2002年 5月11日
HARIの私的考察

「人気の終焉」についての私的考察



 どんなにヒットした作品であっても、ごく僅かな例外を除き、必ず「人気の終焉」が訪れる。
 今回は、「人気の終焉」について私的考察してみよう。

 
・「人気の終焉」とは
 
 どんなにヒットした作品であっても、その人気は永遠には続かない。
 いつしか人々から忘れ去られてしまう物である。
 もちろん、「続編」をヒットさせ続ける事で長い期間「シリーズ」としての人気を保っている作品(例えばスターウォーズ・サガやガンダム)もあるが、それに成功する事は至難の業である。
 
 では、「人気の終焉」とはどんな事だろうか。
 簡単に思い付くのは「メディアに取り上げられず」「新作が出ず」「人々の話題に上らず」そして「忘れ去られる」事であろう。
 ブーム最盛期には山のように発売された「関連グッズ」は店頭から消え、平積み販売されていた本やビデオ、DVD、CDはいつしか店頭から消えている。
 (もちろん「完売・品切れ」では無く「売れないから」店頭から消えていくのだ。)
 一時期は一般誌まで紹介記事や特集まで組まれていたのが、専門紙すら取り上げなくなり、「沈静化」する。
 
 そうなってくると、その作品の「商業的価値」が無くなり、当然「新しい話題」など全くでなくなる。
 (「新しい展開」は基本的には「商業ベース」から発信され、その内容が人気の持続に影響を及ぼす。)
 
 「新しい展開が無くなる」事は、「次の話題作の人気が立ち上がり始めている、又は人気が急上昇している」事でもあり、「人気の下降」が加速し始める。
 
 ファンは次の話題作にシフトし始め、新たなファンの増加も見込めない。
 こうなると、ファンは減少の一途を辿り、人気も落ち込んでいく。
 そしてごく少数の「熱狂的」的なファンが残るだけとなる。
 
 つまり、「新たなファン」が獲得できなくなった段階で「人気が終わった」といえるだろう。
 
 こう考えると、人気とは「新たなカモ」(=被害者)が獲得できなくなった段階で破綻する「ねずみ講」に似ているともいえよう。
 (人気作品を売り上げのメインにしている会社にとっては、確かにファンは「カモ」なのかもしれない。)
 
 では、どんな「人気の終わり方」があるのだろうか?
 
・人気の終焉 その1「自然消滅型」
 
 一般的な人気の終わり方、これが「自然消滅型」である。
 基本的には、「徐々に人気が出てきて」「連載(あるいはTV放送)」終了時点で人気が最高点に達し、その後徐々に人気が下降していくパターンである。
 特徴としては、人気が長期間持続する事、人気の下降がそれほど急激では無い事が上げられる。
 (これは、このパターンの人気が「爆発的に急上昇」しない為でもある。)
 また、「熱狂的なファン」を生み出しにくく、万人に受ける作品に多い。
 (逆に言えば、ハゲタカの様に「作品を食い物にする」悪質なファンの目に止まらないから人気が持続するのかもしれない。)
 
 静かに表舞台から消えていく、理想的な終焉の迎え方かもいれない。
 
・人気の終焉 その2「自滅型」
 
 作品が人気に耐えられず自滅するパターン。
 基本的には、「人気が急上昇」するものの、ある「きっかけ」で「急激に人気が落ちる」特徴がある。
 そして、人気が落ちる「きっかけ」が製作者サイドが自ら撒いたタネである事が多い。
 つまり、製作者サイドが「作品内で大風呂敷きを広げた」為に収拾がつかなくなったり、ファンの期待を裏切る振舞いをしてしまうのである。
 
 例えば、エヴァンゲリオン。
 作中に出てくる「多くの小道具」に惑わされて人気が急上昇。
 一般誌まで取り上げられたものの、「作品」の人気(又はファンの期待)に答えられず(当然である、ファンは小道具の方に目がいっているのだから)、おまけに制作スケジュールが破綻して作品品質が低下。
 それでも(ヲタク層をメインとして)なんとか保っていた人気に止めを刺したのが
 TVシリーズ最終話の出来と、「全ての謎が解かれる」と期待した映画の出来(それも、制作が間に合わず2回に分けて上映)。
 特に、「TVシリーズを補完」するはずの劇場版が良くなかった。
 ファンの期待を裏切っただけはなく。「エヴァンゲリオン完結編 Air/まごころを君に」においてはファンの主流層である「ヲタク」に対して否定的な表現すらしている。
 これにより、一気にファンが離れ人気が急下降していった。
 
 数ヶ月前の話であるが、昨年末に発売された「フィギュア入りコミック」が、某漫画専門店で「2冊で1冊の価格(フィギュアが2種類あるので、これで1セットとなる)」で発売されているのを見た時、「終わったな」とHARIは感じたものである。
 (発売時は、一般書店では売りきれ続出、ネットオークションで定価以上で取引されていた筈なのに、このありさまである。)
 
 余談であるが、「ガンダム」の監督として著名な富野氏が、NHKの番組で「(アニメ制作に関して)最近の大人は責任が無さすぎる」的な発言をしていた。
 HARIは、この発言を聞いてすぐに連想したのが「責任の無い大人=(エバンゲリオン他の制作会社)ガイナックス」であった。
 自ら制作した一般向けアニメのキャラクター採用した「18禁物」を自ら大量販売している会社は「18禁物を専業としている会社」より質が悪い、これがHARIが「ガイナックスを連想した」理由である。
 
・人気の終焉 その3「ファンに厭きられる型」
 
 人気が徐々に無くなっていくのは「自然消滅型」と似ているが、違うのは「製作者サイドが人気を維持し続けようとしたのがファンに厭きられる」タイプ。
 作品の連載や放送が終了し、人気が残っている段階で「続編」の制作発表。
 続編もヒットすると、さらに「続編」。
 当然、「続編」が作られるたびに人気は落ちていき、最後は「製作者側がいくら煽っても」ファンが乗ってこなくなる。
 (一般的に、この手のパターンでは初期作品(1作目又は2作目)がそのシリーズの最高作になる事が多い)
 
 このパターンの代表作には「宇宙戦艦ヤマト」が上げられる。
 製作者が「これで最後」と作った2作目「宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士達」が大ヒットするや態度を変え「ファンの方々が続きが観たいとおっしゃる、それに応えないのは製作者側として不親切である。」との発言、続編を量産した事は古いアニメファンでは有名である。
 おかげで「宇宙戦艦ヤマト」の最後は、人気が無いというより(メディアが煽っても)は完全にファンから無視されてしまった。
 
・人気の終焉 その4「前評判だおれ型」
 
 このパターンの特徴は、まだ公開されていないにも関わらず字全情報等の前評判だけで人気が急上昇するが、作品の公開が始まるや一気に人気が落ちる事。
 すなわち、「前評判だおれ」である。
 このパターンで有名なのが劇場版アニメとして海外向けに制作された「テクノポリス21」。
 専門紙で公開された「設定」やストリーで人気が急上昇。
 元々国内公開予定が無い物を、ファンの強い要望で「一部劇場で早朝1回のみの公開」を行った所、長蛇の列。
 ところが・・・、内容があまりにお粗末だった為、一気に人気が急降下してしまう。
 考えてみれば、国内でヒットする可能性がある作品を、国内で公開しない会社は無いのだが、「面白そうだが観れない」という潜在意識はそんな「理屈」が通用しないという例かもしれない。
 
・真の「人気の終焉」とは。
 
 人気が終焉を迎えると同時に、その作品の「商品価値」も終焉を迎えたといえるだろう。
 「人気」という物について考える時、その裏側には「商品価値」の存在を否定する事は出来ない。
 人気作品のグッズを販売する事で利益を上げる。
 悪く言えば、ファンの心理に付け込んで、多くのアイテムを販売し利益を上げる。
 そして、その利益で「次の人気作品」を育てる。
 このサイクルは、まさに「商品のライフサイクル」と同じである。
 確かに「企業」としては「あるべき姿」であるかもしれない。
 企業が作品に対して「愛情」を持つ事は希であるといえよう。
 人気作品に、様々な企業が版権を求めるのは、人気が最高潮の時に「多くの利益」を上げようとするからである。
 つまり、「少ない広告・宣伝費」で「より確実に多くの商品が売れる」からである。
 だからこそ、人気作品には商品価値が生まれる。
 企業がキャラクターのイメージを重視し、著作権を侵害する「18禁同人誌」に対して「厳しい姿勢で望む」裏には、「自分達が作り育てたキャラクターを汚されたくない」との製作者の想いとは裏腹に、企業の論理「商売物に傷を付けるな」がある。
 (前出のガイナックスの様に、一般向け作品のキャラクターを使って自ら18禁物を作成し稼ぐ会社は例外である。)
 だからこそ、人気が落ちてきた作品からは、あっさりと手をひく事が出来る。
 人気作品を最後までサポートし中する企業は希である。
 (多くの企業が失敗するのは、「自分の作品と心中する」のではなく「次の稼ぎ頭」を作れなかった事にある。)
 
 つまり、「人気」と「商品価値」は密接な関係にあるといえる。
 新たなファンが大幅に増える事が見込めない事は、確実にファンの減少に繋がる。
 
 そして、いくら熱狂的なファンが存在したとしても、大きなニーズが無い作品に商品価値は少ない。
 出来る事といえば、「熱狂的ファン」向けに少数限定で高額な商品を販売する事くらいであろう。
 (隙間産業的的に、「残ったわずかなファン」向け製品を販売している会社も存在するが。)
 落ち始めた人気はメインの制作会社が本腰で「人気の維持」や「人気の回復」を計らない限り解決しない。
 (ファンの力は、企業の論理の前には無力である。)
 
 こう考えた時、「真の人気の終焉」とは「商品価値が無くなった時」と言えるのではないだろうか。
 
 


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