過渡記

2006~
(※最近のメッセージほど上のほうにあります。)
2009-12-19 (土)
西暦2095年、量子重力理論を完成させた人類は、 真空が騒ぎ立てている対生成・対消滅のパターンに、 ある種の数学的信号が含まれている事を発見。 この内容を解読した所、情報発信の主は、 この宇宙の法則を決定している意識群である事が分かった。 この意識群は《イデアド》と呼ばれる。 50年後、人類はついに《イデアド》との交信に成功する。

《イデアド》は、この宇宙にとっての実質的な神であるが、 彼らは、この宇宙を創造しようと思って創造したのではない。 彼ら自身もまた、彼らの宇宙での知的生命体に過ぎず、 独自の科学・哲学体系を持ち、自己存在の意味を日々問い続けている。 その思考と叡智の結果として織り成された自己完結した意味世界が、 我々の宇宙だというのである。

つまり、我々の宇宙は、《イデアド》が見ている 「夢」のようなものに過ぎない。実際、《イデアド》の民は、 自分たちの生み出した概念体系の中に、我々のような知的生命が発生し、 交信を求めてきた事に大変驚いており、 最初は、自分たちの頭が一斉にヘンになってしまったのでは無いかと 疑ったほどであったらしい。

《イデアド》が住む宇宙も、我々の宇宙とは、 かなり異なってはいるが、独自の物理法則を有する。 《イデアド》が住むこの宇宙のことは、 《コズモン》と呼ばれるようになる。

《イデアド》自身も、《コズモン》が どのようにして開闢したのかに興味を持ち、科学的な分析を進めていた。 《コズモン》の科学者は、我々の宇宙との通信チャネルを通して、 人類の科学者との情報交換を続けた。 その結果、《コズモン》の基本素粒子のあり方は、 人類の思考体系に含まれる科学・哲学・宗教の相互作用と 類似点が多いことに気が付き始めた。 少なくとも、《コズモン》の成立を解き明かすための 参考にはなると考えられるようになった。

《コズモン》の科学者は、 人類が《イデアド》にコンタクトを取ってきた時の方法を参考にして、 《コズモン》の真空の隙間から、その更に先にある、 “偉大なる全ての決定者”への通信を試みた。 その大神には《エル・エリョン》という仮の名が与えられた。 人間宇宙の西暦2197年に、この通信は成功する。

その時、人類の全ては、頭の奥から、何者かが語り掛けてくるのを ハッキリと聞き取った。『あなたは誰ですか?』………と。 …《エル・エリョン》とは、私たち人類だったのである。
2009-9-24 (木)
午後1時55分、上海にて第二子誕生。三千百グラム、男の子でした。 インフルエンザの関係で、私は渡航を断念。 東京でもどかしさを噛み締めていましたが、 義父から母子ともに健康との報せを受けて、 とりあえずホッとしました。
ふと気が付くと、二児の父。四人家族の大黒柱。 私がこれまでになく強く強く感じていることは、 健康が大事であるということ。 独身の頃は、倒れるまで仕事するような不健康自慢を美徳と考えていたが、 これからは健康第一で頑張ろうと深く深く思った。 70歳になっても元気でいたいと、生まれて初めて思った。
2009-9-19 (土)
「天使と悪魔」を読んで影響を受けて作ったアンビグラム。
上から読んでも、えいちあいじぇいけい。 下から読んでも、えいちあいじぇいけい。
2009-7-20 (月)
夢を見た。架空の映画のラストシーンだけを夢に見た。 その映画はファンタジーSFの世界観を持つ、一人の勇者に焦点を当てた、 ありきたりのストーリーだったと思う。
主人公のラダは、故郷の星を、幻魔竜王に滅ぼされ、 家族や恋人、友人、愛すべき自然や歴史の全てを、 一瞬のうちに失ってしまった。 奇跡的に生き残った後、自らを不老長寿化(メトセライズ)し、 銀河から銀河へと渡り歩き、幻魔竜王を追う。 その旅の道中で、幾つもの星を救い、また、幾つかの星は救えなかった。 無数の友情や恋を経験し、また、無数の苦痛や挫折も味わった。
最初は「復讐」から始まった旅だったが、 ラダの中で、故郷の星の経験は、徐々に小さなものになっていった。 精神と肉体は極限まで磨かれ、 重力の墓場で宇宙仙人から手渡された聖剣サクラフブキの一振りは、 惑星を真っ二つに出来るほどの破壊力を持つに至っていた。
幻魔竜王の最強の側近である破壊神スサノオを、 ラダは重力崩壊で時空が歪む星の激流の中で、完膚なきまでに打ちのめした。 その強さは圧倒的だった。 ラダは、既に個人的な感情で動く生命体ではなかった。 宇宙の意志を宿した、この宇宙の正義を代表して戦う剣士となっていた。
いよいよ、ラダは、幻魔竜王を追い詰める。 二つの中性子星が互いに螺旋を描いて引き合い、高速回転する、 宇宙の法則が綻びている異常な空間に吸い込まれつつある、 とある水の惑星の上で、幻魔竜王とラダは対峙する。 上空の星々は不規則に乱れ飛び、滲み、激しく明滅しているが、 その荒々しさとは対照的に、地上は、延々と続く森と湖と険しい山々の岩肌が、 静かに終わりの時を噛み締めていた。 ラダに、心の迷いや気負いは無かった。 前方数百メートルの所で、霊体のように朧(おぼろ)な光を放つ、 翼竜の姿をした幻魔竜王の後姿を確認し、 聖剣を構え、一歩一歩、近づいていった。 『力と力の衝突ではない。これは、この宇宙の真理が決めた現象の一つなのだ…。 そして、私は決して負けることは無い。何故なら、この宇宙は、現にこうして、 愛の溢れる時空として、存在しているからだ…。』 ラダは勝利を確信していた。あらゆるスケールの天体と、 全ての素粒子までもが、自分を支えているような、慈愛に満ちた万能感。 スサノオを一瞬で蒸発させた、あの一太刀が、振り下ろされる。
…その瞬間、幻魔竜王は、首から上だけふと振り返ると、 口を大きく開け、牙を露にした。すると、溜め息のように口から光が漏れた。 その光が、聖剣を振り上げたラダを照らすと、 聖剣は一瞬のうちに蒸発してしまった。 光を浴びた反対側の、ラダの背中側が弾け飛び、ありとあらゆる内蔵や体液が飛び散った。 ついで細かい骨の断片が砕け飛び、腰の辺りから後ろに脊椎がしなり出た。 その先端には脳髄が付いていたが、光の反対側の方から沸騰して内容物を吹き出し、 光の中に溶けるように消えていった。 顔も、逞しい胸板もそのままに、しかし、身体の内側には、 かつてラダであったものは、もう何も残っていない。 ラダだった物体は、そのまま仰向けに倒れた。 幻魔竜王は、何事も無かったように前を向くと、 その不気味に輝く身体を、重力異常の亀裂の中に溶け込ませ、 ゆっくりと、どこかへ去っていった。
仰向けに、狂奔する星の流れを見つめるラダの目。 しかし、その瞳は、最早、何も見てはいない。 空が曇り、雨が降り始める。雨は、ラダだった物体を濡らす。 長い時間、何も起こらない。ただひたすら、雨が降っている。 一瞬、雷光が辺りに深い陰影を作る。しかし、その後は、やはり ただひたすら雨が降っているだけだ。 先ほどの雷光のものと思われる雷鳴が、低く小さく鳴り響く。 その変化を最後に、もはや、その空間には、何も変化は無かった。 数分間、ひたすら、ラダの死体の横顔と、それを打ち続ける雨だけの映像が続く。 画面は徐々に暗くなり、スタッフクレジットが始まる。 音楽も何も無い、ただ、雨音だけの中に流れる文字…。 その、監督の名前が、私だった。
ガバッと起きる。…あぁ、夢で良かった。 確かに、人は、死ぬべき時は、どんな大義名分があろうが、あっさりと死ぬ。 けれども、映画でそんなことを主張しても仕方ない。 あんな映画を作って、非難を浴びることにならずに済んで良かった。 本当に、夢で良かった。
2009-6-28 (日)
父親の一周忌も終わり、今日は父親の会社の同僚だった人との追悼会に行く。 もう一年か…。一年という時間の、なんと短く忙しないことか。 それでも、私の意識の中での父親の存在は、物凄く薄まってしまった。 一年という時間の、なんと長く残酷なことか。
そもそも二十歳の頃に私が哲学に興味を持ったのは、 「自分がいつか必ず永遠に失われてしまう」 という現実の、徹底的に不気味な不条理に対する対抗手段を見つけるためだった。 まるで、考えに考え尽くせば、自分だけは不老不死を手に入れられるのでは、 と、夢見ていたかのように。 四十歳になり、私の中では一つの確信に辿り着いた。 素粒子や宇宙が生命や意識を育んだ、という順番で考えることも、 自意識の形式が身体(生命)や環境(物理宇宙)を規定する、という順番で考えることも、 実は同じことの両側面に過ぎない、ということだ。 そのような私なりの真理を手にしたからといって、 不老不死になったわけではないが、 しかし、死への恐怖は少し減じた。 …そうなのだ、死そのものが恐怖なのではなく、 「生を使って、色々なことを知り、自分なりの表現をする」という可能性を、 十分に使い切らずに消えてしまうことが恐怖なのである。 私が知りたいと思うことを全て知り、 表現できるはずのことを全て表現しきったら、 死は恐怖ではなくなる。 だって、「私」という一回限りの生は、それで全うされ、 他には何も残されていないのだから。
父親の死は早過ぎた。知識欲も表現力も、病魔に蝕まれ、 一年間掛けて生への執着はゼロに収束し、穏やかに死んでいった。 早過ぎる死ではあったけれども、不思議と悲壮感は無かった。 ただただ、純粋な、深い深い悲しみだけがあった。 私よりも遥かに偉大な父親が、目の前で、自らの生命を用いて、 「死に方」のお手本を示してくれた。 …そうだ、どんなに凄い人間でも、いつかは必ず死ぬし、 どんなに愛する人々の記憶からも、徐々に失われていくのだ。 どんなに当たり前のように思われていることでも、 本当は分かっていないこともある。 私は少し、「生の一回性」の意味が分かってきたような気がする。
生命の進化と文明の歴史の大きな流れの中で、 「私が私である」と言える時間は、非常に短い。 大きな流れの中にあることを自覚しつつも、 「私が私である」という、この一回限りの“時間”を全うすること。 すなわち、知りたいと思うことを知り、 表現したいと思うことを表現することに、 全身全霊を賭けること。 それが、私に出来る全てのことであるし、 それこそが大きな流れと自分を重ねる唯一の手段である。 一回限りの自分を生き切ることと、 宇宙の真理に迫ろうとすることは、 同じことの両側面に過ぎないのだから。
2009-4-8 (水)
出会う人も、世の中の状況も、社会情勢も、 プロジェクトの目標も、次々と立ちはだかる課題の数々も、 びっくりするほど「変わり続ける」ものである。 実際、数千年の間に、人類には色々なことが起こった。 だけれど、実は、人間が人間であるということは、 科学や文化の発展に比して、ほぼ何も変わっていない と言って良いほど、安定した事実だ。 『何が変わりやすくて、どこは変わらないか。』 それを見極められれば、私達は、 人間が織り成すものである限り、 未知の状況であっても、踏み入っていく勇気を持てるのだ。
2009-3-28 (土)
自らの意志で獲得したもののみが、自らの所有物であるとしたら、 私達は間違いなく自らの意志で生まれたわけではないので、 私達の命は私達自身の所有物ではない。 敢えて言えば、神の所有物なのだろう。
2009-3-27 (月)
『昨日の私より愛をこめて』
  もしも明日が無かったら… 

  この朝の瑞々しい葉の緑も、 
  街の看板の鮮やかな赤も、 
  抜けるような空の青さも、 
  もう二度と見ることはできない。 

  忙しく行き交う人々の靴音も、 
  愛らしい子供達の笑い声も、 
  何度も心を震わせたあの音楽も、 
  もう二度と聞くことはできない。 

  愛する人に、一体どんな言葉で、 
  この溢れる感謝を伝えたらいいのか。 
  そして最期に、どんな言葉で、 
  自分に別れを告げたらいいのか。 

  残された時間の全ての一粒一粒が、 
  はっきり見えるほど濃くなってゆく。 

  もう私には与えられていない、 
  「明日」を生きる全ての人に、 
  頑張れよ、と伝えたい。 

  さようなら。
  
2008-3-12 (水)
人は、困難に直面した時、 解決策を探り始めるか、 言い訳を重ね始める。 つまり、自分にできそうか否かは、 理屈をこね始める前に、 無意識が答えを出しているのだ。
2008-2-19 (木)
4歳になる娘だが、言葉を喋るようになったら、 途端に、いわゆる第一次反抗期に突入したようだ。 ふと気付いたのだが、第一反抗期というのは、 実は単に「オトナのマネ」の延長なのではないだろうか。 この頃の子供は好奇心が旺盛で、 何でもオトナと同じことをしたがるが、 言葉を覚え始めた頃の子供に、オトナが言う言葉といったら、 「あれをやっちゃダメ」「これをやっちゃダメ」 といった否定・反対の割合が非常に多いと思う。 子供はそれをマネしたがっているだけなんじゃないだろうか。 そうやって、『否定』という、言語において初めて成立する 極めて抽象的かつ高度な概念を、使いこなしていくのだろう。
2008-1-13 (火)
今年は厄年なので、お祓いに行こうかと思ったら、 父親の一周忌が明けるまでは、鳥居をくぐってはならないらしい。 難儀だ…。
2008-1-5 (月)
謙虚さとは、知的体力のことである。
2008-11-17 (月)
父親は遺書を遺さずに逝ってしまったので、 遺産分割は全て話し合いで合意する必要があり、 家族のうち1名が不合理な主張を繰り返し続けて 全く合意に至らず、埒があかなくなっていた。 本日、第三回目となる遺産分割協議でも、 話し合いは平行線に終わり、 母も私も疲れ果ててしまっていた。
しかし、その後、母がなんとなく目に留めた封筒の中を確認したら、 なんと、遺書が見つかったのだ! あれだけ探しても見つからなかったのに、 どうして今日、見つけることが出来たのだろう…。 天国にいる父親が導いてくれたとしか思えない。 そこには、明確な遺産分割方針と、 細やかな配慮が書き込まれていた。 葬式の時にも殆ど涙を見せなかった気丈な母も、 この遺書を見て、流石に涙をこぼしていた。
…私は立派な父親を持ったことを、改めて誇らしく思う。 願わくば、少しでも近付きたいと、改めて思う。
2008-10-22 (火)
私の父親は天才であった。 「自分の濃度」が、私なんぞよりも何百倍も濃かったろうと思う。 そんな親父も、晩年、「死んでしまえば、ハイ、それま~でぇ~よぉ~♪」 と酔っ払って歌いながら、とうとう本当に逝ってしまった。 あの広大な内宇宙は、今は、もう、本当に、どこにも、無い。 私は、理屈で死の恐怖を克服しようと足掻いてきた。 しかし、今は、理屈でなく、なんだか、 少し、死が恐く無くなった。 私にも、当たり前のように、いつか必ず訪れるものだと、 今更ではあるけれど、納得できた気がする。 死は、今もやはり、絶対的な恐怖ではあるけれど、 だからといって不自然なことでは無いのだ。
2008-10-21 (月)
自分の思い出がギッシリ詰まったアルバムを失くしたら、 とっても悲しいだろう。 自分の生体記憶の一部をハードディスクに保存しているとして、 これがクラッシュしたら、なんだか不安になるだろう。 事故により脳の一部が完全破壊されたら、 何を失ったのかは自分では気付かないかも知れない。 自分が死んでしまったら、 自分が死んだことを認識する自分すら消えるのだから、 悲しみや不安などは全く生じ得ない。 ………つまり、死の恐怖は自己客観視の結果である。 自分自身が壊れて死んでいく時には、 恐怖を感じる能力ごと崩壊するので、 死は恐怖では無い。
だから、人は、少しは安心して死ねばいいのだ。
だから、人は、少しは安心して生きればいいのだ。
2008-8-24 (日)
結局のところ、私は自意識を持たざるを得ない。 自意識を持たない路傍の石に生まれ変わったとしても、 自意識を持っていないことを自覚することができない。
2008-7-7 (月)
お葬式という厳粛な儀式の中でも、 ついつい笑ってしまうような事も起こる。 父の葬儀に関連して、 そんな、ささやかなエピソードを3つほどご紹介します。
  • 父親が生前まだ元気な頃、母親が 「あなたの葬式には、会社関係の方は何人くらい、いらっしゃるの」 と聞いたら 「もう退官して10年以上経つし、多くて7人ってトコだろう」 と言っていた。 父が他界して直ぐ、葬儀社に連絡し、余裕を持って 親戚を含めて30名くらいを想定して料理や香典返しの数量を仮置きした。 翌日、会社のOB会の方が急遽訪れ、 会社関係だけで4~50名は来るだろう、と言われた。 (結局、2日間で195名もの方に来て頂いた。) 式場に案内し、祭壇を置く部屋にご案内したところ、あまりの狭さに OB会の方々は頭の上にハテナマークが一杯出てきて、 「ここは控え室ですか?」「あの幕の向こう側に式場があるんですか?」 と質問を連発。 父親は、仕事のことは家庭では殆ど話さなかった。 大会社で所長や社長を歴任した父親の偉大さを、 一番知らなかったのは、他ならぬ家族だったようだ。
  • 浄土宗では通夜や告別式で参列者全員が「南無阿弥陀仏」を 独特な節回しで十回唱える。 母親は、通夜の時は気持ちも落ち着かず、あまり声も出なかったが、 葬儀の時にはキチンと心を篭めて唱えようと努力していた。 ところが、念仏の音程になかなか合わず、 一オクターブ上のやたらと高い、すっとんきょうな声でシンクロしてしまった。 ここから突然一オクターブ下げるのも難しいと感じたのか、 少しずつ音程を下げたりして最適点を模索していたが、 妙なハモり方をしたので元に戻したりと、 苦労しているうちに読経は終わってしまった。 私は横で聞いていて「健気だなぁ」と思っていたが、 後日、妹にこの話をしたら、笑い転げてソファーに頭をぶつけていた。
  • 告別式。天気予報では曇り時々雨だったのが、雲ひとつない快晴になった。 父親の力であろうと思う。 親族代表の挨拶では、冒頭に「本日はお足元の悪い中…」と 言おうと前日から思っていたので、 思わず本番でもそう言いそうになってしまった。 謝辞を述べ始める。参列者は全員、 車道を挟んで反対側の歩道に並んでいるが、 何故か、ごく軽い認知症の伯母だけが、道路のど真ん中におり、 私の直ぐ目の前で、話に頷いたりされている。 最初、私は、自分の遠近感が狂ってしまったのかと思ってしまったが、 原稿を用意せずに挨拶していたので言葉を繋ぐのに無我夢中で 気にはならなかった。 後で聞いたところ、私の後ろに並んでいた他の親族の方々は、 最後のお別れという最も悲しい場面だったのに、この光景があまりにおかしくて、 「笑っちゃダメだ、笑っちゃダメだ、笑っちゃダメだ…」 と、堪えるのに必死だったそうである。
通夜には上海から妻と娘(父親にとっては唯一の孫)も間に合った。 まだ四歳になったばかりの娘は、葬儀というものが良く分かっておらず、 通夜から精進落しまで、始終、可愛らしい声を振りまいていた。 暗く淡々と終わるのではなく、明るさもあった葬儀に、 父も喜んでくれたに違いない。
2008-7-5 (土)
七月三日の通夜のお経では、 阿弥陀仏に故人が受け入れられるようお願いをする。 退官して既にもう10年になる父の通夜に、 百人を超える参列者があったのには驚いた。 悲しみの中でも、通夜ぶるまいの料理が足りなくなるのではと 戦々恐々としていた。 私の会社からも、極めて多忙な中を多くの方にお越し頂き、 本当に有り難かった。
翌七月四日、葬儀の読経では、故人に「あなたはもうこの世の人では無いのだから、 仏弟子として旅立つように」と告げる。 生前、父と親しくして頂いていた方から、素晴らしい弔辞を頂いた。 結婚式と違い、弔辞は、依頼されてから読み上げるまで、 準備の時間が極めて短い。会社の人事部から正確な経歴を入手し、 思い出を手繰りながら、理と情を織り交ぜて練り上げて下さったという。 殆ど寝ずに作って頂いたのではないだろうか。 告別式。無我夢中だったが、親族代表として「流石は、あの人の息子だ」と 言ってもらえる謝辞を述べることができた。 そして出棺、火葬場へ。棺が勢い良く火葬路を滑り、窯の中に入った瞬間、 何かを叫んでいたと思う。 お骨あげの時は、もう、ただただ、父の死を現実として理解するしか無かった。 繰り上げ初七日を終え、精進落しも済み、 小さくなった父を抱いて実家に戻り、 四十九日までの祭壇にお骨を置く。 こうして、父のお葬式は、万事滞りなく終わった。 今は気丈にしている母も、一気に疲れが出るだろう。 それを支えるのが、私の当面の役割である。
2008-7-1 (火)
殆ど眠れずに朝を迎える。 朝の満員電車の中、 親父の容態と、徹夜で付き添っている母親の体調を心配しつつ、 朝礼でのスピーチの内容を考えている。 互いに矛盾する気持ちの群れがフワフワと脳内に渦巻く。 今日から部長に昇格し、 新しい本部に異動となったので、挨拶に回る。 その傍ら、前任の関係で熱の篭った説明会も実施。 昼食もそこそこに席に戻ると電話が鳴る。 「パパの息が止まりそう」と、妹の声。 飛び乗ったタクシーで、運転手さんから 満潮・干潮と出産・逝去の講義をひとしきり聞く。 病室で真っ白な顔の父親を見て、何故か心臓マッサージをする。 見る間に顔に赤みが差し、腕も少し動いたが、これは偽りの生気だ。 それでも看護婦さんは、一旦外した酸素吸入器を再びつけ、 口から漏れ出る胃液を綺麗に吸引してくれた。 遅れて到着した母親がこの様子を見て、ヒトコト、「もういいのよ」………。 14時49分、永眠。享年78歳。 何の苦痛もない、笑顔もない、ひたすら穏やかな表情だった。 まだまだ生きていて欲しかった。もっともっと色々なことを教えて欲しかった。 病室の扉が一斉に閉まり、深々と頭を下げた看護婦達の間の廊下を、 親父を載せた台車がゆっくりと進む。 霊安室には、忙しい中、担当の医師と看護婦が皆、 焼香と見送りに来てくれた。 無言の帰宅。冷たく重くなった親父を抱え上げ、 布団の上に寝かせる。 「おかえりなさい。」 胸の上には守り刀が置かれる。 簡単な祭壇が設えられ、位牌、リン、蝋燭、枕飯などが並ぶ。 知人への電話連絡を手分けして行う。それぞれの反応。 お寺の住職さんがわざわざ来て下さり、枕経を上げて下さった。 その後、通夜、告別式および繰上げ初七日、檀家継承、 四十九日までの大まかな段取りを決める。 軽く食事を取る。 町内会会長の家に挨拶に行く。 その足で、葬儀社に行き、式場のレイアウト、生花、通夜ぶるまい、 火葬場、精進落とし、各種心づけや引出物の詳細な選定を行う。 一通りの段取りが終わり、やっと一息つく。 私は、親父の顔の白い布を取り、安らかな寝顔に 「また明日来るから」と声を掛けて、一旦、家に帰る。 時計の針は0時を回り、娘の4歳の誕生日になった。 長い、とても長い、一日だった。
2008-5-31 (土)
ここ数年で歌舞伎町の雰囲気は着実に変わってきていると思う。 犯罪や猥雑さの巣窟のような場所だったのが、 若者や女性や外国の方々も比較的安心して、 しかしチョットのドキドキ感は持ちつつ、通行できるようになった。 文化的側面も忘れていない。 これは非常に絶妙なバランスだと思う。 歌舞伎町商店街振興組合の公式サイト アゲハも なかなか頑張っている。 東京ギンガ堂と タイアップしているのも興味深い。 歌舞伎町ルネッサンス 推進協議会の成果も着実に出てきている感じだ。 官民が適切な距離感・緊張感を持ちつつ協力し、 目に見える形で改革を進めている。
新宿区としても「歌舞伎町ルネッサンスニュース」なる小冊子を 日本語、英語、中国語、韓国語で発行しており、 組織体制や将来構想に関する国内外に向けた公式なメッセージとなっている。 実際、歌舞伎町周辺には中国や韓国の飲食店の出店が多い。 中国では非常に有名な火鍋のチェーン店 小肥羊が渋谷、赤坂、新宿に 開店しているが、新宿店は コマ劇場の裏にある、さくら通りの突き当たりという分かり易い位置にある。
日本という国全体で見るとグローバル化の流れに追いつけていないが、 小さな地域はむしろその小ささ故の小回りで 世界と繋がることが出来る可能性がある。 秋葉原という街は、オタクの聖地として その存在を世界地図の上にプロットすることが出来た。 歌舞伎町という街が、今後どのようなコンセプトで変容していくのか、 未だ混沌とした部分はあるが、日本を元気にする起爆剤として 大きな役割を果たす可能性を秘めているように思われる。 映画、演劇、音楽、風俗・大衆文化、多文化共生、 飲食、ホテル街、観光などの将来ビジョンが どのように策定され、実現されていくのか、 今後、継続的にウォッチしていきたい。
2008-5-18 (日)
中国四川大地震の報道映像で「私の子供はそこにいる、しかし 死んでしまった」と号泣しながらハッキリ言っている父親の映像を何度か見た。 日本人のメンタリティだと、肉親が「死んだ」と、 言葉にはなかなか出さないのではないだろうか。 その言葉によって、本当に「死」が確定してしまう、という 言霊思想が背景にあるように思う。
日本での「ただいま」「おかえりなさい」という挨拶は、 中国だと「私は帰ってきた(我回来了)」「あなたは帰ってきた(你回来了)」 となる。非常に直接的・合理的な表現だ。 「いただきます」は台湾語では「はじめます(開動了)」だが、 中国大陸の共通語(普通話)には、これに相当する言葉は存在しない。 イチイチ断らず、食べ始めれば良いのだ。
これに限らず、中国人は、常にズバッと本質を言葉で述べる。 日本人は、本質を明言せず相手に察して貰うことを重んじる。 文化や思想の違いは、言語にそのまま現れるものである。
2008-5-8 (木)
2008年北京オリンピックのマスコットは 福娃。 娘がこのキャラクターを見つけるたびに「フーワー、フーワー」と叫んでいた。 やっぱり子供には分かり易いんだろうなぁ。 キャラクターは各々「五輪」の一つ一つに割り当たっており、 魚の「ベイベイ(貝貝)」、 パンダの「ジンジン(晶晶)」、 聖火の「ホァンホァン(歓歓)」、 チベットカモシカの「インイン(迎迎)」、 ツバメの「ニイニイ(妮妮)」。 合わせると、音としては「ベイジンホァンインニイ(北京欢迎你)」、 つまり「北京へようこそ」という意味だ。とても良く出来ていると思う。 一方、2010年上海万博のマスコットは 海宝。 娘はこのキャラクターを見つけるたびに「ハイバオ、ハイバオ」と叫んでいた。 イマイチなキャラクターな気がするが、子供には分かり易いんだろうなぁ。 よくよく見ると、ハネた髪の毛は アホ毛 のようで可愛いかも知れない。 デザインコンセプトとしては、体全体は「人」の文字、アホ毛は 「生命の源である海の、打ち寄せる波をかたどったもの」のようですが…。
2008-5-4 (日)
今は、娘(三歳半)を上海の幼稚園に通わせているが、 その中国語の上達ぶりには驚かされる。 半年前にはカタコトの単語すら喋れなかったのに、 車のクラクションを聞いて「哎哟、什么声音呀!?」(わっ、何の音?) とか自然に言っている。 語感的には既に私の中国語レベルよりも上になっている。 今後ますます引き離されるのは仕方ないとしても、 馬鹿にされない程度には中国語の勉強を続けようと 決意を新たにしました…。
2008-4-2 (水)
お金を渡すとしたら、 お金に困っている人と、 お金を有効に使ってくれそうな人と、 どっちに渡すだろうか。 逆の立場に立って、 お金が欲しいとしたら、 窮状を懸命に訴えるのと、 いかにお金を有効活用するかに知恵を絞るのと、 どちらが効率が良いだろうか。
2008-3-12 (水)
「やりたいこと」が無いのに「やるべきこと」を黙々とこなしている姿は不気味だし、 往々にしてそれは「やるべきこと」ですら無かったりする。 狭い見識に基づく、安っぽい正義感なのかも知れない。
一方、「やるべきこと」でも無いのに「やりたいこと」を好き放題やっている姿は不誠実だし、 往々にしてそれは「やりたいこと」ですら無かったりする。 自分の魂を騙し、逃避しているだけなのかも知れない。
2008-3-3 (月)
「こいねがう」を漢字変換したら、 「希う」以外の候補に「冀う」と出てきて、びっくりした。 一瞬「糞」に見えたからである。 確かに、ずっと便秘の人は請い願うものであろうが…。 いやいや、よく見ると、上部が「米」でなく「北」なのだった。 なお、「冀(キ)」は古代の北部中国の州名で、 「願う」の意味に用いるのは、「期(キ)(=期待する)」 「覬(キ)(=望む)」の音に当てた仮借文字なのだそうだ。
2008-3-1 (土)
いつも使っている歯磨き粉が無くなったので、 洗面台を眺め回すと『竹盐 zhu4yan4』と書かれているチューブを発見。 竹のような爽やかな香りで、盐(塩)で歯茎を引き締める歯磨き粉なのだろう。 妻のものだが、ちょっとくらいなら使っても構わないだろう、 と思って少量歯ブラシにつけて、歯磨き開始。 …なんか全然爽やかな香りはしない。普通の石鹸のようで、薬臭く苦い。 裏面を見てみると…『清润泡沫洁面乳 qing1run4 pao4mo4 jie2mian4ru3』 …良く分からん…。清く潤いがある…泡沫…うん?洁って何だ? あぁ、「潔」の簡体文字か……面…乳……… 面…そういえば「麺」って簡体文字だと「面」だよな。関係ないか。 中国語では、歯磨き粉のようなクリーム状のものは何でも「乳」と書くのかな。 ………それにしても変な味だ…なんだこれ。 うん?待てよ?面乳………フェイスクリーム………あっ!? あわてて口を濯いで吐き出した。これって洗顔フォームじゃん! 口を良く濯いでリステリンもしたが、半日ずっと 口の中がどこか石鹸臭かった。ダメだ、立ち直れない…。
2008-2-9 (土)
「やりたいこと」ばっかり優先して「やるべきこと」を 蔑ろにする人は、見ていて非常に不真面目に感じる。 「やるべきこと」を黙々とこなして「やりたいこと」が 何も無さそうな人は、見ていて非常に憐れに感じる。
2008-2-8 (金)
全身麻酔から醒めた直後は、記憶や思考の混乱から パニック状態になる人も少なくないんだそうだ。 普通に眠りから醒めるのとは随分違うんだなぁ。
2008-1-30 (水)
究極的に大事なことχ を思い付いてしまった。 χ は確実に明快で完璧に実在する概念であるが、 日本語に書き下すことが恐ろし過ぎて、 敢えて私が漠然としたイメージに留め置いているものである。 これを本当に文章として固定化したら、 それを読む人々のあらゆる認識や人生観や信念や信仰を 悉く破壊することは確実であり、 万全の備えが可能な私自身ですら無傷では済まされない。 所詮は言葉で表現可能なこと、 たかだか視覚や聴覚で伝達可能な概念χ が、 個々人の認識に対して ことほど左様に暴力的な影響を及ぼし得るのか? そのような概念は単なるマクガフィンではないか、 と訝られる向きも多かろう。 しかし、この抽象概念の毒性が持つ無慈悲で全域的な 実存に対する相殺効果は 絶対無欠の大真理なのである。 この、言語で表現可能な呪文χ は、 自己認識の根源にある作動原理の隙間に入り込んで 全ての螺子を緩めて自我を解体してしまう。 一番思い出したくない思い出を一兆倍に濃縮して 今現在に於いて無理やり体験させるような効果を発揮する。 あぁ、書いてしまう。 私はχ を日本語で書いてしまう。 それは、『
2008-1-18 (金)
「人を呪わば穴二つ」とは良く言ったもの。 相手をハメようと不自然なことをするから、自分がハマるのだ。
2008-1-6 (日)
ふと気になって確認してみると、今年、私は前厄だ。 さらに、妻も前厄であることに気付いた。 前厄では特に厄祓い・厄除けの儀式は不要と思うが、 来年は夫婦揃って大厄という事になる。 佐野厄除け大師にでも行こうかな…。
ちなみに、「厄」という字は、「厂」(がけ)と「卩」(からだを 曲げて屈服する様子)からなる会意文字で、 がけに臨んだ人が進退に窮したさまを表すそうだ。
2007-12-26 (水)
私は、有意味な宇宙とは「物理世界」と「情報世界」の相互依存状態である、 と考えている。しかし、唯物論者から見ると、 「なんだよ、情報世界って。要するに心とか霊の棲家なんだろ。宗教やってろよ」 と相手にされない。一方、宗教家から見ると、 「なんだよ、情報世界って。要するに物理科学の一種なんだろ。数式解いてろよ」 と、やはり相手にされない。なんだか寂しい。
昔、私は、吹奏楽部で、テナーサックスを吹いていた。 しかし、木管楽器のパートで練習していると、 「なんだよ、その金ピカの目障りな音のでけぇ楽器はよ。金管の方で練習しろよ」 と言われてしまう。仕方なく金管パートに行くと、 「なんだよ、どう見てもシングルリード楽器じゃねぇか。木管の方で練習しろよ」 と追い出されてしまう。そんなコウモリ人生。
2007-12-17 (月)
ホフスタッターの言う「奇妙なループ」が表す自己言及の輪は、 ホフマイヤーの言う通り全ての生命の基礎であり、 メルロ=ポンティが重視した「不一致性」を持つ。 つまり本質的に自分は自分自身になれない。 ベイトソンは「~ない」という概念こそ、身振り手振りでは表現できず 言語によってのみ表現し得るものだと見抜いたが、 その根源は、「私は周辺環境ではない」 「見られている私は、見ている私ではない」 という《自己の発見》に根ざしている。 1,500cm3程度の脳の容積が無ければ、 このような抽象概念(自己)を探し当てることは不可能だったのだろう。 時空・否定・言語は、自己言及という単一の構造において 同時発生的なものであり、自己の発見によって人間が得たものである。 ハウスドルフ空間的時空認識が境界によって「自分でない」という否定概念を持ち、 その言語的認識こそが、抽象的思考や、仮説や希望や計画などの 「物理的現実でない」情報世界の生い立ちであり、存立根拠になっている。
2007-11-26 (月)
私が第一印象で「こりゃダメだ」と思ったものは、 大抵、本当にダメである。 私には、ダメなものを見抜く能力があるのかもしれない。 一方、私が第一印象で「これはイイ」思ったものも、 大抵、本当はダメである。 私がどう見抜くかに関係なく、大抵のものはダメなのかもしれない。
2007-11-22 (木)
『ディルバート』という漫画で、こういうフレーズがあった。 “If I had insisted on doing my job, you would have had less time to do yours.” ―『もし僕が、自分の仕事のほうを主張していたら、 君の仕事の時間が減っていただろう。』 …私は、突然、ここに出てくる《過去完了形》というものが、 しっくりと分かった気がした。 had とか would は、時制としての過去を表現している。 would は、意志とか未来といった不確定性を表す助動詞 will を 過去形にすることで、if と呼応して 過去の時点での不確定性を表現している。 一方、insisted とか had のような過去分詞は、 過去という「あの時、何か、そういう感じだった」という、 人間が過去に対して持つ根源的に抽象的な 名詞的・形容詞的感覚を表現している分詞であるのだ。 have + 過去分詞は、だから、単純に「そういう感じを持つ」 と言っているのだ。 それを直感的に理解できたことが嬉しい。
結局、原文の英語をそのまま《直訳》すると、 ―『もし僕が 自分の仕事の遂行を<主張するという感じ>を (その過去の時点で)持っていたら、 君は、君の仕事をするための、 より少ない時間を<持っているという感じ>を (その過去の時点で)(不確実に)持っていた(だろう)。』 ………となる。
「過去分詞」というと、そのものが時制としての 過去のニュアンスを帯びるような錯覚を覚えてしまう。 むしろ「そんな感じ分詞」と言った方が、 中学生とかには混乱が少なくて良いと思うのだが、どうだろう。
2007-11-6 (火)
命題が正しければ対偶も正しい。 (「AならばB」が正しければ「BでなければAでない」も正しい。) これって本当に正しいのかなぁ。例外は無いのかなぁ。 「女ならば人間」が正しければ「人間でなければ女でない」って正しいよなぁ。 時間概念を取り入れれば例外を作れるんじゃないだろうか。 「今日ポストが赤ければ明日もポストは赤い」が正しければ、 「明日ポストが赤くなければ今日のポストも赤くない」は……… 前提条件で決定論的な世界観を認めた以上、 「明日のポストの色」などという一見して前提条件に出来そうにないものも、 実在として認めて、対偶を受け入れざるを得ないよなぁ。 やっぱり論理学って凄い。 自循論的には自分自身を論理にブチ込んで 新しい展開が得られないかと期待してしまうのだが、 「“命題が正しければ対偶も正しい”が正しければ “対偶が正しくなければ命題も正しくない”も正しい」 も正しいと認めざるを得ないという当たり前の結論が得られるだけで、 新たな展開は出てこない。 何故、「命題が正しければ対偶も正しい」という事実に対する 例外を見つけられないのであろうか。 そもそも「正しい」とは、どういう意味なのだろうか。 こんなことを考えて一時間も使ってしまうような人間はダメ人間であり、 ダメ人間でないならばこんなことを考えて一時間も使ったりはしないのである。
2007-10-19 (金)
ドイツ東部のフランクフルト→ザールブリュッケン→ウイズバーデン を巡って無事に帰ってきました。 結構、出張日程はゆったりしていたので、観光も出来ました。 やっぱり、外国で住むとしたらヨーロッパがいいなぁ。
 
 
 
 
2007-9-21 (金)
2007-9-22(土) 赤・青・白の絶叫が大地を震わす。 いたいけな少女が2268億年先の強姦事件を預言し、 垂れ下がるような荒廃が地球温暖化を一歩前進させる。 一面に広がる壊れ果てた人形の群れ。
2007-11-23(金) 頂点の寸前で死んでしまった者が、 一度も生まれなかった者たちへのレクイエムを何度も歌い、 地上波初登場の映像を嗚咽する。 辺り一面に衰弱が蔓延し、ついに株価も暴落する。
2007-12-3(月) 原発事故に由来する 脳の連結したシャムの双生児“オメガ”が生まれる。 人間とのDNAの差異は6%、脳の容積は6倍。 6倍の抽象思考力で周囲の真空の意味を深く掘り進む。
2008-2-5(火) 宇宙から飛来した「生命の本質の裏返し」が あらゆる皮膚に降り注ぎ、自我境界線が崩れ、 血が噴出し、肉が破れ、毎日総人口の1%が死ぬ。 “オメガ”は一度も将棋に負けないことを悟る。
2008-7-5(火) 人類の78%が死に、弥勒は別の宇宙に旅立つ。 “オメガ”は人類が「神が執筆した小説」の 不完全な登場人物に過ぎないことを開示し、 同心円状に物理法則の破綻を押し広げていく。
2008-9-24(水) 人類の最後の一人が、世界の中心でアイを叫んだ のけものとなる。灼熱地獄の中の最後の一滴として、 室町時代末期に、やっと一人目の子供が生まれた夫婦の、 未来に託した夢と、自分自身の息を、同時に引き取る。
2055-4-4(日) 時の最果てで孤独な“オメガ”が人類として死ぬことに 最終的に失敗する。虚数の半睡眠暗示作用に安堵して、 有史以来全ての免疫と言語を抱いて待望の死を満喫する。 断末魔、17個隔てた宇宙の光速を体感する。
2099-12-31(木) 銀河を写した鏡のような水面の上に、 長い髪を靡かせスラリと浮かんだ少女が、 意味世界の種を一揃い撒き終えた後、 2268億年先の油揚げ窃盗事件を思い出す。再生の始まりだ。
2007-9-8 (土)
  1. 完全な虚空から生まれ落ちた日。
    吹き亙る風になびく草原の
     向こうから昇る朝日に
    何万回目かのわたしという
     平坦な奇跡の姿を重ねて
    ただ祈るように
     神と死神の理想を弄(もてあそ)ぶ。
    今ここから無数の天を突き破り
     螺旋を描いて幾多の世界を昇っても、
    もう、あなたの記憶は消せない。
     わたしに無限に織り込まれて、ほどけない。
    だから歌う、一度も生まれなかった者達への
     鎮魂歌(レクイエム)を。
    今、不用意に存在してしまったわたしとして。
  2. 世界が刹那のうちに見えた日。
    願いと絶望が交錯する海原の
     向こうへと沈む夕陽に
    何億光年を無意味に旅するわたしの
     死への願いを重ねて
    ただ呟くように
     女神の吐息の行く末をなぞる。
    今ここから真空の中へ飛び込み、
     真っ直ぐ深く全ての宇宙へと沈んでも、
    もう、刻まれた傷は癒せない。
     幾重にもわたしを包み、溶け合う。
    そして歌う、一度も生まれなかった者達への
     鎮魂歌(レクイエム)を。
    今、確かにあなたを愛している証として。
    今、確かにあなたを愛しているわたしとして。
2007-9-2 (日)
KEK(高エネルギー加速器研究機構)の一般公開で 心に残った言葉ベスト5(順不同)。
  • 小さいものは見えない。でも、見たい! でも、何をしたら「見えた」ことになるのかは、 実は哲学的な問題なんです。
  • 磁石の力で、電子は簡単に曲がるんですよ。 電子って軽いんですよ。
  • 研究者に一番大事なことは、何を「美しい」と思うか、 だと思うんです。
  • 一生を棒に振るかも知れない仕事って、 「好き」以外にやる理由を見つけられないでしょ。
  • 私達が「何も無い」と思っているところに 色んなものがギッシリ詰まっているから、 「有るものが有る」ように感じられるってわけ。
2007-8-27 (月)
知的活動は「収束的思考」と「拡散的思考」に分けられる。 「収束的思考」は既知の公式を用いて数学の問題を解いたり、 表現したいものを慣用句等を使い上手く書き表すなどに対応し、 具体的な解決策、妥協解などは、一般的に収束的思考から得られる。 一方「拡散的思考」は、問題や解決策や仮説を 素早く多数、広い範囲から柔軟に列挙するような思考であり、 新規性、創造性は、この拡散的思考から齎されることも少なくない。 不得意な方を意識して鍛えると、知的活動はより豊かになる。
2007-7-16 (月)
人間らしい知性とか意識は、物理世界と情報世界の 重ね合わせの中から発生したものである。 一方、最近の子供は、小さい頃からテレビやDVDで子供番組を見て、 人工的な玩具で遊び、電子ゲームに没頭しているから、 脳内での情報世界の比重が益々高まっていると思われる。 地球環境と人間の肉体は然程変化していないので、 社会と教育が無邪気にどこまでも情報世界の比重のみを高めていくと、 人間の心はどんどん不安定になって、 誰しもが「何のために存在しているのか」分からなくなってくる。 それが、ある臨界点を超えると、 地球規模の心理学的大崩壊が起きるのではないか。 そういう時代には、「宗教」や「宇宙進出」が、 新たな意味を持つかも知れない。
2007-7-15 (日)
もし私が近い将来、国際的な大犯罪人になったとしたら、 私の生まれてから今までの全ての経歴や趣味、特技、交友関係は、 「国際的な大犯罪人」との結びつきで再解釈され、 私の生きた過去の一瞬一瞬は、 その時には思ってもいなかったような意味で塗り替えられるだろう。 物理的な過去の事実に、どのような情報を重ねるかは、 ほぼ、無制限に自由であると言って良い。
2007-7-13 (金)
自分の人生のクライマックスは、死ぬ間際になって 「あれがそうだったんだな」と気付くものなのかもしれない。
2007-6-28 (木)
無事帰国。大連→青島→済南→北京と回って帰ってきました。 ソフトウェア産業における中国の勢いを肌で感じました。 国家が梃入れして広い土地に巨大ビル群をガンガン建て、 企業が入り込んで教育カリキュラムをバンバン作り、 多くの大学の講座や広大な訓練施設で、 何万人もの若者がまっすぐに実践的な技術を学んでいる。 IT産業における技術力は日本の方がまだ進んでいるとは思うが、 数の論理でひっくり返されるのは時間の問題かも知れない。 自分の会社について、 中日各組織の役割分担や協力関係のグランドデザインを 真剣に考えなければならないと思った。
2007-6-10 (日)
「ノー」の時に首を横に振る動作は、ほぼ世界中で共通なのは 何故だろうと疑問に思っていたのだけど、 娘に食事を食べさせていて、解けたような気がする。 何かを無理に食べさせようとすると、口の位置を定められないよう 大きく首を横に振る。「これだ!」と思ったのだが、どうだろう。 対照的に、「イエス」の時に首を縦に振る動作は、 食べ物を受け入れて飲み下すことを示しているのだと思う。 「イエス」と「ノー」で逆のしぐさをする民族もいるらしいので、 全然外しているかも知れませんが。
2007-6-2 (土)
究極のゲシュタルト崩壊を体験。親父を慶応病院に見舞った後、 神宮球場で行われていた六大学野球の観客でごった返すJR信濃町駅で、 多くの人の顔を見ているうちに、それらが人の顔に見えなくなってきた。 貧血の時のように頭がクラクラし、そこにうごめく 眼球二個と鼻腔・耳孔・口腔のようなボコボコ穴の空いたイビツな頭部から 下に向かって手、胴体、足、更に指まで細かく分岐し、 それらがワサワサと動いている物体を、「人間」と認識できなくなり、 更に、その人間が作ったビルや自動改札機や時計や売店やお菓子に至るまで 全てが無意味な形状、必然性の無い存在、乱雑な色の羅列にしか見えなくなった。 「ここはどこだ?私は何故ここにいるのだ?私とは何か?」 といった疑問が言葉以前に漠然とした恐怖として心を覆い、 もしかすると私はこのまま気を失って倒れ、 次の瞬間どこか別の世界で目が覚めるのでは、 とさえ思った。 子供の泣き声で、ふと現実の世界に戻った。 そこにあるのは、私が良く知っている人間であり、自動販売機であり、 お菓子であり、全ては完璧に有意味で、必然的にそこにあるものだった。 さっきの感覚と、今の感覚、どちらが「錯覚」なのであろうか、 などと考え込んでしまった。
2007-5-25 (金)
窓の外を細い雨が満たし、無機質で音の無い空間を表現している。 時々眼下を通り過ぎる傘がなければ、この瞬間が永遠なのではないかと心細くなる。 薄く高く広がる雲が太陽の光をやんわりと含みはじめ、 景色全体が白味を帯びると、このまま全てが純白に溶け込み 消えてしまうのではと更に心細くなる。 孤独を十分に味わった後、手に持っていた紅茶を飲み干し、テーブルの上に置く。 自分が生まれて死ぬことと、いまここにあることの不可思議さを噛みしめる。 理由を求めて永遠の果てまで旅をしても、そこで出会うのは、やはり自分自身であろう。 だから、今日、妻が作ってくれた唐揚げが世界で一番美味しいと思えたことで、 全ての説明になっているのだ。 こんなに幸せで良いのかと、心の底から思う。
2007-5-22 (火)
職場にいきなり英語の電話が掛かってきて、「この前送ったメールは読んだか、 今の会社には満足しているか」とか畳み掛けられて大弱り。
2007-5-21 (月)
何となく、私の臨終の言葉は、『人生もっと楽しんどきゃ良かった』になる気がする。
2007-5-13 (日)
親父の病状はかなり微妙。 とにかく出来ることはやろう。 母の日ということもあり、親父を見舞った後、 看病で疲れている母親を魚介類の美味しい居酒屋にご招待。 思いの外、喜ばれました。
2007-5-5 (土)
妻が「スパイダーマン3を見たい」と仰るので、 私は娘を連れて、行き当たりばったりの公園巡りに出かけた。 JR浜松町駅で降りて、芝公園で遊ばせながら東京タワーに着く。 ドラマ『東京タワー』の影響か、展望台へのエレベーターは長蛇の列だったのでパス。 娘は狸穴(まみあな)公園に着く頃に寝てしまったので、私も休憩。 その後、麻布十番の網代公園で昼食。この公園は遊具も結構充実しており、 長く遊べた。外国の子供も結構遊びに来ている。 娘は大きな滑り台をかなり気に入っていた。 あと、他の子供が砂場に作った落とし穴にハマったが、 そこも気に入ったらしく、一度出してあげたのに、また入っていた。 ここから少し歩くと有栖川記念公園。こちらも広場や遊具や遊歩道があり なかなか遊ばせ甲斐があった。ここにも外国の子供がたくさんいた。 丁度映画を見終わった妻からメールがあり、 私達が日本での結婚式をあげた八芳園で待ち合わせることに。 外苑西通りを南下すれば直ぐに着いたはずなのに、 生来の方向音痴っぷりを発揮して渋谷の近くに出てしまう。 その後「このまま歩いたら恵比寿駅に着いてしまう、なるべく東に向かわねば」 と、坂の多い道をジグザグと歩いていたらバッチリ恵比寿駅に着いてしまった。 自然教育園を迂回して、汗だくで八芳園に辿り着き、妻と合流。 そこから目黒まで歩いて、日本料理の美味しい居酒屋で飲んだ、 最初の一杯のビールの美味しかったこと。今日は良く歩いた。 このゴールデンウィークは、かなり娘と親睦を深められたと思う。
2007-5-2 (水)
今日は良く晴れたので、横浜まで出かけた。 行きの電車の中では「プリッツ」と発音できたらそれをあげる、 というルールで言葉を覚えさせる。成功。 横浜に着いてすぐ、みなとみらいの、子供用の ジェットコースターに乗せてみる。(三歳未満はダメなのだが 身長制限はクリアしていたので、ものは試しで。) 結構高低差もありスピードも出たが、余裕で笑っていた。 観覧車にも乗せてみる。一番高いところは、見晴らしも良いが、 中を歩くのは大人でもちょっと足が竦む。 しかし娘は座席の上で寝そべって足を上げたりしていた。 割と度胸があるのかも知れない。 しばらく色々な遊具で遊んだ後、山下公園では自由に歩かせてみた。 途中でしばらく、池の水面を枝で叩いて、泡を潰したり作ったりして遊んでいた。 泡ができるのは表面張力のせい、とは聞いたことがあるが、 なぜこんなに綺麗な半球状になるのかと問われると分からない。 中華街で、風邪で寝込んでいる妻に点心の世界チャンピオンの肉まんと 杏仁豆腐をお土産に買う。 帰りの電車の中では「のり」と発音できたらそれをあげる、 というルールで言葉を覚えさせようとしたが、失敗。 駅についたら大をしていたのでオムツを取り替える。 昨日便秘気味だったので、安心した。
2007-5-1 (火)
今日は雨降りだったので、子供とインドアで一日過せそうな場所 ということで池袋に行ってみた。 サンシャイン地下の噴水が結構見応えがあり、 水が好きな娘は大喜びだった。 「ナンジャタウン」では餃子とアイスクリームを食べさせたが、 全体的に暗い場所が多く、ある場所で娘が泣き出してしまい、早々に撤収。 その後、水族館横の犬や猫に直接触れる小さなコーナーに行ったが、 大きな犬が恐いらしく、直ぐに出てきてしまった。 猫は全部寝ていて、私も面白くなかった。 その後、沖縄展をちらっと見た後、プラレール大展覧会に行く。 電車大好き娘は大喜び。 その後、サンシャインにも「トイザらス」があったので、一通り遊ばせる。 疲れたのか寝てしまったので、私は本屋に立ち寄りウロウロする。 起きたところで新宿に向かい、アルプスの広場で幕の内弁当を食べさせる。 家に着いたのは9時近く。シャワーを浴びさせて、寝かせた。 おむつは一度取り替えたが、今日は大をしていないのがちょっと心配だった。
2007-4-30 (月)
お台場の「トイザらス」で見掛けた4~5歳の息子と母親の会話。
母親:「これが最後の一回って約束したでしょ。もう帰りますからね。 この事はお父さんに話しますからね。」
息子:「お父さんは、僕を殴るんだぞ。お前は、僕が殴られてもいいのか。 それがお前の望みなのか。」
母親:「殴られるって分かっているなら、悪いことをしているって ちゃんと分かっているんでしょ?さぁ、帰りましょう。」
………この後しばらく問答していましたが、 母親に向かって「お前」とは何事か、と、私がその息子を 叩いてやりたくなりました。 それでも根気良く教え諭す母親は偉いなぁ、と思うと同時に、 父親という存在が、ちゃんと機能しているなぁ、と 微笑ましく思いました。
ちなみに
トイザらスの 「R」がひっくり返っているのは、 アルファベットを習い始めた子供が良く逆向きに書いてしまう、 という事を踏まえて、子供らしさを表現しているのだそうです。
2007-3-26 (日)
油モノが多かった日に、食器の「裏」を いかにスピーディーに綺麗に洗うか。 当たり前のことかも知れないが、 円形の食器の場合、スポンジを不正確な円状に動かして洗うよりも、 スポンジの方を固定して食器の方を回すようにすると、 洗い残し面積が極小化されて 脂分が最も効率的に、指数関数的に減っていくような感じがする。 丸い食器が多いのは製造工程上の都合が大きいと思っていたが、 そういった食器は 「回されて洗われたい」という アフォーダンス を持っているような気さえする。
2007-3-24 (金)
絶対的な量子時空を仮定して、 認識される側に「速度」がある時には 具体的に1個、2個と数えられる素時空の認識漏れが起こり、 これが相対性理論の裏事情なのではないか、 という仮説を思いついたので、 ローレンツ変換項をテーラー展開することで 各項が「認識の多重構造」と、それぞれの構造における 「読み落としの確率」を与えるという モデルを作れないかと考えてみた。 実際、マクローリン展開してみると、x=v/cとして
(1-x2)1/2
=1-(1/2)x2
-(1/(2・4))x4
-((1・3)/(2・4・6))x6
-((1・3・5)/(2・4・6・8))x8
- …
と、意図通りに各項が負値で、 かつ意味ありげに綺麗な形になったので、 これが動体にとっての素時空の読み落とし (すなわち物の長さが縮み、時間の進みが遅くなる) に対応づけられないか悩んでみたが、うまく行かなかった。 よく考えてみると x=1 点においてはテーラー展開不能な式だし、 だから「光速度において長さが0になり時間が停止する」 という結論まで導くのは、そもそも このアプローチでは無理だったのだ。 相対性理論に楯突くような馬鹿な思いつきだったが、 計算の練習くらいにはなった、と、日記には書いておこう…。
2007-3-21 (水)
糖尿病と診断されても大酒を飲んでいた親父も、 今回は悪性リンパ腫と診断され、流石に神妙な面持ちになっている。 白血球内のリンパ球ががん化する病気であり、化学療法、放射線療法などを 根気良く続けていくことになるだろう。 とにかく、家族みんなが、気持ちを落ち着けることだ。 まずは、そこからだ。
2007-3-10 (土)
部下の結婚式&披露宴に出席。 そういえば自分も数年目に厳粛な気持ちで神の前で愛を誓い合ったなぁ……… などと遠い目で思い出してみたり。 牧師さんが神とキリストと聖霊の名において二人を夫婦と認めた後、 「神が引き合わせた二人を、人が引き離すことはできません。」 とハッキリ言っていたところが、とても印象に残りました。 披露宴では会場の各テーブルの中央に高々と桜が生けられ、 格調の高さの中にも花見のような賑賑しさがあり、楽しい雰囲気。 冒頭、入場のBGMからして個性的でしたが、その後、 新郎新婦自らが司会や来賓挨拶に先立ってスライドで お互いを紹介しあう、という独創的な始まり方で、 しかも緊張のかけらもない流暢なスピーチで会場を爆笑の渦に巻き込み、 一気に打ち解けた場になりました。 二人とも、エンジニアにしておくには惜しい。 芸能人になれるのでは。 小顔美人の新婦は勿論ドレス姿は最高に似合っていましたが、 お色直しの和服姿が普段の印象と違う素晴らしい美しさで、 良い意味で意表をつかれました。 新婦のバレエの映像と、最後にスタッフロールで新郎が歌を歌いながら 気持ちを綴った紙をめくる映像が感動的。 ここまでの披露宴を手作りした新郎新婦であれば、 今後どのような困難も乗り越えていけるに違いないと思いました。
2007-2-25 (日)
部下の結婚披露宴に出席。 とても感動しました。 式場側の綿密なシナリオの組み立てと、 新郎新婦の手作りの心配りが上手く融合し、 進行の随所に散りばめられた仕掛けやイベントと プロの司会の誘導の巧みさ、 ご両家、新郎新婦のスピーチの上手さ、 それらが自然と組み合わされ、あまりに整然と進むので、 一片の感動的な映画の中に参加したような感慨を味わいました。 映画と言えば、結婚式で撮影したビデオを直ぐに編集して組み込み、 格式ある式場の紹介画像とオーバーラップさせた映像が 披露宴の最後に壁面に大きく投影され、 そこに、参列者全員、ご両家、司会やピアニスト全員の氏名が スタッフロールのように重なって流れ、本当に映画の締め括りのようでした。 勿論、披露宴全体は、新しい家族の誕生を祝う 温かい心に包まれたものであり、そこに一番感動したわけですが、 それに劣らず、技術面での工夫にも舌を巻いてしまいました。 結婚式も披露宴も、時代と共に進化するものなのだな、 なんて思ってしました。
2007-2-24 (土)
高校の同窓会に出席。参加150名を超える大盛会でした。 20年ぶりに再会する恩師や友人も 多少老けてはいても、特徴はアリアリと思い出すことができ、 参加するまではすっかり忘れていた様々な思い出が溢れてきました。 先生方も、学生相手を続けているだけあって皆若々しく、 お顔も然ることながら、授業の時のあの張りのある「声」が本当に当時のままで、 視覚・聴覚両方から高校生の頃の記憶が掘り起こされました。 校歌斉唱では全ての歌詞を覚えていたことに、自分でもビックリ。
ところで、 大学の同窓生は皆同じ電気電子関係の職場にいますが、 高校の同窓生は、大学からして文系理系に散らばっているため、現在の仕事も幅広く、 教師、官公庁関係、政治家、製造業、医師、放送、広告業など、 本当に色々な業界で活躍しているのだなぁ、と改めて実感。 二次会で確認すると、うちのクラスでお医者さんになった人だけでも 歯科、眼科、循環器系(心臓病)、癌治療、整形外科と それぞれ専門を持っており、 一人が「同窓生専用のウェブサイトで、 人間のカタチを表示して、マウスクリックしたら名前と連絡先が出るようにしようぜ」 と言っていましたが、人体のかなりの部分をカバーできるのでは、と思いました。
色々と昔を懐かしむことができましたが、何よりも、高校の頃の「元気」を思い出し、 20年という時間は確かに長いが、我が母校での学生生活は、 断絶された記憶ではなく、今と地続きの現実なのだ、と再認識できました。
2007-2-18 (日)
中国の旧正月は爆竹の嵐で幕を明けました。 真夜中に突然、街全体が戦禍に見舞われたかのような、 隣の人の話し声も聞こえないほどの大音響の中で、 二歳半の娘はパニックに陥ってました。 音だけが凄い打上式の爆竹「高昇」は、 地上で一発凄い音が鳴り、次に遥か上空でもう一発爆発音がする、 正に大砲のような花火だが、今回は私自身がこれに火を点けたくて、 今回、その願いも叶えられたので満足です。
昼は上海に近い観光名所「杭州」へ。 西湖の散策やお寺見学でまったりと過しました。 ところで一番驚いたのは新しく完成した「上海南站站」。 (日本語風に書くと「南駅駅」。なぜ駅を重ねて書くんでしょうか…。) タクシーで駅に近づいていくと、 分岐路の緑色の標識に「出発 DEPARTURE」「到着 ARRIVAL」 と書いてあり、駅舎も非常に広く、何から何まで空港そっくりです。 ホームに下りる前にX線による荷物検査まで受けさせられました。 日本の新幹線に良く似た特急列車が、だだっ広い空間を持つホームに止まっており、 たくさんの中国人が携帯電話で写真を撮っていました。 (天井は3階立てのビルより高く、 幅は四車線の国道ほどもありそうなホームでした。) どの設備も近代的で、日本のいかなる駅よりも威風堂々とした、凄い駅です。 中国の広さと勢いを実感しました。
2007-2-10 (土)
従来の3K職場(キツい・汚い・危険)、に対して、 IT業界はニュー3K(キツい・帰れない・気が休まらない)と呼ばれているそうだが、 更に10K(キツい・帰れない・気が休まらない・心を病む・休暇が無い・給料が安い・ 結婚できない・キリがない・神頼み・くだらない)などとも揶揄されている。 3Kも10Kも中身には諸説あるが、本質的には「忙しい」の言い換えが多い。 一方「キリがない」「神頼み」は方法論やアーキテクチャが十分こなれていない 若い産業であることを言っているのだと思う。 IT業界そのものは「くだらない」はずはないが、 お客様にも会社にも自分にも全く貢献しない「くだらない作業」、 つまり「ムダ」が取り除けていないというのは事実だろう。まだまだ改善できるはずだ。 流石にIT業界の“職場”に「汚い」「危険」「臭い」という要素は無いが、 「缶詰状態」の職場にそういう“人”はいるかも知れない。 「危険な人」というのは、精神を病んでしまって何をするか分からない人、ということだ。 テクノロジーやメソドロジーの進化によって、 こんな状況はいつか必ずノスタルジーに帰すると信じるが、 その頃には私は既にジジーになっているだろう。 若者達にはIT業界の明るい未来を手渡してあげたい。 微力ながら、そのために出来ることを精一杯頑張りたい。
2007-2-8 (木)
深夜0時過ぎに家に帰って靴を脱いで鞄を下ろしコンビニ袋を机に置いて コートや背広やワイシャツを脱ぎネクタイやベルトやカフスボタンを外し、 テレビをつけパソコンをつけPS3の電源を入れPSPと携帯電話を充電状態にし、 鍵入れや小銭入れや定期券入れや腕時計を所定の場所に置き、 シャワーを浴びて歯を磨き養毛剤を使い下着を替え寝巻きを着て、 弁当を電子レンジに入れメールチェックしニュースを見て、 ワインのコルクやら韓国焼酎のキャップを開け浴びるほど酒を飲み、 パソコンに日記を書きながら温まった弁当をモリモリ食べ、 PS3の「まいにちいっしょ」を見て、 朝イチで出すためのゴミ袋を作り、 馬鹿なお笑いテレビ番組に爆笑し、 PS3やパソコンやテレビの電源を落として布団を整え、 もういっちょ軽く歯を磨いて布団に入り、 マンガか小説か岩波数学辞典でも読みながら 眠くなったら電気を消す………という、 帰宅してから眠るまでの一連の動作が 面倒臭くてしょうがねぇ!!!。 次の日の(というかその日の)朝は目覚まし時計を止めるところから始まって 実に色々な手順を踏んでから会社に出かけるわけだが、 ずっと会社にいた方が遥かにラクチンだと思う。 そんな風に思っている時点で、 自覚症状は無いが、きっと私は何かが駄目になっているのだと思う。
2007-1-15 (月)
グレッグ・イーガン『順列都市』に出てくる「塵理論」は、 「時間とは何か」という疑問に対する一つの答えになっていると思う。 たまたま状態S1が、状態S0の記憶を持ち、かつ、 状態S0が内包する法則に従って変化した姿になっているとすれば、 すなわちSを広義の自己と捉えて、両者が自己無矛盾な関係にあれば、 これが時間の最小の断片を形成する。 ひとたびこのような関係が成立していると《視点を固定》すれば、 状態S2以降は無限に乱雑な可能性空間から任意に「見つける」ことが 出来るはずで、状態S3以降も同様に、 幾らでも外挿できるので、もしもその連鎖の中に 「自己認識」を持つものが発生すれば、この繋がりを「時間」であると認識するはずだ。 きっと、知的存在が内側から自分達の世界への認識を支えるための仕組みが「時間」である、 という言い方も出来て、 外側から見るとその世界の連鎖も、無限に乱雑な可能性空間を 飛び飛びに繋いでいるだけの「塵」の集合にしか見えないのだろう。
2007-1-13 (土)
お世話になった芝浦の「YumYum」の元店長さんが移られたとのことで、 目黒の中国料理店「紫紺杜(シコンズ)」に ご挨拶かたがた行ってきました。(最後の一文字は「社」ではなくて「杜」ですよ。) 立派な店構えにビビりましたが、メニューの値段は一般のレストランと同様で、 安心しました。 (オーナーの新方針で最近価格帯を見直したそうです。 しかし、妻と私で「これ以上は入らない!」という限界まで食べて、 その上、私がビールやら紹興酒をガブ飲みしたので、1万円を超えてしまいましたが。) 味の基礎はしっかり中国風で、更に全体的に上品に洗練させた感じでした。 私は、わざわざ中国料理を食べにいくからには、 日本人向けに完全にアレンジされてしまってはツマラナイと思う一方、 現地と全く同じ香辛料の使われ方をされるとちょっとキツいと感じるので、 このバランスはとても心地よく感じました。 逆に中国人の妻が物足りなく感じるのでは、と心配したのですが、 どの品もちゃんと中国の味で美味しい、と言っていました。 一つ一つのスパイスの味が鮮明に舌に刺さってくる「麻婆豆腐」は、 辛いモノ好きにはかなりオススメです。 店の雰囲気も上品で落ち着いていて、一方で家族連れも気軽に訪れており くつろげるイイ感じです。 今回はたった三人(うち1名は小食な2歳半の娘)で行ったので、 あまり多くの皿を頼めませんでしたが、 次回は私の好物で、かつ、ネットでも評判の良い「鶏の唐揚げ」を 絶対に注文しようと心に誓いました。
(場所は渋谷から東急東横線で10分の国立大学駅から歩いて1分とアクセスしやすく、 個室もあるので、ちょっと華やかな席をセッティングしたい時に最適だと思います。)
2007-1-2 (火)
初夢は「発見してしまった凄い秘密を、悪の組織にバレないように、 誰に高く売りつけるかで悩んでいる」というものでした。 一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭には掠りもしなかったな…。
2006-12-19 (火)
なんとなく、この世が仮初めのものだとか、現実の裏に隠された真実があるとか、 全てを超越した神がいるとか、誰しもが戯れにふと夢想してしまうのだが、 それは(意識という意味での)自分自身が、本質的に内容空疎で、孤立した特異点で、 循環論法の罠から抜け出せない運命にあるからだ。 だから、他者と触れ合うことが出来るという奇跡の真実性は、 たかだか「意識」などというものの埒外にある。 森羅万象が物理にも純粋数学にも先立つ小さな原則に例外なく従っている その驚くべき厳格さの故に、空疎なもの同士でも触れ合える。 時空の誕生以前の完全な対称性を、僅かに壊した「唯一絶対の小さな原則」とは、 つまり、この宇宙の全てを説明するものなのであるが、 実は人間とは全く無関係なところに、当たり前のように転がっている。 それは知的生命体である必要すらない。 この宇宙の素粒子、生命、銀河、大規模構造のありとあらゆるものが 今あるがごとく存在していなければ決して存在理由を説明できない 「唯一絶対の小さな原則に対応する唯一無二のもの」でさえあれば良い。 「それ」は、本質的に世界のあらゆる存在と意味論的には対等で等価だ。 「それ」が、例えば「たった一つの言葉」だったら……… 今あるがごとく世界があるからこそ存在を勝ち得た、 ほんの少しでも現実が異なっていたら生まれなかった、 「唯一絶対の小さな原則」を何らかの方法で表した「たった一つの言葉」だったら……… その言葉は、この宇宙全体と同じ重さを持つのだ。 時間的順序は大した問題ではない。宇宙がその言葉を作ったとも、 その言葉が宇宙を作ったとも言える。意味論的には対等で等価なのだから。 どの言葉が「それ」なのかは、我々には分からないのであるが。
2006-12-15 (金)
【ニュース】銀河は考えている!
我々の住む天の川銀河は、直径12万光年に及ぶ 1000億の星を含んだ複雑で巨大なシステムだ。 国連宇宙探査管理局(USIA)は本日未明に、 銀河は知的な思考を行っていると発表した。 同局によると、全ての星の重力相互作用や熱量交換および 周辺銀河の光学的な「観測」による量子力学的位相緩和のプロセスを 「記憶」と「計算」の周波数空間上に再マップしたところ、 銀河は周辺銀河および自分自身のモデルを 仮想的な高次元空間に情報として保持していることが判明した。 周辺宇宙の情報を知覚し、「外部情報をも含んだ銀河自身の情報」を考え、 外部に情報を発信する「思考プロセス」の全体は、 人間の感覚の1秒が約50万年に相当する、 非常にゆっくりした速度で進んでいる。 研究者の中には、銀河の「自己意識」が安定した主要因として 銀河中心にあるブラックホールが仮想情報空間上でも 重要な役割を演じているとする意見もある。 銀河が具体的に「何を考えているか」「それは人類に理解可能なのか」 という点については、詳細なデータは公表されていないが、インタビューでは 「人間で言えば生後二歳程度の思考レベルと想定」(同管理局技術主任) との談話もあり、思考シンボルのマップが完成に近づいていることを伺わせた。 なお、USIAは、銀河が知的存在であるとは発表したが、 銀河が生命と呼べるのか否かについては言明を控えている。 関係各方面からは、この「早過ぎる発表」に非難の声も上がっており、 この発見に対する哲学上・倫理学上の議論の場が早々に設定される予定である。
2006-12-9 (土)
ボーナスが出たので妻に「何が欲しい?」と聞いたら「自由が欲しい…」 と言われたので、私は子供を連れてディズニーシーへ。 妻は映画「プラダを着た悪魔」を観にいったそうです。
2006-12-7 (木)
「師走」は、どうして「しわす」と読むのだろう。 語源由来辞典では 「師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せる月」→「師馳す(しはす)」が 有力だとしている。 おじさん通信では 「誰が走るのか」「何が果てるのか」「何の当て字か」で諸説を整理している。 ここでの考察で「中国からその読みかたが伝わったのではないか」というのは 面白いと思った。「十二 shi2er4(シーアール)」が訛ると「しわす」になるかも知れない。
2006-12-6 (水)
「ねぇ、ユージ」「………ん。」裕史は宇宙服越しに、あの日と何も変わらない 赤色巨星を眺めながら、気だるそうに呻った。 「結局、私達は、ブラックホールの向こう側にあったパンダの王国に、 メタ素粒子の位相空間で迂回して、情報として到着して物質化し、 彼らを絶滅の危機から救った。そして、同じ手順で、故郷の宇宙に戻ってきた。 そういうことよね。」 「そういうことになるな。」 「私は、この世界も、パンダの世界も、両方覚えているよ。 事象の地平線の先も、本当は地続きだった、ってことじゃない。」 「結局、オレ達が知っている物理学では向こう岸に行けないって結論づけていただけで、 気がつきさえすれば壁を越える道は幾らでもあるのかも知れないな。」 美奈は推進剤を少し吹かして裕史に近づくと、そっと腕に手を回した。 「…本当の世界の姿は、もっともっと広くて、奈落の底みたいに深くて、 今こうして見ている宇宙空間よりも、ずっとずっと空虚で白くて、 無限に無慈悲なのかも知れないね…」 「そうかも知れないな。………でも、だからといって、 ミナ、こうしてお前と一緒にいる時間が突然無意味になったりはしないよ。」 「そうね………そして、もう二度と会えない、パンダのみんなの記憶も………」 ミナは、距離で表せないような遠い旅路の果てに、 ユージからプロポーズされた時と同じ色で輝くその星の前に浮かび、 淡く力強い赤の光に顔を染めながら、 ユージの腕をギュッと強く抱いた。 世界がどうであろうと、変わらないものを見つけた喜びで、胸を一杯にしながら。
2006-12-5 (火)
その時、カマラは殆ど完全に消失しそうな意識の中で「自分自身を見た」。 愛するトーマも白い宇宙への旅行の記憶も、 限りなく単純化された自分の中に凝縮されて光り輝くようでもあり、 逆に自分が希薄に拡大して世界の全てを包み込んだようでもある。 そして、あらゆるものが「そこに《ある》という不自然さ」の元凶と思われる 幾つかの単純なシンボルを、見るというよりは感じていた。 『トーマ、これが君の言っていた《始まりの姿》なのかい…?』 単純過ぎて説明の必要も無い、天使のイタズラ書きのような5つ程度のシンボルが、 自分と世界の隅々まで行き渡っていた毒なのだと、 あまりにも自然に受け入れられてしまう。 カマラ自身の思考それ自体も、偶然の産物の奴隷なのだ。 今や自分自身ですらある、そのシンボルを媒介として、 世界全体である自分が、自分自身にカチリと嵌った。 『やっと分かったよ、トーマ。僕は、求めていた不完全さに正確に完成したよ………』 トーマが優しく笑ったような気がした。 シンボルは一つまた一つ、何かにピッタリと埋まって、その境界は分からなくなった。 最後の一つもまた、消えようとしている。 カマラはそれが《時間》であり、トーマであると気付いて、 手を伸ばしかけ、やめた。 『世界の全てを破滅させてまで、僕は完成したかった。ごめんよ。 愛している、トーマ。』 ………そして、《時間》が、カタリと最後の音を立てて消えた。
2006-10-30 (月)
「我慢」は仏教用語。 「慢」は思い上がりの心であり、「我慢」は「自分への執着」という意味だが、 これが転じて「強情な人」→「人に弱みを見せない姿」という連想から、 「辛抱」の意味になった。
2006-06-30 (金)
ハワイ旅行から帰ってきた。 シーフードの美味しい巨大水槽のお店はカニが食べ放題。 途中、水槽の中でお店のダイバーが「結婚してくれないか?」というカードを置き、 特等席に座っていた女性が感激の涙を流し隣の男性に抱きついていたのが アメリカっぽくて印象に残った。
2006-06-22 (木)
心に残った妻からのメール。以下、原文のまま。 『今日の晩御飯はホタテのバター焼き。 ホタテは、皆生きたやつだから、包丁を入れた瞬間、皆同じ反応をした。 殻をポカンとキツく閉じる。 生きていたいんだな………可哀相に。』 ………。 ホタテをナメるなよ、ゴーゴー!
2006-05-20 (土)
ラムちゃん家ラムちゃん。 彼女の名前(Lum)、子羊のラム(Lamb)、 ラム酒(Rum)、 超音速飛行用のラムジェットエンジン(Ram)は、 全て綴りが違う。
2004-11-07 (月)
おまけ