山男の歌

投稿者:危機対応研究会 - 1999/09/15 14:28:35

明治35年2月、2つの隊は2方向から八甲田山の雪中行軍を行いました。

ひとつは、徳島大尉がひきいる38名の小隊、もうひとつは、神田大尉がひきいる210名の大隊でした。
しかし、大隊の指揮は、雪山を研究した大尉でなく、大隊長が行い、大尉の意見は、多く無視されました。

大隊は、199名の死者を出し、大隊長は、師団長に報告後、自殺をしました。
一方、小隊の方は、徳島大尉が雪山の研究をしつつも、学歴のない地元の案内人を先導に立てて、
小隊の運命を事実上、案内人にまかせました。

そして、小隊全員、雪中行軍を、無事に終了しました。 

案内人には、雪山の長い経験がありました。
学歴の高い徳島大尉も研究しました。 助かる為には、ふたりとも必要だったと思います。

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 作曲者不詳
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