意外と心理に関係あるメモ

last update 2007.3.21
心理学/ 意識と感情/ / / 精神病




■意識や感情に関する諸説
■脳
■夢

■精神病
■未整理
2006-06-20 (火)
仕事場で、眠くて意識を失う寸前が最近面白い。 決して現実では無いことにリアリティを感じている時間から復活する その瞬間の「ホンモノの現実世界に対する違和感」が面白い。
2006-08-31 (木)
差異の認識が無ければ主観時間も止まる。 差異に「気付く」「驚く」「感動する」「怒る」、 差異を「愛する」「楽しむ」「避ける」「悲しむ」、 そういった頻度が減るほど、自分にとっての時間も減る。 心が平板になっても、何かに一心にのめり込んでも、 心は差異を感じず、時間はあっという間に過ぎ去る。 周囲の差異に刻々と気付き、驚き、嘆き、愛し、もがき、避け、追う。 そういう葛藤の中ででしか、魂というものは、時間の密度を感じないし、 輝きもしない。 本当の意味で自分が自分を意識し、自分にとって濃密な時間を過す。 それは「暇だ」とか「何も出来ずに焦る」とか「目的を見失って辛い」 と感じている時なのかも知れない。
2006-09-11 (月)
クオリアについて、Wikipediaの解説は ここ、 クオリアマニフェストは ここにある。 私の現在の理解では、クオリアは 『機械と人間は違うのだ、という願い』の象徴であって、 今のところ物理的実在との関係は説明できていないようだ。 結局、クオリアの研究は、「意識」の問題に還元された上で、 神秘の部分は「時間」と「自己参照性」の不思議に帰着され、 それ以外の部分は驚くほど複雑な脳の機械的なシステム(物理的過程)に帰着される……… と思われる。
2006-09-12 (火)
「クオリア」は「自分の自分という感じ」という 自己意識の問題の一部分であろう。 (明らかに「赤い感じ」とは、自意識の一部分である。)
2006-09-13 (水)
クオリアの実在性を否定すると 「哲学的ゾンビ」 と言われてしまうからでは無いが、クオリアは「私の私という感じ」の一部として 実在する。但しそれは霊的な何か、または生気論のようなものが解き明かす何かではなく、 極めて複雑な脳の働きの副産物(随伴現象)であろうと思われる。

参考資料