ピクニック

投稿者:耳と口の不自由な人の為に考えた事が世界を小さくした事を知っている者 - 2000/08/27 17:30

彼は1847年にイギリスで生まれました。 彼の父親は、ろうあ教育【耳や口が不自由な人の為の教育】の先生で、
唇【くちびる】の動きで言葉を教える「視話法」を考えた人でした。

彼は父親の影響で、アメリカに渡り、ろうあ者教育の先生になりました。

目・耳・口の不自由な少女、ヘレン・ケラーの良い相談相手にもなっています。
彼は、ろうあ者に発声法を教える中で、声を電流で伝える事が出来ないかと、考えました。
ろうあ者の父親のサンダースが、研究室と助手の援助をしてくれました。

金持ちのサンダースは、ただ「子供が世話になっている恩返し」がしたいと思ってそうしました。
しかし、それが20世紀末にまでつながっていく歴史に残る事になるとは、予想できませんでした。

小さな愛に対して、神さまが味方したのかも知れません。
いろんな偶然が、重なり1876年3月10日、有線電話が発明されました。
翌年、グラハム・ベルは、実業家サンダース、助手のワトソンなどと電話会社をつくり
博覧会などをつうじて世界に知られる事になりました。

耳の不自由な人には関係ない機械」に見える電話は、実は、「耳の不自由な人への小さな愛」の集まりにより、発明されました。
天は人を助ける者を助ける。 小さな愛、それはやがて世界を変える愛になっていく。 

   
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