブルで動きがあった。
獣人の娘を足蹴にした男ともう一人が立ち上がると鼠を捕らえようとする猫のような足取りで裏口へ向かったのだ。
連れ立って用足しに行くのではない。洗面所で青年を襲って懐中の金を奪おうというのだろう。その証拠に、青年とは別な目的で各々の得物を手にしている。
酒場の空気が一瞬凍りついた。
狭い洗面所内では刀を抜く間合いをつかむのは難しい。それに青年の得物は丁寧にぼろ布で包まれていた。
それに比べて、後を追った二人組みはいかにも強盗などに慣れていそうである。おそらく“用”を済ませたら裏口から姿をくらませるつもりだろう。
この界隈では誰も他人の商売を邪魔しようなどと考えるものはいない。店は否応なくいざこざに巻き込まれるわけだが、ならず者たちの報復が恐ろしいから主人も見て見ぬふりをしている。最悪洗面所には死体がひとつ転がっている可能性もあるのだから、巨漢の店主は役人がやってきたときに、事件をどう報告すべきか頭をフルに回転させて言い訳を捻り出しているに違いない。
その場にいる者全てが同じ展開を予想しているのがロレイには手に取るように分かった。だがこの場合は、状況を誘ったのは財布を見せびらかした青年のほうである。蜜のないところに蜂はやって来ない、というのがこの商売の方便である。
全員が耳を澄ませて成り行きに注目していると、薄っぺらい一枚板の扉の向こうから押し殺したようなもみ合う音やくぐもったうめき声が聞こえてきた。奥のテーブルに残った二人が視線を交わすのを、店主とロレイが同時に横目で窺う。
二人組みの商売はあっという間に終わったらしい。最後にジャガイモの入った麻袋を床に投げ下ろしたようなドサッという重い音が聞こえると、扉の向こうは急に静かになった。あとは二人組みが姿をくらませるだけの時間を待って、誰かが洗面所内の様子をのぞきに行くだけである。
それにしても獣人の娘の怯えようはただ事ではない。ロレイが肌で酒場内の様子を感じるのに、彼女だけは店主や客たちと波長の違う感情を発している。他のものは暴力沙汰に巻き込まれることを厭うているのに対して、獣人の娘だけは非常な危険が自分の身に迫っているように感じているらしい。
コトッ、コトッと誰かが洗面所内を歩いている足音がした。
水を打ったように静まり返った酒場にその音だけが異様に大きく響いた。まるでこの酒場の中には、足音の主以外に生きているものがいないかのようである。
立て付けのよくない洗面所へ通ずる扉は下側が必要以上に空いていた。そこからかすかに酸っぱいような生臭い匂いが漂ってきた。それに混じってあの青年が立ち上がったときに感じた動物のような不思議な体臭。
『血と・・・・・そして怒りの匂い』 今度はロレイもそれをはっきりイメージできた。
「見てばかりおらずに、あんたも手伝ったらどうだ」
扉の向こうから足音の主が誰かに声をかけた。
「承知」
不意に入り口の辺りで応える声がした。
洗面所のほうに気をとられていた客たちが驚いて振り返ると、入り口に全身黒装束の漆黒の闇のような人影が立っていた。
その位置取りは完全に店内にいるものの退路を断っていた。これ見よがしに発せられる黒衣の強烈な殺気に店内の客たちが動揺した。
背後で洗面所の扉が爆発的な勢いで粉砕され弾け飛んだ。それにあおられた室内の明かりが一瞬暗くなる。前では怪人の出現、後の怪事に暴力沙汰には慣れている客たちも混乱した。奥のテーブルに残っていた二人のならず者は各々剣を手にして立ち上がっている。
店内にいる半数の人間は入り口の黒衣に目が釘づけになったままだが、あとの半数は扉の消し飛んだ洗面所の入り口を見て我が目を疑った。
そこには入り口をいっぱいに塞ぐように黒々とした獣人の姿があった。
身長は二メートルに近く、裸の上半身は脇の下と腹部のあたりにわずかに灰白色の毛が生えているほかは、隆起した筋肉を黒々とした毛がびっしりと覆っている。突き出した上下の顎は耳まで裂け、その上の耳は三角に突っ立っていた。酒場の薄明かりの中に燃える両眼の虹彩は右が焦げ茶色、左が青色である。腰に携えた一剣、膨らんだ太股の筋肉によって引き裂かれたパンツと両足の変形によってバラバラに千切れかかっているブーツは明らかについさっき洗面所へ消えた青年のものだった。
『人狼 ! チェンジリング(変身種族)か』 チェンジリングは獣人の中でも特に珍しい変異体で、ロレイのように長命なエルフでも一生に何度も目にする機会はない。
人狼がヌッと左手を差し上げると、そこにはヌラヌラした赤い液体と浜辺に打ち上げられた海草のようなものに包まれた、半ば潰れた西瓜のようなものが二つぶら下がっていた。いうまでもなく、青年について洗面所へ入っていった二人組みの首である。
それを見た商売女が悲鳴をあげた。
「化け物め ! こいつを喰らえっ! !」
巨漢の店主が勇敢にも、そして無謀にもカウンターの下に隠していた鉄の棍棒で人狼に打ちかかっていった。人狼は右手で軽々と店主の一撃を受け止めると、首二つを握ったままの左拳を店主の胸元に叩き込んだ。胸骨の折れる鈍い音とともに山のような店主の巨躯が生首もろともカウンターの向こう側へ飛んでいく。
奥のテーブルで得物を構えていた二人は、それを見ると脱兎のように店内を横切ると、入口を塞いでいる黒装束の怪人に斬りかかっていった。おそらくはそちらの方を弱勢とみて活路を開こうとしたのだろう。
だがいかなる術を使ったものか、黒衣の怪人が印を結んで軽く手を振ると二人の男は朽木のようにドッと倒れた。一人は不運にも自分の得物の上にもろに倒れ込んだらしく、うつ伏せになった身体の下からおびただしい量の血が流れ出て、床にまいたおが屑に吸い取られる。
二人の男に続こうとした他の客や女たちは進退に窮して部屋の中央にかたまった。ただ獣人の娘だけは、腰が抜けたように奥のテーブルの横で震えながら長身の人狼を見上げていた。
「裏口から出ていけ。誰も呼ぶな」
人狼はチラリと娘を横目に見て、わずかに同族への憐れみを示した。
影のような黒装束はわずかに首を傾げて賛同しかねるような風情をみせたが、結局何も言わず獣人の娘を見逃した。
「おれの名はアイン。あんたは?」
人狼は恐怖に震えている店内の人間たちを無視して黒装束に名乗った。
「噂に聞く月下の狩人か。わたしは傀儡師ダーレン。お互い待ち人というわけだ」
二人の魔人はカウンターに腰を降ろしたままのロレイのほうを向いた。
「して、そちらの御婦人は?」
ダーレンと名乗った黒衣が尋ねると、ロレイは椅子をひいて立ち上がった。カウンター内を覗き込むと店主が血の泡を吐きながら悶絶していた。
「わたしの名はロレイ・フラウロス。通称、光溢のロレイ」
初めてロレイが石のような堅い表情を崩し、ニヤリと不敵な笑いを浮かべた。店の客たちは今まで自分たちがちょっかいを出していた亜人の美女が、噂に違わぬ黒い森の魔女であることを悟らされて蒼くなった。
三人にはお互いの力量をはかるように一瞬視線を交わし、余興の時間は終わりを告げたことを確認しあった。
「では仕事の準備に」
ダーレンの言葉にロレイが頷くと、それを合図に灯明が一斉に消えて酒場の中が闇に包まれた。
裏口から逃げ出した獣人の娘は薄暗い路地で、いっとき息を潜めて店内の様子を窺っていた。しかし、壁越しにくぐもった断末魔の悲鳴と複数の人間の体から流れ出したであろう複数の血の匂いを嗅ぎ取ると、身を震わせてその場を駆け去った。
奴隷として売られ、この界隈最悪の酒場まで流れてきた彼女にとって、人間は信用ならない存在だった。
役所へ訴え出ても取り合ってもらえないし、だいいち並の人間にあれらの超越的な能力を持った魔人達がなんとか出来るとも思えなかった。主の使徒である天使や魔族に支えられて繁栄している人間には知る由もないが、賎民として虐げられている獣人たちは一方で闇の世界の力に詳しいのだった。
あの酒場で起こったことは今に町中に広まり、そして誰もそれを止められない。彼女の本能がそれを告げていた。
彼女にできることは、あの人狼が同族のよしみで示してくれた僅かな機会を逃さず、できるかぎり遠くへ逃げることだった。
その日の夕刻、土蜘蛛(第五話参照)がフェイクウェイの町に到着し、夜半には死仮面のマグナス(同、第五話参照)もこれに合流した。
「ふむ、もう用意がすんでしもうたのか。面白くもない」
死んだように静まり返った町の中央広場で、他の四人を前にしてマグナスは誰にともなく呟いた。
「あんたが出てくると、余計な死人が出るからな」
アインが腕を組み、月光の匂いを嗅ぎながら言った。月の光を浴びた人狼の体毛は蒼く色を変えて、銀色のつややかな光を放っていた。
「それどころか町中の人間をやるつもりだったのだろう?」
とダーレン。
「この町だけで七、八千はいるだろう。それを全部か?」
いささか驚き、且つあきれたようにロレイが問う。
「あんたは遠くから来ているから知らんだろうが、この御仁はそういう人なのだ」
アインが滲み出る嫌悪感を隠そうともせずに言う。マグナスは同業者の間でもさほど好かれていないらしい。
「そう、わたしにとっては一人も一万も関係ないからな」
まるでアインが褒め言葉を口にしたようにマグナスは切り返した。
「だが、今回はまずい。デステインには大天使ウリエルが出張ってきている。大規模な生命エネルギーの変動を嗅ぎつけられると、こちらが動く前に事が露見してしまう」
ダレーンは黒覆面の裏から自分が先手を打った事情を説明した。
「近隣のデステインはこの大陸中部でもっとも繁華な都市、しかもその神殿には常時五、六十からの天使がいると聞く。そのような敵の膝元ともいうべき場所で、なぜ祭司を襲撃する必要が?」
ダーレンの指摘を受けてロレイが土蜘蛛に質問した。
「凝った演出と言われればそれまでですが、膝元でやるからこそ相手の権威にも傷がつくというもの。無論、貴方達は請け負った仕事をするために雇われただけですから、事後の逃走経路などを気にしておられるのでしょうが」
「当然だ」
ロレイが矮躯の男を見下ろした。
「事前にお話ししたように、こちらの提示した条件に変更はありません。仕事が済んだ後の報酬も保証しますし、この近郊に潜んでいる私の同志が貴方達の逃走を手助けします。それに手筈はともかく、今回の件については貴女にもそれなりの思惑があるはず」
そういって土蜘蛛が一人ひとりの顔を順繰りに見回した。
今回の仕事はただ一人の人間を殺すというだけではない。敢えて全知全能と讚えられる主の威光に挑戦するのである。リスクは高い賭けだが、それに見合う実力を備えた者が集まっているのだ。不可能ならば誰もこの場に来はしないだろう。報酬と危険度、達成可能な目標とそれを可能にする技量、ロレイも他のものもそれらを冷静に秤にかけられる。
邪神の代理人でありこの仕事の依頼人でもある土蜘蛛だけは、いわば熱狂的な狂信者であり、故に他のものにくらべると秤に偏りがある。だがその点も全員が承知していることであり、誰も口にはしない。巻き込まれるというなら、すでに巻き込まれているのだ。
約束や条件と言った言葉を絶対値として鵜呑みにするほどロレイもうぶではない。契約の遂行と報酬、そして生き延びることだけがこの世界の全てである。「いいだろう。凝った演出もやってみるだけの価値はある」
ロレイの心中を代弁するようにアインが言った。
「では打ち合わせをよろしいかな」
マグナスが後を続けた。
「明日の午後、祭司一行はこの町に辿り着くはず。その間、住民達は我らの支配下にあり、不審を招かれるような動きは一切しない」
確認するようにマグナスは頭巾の奥からダーレンを見た。
「心配御無用。わたしの集団催眠は町を離れると殆ど感知できない」
「けっこう。一行が町の中心であるこの広場に近付いたら私が結界を立ち上げる。ただし、使用するエネルギーの性質上、このフィールドの作動はすぐにデステインで感知されるだろう。人間の足なら丸一日かかる距離だが、飛空術のつかえる天使なら・・・」
「正確には分からぬが戦闘可能な時間はかなり短いか」
ロレイが後の言葉を継いだ。
「どのみちこの手のことはダラダラできない」
アインが当然のことのように言う。暗殺では「仕事は完璧に」
「労働時間は短く」
するのが身上で、悠長さとは無縁である。自信と過信は紙一重だが、五人とも正確に各々の技量を把握していた。
「では、その準備は私がしておく」
打ち合わせの終了を告げたマグナスが姿を消した。
他の四人も今夜のねぐらを探すべく四方へ散っていった。行きがかり上、仕事仲間となったとはいえ、誰かに背後を見せるほどお互いに甘くはない。
アインがもう一度月を見上げると鼻をひくつかせ「今宵はこれまで」
と呟いた。
アーニュドルス河は自然の文化的境界となっていると同時に、河伯の結界ともなっているのだが、その影響があるのかないのか河を越えてから通り過ぎてきたいくつかの村の人々の精神的土壌は、河の東西で明らかに違っていた。
一行の通ってきた河の東側では人々はどことなく牧歌的で、天使や魔族を敬って羊飼いと羊のようにのどかに暮らしているような感じだが、河の西側では人間本来の荒々しさや奔放な生命力が剥きだしになっているように感じられた。
結界内ではイスマスやアフラのように天使(あるいは魔族)と人間が共同運営している自治都市が多いのだが、河以西では人間が社会の中心となって聖俗の権力が切り離されている。場合によってはひとつの大規模な都邑が周囲の小規模な村などを支配していたり、王と呼ばれる人間が政治的権力を一身に集めて社会を運営しているところもある。
そのような社会では天使や魔族も社会構成員の一要素でしかなかったり、単なる人間以外の種族でしかないという見方もあり得た。
この千年は主から人間が乳離れをしようとする準備期間ではなかったかとも考えられなくもない。河以西はそれほどまでに社会というものの有り様が人間中心に移行していた。
特に結界のすぐ外側では、結界内から押し出される悪い気の影響で人心も歪みが生じやすいのか、人間の荒々しさが露骨に現れていた。街道沿いの町や村には大なり小なりならず者や街道筋で追い剥ぎなどを生業にしている犯罪者の出入りする風紀の悪い酒場があった。
それらの人々が起こす犯罪は人間自身による自警組織が取り締まっていて、天使や魔族の人間社会への介入をあまり喜ばない風潮があった。
そんなわけで天使や魔族は専ら人間に危害を加えようとする怪物や超自然の力への対応のみを期待されていた。
普通の人々にしても何処か生き馬の目を抜くような利に聡いところがあって、東から来たエルウィンやネルもついていけない部分があった。例えば、宿に泊まれば割り増し料金を請求されたり、店で物を買うときはしぶとく交渉して値切らないと妙に高い値段をふっかけられたりする。
今日も朝に通りかかった村で昼食用のパンとチーズをネルが購入しにいったのだが、パン屋の主人は四斤のパンに銅貨二十枚を払えという。パンの質にもよりけりだが河東では一斤に銅貨三枚以下が相場だったから、これは明らかにネルの足元を見ている。彼一人では埒が明かないと見たゼニアと蒲公英が出向いていって、ゼニアの凶悪な犬歯と蒲公英が着物の裾からのぞかせた脚線美によってようやく銅貨十四枚まで値引きさせることが出来た。
しっかり者だが押しの弱いネルは、ゼニアと蒲公英の手を借りたことを少し恥じている様子だったが、これが生活感覚の乏しいエルウィンだったら相手の言い値以上の金を支払っていたに違いない。
他方、買い物のすんだ蒲公英はデステインで天使仲間から旅費を工面することを考えていたし、ゼニアはジッとヘラの顔を窺っていた。
この先もこんなことが続くならゼニア達も金銭感覚を磨いて支出を抑えなければならないのだが、その場合にはヘラの食欲が問題になるからである。なんといっても、購入した四斤のパンのうち二斤半は彼女の腹の中におさまってしまうのだ。ダイエットをすすめると体格を気にしているヘラが怒るので、急な話はできないが先々のことは考えておくに越したことはない。
自分が世知辛い算段をしていることに気づいてゼニアは思わず溜め息をついた。もしヘラが本気でダイエットに取り組んで、あの通常体型の堂々たる爆腹と爆乳が無くなってしまったら少しもったいないような気がしたからである。いや、それ以前に“爆腹弾力壁”の術(第三話 ゼニアとヘラの決闘参照)が使えなくなってしまえば、警護役としての意味が半減してしまう。
「やっぱりあんたはそのままでいいよ」
「?」
思わずゼニアが呟くと、彼女の心のうちを知らないヘラは怪訝な表情をした。
そんなこんなで何も知らないエルウィンたちはマグナスの予想通りフェイクウェイの町の手前にさしかかっていた。
フェイクウェイは大陸中部最大の都邑デステインの外郭を形造っている衛星都市のひとつだが、ここ数十年の街道の発達に取り残されて宿場町としての価値が低下するとともに、河川流域の土地の侵食による農業の衰退もあって凋落の一途をたどっていた。
貧すれば鈍するという諺ではないが、人心が荒廃してくればおのずと犯罪の巣窟となる。自然とデステインに居られなくなったならず者や周辺の街道筋を仕事場にしている野盗に隠れ家を提供するようになり、ここ数年は南方から運び込まれる阿片を吸引させる阿片窟なるいかがわしい商売まであらわれるようになっていた。
しかし前述のように河西では人間の自治に天使や魔族が介入するのは喜ばれていないから、デステイン周辺での犯罪は近年増える傾向にあった。
「そういうわけで、あまりこの付近は治安がよくないの。今日は早めに早めに町に着くけど」
蒲公英がこの地域の様子をみんなに説明した。
「無理をすれば夜にはデステインに着けるけど、日が暮れると街道筋は危ないわけね。また昨日みたいなことがあると面倒だわ。フェイクウェイでいい宿が取れるといいんだけど」
ヘラが一同の思いを代弁した。
昨日はフェイクウェイの手前の村で粗末な宿屋に泊まったのだが、その村へ到着が遅れて街道で日が暮れてしまったのである。そのとき黄昏どきの道の両側の林から、手に手に槍や剣、弓などを構えた男が六人飛び出してきたのである。
おそらくは野盗のほうも、薄暗がりで足の遅い女子供が人気のある場所に着きそびれたと勘違いしたのだろう。フランベルジェを担いだゼニアや長身のヘラが三尖両刃刀をさげて進み出ると、襲った相手が悪かったと気づいたらしい。もときた林の中へクモの子を散らすように一目散に逃げていった。
あとを追って野盗どもを一網打尽にすることもできたのだが、ことが人間絡みになると天使も魔族も慎重に構えざるを得ない。エルウィンの警護が最優先でもあり、結局は見逃してしまったのだった。
そんなことがあった矢先なのでフェイクウェイで一泊すべきがデステインまで少々強行軍をすべきか迷っているところであった。
「まあ、このあたりの人は金にがめついけど、払うものさえ払えば安全で快適な宿屋もあるはずよ。それにフェイクウェイだって町ぐるみで犯罪者の巣窟ってわけでもないんだし、危ない地区に近寄りさえしなければ普通の町と一緒よ」
秘かに一行に先行して街道沿いを探っていた蒲公英には心当たりがあるのだろう。
フェイクウェイも他の町と変わらず、千人程度の人口から始まった旧市街を核としている。そしてその旧市街の中心にある円形の広場を中心とする放射状の道に沿って町並みが四方に広がっていた。
フェイクウェイの場合は、地域の経済活動を担ってきた古株の住民達がまだまだ数多く旧市街に残っているので、こちらの方が風紀が安定している。蒲公英もそのあたりで今日の宿泊所を探してみるつもりで一行を先導していた。
昼過ぎで昼食をすませたばかりの住民達は家の中で休んでいるのだろうか。人通りが少なく、その少ない通行人も町の衰退と治安の乱れを反映してか、妙に不活発で活気に欠けているように見えた。それに影響されてか旅の疲れからか、女三人寄ればかしましいエルウィン一行も少し口数が少ない。
「ふみっ、何だか活気のない街ですぅ」
レノラが誰にともなく話しかけた。精気に欠けた人間は、彼女の目からはあまり“美味しくなさそう”に見えるらしい。もっとも“お食事”についてはネルとのナニでそこそこ足りているから、特にこの町でお相手を見繕おうとしているわけではない。
「変ねぇ」
レノラの言葉を受けたわけではないが、蒲公英も通りを見回して袂から手を出して空をつかむような仕草をした。
「なにが?」
馬を降りてネルと一緒に歩いていたエルウィンが尋ねた。
レノラは馬の右側、蒲公英は馬をはさんで左側にいるので会話の流れを円滑に切り盛りしなければならないエルウィンはそれなりに気をつかう。
アーニュドルス河の事件(第五回参照)で蒲公英は晴れてエルウィン一行に加わることができたものの、イスマスでレノラに悪戯した件(第一回参照)ではまだ正式に二人は和解していない。
アーニュドルス河で蒲公英に助けられたゼニアがレノラの仇討ち代行を引き受けていないので、表面上はこれといったいざこざは起きていないのだが感情的にしっくりいっていないのは明らかである。
ヘラにしても天使である手前蒲公英の肩を持ちたくなるところだが、レノラには夜のおつとめで借りがある(第三回、第四回参照)のでどちらも応援できず成り行きを見守ってる状態である。
「それが・・・・二週間ほど前にここに立ち寄ったときはこんな雰囲気ではなかったのに・・・・」
「ウリエル様、デステイン近郊に奇妙なエネルギー反応を感知しました」
「正確な報告を」
「現象はエネルギーの減衰です。天眼通の遠隔視能力が通用しない地域があります。方角は東、フェイクウェイのあたりです」
「いかん! ! その辺りには祭司の一行がさしかかっているはずだ。急いで三個小隊を編成せよ。私も出る」
エルウィンに問われて蒲公英は語尾を濁して一瞬考え込んだ。風紀が良くないということと、活気が欠けているというのは必ずしも同義語ではない。
「どうも風をつかんで占ってみたら、この先凶が多くて吉が少ないような気がするわ」
「まさか。またこんなところで白昼堂々山賊があらわれるとか?」
馬の手綱を取ってるヘラが、蒲公英のいう凶を振り払おうとするように混ぜ返した。
まっすぐに続く通りの前方には開けた中央広場が見えている。市でも出ているのだろうか。幾つかの天幕が広場のそこここに張られ、幾人かの客が所在なげにぶらぶらしながら並べられた商品を覗き込んでいるように見えた。「ねえ、ゼニアさん」
ネルが歩調を落として最後尾を歩いているゼニアに並び、声を潜めて話しかけた。「ん、なに?」
馬の尻尾が揺れる様を眺めていたゼニアは、いつになくボンヤリとしていた。「変だと思わない?」
ネルは少しじれったそうに言った。
すでに一行は広場の入り口にさしかかっている。ネルよりも勘の鋭いはずのエルウィンはレノラと蒲公英の水面下の反目に気を取られている。ネルは先程から悪い予感がして仕方ないのだが、レノラと蒲公英は自分自身の言葉の意味を理解していないようだし、ゼニアとヘラもいつになく冴えが無い。なんだか全員が一斉に愚鈍になったように思えた。
「よく見てよ、人の流れを。広場にあれくらいの人が集まってるのに、さっきからすれ違う人ばっかりで僕らと同じ方向に歩いている人が一人もいないよ」
「・・! 」
言われてみれば、出会う人々は全て一行とは逆の方向に歩いていく。それはあたかもエルウィンたちの行く方向に災いが待っていて、それから遠ざかろうとしているように見えた。
ゼニアは目を閉じると、額の角を伸ばし魔力を使って前方の中央広場を走査した。
視角にとらわれて今まで分からなかったのだが、広場の生命反応は予想外に低い。見た目数十人はいるが、実際は二三人か。レノラの言葉ではないが、活気がないのではなく生きている生物がほとんどいないのである。しかもその生命エネルギーの反応でさえぼやけてしまって、正確な情報が得られない。
「いけない。広場の人々は幻術で作り出された幻像だわ。それにこっちの走査を妨げている何かの力場も働いている」
「なにっ!?」
「ヘラ、蒲公英、戦闘態勢を! !」
ゼニアがネルを押し出すと、ヘラがネルを引き寄せてエルウィンともども白馬との間に挟むようにして壁を作った。レノラも二人をかばうように人垣に参加するのだが、彼女の場合は自身もヘラの巨体の陰に隠れてるといえなくもない。
「敵は?」
ヘラが早くも水壁防御の術を唱え、彼女の周囲の空気中の水分が凝結しはじめた。
中央広場の入り口で防御陣を組んだ一行からゼニアがフランベルジェを抜き放ちながら進み出た。蒲公英もいつでも攻撃呪文を唱えられる体勢で白馬の前、ゼニアの斜め後ろをカバーした。
「前方の広場中央、二ないし三」
相手もこちらが気づいたことに気づいたのだろう。市場の幻像が揺らめいて消えはじめた。
レノラが後ろを振り返ると先ほどすれ違った二三の人々は消えてはいない。夢遊病者のように所在なげに歩きながら広場から遠ざかっていく。
「ふみっ、あれはマインド・コントロールですぅ」
自身、ナニをするときに夢想術という心理制御の術法を使うレノラが言った。
「左様。幻術だけでは生命エネルギーの有無で罠が見破られる。無駄な犠牲は本意でないが、この広場に来るまでは仕掛けを悟られたくなかったのでね。この町の住民に協力してもらったのだ」
大きくはないが良く通る声が、まるで何も重大事ではないと言わんばかりの説明口調で広場の中ほどから聞こえてきた。
幻像の消えていく広場に四つの人影があらわれた。
中央は全身黒装束の怪人で、黒覆面の下にはどのような容貌が潜んでいるのかうかがい知れない。腰には柄が長く刀身の短い剣を下げている。
その背後には身の丈三メートル以上はありそうな土の武人像が立っている。いわゆるゴーレムと呼ばれる錬金術で生み出された人工生命体で、これは黒装束の怪人が操ってるらしい。
身体の表面には鎖帷子のような紋様の装飾が施されており、兜に面防具をつけた頭部は威嚇的で、仮の命を与えられた双眸が防具の奥で熾き火のように鈍い光を放っていた。
右はウルフリングの獣人で全身黒い体毛に覆われた筋肉は山のように隆起している。
上半身は一糸まとわぬ全裸で、腕に鉄片を縫い込んだ手甲を着け、下は前垂れのついた腰鎧をじかにまとい、足には鉄片を鋲付けして膝から足の甲まで守る戦闘用のブーツを履いている。腰に佩いた刀は漆塗りの黒鞘に収まっているものの、鯉口はすでに切っていた。
左はダークエルフの女性で、黒い肌に流れるような濡れ羽色の黒髪、クリムゾンレッドの瞳が野性的な美しさをたたえていた。女性としてはやや長身の肢体は痩せ気味だが、彫像のように理想的なプロポーションで、上下黒のレザースーツに黒いマントを羽織った姿はその肌の色もあって黒豹のように精悍である。武器は腰の脇に吊った一振りのダガーと一条の鞭である。
「話しあう余地はなさそうね」
蒲公英がゼニアに背後から声をかけた。軽口のつもりだが、敵の必殺地帯(バトル・フィールド)に誘い込まれたショックは隠しきれていない。
亜人や獣人は所詮血肉に縛られた生物に過ぎない。それがエネルギー生命体であり、主の被造物であるゼニアたちを出し抜けるほどの能力を持つとすれば只者ではない。
「左様。祭司の命、頂戴する! !」
黒装束の怪人が印を結んでゼニアを指差すと、土の巨人が突進してきた。
「公英、援護を!」
ゴーレムの突進を阻むべくゼニアもフランベルジェを構えて前に飛び出した。
「いざ!」
ゴーレムを楯として背後の人狼も柄に手を添えて駆け出した。怪力と耐久力を誇るゴーレムは決して動きは素早いほうではない。
だが、どちらのほうに回避するかはゴーレムの視角を共有しているダーレンがアドバイスしてくれる。アインは巨人の腕をかいくぐってくるであろうゼニアの一瞬の隙を突いて斬り伏せるつもりだった。
一撃のもとにゼニアを叩き潰すべくゴーレムの巨大な右拳が繰り出されてきた。ゼニアがそれをかわそうとするのを見計らって長大な左手も一拍遅れてつかみかかる。
左右の剛腕が迫るのを見切ったゼニアは迷わず宙に跳躍した。
「アイン、上だ」
「おうっ」
アインがゴーレムの背を蹴って宙に跳んだ。そしてゴーレムの頭上を飛び越してくるゼニアを居合い抜きで切り上げた。
「このっ!」
緊箍の能力を引き出して加速したゼニアがフランベルジェで人狼の繰り出した凶刃を受け止める。
二人はそのまま鍔迫り合いの体勢で着地した。
「この村正の居合を受け止めたのはお前が初めてだ」
人狼が耳まで裂けた口の端をニヤリと歪めた。両肩の筋肉がグッと盛り上がるとそのままゼニアを押し切ろうとする。
「じゃあ、今まで大根でも斬ってたの?」
ゼニアも犬歯を剥いて不敵な笑いを浮かべると、アインを押し戻してみせた。
この間合いならロング・ホーンで人狼の額に大穴をあけてやることができるかもしれない。ゼニアがそう思った瞬間。
「背後に注意」
ふざけたダーレンの声とともにゴーレムが振り返ってつかみかかってきた。
「ゼニア !」
蒲公英の声に反応して、ゼニアはアインと押し合う反動を利用して横に跳んだ。
次になにが来るかを察した黒衣の怪人とダークエルフもほぼ同時に蒲公英の射線から身をかわした。
「衝撃波っ!」
蒲公英の援護射撃がゴーレムに叩き付けられた。バランスを崩した巨人は人狼の上に倒れ掛かり、アインは素早い身ごなしで間一髪巻き添えをまぬがれた。
「公英、ゴーレムの弱点は額に刻み込まれた呪文よ」
背後からヘラのアドバイスが飛んだ。
兜のようなゴーレムの頭部には“不死”(immortal)という言葉が刻み込まれている。この頭文字のiを削ると“死”(mortal 発音的にはmmortalと同じ)という言葉になり、術が解けて巨人は土に還る。
「衝撃波っ!」
再度蒲公英の袂から破壊的なエネルギーが発せられると、立ち上がろうとしていたゴーレムの額を抉りとった。
「やったですぅ!」
レノラが歓声をあげた。
硬直したように動きを止めた巨人は、呪文の効力を失い土塊となって崩れはじめた。
「貴様ら三流魔術師の手並みなどこの程度のものだ。ここで剣をおさめれば良し。さもなくばこちらも容赦せん
!」
ゼニアが威嚇するように三人を睨み付けた。
だが黒衣の怪人はそれに動じた様子はない。
「なかなか見事。だが」
再び印を結ぶと土に戻った巨人の遺骸が怪人の足元に集まりはじめた。
「これくらいでは傀儡師ダーレンの術は破れぬよ」
吹き寄せられるように集まった大量の土がみるみるうちにダーレンの身体を包み込んで元の巨人の形に戻っていく。(いわば、魔術版パワード・スーツとお考え下さい)「我が傀儡操法の真の能力をお見せしよう」
巨人の外甲をまとったダーレンが覆面の下で笑い、ダーレンを体内に蔵したゴーレムが天に吼えた。今までとは見違えるような動きで蒲公英めがけて突進してきた。
同時にアインもゼニアめがけて斬りかかる。
「何度復活しても同じこと。そのような土くれなど吹き飛ばしてやる」
蒲公英が天衣の袂に風を集めて圧縮した。
「衝撃破壊砲っ! !」
音速まで加速された大気の流れがダーレンと一体化したゴーレムに叩き付けられる。
だがゴーレムは両手を身体の前で構えて防御した。
ゴーレムの巨体は蒲公英の狂風に後退しながらも、その攻撃を凌いだ。体表は幾分削り取られたものの、たちまちそれも回復していく。
「くっ、防御結界か!?」
「その通り。だが、観察している暇はないぞ。ロレイ!」
「光溢のロレイ、参る」
ダーレンの声に応じてゴーレムの陰から不意に美貌のダークエルフが姿をあらわした。
黒い肌の魔女は蒲公英に無造作に掌を突き出した。
「光輝閃」
強烈な閃光がロレイの掌から発せられ蒲公英の目をくらませた。
「ぼんやりしている暇はないと言ったはず」
「ぐっ」
ゴーレムの巨拳が真上から振り下ろされて、目のくらんだ蒲公英が地面に叩き付けられた。
「公英さん! !」
「蒲公英 !」
エルウィンたちが悲鳴をあげ、ゼニアですら一瞬動きを止めて蒲公英を見た。
ゴーレムは片足を持ち上げ、地に這う蒲公英を踏みつぶそうとした。
「くそっ、レノラ、二人を馬に乗せてここから逃がして」
ヘラが三尖刀を振るって参戦し、足を振り下ろそうとしているゴーレムに体当たりを食らわせた。
ゴーレムには及ばぬとはいえ、ヘラも警護チーム一番の体格である。二つの巨体はもつれあうようにして倒れ込んだ。
「こちらも相棒の心配をしている余裕はない」
蒲公英の劣勢に気を取られていたゼニアにアインが斬りつけてきた。
アインの妖刀はゼニアのフランベルジェ(両手で扱う大剣)に比べて刀身こそ短いものの細身でしなやかにできている。アインは積極的に間合いを詰めながら突き、薙ぎ、自在に払う。
ゼニアのフランベルジェはアインの太刀より重いぶんだけ破壊力に勝っているのだが、リズムを取って振り回す必要がある。アインはそれを承知していて手数を多くし、ゼニアのタイミングを崩して剣技を封じているのだった。
「ちっ、長引かせるとこっちが不利だわ」
ヘラが加勢した結果、形勢は三対三の互角だが、おかげでエルウィンの周囲が手薄になっている。天使や魔族が血肉に依存する生物に破れることは万に一つもあるまいが、出し抜かれてエルウィンへの接近を許してしまうと危険ある。
その証拠にアインの攻めは手数こそ多いものの、必殺の勢いに欠けている。これはアインがゼニアを引きつけておく役目を任されていることを意味する。
「あんたと遊んでいる時間はないわ」
ゼニアの額の角が伸びて緊箍が輝く。
「龍炎剣 !」
白熱したフランベルジェを構えて加速したゼニアが突っ込んだ。正面からの力押しとはいえ、その速さについていける動体視力と運動能力を備えた生物がいるはずはない。
だが・・・「見切った!」
「なにっ! ?」
人狼が信じられないような速さで踏み込むと、ゼニアの鋭鋒をかわして潜り込むように胴払いを仕掛けてきた。
ゼニアは咄嗟に横にかわしたが、完全にはよけきれず脇腹を皮一枚の深さでかすめられた。
「くっ、これは?」
交差した二人が振り返って対峙した。必殺の一撃を返されたゼニアは脇腹を抑えながら驚いた。身体の傷は血が出るほどのこともないほど浅いが動揺は大きい。
獣人の身体能力は人間より幾分は勝っているものの、緊箍の能力を借りた魔族に筋力、素早さとも遠く及ばないはずである。
「それは驕りというものだ」
ゼニアの心中を見透かしたアインが痛いところを突いた。
「俺はやつらのような魔術の類いは使えぬが、いっとき肉体を超興奮状態にして超越的な運動能力を得ることが出来る。生物は進化するのだ。貴様らの優越など、いつかは追いつき追い越される運命にある」
人狼は正眼に太刀を構えた。
「そして今が・・・その時だ」
「蒲公英、ゼニア、いつまで遊んでいるつもり?」
ゴーレムの力に押し戻されながらヘラが叫んだ。
武術には小良く大を制する技もあるが、正面切っての力比べでは体重と体格に優れているものが有利である。その点、身長二メートル余のヘラと三メートル超のゴーレムでは子供と大人ほどの差がある。 いったんは不意を突いてゴーレムを組み敷いたヘラも、いともやすやすとゴーレムの怪力に翻弄されてしまう。
ヘラに押し倒されたゴーレムは、片手でヘラの体をつかんで固定すると、下からまともにヘラの顔を殴りつけてきた。
「ぐっ、なんの」
ヘラとて鉄身銅体の魔神に劣らぬ頑健な体質である。破城槌のようなゴーレムの打撃に鎧が軋みながらも怯んだりしない。
しかしゼニア同様、気になるのは目の前の巨人との一対一の戦いに拘泥していられないことである。
人狼のほうは少なくともゼニアが足止めをしているが、ダークエルフは・・・「はやくはやく、馬に乗って」
レノラは戦場と化した中央広場からエルウィンとネルを逃がすべく二人を馬上に押し上げていた。
三人は広場の端の建物の陰に退避して戦況を窺っていたが、形勢は五分より良いとは言い難い。ゼニアが人狼を、ヘラがゴーレムを食い止めているが、蒲公英はようやくダメージから立ち直っているところで、ダークエルフの魔女がこちらに矛先を転じようとしていた。
それにしても刺客もなかなかの手練だが、今日のゼニアたちは明らかに精彩を欠いていた。
「レノラさん、みんなを置いて逃げるの?」
馬にまたがったエルウィンがネルを引っぱり上げながら聞いた。
「アタシたちがいちゃ、かえって足手まといですぅ。それにゼニアさんたちが負けるはずないですぅ」
この場は勝ち負けでいうならエルウィンが逃げ延びることが最優先である。後のことは二義的な問題にすぎない。
「そんなことより、あの女の人が来るよ」
ネルが悲鳴に近い声をあげた。
「待てッ! この程度の目眩しで ! !」
ゴーレムの攻撃から立ち直った蒲公英が、エルウィンたちを襲おうとしていたロレイの背後をとった。
「風の術法、鎌鼬ッ!」
蒲公英が天衣の袂を一振りすると真空の刃が生じてダークエルフに斬りかかった。
振り返ったロレイの驚愕の表情が大気の流れの中に歪み、黒いマントを羽織ったしなやかな姿態が胴から二つ折りになった。
「やった? !」
だが真っ二つになったロレイの上半身は地面に落ちるよりもはやく、かき消すように消えた。
「幻術か」
こうも簡単に自分の目が騙されるなど、蒲公英には信じられない。
「どこに?」
視野の隅で何かが動いた。きれいに敷き詰められて数百年の経過した広場の石畳の規則性がそこだけ微妙に乱れていた。
「しまった !」
蒲公英が振り向くよりもはやくロレイの姿が実体化した。膝をついて、弓を引くように半身に構えている。
「光の術法、光天弓 !」
今度の攻撃は単なる目つぶしではない。
収束された高密度の光エネルギーの箭がロレイの掌から発せられ、蒲公英の身体を貫いた。
「うぐっ」
二の箭、三の箭と身体を打ち抜かれて蒲公英がよろめいた。人間ならば致命傷になるところである。
「蒲公英 ! !」
ゼニアがアインとの間合いをとった。そして追いすがるアインと蒲公英にとどめを刺そうとしているロレイに向けて攻撃呪文を唱えた。
「爆雷波三連弾っ!」
火球が三つ生じると、各々が人狼とダークエルフ、ゴーレムに向けて放たれた。
ゼニア向けて突っ込んできたアインはまともに爆雷波を喰らうが、ロレイの姿は爆発と同時に掻き消えた。
「またしてもまやかしか」
いっぽうのヘラは至近距離で爆風を浴びたものの、ゴーレムの片腕が吹き飛ばされたおかげでいったん離れて一息つくことができた。力任せに殴られても、さほどのダメージはないのだが、ゴーレムにばかり関わり合っていられる状況ではなくなってきた。
ゼニアの爆雷波の直撃を受けた人狼は上半身を焼かれてよろめいている。好機と見たヘラは三尖両刃刀を拾い上げると、アイン目がけて長柄を振り下ろした。
だがアインの反応はヘラの予想を超えていた。咄嗟にヘラの一撃を察すると、焼けただれた顔を振り向けて振り下ろされる刃を受け止めたのである。
「おぉっ! ?」
ヘラを睨み上げる人狼の焼けただれた肉体が、見る見るうちに回復していく。密生した黒い体毛までもが再生した毛穴から生えてきて、元通りの姿に戻っていった。
噂どおり、変身種族の再生能力はすさまじい。超興奮状態における運動能力の向上と同様、新陳代謝をも自由にコントロールできるらしい。
「甘いぞ」
まだ火傷で引きつり気味のアインの口元が揶揄するように歪む。
同時に横から片腕となったゴーレムも参戦してきた。
横合いから突かれて体勢を崩したヘラに、横薙ぎにアインが胴払いを打ち込む。ヘラの胴鎧に鋼の刃が深々と食い込んだ。
「お楽しみの最中だが、時間切れだな。そろそろ援軍が到着する。この本質減衰フィールドの中で祭司に近付かせぬとは、連中もなかなか頑張るな」
「では、我々も出ますか」
「レノラさん、公英さんを助けてあげて」
馬上のエルウィンがレノラに頼んだ。
「わ、わかりましたですぅ。わかったから、はやく逃げて」
レノラに促されてエルウィンとネルを乗せた白馬が走り去った。それを見送ったレノラが建物の陰からこわごわ戦場と化した広場を覗いた。
ゼニアは蒲公英の援護に回り、ヘラはゴーレムと人狼を相手に苦戦している。ダークエルフの術にやられた蒲公英の天衣は彼女自身の血で朱に染まっていた。
「ち、ち、治癒術を・・・」
レノラは慌てた。
彼女の治癒術は患部に直接触れないと効果がない。だが、戦闘力など無いに等しいレノラがのこのこ修羅場のど真ん中へ出かけていって、「ちょっとウチの同僚の治療をしますんで、ハーフタイムにして下さい」などと言えるわけがない。
このような場合、レノラは後方支援として回復呪文の一つでも唱えるべきなのだが、その呪文を負傷者に遠距離から投射する魔導器としてカドケウスの杖を与えられていた。
その詳細な使用方法を記した説明書を長老派の一人、黒竜河の河伯から貰っていた(第五話参照)のだが、迂闊なことにレノラは事前の予習を怠っていた。
頭では自分の役割を理解していたつもりだが、いざ実戦となるとなかなか身体が思うように動かない。
加えて、東大陸における天使の根拠地であるデステイン近郊で、刺客に襲われることなど夢想だにしていなかったのである。
レノラは急いで説明書を取り出すとパラパラとめくった。内容は全く読んでいないないが、索引ぐらいは目を通しているのでどこになにが書いてあるかはおおよそ判っていた。
「あっ、あった !」
レノラは持続的な刻苦勉励よりも一夜漬けやカンニングが得意なタイプに違いない。
カドケウスの杖を構えると呪文を唱えた。
「・・・汝、母なる大地の精霊よ。その豊かなる恵みをもって我が痛みを癒せ・・・」
柄に配された二匹の蛇の彫像が、まるで生命を得たかのように目を光らせ、口を開くと肉体の治癒を誘導する魔力と体力を回復する生命エネルギーを吐き出した。
「レノラ・・・?」
回復呪文を浴びた蒲公英の身体が癒されていく。蒲公英は幾分かの戸惑いと感謝の目で、建物の陰からこちらを窺っているレノラを見つめ返した。
「痛っ!?」
気力を取り戻した蒲公英が立ち上がろうとして、胸の傷を押さえた。まだ完全には塞がりきっていないらしい。
「どうした?」
傍らでダークエルフの牽制にあたっていたゼニアが怪訝な表情をした。
少し離れたところではヘラがゴーレムと人狼を相手に苦戦してる。蒲公英には一刻も早く戦列復帰してもらわなければならない。
「完全には直ってないみたい」
大したことではないと言わんばかりに蒲公英が強気を装う。
「まさか?」
いかにレノラと蒲公英の反りが合わないとはいえ、この危急の事態に回復呪文の手抜きをするとは思えない。
回復呪文そのものが不完全だったのか、さもなければ何ものかが邪魔をしている?
「好機だな。祭司が独りになった」
「では、マグナス殿はここに残って結界の維持を。祭司はわたしが追います」
「うむ。戦いが始まると同時にダーレンが八卦迷宮陣を張っている。やつらはこの街から出られはせん」
ギシギシとヘラの鎧が軋んだ。
いかにヘラとはいえ、ゴーレムの怪力をその身で受け止め、人狼の凶刃を三尖両刃刀で捌くのも限界がある。
ついに胴鎧が崩壊して弾け飛んだ。
「なんだッ??」
一瞬、アインもダーレンも驚いて動きを止めた。新手の攻撃方法かと警戒したらしい。
体型支持も兼ねていた鎧が無くなって、ヘラの胸と腹が戦袍(戦闘のときに用いる衣、日本では陣羽織など)の下でブワッと膨れ上がる。
たちまちのうちに衣服が破れ、その下から頭二つ分はあろうかという爆乳と九つ子を孕んだ妊娠三十ヶ月の妊婦のような超巨大爆腹が飛び出してきた。
「見たなッ! ! !」
憤怒の形相でヘラがゴーレムと人狼を睨んだ。
「それがどうした」
気を取り直したゴーレムの巨拳が唸る。
ボムゥゥッ! 巨大な爆腹に岩塊のような拳が食い込んだ。
「ふうぅぅ・・・通用するかぁ! !」
普段よりも少し弾力性が足りないような気がするものの、ヘラはゴーレムの一撃を見事にその腹で受け止めて一歩も退かなかった。
「ほうっ、なかなか」
「ダーレン、おまえはあの赤毛をやれ。叩いて駄目でも、斬ることはできる。こいつの相手は俺一人でじゅうぶんだ」
アインの指示でダーレンがヘラに背を向けた。
「ふんっ、刃物でも同じことよ。わたしの身体に一切の攻撃は通用しないわ」
ヘラは巨大な腹を突きだすと、バンッと勢い良く腹鼓を叩いてアインを挑発した。
アインが斬り込んでくれば、腹で鋭鋒を受け止めて三尖の長柄で突き伏せるつもりである。
「我が村正に斬れぬもの無し」
ゼニアと斬り結んだときのように、アインが筋力を倍加させてすさまじい勢いで斬り込んできた。
バスッという鈍い音とともに、アインの凶刃が巨大な球形の肉塊に食い込んだ。ヘラの腹は斬撃を吸収するように村正を半ば包み込む。
度重なる高速運動に耐えられなくなったアインの上膊の血管が所々裂けて、飛び散った血がヘラの腹に紅い点を描いた。
「見たか。イヌっころのヘロヘロ剣法でわたしの身体が傷つけられるものか!」
ヘラが得意そうにアインを見下ろした。
「どうかな」
はやくも損傷した部位の修復が進んでいるアインが刀を退いた。
ヘラはアインの刃が食い込んでいた部分に軽い痛みを覚えた。
「なにっ! ?」
巨大な乳房が邪魔になって腹を見下ろすことができないが、自分の腹部の皮膚が傷ついてうっすらとミミズ腫れになってるのがわかる。
それ自体は大した傷ではないのだが、精神的な動揺は大きい。それに同じところを何度も攻撃されたら・・・・「それだけ的(腹)が大きくては、はずしようがないな」
アインが振りかぶると再び斬りつけてきた。
「おかしいわ」
手綱を握っているエルウィンが背中にしがみついているネルに言った。
「なにが?」
「こんな小さな街なのに、いつまで走っても街道にでられない」
たしかにエルウィンの言うとおり、レノラと別れて二、三分は馬に全力疾走させていた。中央広場へ通ずる道は真っ直ぐだったはずである。エルウィンたちはそこを引き返しているつもりだったが、いつの間にか横道に迷いこんで、いくら走っても立て込んだ旧市街の町並みを抜け出せなくなってた。
「今日のみんなは、なんか変だったよ。まさかこれも・・・」
ネルがなにも言い終わらぬうちに、人影が馬の前方に立ち塞がった。背の低い鋭い顔つきの男である。
「止まって!」
エルウィンが慌てて手綱を引いた。馬が男をはねてしまうと思ったからではない。男が片手に剣を下げ、強烈な殺気を放っていたからである。
エルウィンもネルも自分たちが無防備な状況に置かれていることに気がついた。戦いが始まる前から、彼女たちはすでに術中に陥っていたのである。
「おねがい、あたしたちを守って」
白馬は黒竜河の竜の化身である。エルウィンの切迫した命令を聞くと、馬首をめぐらして脱兎の勢いでもときた道を引き返しはじめた。
中央広場の修羅場に戻ってしまうかもしれないが、眼前の男から逃れるにはそれしかない。
全力で疾走する龍馬の後ろを、人間とは思えぬ脚力で男が追いすがってきた。
「くそっ、そういうことか! ?」
ヘラとアインの戦いを見たゼニアが唸った。
「なにが?」
蒲公英もゼニアもどこからか飛んでくる光天弓の術を防ぐために身体の周囲に防御シールドを張りながら、接近戦を挑んでくるゴーレムの長い腕をかわしつづけていた。
二人ともロレイの攻撃を完全には防ぎきれておらず、そここに軽い火傷を負っていた。
「やつらが強すぎるんじゃない。あたしたちが弱すぎるのよ」
「どういう・・・?」
「河伯様が言ってたでしょう。河を越えるといろいろ不都合なことが起きるって。あたしたちの本質は干渉を受けているわ。しかも、それが主観にまで影響しているから、自分たちの能力が衰えていることに気づいていない」
「そんなことが?」
「できるやつがいるのよ。兵法にもあるでしょ、勝敗は戦いを始める前に決定しているって。そうでなければこんな十重二十重の罠にやすやすと・・・・」
自分の言葉の意味に気付いたゼニアは絶句して蒲公英と目を合わせた。
「ということは・・・エルウィンっ! !」
「仕掛けに気付かれたか・・・。だが手遅れだ。我が結界を破る手段も余力もやつらにはない」
死仮面のマグナスが姿を表した。戦場となっている広場を挟んで、レノラが隠れてるところと反対側の建物の陰である。
とくに参戦するつもりはないが、結界の焦点となってる広場に近付いたほうが術力を強化できる。
天使や魔族の本質に干渉する減衰フィールドは、ゼニアたちの本来の能力をせいぜい一割ほど低下させるにすぎない。だが、それこそが刺客たちと警護陣の紙一重の実力差を逆転させていた。
「街の四方に配した呪符を探して取り除くには時間も人手もない。風水を操ってこちらの術を返せる者もおるまい」
自分の独り言に気付いたマグナスは口元を歪めた。
結界の維持はそれなりの術力を消費するし、あと一押しすれば勝負はつく。たまには高見の見物を決め込むのもよかろうとマグナスは考えた。
「ひゃあ、ヘラさんのお腹が大変ですぅ」
一転して窮地に追い込まれたヘラを見て、レノラは再びカドケウスの杖をかざして回復魔法を唱えはじめた。
ヘラは爆腹弾力壁の術によって防御力を上昇させるかわりに、“通常サイズ”に戻った巨大な腹と乳房のせいでフットワークが低下している。
この腹が人狼の刀術を防ぎきれていないとすれば、標的は大きい、動きは悪いで、まさにカモネギ状態である。
ヘラが倒されたら、二対三でゼニアたちが不利になる。
蒲公英の回復が充分ではないと見て取ったレノラは焦ってしまい、ヘラの場合は失敗すまいと二度三度と立て続けに回復呪文を投射した。
回復呪文の連射を浴びたヘラの腹が急激に膨れ上がった。
「ひっ、はっ、腹がっ! わたしのお腹が! お腹の肉が! ! レノラ、やめっ、やめて」
レノラの術で腹の傷はたしかに治ったが、それと同時に注入された大量の生命エネルギーの余剰分が子宮に溜まって一気に内圧が上昇したのである。
ヘラはアイン目がけて長柄を振り回すことも忘れ、慌てて両手で巨大化する腹を抱えて膨張を止めようとした。
あまり子宮が膨らみすぎると、厚くて弾力性に富んだ腹の肉が引き伸ばされ、パンパンに張りつめてダメージに弱くなってしまうのである。
ダメージを受けるとまた回復呪文を唱えてもらわなければならず、そうなるとますます腹が膨らむ。
そのイタチごっこの果ては、身動きできないほど巨大化し、しかも針の一突きにも耐えられない超巨大風船腹である。
その腹がやすやすとアインに切り裂かれて大爆発してしまえば、結局残るゼニアと蒲公英が不利な状況に置かれてしまう。
「お、お腹が大きすぎて・・・ 」
九つ子を妊娠して三十ヶ月を越えたようなヘラの腹は、さらにもう半ダースほど追加の子供を孕んだかのように膨張した。
同じ割合で乳房も膨らみ、巨大化した腹に押し上げられたこともあって、彼女の足元近くの視界を奪ってしまう。下側に迫り出した下腹部が太股の振りを妨げるので、フットワークも悪くなった。
「なんのつもりだ? この村正にかかっては、あらゆる試みは無駄なあがきにしかならぬ」
「くっ!」
再び斬りつけてきたアインの刀を防ごうとヘラは三尖両刃刀を構えた。しかし、膨らみすぎた腹と胸が、ボテンッボテンッと一拍遅れて弾むために身体を運ぶリズムが乱されてしまう。
それに乳房が腕の振りを邪魔して、守るも攻めるも得物が充分に扱えない。
たちまちのうちにアインに懐に潜り込まれ、弾力性の低下した膨満腹に斬撃を浴びてしまった。
「レノラ、そんなことしてちゃ、ダメ!」
ゼニアが目配せでレノラに合図を送ろうとした。
河伯がこの窮状を予見していたとすれば、当然レノラに渡した説明書にはカドケウスの杖のもっと別な使用方法が書いてあるはずだった。
だが、それをあからさまに口に出せば、刺客たちの誰かがレノラに矛先を向けることは間違いない。
そうなれば戦闘力のないレノラはひとたまりもない。ゼニアのひらめきは水泡に帰してしまう。
「ソ、そうですぅ!」
以心伝心でゼニアの合図の意味をレノラも察した。
大規模な魔術には魔方陣が欠かせない。それによって自分の術力の焦点を定めるだけでなく、世界を形作る四大元素の精霊の力を借りることもできるからである。
この本質干渉結界とでも名付けるべき術法も、戦場となってる中央広場を焦点として、街全体を巨大な魔方陣としているに違いなかった。
そう考えれば、町に入ってから敵の幻術に翻弄され通しだったり、町中の住民たちが操られたりしていたことも説明がつく。
「た、たしか・・・」
レノラは急いで説明書のページをめくった。
魔方陣は地面に書かれるだけに、地脈のエネルギーを利用したものが多い。その点、カドケウスの杖も同じ属性であるだけに、地脈をこちらに利するように使用する方法があったはずである。
「あった!」
レノラの手が“術返し”と書かれたページで止まった。
「これで一挙に逆転・・・?」
レノラが呪文を唱えようとしたとき、背後の道から馬蹄が石畳の道を激しく叩く音が聞こえてきた。
「まさか? !」
レノラが振り返ると、先ほど送りだしたはずの白馬がエルウィンとネルを乗せて、まっしぐらにこちらへ駆けてくる。
そのさらに後ろには一振りの剣を振りかざして追ってきていた。
それを見たレノラのうなじの毛が逆立った。
馬を追ってくる男の脚力は人間離れしている。一瞬でも龍馬が歩を緩めたら、馬上のエルウィンとネルは二人重ねて背後から斬られるだろう。
かといって、馬を広場に乗り入れるのは、獅子の口に自ら飛び込むようなもである。
唯一の打開策はレノラがマグナスの結界を破ることである。それによってエルウィンたちが獅子の口に飛び込む前に鋭い牙を抜いてしまわなければならない。
レノラはなけなしの勇気を奮い起こしてカドケウスの杖をかざすと術返しの呪文を唱えた。
「蒲公英、ゴーレムの足止めをして」
倒せとも、戦えともゼニアは言わなかった。ただレノラが呪文が効力を発揮するまでダーレンの動きを封じてもらえればよい。
「おおおおぉぉぉぉぉぉっ! ! !」
ゼニアの緊箍が再び輝きだした。
減衰フィールドの中で緊箍の能力を引きだすと体力の消耗が激しいのだが、エルウィンたちが広場に逃げ込んでくる前に、姿を隠したまま狙撃してくるダークエルフを燻りださなければならない。
「超百烈火炎弾っ! !」
無数の火球が中央広場とそれを取り囲む建物に向けて嵐のように発射された。
着弾した火球は広場の石畳を砕いてめくり上げ、周囲の建物の壁を突き崩して燃え上がらせる。
無数の小爆発はダークエルフを牽制するとともに、視界を奪ってエルウィンを狙撃できなくするはずだった。
案の定、火炎弾の一発が偽装していたロレイの至近に着弾し、彼女を隠していた幻術の効果が吹き飛ばされた。
「そこか ! もういっちょう、火炎弾! !」
ゼニアは爆煙の中でよろめくロレイに集中攻撃をした。
「風の術法、砂つむじ !」
蒲公英も術力を振り絞ってダーレンの操る槌の巨人に攻撃を仕掛けた。
小規模だが強力な風の渦を作り出すと、それをゴーレムめがけて送りだした。
竜巻はゼニアの火炎弾によって砕かれた石畳を巻き込んで、ゴーレムの身体を削っていく。
だが、削られる端からゴーレムの身体は周囲の土煙を取り込んで再生していく。
「そんな術ではこのダーレンは倒せぬぞ」
黒ずくめの怪人は荒れ狂う砂嵐の中から蒲公英を嘲笑う。
「倒すなんて言ってないわ。あなたを足止めしたいだけよ」
蒲公英の不敵な笑みを絶やさない。
「何っ !」
たしかに損傷と修復が拮抗状態であるかぎり、ゴーレムは竜巻の中から抜け出せない。
「縛妖鎖 !」
「二段突き !」
ヘラの繰り出した縛妖鎖に打たれながらも、アインが巨大な腹に突きを入れた。
一撃目の突きはヘラの腹の弾力に包み込まれるものの、刃を退かずに繰り出された二段目の突きが伸び切った腹筋に叩き込まれた。
数十回の斬撃を浴びていた腹部の皮膚が、ついにアインの村正に屈して破れてしまう。
ぱぁぁぁぁぁんっっっ! ! ! !
三抱えはありそうな巨腹が大爆発して、ヘラもアインも吹き飛ばされる。
「次は祭司を・・・」
素早く起き直ったアインが白馬の進路を遮ろうとした。追いすがる土蜘蛛と前後呼応すれば、小娘一人の首を獲ることなど容易なことである。
だが、気が付くとアインの胴にはヘラの縛妖鎖が巻き付いていた。
鎖の先を目で追うと、十メートルほど先で腹と乳房の弾け飛んだヘラが、倒れて動けないにもかかわらず、もう一方の端を握っていた。
「い・・・行かせるものか・・・・」
「・・・大いなる大地の精霊よ。ここに集いて我に従え」
レノラが呪文を唱え終わった瞬間、大量の生命エネルギーが杖によって彼女の身体から強引に吸い出された。
レノラたちの主観にまで影響をおよぼす結界は、起動されたときも、消滅したときも感知することはできない。だが、街を覆う空気の雰囲気が微妙に変化した。
「いかん。まさか、あの夢魔が! ?」
マグナスは最後の最後になって勝利が指の間から滑り出ていくのを悟ったが、内心の驚きはそのデスマスクのような表情からはうかがうことができない。
一度消滅した減衰フィールドを再び作動させるには時間がかかる。マグナスの術は、その効果の及ぶ範囲内では魔族や天使の感覚にまで影響を与えるので感知できない。だが、外側からは広範囲の術エネルギー現象として、はっきりと知覚できる。
デステインの天使たちも、これを察知して動きだしているだろう。もはや戦闘に費やせる時間はほとんど残っていないはずだった。
だが、狙いは祭司の命ひとつ。しかも大女の天使は事実上アインに倒されている。ダーレンは天女に足止めされているし、ロレイも赤毛の魔族に追いつめられているが、まだマグナス自身と土蜘蛛はノーマーク状態である。
マグナスは雇われの暗殺者である。報酬を欲せず大義に殉ずるような狂信者ではない。
しかし、逃走する時間を多少失ってでも、仕事をやり遂げる機会は残されていると判断した。
「やるか」
無用な独り言をその場に残し、僧服の下から得物を取り出したマグナスは中央広場へ踏み込んだ。
「なんてこと。ヘラが」
ゼニアはダークエルフの魔法使いを追いつめながら、追撃を諦めなければならなかった。
「爆雷波っ!」
今しもヘラにとどめを刺そうとしている人狼に向けて火球が放たれた。
爆雷波が命中してアインは身を焼かれながら弾き飛ばされた。その拍子にヘラの手から縛妖鎖がもぎ取られた。
「レノラ、ヘラを助けて」
大量の術エネルギーを消費したレノラは目まいがして気を失いそうになったがゼニアの声で意識がはっきりした。
「回復呪文を・・・」
レノラは最後の力を振り絞ってヘラの体を直そうとした・・・「・・・起きて、ヘラ! エルウィンを守って」
レノラに傷を直してもらったヘラが、ゼニアの声に励まされてどうにか立ち上がった。
術力不足の回復呪文のせいで爆発した腹部と乳房はツルペタ状態だが、どうにか身体を動かすことはできる。
とっさに起き上がろうと手をつくと、傍らに落ちていた長柄に手が触れた。それを握って杖がわりに立ち上がる。
頭を振って周囲を見回すと、少し離れたところでは人狼が炎に焼かれながら身悶えしていた。
振り返ると蹄の音もけたたましくエルウィンとネルを乗せた白馬が広場へ駆け込んできた。
その後ろには猿のように敏捷に追いすがる矮躯の男。
さらに広場の反対側からは黒い僧服に身を包んだ長身の人影が現れて馬の前方を塞ごうとしてた。
横ではそれに気付いたゼニアがフランベルジェを振りかざして飛び出していた。
「こなくそっ」
ヘラも長柄を引きずって、身体が許すかぎりの速さで走り出した。
「ヘラ、水壁防御で馬を包み込むのよ。わたしが援護するから、ゼニアは火炎陣を!」
駆け出したゼニアとヘラの背後で蒲公英の声が飛んだ。
蒲公英はゴーレムをその場にうち捨てると、袂に風を孕ませて鎌鼬の術を馬を追う二人の刺客に繰り出した。
横からの攻撃をかわしたマグナスと土蜘蛛は、貴重な一瞬の機会を奪われた。
「ゼニアさん、ヘラさん! !」
「エルウィン、ネル君、だいじょうぶ?」
馬の横に並んだゼニアとヘラが二人の無事を確認した。ほんの数分前に別れたばかりなのに、激しい戦いは数日も続いていたような気がする。
「ヘラ」
「うむ。水壁防御 !」
ゼニアの指示を待つまでもなく馬と自分たちの周りに防御シールドを張った。目の前には前後から刺客たちが迫っている。
「火輪火炎陣 !」
ゼニアはヘラの防御壁の周囲に火炎陣を敷いた。その火勢に阻まれてマグナスと土蜘蛛は近付くことができない。
「烈風陣 !」
ゼニアの火炎陣を蒲公英が外側から風で煽った。
炎がたちまち燃え広がって広場全体を包み込み、五人の暗殺者たちの姿も見えなくなる。
「いかん。ここまでだ」
「奴等がここまでやるとは・・・」
「意外だがやむを得まい。各々方、撤退するぞ」
燃え広がる火炎陣は広場どころか周囲の建物にまで燃え移っていく。住民たちには悪いが、ここで手を緩めて刺客を逃すわけにはいかない。
蒲公英は気絶しているレノラの傍らに立った。
「ありがとう、レノラ」
蒲公英はレノラを抱き上げると再び空へ舞い上がった。広場を見下ろすと、狂乱状態の炎の渦でなにも見えない。
だが、術が有効なことからしてゼニアは生きているのだろうし、ということは他のみんなも無事なのだろう。
炎に呑み込まれた刺客たちがどうなったのかは分からないが、この火勢に巻かれては無事ではすまないだろう。
蒲公英が目を転じると、編隊を組んでこちらへ向かって飛んでくる天使たちの姿が見えた。
(第六回、了)
後書き
今回は特に後書きはないです。毎度のことながら執筆遅れてすみません。果敢に挑戦したものの、戦闘シーンの描写はまだまだ実力不足でした。
次回はデステインに収容された一行が、天使たちの神殿(住居)でコッソリいけないことをします。ウフフな場面は二話ぶり。
火事になったフェイクウェイの街は? 刺客たちはどうなったのか? 意識を失ったレノラは? “通常体型”が“通常”ではなくなったヘラは? 誰と誰がどう絡むかはお楽しみに。
では第七回でお会いしましょう。(それにしても前途遼遠だぁね)