意外と位相に関係あるメモ
last update 2007.3.28
なんとなく分かっている気になっている「距離」とか「次元」という概念を、
数学的に厳密に定義するとどうなるのか。
その洗練された抽象思考を、イメージで理解してみよう。
集合/
冪集合/
宇宙/
順序集合/
開集合/
閉集合/
位相空間/
距離空間/
ハウスドルフ空間/
連結/
連続関数/
同相写像/
被覆/
コンパクト/
位数/
次元/
多様体/
位相多様体/
微分可能多様体/
群/
加群/
体/
環/
半群/
商群/
準群/
束/
位相群/
位相変換群/
リー群/
ミンコフスキー空間/
リーマン多様体/
擬リーマン多様体/
ファイバー束
♪コラム:無限
- 集合 set
- [定義]
直観または思考の対象のうちで一定範囲にあるものを1つの全体として考えたとき、
その範囲内の個々の対象を元または要素 element といい、
全体を集合 set という。
- [イメージ]
この定義そのものが「分かりやすいイメージ」に翻訳する必要が無いほど
非常にイメージ豊かであり、
逆に数学的厳密性が無いようにも感じられる。
例えば実数を一つの集合として考えた時、
その一つ一つの実数値を、私達人間は「直観または思考の対象として、個々に」
本当に考えられるのだろうか。
こういった素朴な集合の定義から出発して、
無限に存在するとか、無限に細かいものを、どう厳密に捉えるかが、
数学の本質的な難しさでもあり、根源的な面白さでもある。
位相空間や
群も、この「集合」を基盤に置き、
各要素の間にどのような関係を定義するかによって
純粋に形式的な(つまり論理的な曖昧性や欠陥を可能な限り排除した)
一般的な議論を展開できる土台を作れるのである。
いわば、純粋数学は、集合に対して
どのような形式(構造・概念・ルール)を持ち込むと、
どのような定理が導けるのかを調べようとするものであり、
逆に言えば、ある定理・性質・説明は、
どのような必要最低限の抽象的な形式のみに立脚しているのか、
その根源を探る学問とも言える。
(cf. →形式主義)
- 冪(べき)集合 power set
- [定義]
集合の全ての部分集合の集合
- [イメージ]
集合に含まれる要素の「全ての組み合わせ方」という感じ。
例えば4つの要素からなる集合{a,b,c,d}の冪集合は、
{φ}、{a}、{b}、{c}、{d}、
{a,b}、{a,c}、{a,d}、{b,c}、{b,d}、{c,d}、
{a,b,c}、{a,b,d}、{a,c,d}、{b,c,d}、
{a,b,c,d}}
という16の要素からなる集合になる。
なお、集合を要素(元)として持つ集合(つまり「集合の集合」)は
族 family と呼ばれる。
- [補足]
自然数のような無限の要素からなる集合の場合、
その個数を全て数えて数字で表すことは出来ないので、
無限集合の要素の多さを特に濃度 potency と呼ぶ。
自然数全体の濃度は可算 enumerable の濃度と呼ぶ。
実数全体の濃度は連続体 continuum の濃度と呼ぶ。
無限集合Xi の冪集合
Xi+1 を構成すると、後者の方が
必ず濃度が大きくなるが、
その隙間に別の濃度の無限集合は存在しない、
というのが
一般連続体仮説
generalized continuum hypothesis であり、否定的に解決されている。
- [参考]
「真部分集合の濃度が全体と等しく成り得る」というのは
無限集合の際立った特質である。
デデキントは「思考」が無限集合の実例になっていると言う。
「私の思考世界全体X」の要素aについて、
b=「aは私の思考である」という一対一対応を定義すると、
bもXの要素である。
ところで、全てのbの集合Bは
明らかにXの真部分集合である(B⊂X)。
よって、思考は無限集合である。
(実際には、思考世界は明らかに有限だし、有限だからこそ有意味である。)
- 順序集合 set
- [定義]
ある集合の元の間に下記の抽象的な「順序関係≦」が成立する時、
この集合を順序集合と呼ぶ。
- x≦x
(反射法則
reflexive law)
- x≦y かつ y≦x ならば x=y
(反対称法則
antisymmetric law)
- x≦y かつ y≦z ならば x≦z
(推移法則
ransitive law)
これら3つの法則は「順序の公理」と呼ばれる。
- [イメージ]
数の大小や集合の包含関係などから、その共通的な抽象を抜き出して
「順序」という関係を定義し、集合の元に、
この順序という概念(構造)を加えたもので、
特に推移法則が元を整然と順序づける性質を付与している。
- [補足・1]
順序集合Aの部分集合Xにおける上限と下限の定義は以下の通りである。
- Xの全ての元 x に対して x≦a となる a をXの上界 upper bound
と呼び、上界の集合の最小元 minimum element が存在する場合、
これを上限 supremum と言う。
- Xの全ての元 x に対して b≦x となる b をXの下界 lower bound
と呼び、下界の集合の最大限 maximum element が存在する場合、
これを下限 infimum と言う。
¶
例えば、自然数Nに対して、単なる大小関係ではなく、
関係「a≦b」を「a が bを割り切ること」として定義してみよう。
すると、この関係は、上記の3つの条件すなわち「順序の公理」を満たす。
さて、今、自然数Nの部分集合X={8,12} を考えると、
その上界すなわち「8にも12にも割り切られる数」は
{24,48,72,...} であり、これらはXの要素の公倍数になっている。
この集合の最小元すなわち「全ての要素を割り切る数」は存在して、
この場合24であり、これがXの上限である。
(上限はXの最小公倍数になっている。)
部分集合Xの下界すなわち「8も12も割り切る数」は
{4,2,1} であり、これらはXの要素の公約数になっている。
この集合の最大元すなわち「全ての要素に割り切られる数」は存在して、
この場合4であり、これがXの下限である。
(下限はXの最大公約数になっている。)
- 宇宙 universe
- [定義]
空でない集合Uが次の4つの条件を満たす時、
Uを宇宙という。
- x∈U、y∈x ⇒ y∈U
- x,y∈U ⇒ {x,y}∈U
- x∈U ⇒ ∪x ∈U
- x∈U ⇒ P(x) ∈U
- [イメージ]
超準解析 nonstandard analysis の基礎空間として定義されているものだが、
宇宙Uは「何でも含んでいるもの」というイメージがぴったりする。
- 宇宙に含まれるxが、更にその要素として含んでいるyも、
宇宙という概念の一員である。
- 宇宙に含まれる任意の要素を2つくっつけて、新しく作った集合もまた、
ここで言う「宇宙」に含まれる。
- 宇宙に含まれる集合を無数に掻き集めて和集合を作っても、
それも宇宙の一員である。
- 宇宙に含まれる集合の冪集合もまた、宇宙に含まれる。
無限集合の冪集合は、もとの集合よりも濃度が大きくなる、
すなわち別格の大きさになるのだが、
そのような大きな集合も、やはり宇宙の一員に過ぎない、という
文字通り極めて大きな概念である。
- 開集合 open set
- [位相的定義]
無限に寄せ集めても(和集合を取っても)変わらない性質。
(詳細は位相空間を参照)
- [距離空間上の定義]
距離空間において、
Xの部分集合
Uε(a)={x∈X|d(x,a)<ε}
を aのε-近傍という。
Xの部分集合Oの任意の点a に対して、
Oに含まれる aのε-近傍が存在する、すなわち
Uε(a)⊂Oである時、
OはXの開集合である。
(実際、この集合Oは位相空間の
開集合の定義を満たす。この方法により、
距離空間に
位相を導入することができる。)
- [イメージ]
境界上の点を全く含まない集合。
ある境界があって、その境界“よりも”内側。
内側にある点の「近く」を意味する。
- 閉集合 closed set
- [解析的定義]
距離空間において、
収束する点列の収束先が必ず自分自身に含まれる集合。
- [位相的定義]
無限に共通部分のみを取り出しても(積集合を取っても)変わらない性質。
(詳細は位相空間を参照)
- [イメージ]
境界上の点を全て含む集合。
ある境界があって、その境界“を含む”領域。
- [補足・1]
距離空間X上の部分集合Fに含まれる
基本点列x1,x2…xm…があり、
この収束先もFに含まれることが解析的な閉集合の定義である。
これは位相的な閉集合の定義に一致する。
a∈X-Fとし、Uε(a)∩F≠φすなわち
Fの外側のa点のε-近傍とFに共通点があると仮定する。
つまり aの近傍が一部Fにめり込んでいるようなイメージである。
この共通点をxmと置き、かつε<1/m とすると、
m→∞の極限では、ε→0 となり、距離空間上では
xmの収束先x と点a の距離が0、すなわち x = a という事になる。
解析的な閉集合の定義から x∈F であり、結局 a∈F となり、
これは仮定 a∈X-Fに反する。
( aのε-近傍の一部がFにめり込んでいると仮定すると、
a点までFに引き摺り込まれてしまうわけだ。)
よってUε(a)∩F=φすなわち
Uε(a)⊂X-Fとなる。
これはX-Fが位相的な開集合であることを意味し、
従ってFは位相的な閉集合であることが分かった。
なお、Fが位相的な閉集合である時に解析的な閉集合であることを
示すことも出来る。
- [補足・2]
このように、無限に進行する(1,2,3,....)という概念と、
無限に狭まっていく(1,1/2,1/3,...)という概念を対応づけて
極限まで論理の飛躍なく確実に収束するというプロセスを論ずる方法を
ε-δ論法と言い、解析的な考え方の基本であり、本質である。
- 位相空間 topological space
- [定義]
集合Xのべき集合P(X)の部分集合Οが、
以下の性質を満たす時、(X,Ο)を位相空間と呼ぶ。
- φ∈Ο、X∈Ο
¶ 空集合φも、土台となる集合Xそのものも、Οの一員である。
- O1∈Ο、O2∈Ο
⇒
O1∩O2∈Ο
¶ Οに含まれる集合の共通部分を取っても、
それはまたΟに含まれる。
-
¶ Οに含まれる集合を、たとえ無限個寄せ集めても、
それはまたΟに含まれる。
この時、Οに含まれる集合Oを開集合と言う。
また、開集合族Οによって集合Xに位相が導入された、とも言う。
- [イメージ]
集合の要素が有限個だとすると、これらの性質は
非常に当たり前の事を言っているだけのように思われる。
この定義が意味を持ってくるのは、要素が無限にある場合である。
3番目の定義で、Οという「集合の集合(=族)」に与えている性質は、
ただ、その要素について「無限に寄せ集めても変わらない性質」を
定義しているに過ぎず、
それが一体何であるかについては、何も指示していない。
しかし、色々な集合を寄せ集め、
その和集合がモコモコと肥大していく様子を想像する時、
形も大きさも変化する中で「変わらない性質」とは何であろうかと考えると、
それは境界そのものの性質しか有り得ないと気付く。
そして、「境界を含まない領域」を幾ら集めても、その領域全体も
「境界を含まない」という意味では同じ性質を持つこともイメージできる。
従って、このように定義した集合Oは、
直感的に定義される開集合と
少なくともイメージは一致するし、
事実、解析的に定義された開集合も、
ここで示した定義を満たすのである。
- [補足・1]
実は「和集合がモコモコと肥大するイメージ」を使った時点で、
我々は既に、抽象的な位相空間でなく、
位相空間の一つの具体例である距離空間について
考えていることになる。
距離という概念を捨てた抽象的な位相空間で、
前提としては境界という概念を一切使わず、
「無限に寄せ集めても変わらない性質」として
「境界を含まない領域」という概念を作り出している点が非常に抽象的で美しい。
- [補足・2]
では、閉集合の場合は、
無限に寄せ集めると、「境界を含む領域」という性質が
崩れてしまう可能性があるのだろうか?
答えは yes 。
距離空間の一番単純な一次元の例で
イメージを掴んでおこう。
今、閉区間 In=[an,bn]を考える。
an = -1/2 + (1/2)n、
bn = 1/2 - (1/2)n として、
n をどんどん大きくしていくと、
a は限りなく-1/2に近づくが、-1/2そのものになることは無い。
同様に、b も限りなく1/2に近づくが、1/2そのものになることは無い。
n を無限に大きくしていき、これらの閉区間 Inを
寄せ集めると、これは開区間(-1/2 , 1/2)そのものとなる。
このように、境界のあるもの(閉集合)を寄せ集めて、
ある境界のギリギリまでビッシリと敷き詰めることで、
その境界を含まない領域をこしらえる事ができてしまう。
このように、閉集合は、位相的に定義される開集合の定義に現れる
「無限に寄せ集めても変わらない性質」を満たさないのである。
- [補足・3]
全く同様に、閉集合は共通部分を無限に取り出していっても閉集合だが、
開集合の共通部分は無限に取り出していくと
「境界を含まない」という性質が崩れてしまうケースを作ることが出来る。
このイメージも確認しておこう。
今、開区間 In=(an,bn)を考える。
an = -1/2 - (1/2)n、
bn = 1/2 + (1/2)n として、
n をどんどん大きくしていくと、
a は限りなく-1/2に近づくが、aより大きい部分に必ず-1/2を含んでいる。
同様に、b も限りなく1/2に近づくが、bより小さい部分に必ず1/2を含んでいる。
n を無限に大きくしていき、これらの開区間 Inの
共通部分を取り出すと、これは閉区間[-1/2 , 1/2]そのものとなる。
このように、境界のないもの(開集合)の共通部分を取り出し、
ある境界の外側ギリギリまでを削ぎ落としいくことで、
その境界を含む領域をこしらえる事ができてしまう。
このように、開集合は、位相的に定義される閉集合の定義に現れる
「無限に共通部分を取り出しても変わらない性質」を満たさないのである。
- [定義]
位相的に定義される閉集合は、開集合を用いた位相空間の定義に対して
ド・モルガンの定理を適用すれば直ちに得られる。
F=X-Oとすれば、Fは閉集合であり、
Fを元とする集合(集合の集合)Fは閉集合族と呼ばれる。
- φ∈F、X∈F
空集合φも、土台となる集合Xそのものも、Fの一員である。
- F1∈F、F2∈F
⇒
F1∪F2∈F
Fに含まれる集合を寄せ集めても、
それはまたFに含まれる。
-
Fに含まれる集合について、たとえ無限個の共通集合を取り出しても、
それはまたFに含まれる。
- [補足・4]
以下の2つの分離公理を満たす位相空間を
正規位相空間 normal topological space と言う。
- (T1) 第1分離公理 (Frechetの公理)
相異なる2点x,yに対して、xの近傍Uとyの近傍Vで、
x∈Vでなく、y∈Uでもないものが存在する。
- (T4) 第4分離公理 (Tietzeの第一公理)
共通点を持たない任意の閉集合F1、F2は、
開集合によって分離される。
すなわち、F1⊂O1、F2⊂O2、
O1∩O2=φ となる開集合
O1、O2 が存在する。
- 距離空間 metric space
- [定義]
集合Xの任意の2つの元x,yに対して実数d(x,y)が一意に定まり、
以下の条件を満たす時、Xを距離dに関する距離空間という。
- d(x,y) ≧ 0
- d(x,y) = d(y,x)
- d(x,y) ≦ d(x,z) + d(z,y)
- d(x,y) = 0 ⇔ x = y
- [イメージ]
距離は0以上であり、x,yを入れ替えても距離は変わらないという対象関係があり、
別の点zを経由すると距離は変わらないか増えるという三角不等式を満たし、
距離が0であるという事は同じ点だとする。
非常にイメージが湧き易い。
- ハウスドルフ空間 Hausdorff space
- [定義]
Xを位相空間とし、その相異なる2点x,yに対して
それぞれの近傍U、Vが存在して、U ∩ V =φと出来る時、
Xをハウスドルフ空間と言う。
- [イメージ]
相異なる点の近傍は重ならないように出来る、ということ。
これを「ハウスドルフの分離公理」と呼ぶこともある。
なお、距離空間はハウスドルフ空間の一例である。
位相空間が、集合に対して
抽象的な「境界」の概念を導入したのに対して、
ハウスドルフ空間は、更に異なる2点の間に境界が引ける、
という概念を追加している。
更に、異なる2点の間に距離という実数を割当てたのが
距離空間だと言える。
- 連結 connected
- [定義]
位相空間Xにおいて、
任意のXの真部分閉集合A、Bを取り、
A∩B=φ かつ A∪B=X となるものが存在しない時、
Xは連結であるという。
- [イメージ]
裏返すと、A∩B=φ かつ A∪B=X なる真部分閉集合A、Bが存在するという事は、
境界を持った領域A、BだけでXを埋め尽くすが、
共通部分が全く無いので、AとBは境界を隔ててピッタリと隣接しており、
この2つの領域はX内では接続できる箇所がなく、分離している、ということ。
そのような分離が出来ない位相空間の性質を「連結」という。
- 連続関数 continuous function
- [定義]
距離空間X、Yにおいて、
その距離をρX(a,b)、ρY(a,b)とする。
関数f :X→Y が x0∈X において連続であるとは、
任意のε>0 に対して、δ>0 を適当に選ぶと、
ρX(x , x0)<δならば、
ρY(f (x),f (x0))<ε
となることである。
これは x → x0 となる時、
f (x) → f (x0)
となることと同等である。
- [イメージ]
Yの2点をどんなに近づけても(距離を無限小εにしても)、
その逆写像であるXの2点の距離を、ある有限の距離δより小さくできる、
という関係を定義できれば、この写像f を連続であると定義する。
単に「無限に滑らかだ」と言うのでなく、連続であるか否かを判定するための
“手続き”を定義し、無限を扱えるようにしている。
なお、距離の公理を導入しない一般の位相空間における
連続の定義については「同相写像」を参照のこと。
- 同相写像 homeomorphism
- [定義]
位相空間X、Yについて、
連続写像f:X→Yが全単射で、逆写像f-1:Y→Xも連続のとき、
fを同相写像という。
- [イメージ]
2つの空間の全ての点の近傍ついて、お互いに相手と
モレなく対応づける手続きが存在する、ということ。
- [補足・1]
位相空間X、Yについて、定義域X、値域Yとなる写像f があり、
f(a)の任意の近傍Vに対して、aのある近傍Uを適当に選ぶと、
f(U)⊂Vとなる時、写像f は連続である。
- [補足・2]
一般の集合において、写像f:X→Y が定義され、x≠x' なら f(x)≠f(x') の時、
この写像を単射(一対一写像)という。
また、Yの任意の元y に対して f(x)=y となるXの元が必ず存在する時、
この写像を全射 (上への写像) という。
単射かつ全射である写像を全単射という。
- 被覆 covering
- [定義]
Xの部分集合の集合(=族)M に属する
全ての集合の和集合がXに等しくなる時、
M をXの被覆と言う。
- [補足]
- [イメージ]
集合Xの部分集合を取り出す時、
それら全てを寄せ集めればX全体になる、
すなわちX全体を覆い尽くす(カバーする)ことが出来る時、
その部分集合の集まりを被覆と呼ぶ。
例えば、実数Rの開区間(0,1)=X の部分集合である
閉区間[1/n, 1 - 1/n]=In を考えると、
nを2から無限大の場合まで寄せ集めていった時、
これはXになることが分かる。
つまり集合Inをn=2から無限大まで
集めた「集合の集合」M は、開区間(0,1)の被覆である。
- コンパクト compact
- 細分 refinement
- [定義]
集合Xに対する2つの被覆M 、N において、
M に属する各集合がN に属するある集合に含まれるとき、
M をN の細分という。
- [イメージ]
M もN も、その要素である集合を全部集めるとX全体を覆うことが出来るが、
M のどの要素についても、常にN のある要素に含まれるのだから、
M の方が、X全体をカバーしつつ、より細かく分割する方法を定義している、
というイメージ。
- 位数 order
- [定義]
被覆M に属するr+1個の集合は、常に共通点がなく、
適当に r個とれば共通点があるとき、rをM の位数という。
言い換えれば、任意の点xに対して、
xを共通点に持つ有限被覆M の
元の数の最大を位数という。
- [イメージ]
ある1点xのみを共有するr個の集合は、
1点xから伸びるr本の線をイメージすれば良い。
実際、グラフ理論においては、
直線上の各点の位数は2、
三叉路の交点の位数は3、
十字路の交点の位数は4である。
(このグラフにおいては集合全体が結節点と線だけから出来ており、
結節点の近傍は線上の点に限られる。)
ある点のみを共通部分にもつ部分集合が3つ取れて、
次に4つ目を取ろうとしても先ほどの3つのどれかを含んでしまう、
つまり被覆として新たな集合を持てない時、
位数が3になる。
これは、集合の至るところ、独立な「お隣さん」が3つしか取れない、というイメージだ。
- 次元 dimension
- [定義]
正規位相空間Rの
任意の有限開被覆に対し、
細分として位数
たかだかn+1の開被覆がある場合、
dimR≦nとする。
dimR≦n かつ dimR<n-1 でない時 dimR=n とし、
これをRの次元という。
- [補足]
次元には様々な定義があるため、特にこの定義を
被覆次元 covering dimension または レベッグ次元 Lebesgue dimension
とも言う。
- [イメージ]
n次元空間のある点に対して、お互いが重ならない近傍がn個取れるが、
それとは独立のn+1個目の近傍は取れない。
0次元(点)では、閉集合かつ開集合である点そのものが1つあるだけだが、
1次元(線)という広がりの構造を入れることで追加で一つの近傍を取れる。
以降、次元が1つ増える都度、独立に「近く」の概念を一つ追加できる。
¶
開集合による空間の具体的な「覆い方」には言及せず、
単に「細分として」と指定しているので、
これは任意の覆い方の中で最も細かい覆い方であることを意味する。
もし開被覆の2つの開集合が共通領域を持ったとすると、
その共通領域もまた開集合であるので、開被覆が「最も細かい」という要請に反する。
よって、細分としての開被覆に含まれる任意の開集合は、
共通部分をたかだか1点しか持てない。
このような条件下で、例えば3次元であるということは、
ある1点と、これを共有する開集合が3つは取れるが、4つは取れない、
という構造であることを意味する。
つまり、次元とは、ある1点に対して、
独立に(1点を除きお互いが重ならないように)導入できる
「近く」という概念の数である。
- 多様体 manifold
- [定義]
定まった次元を持つが、
幾何学的な特性を持たない
位相空間。
- [イメージ]
多様体は特定の距離や幾何学的位置関係の概念自体を持たないため、
例えば二次元多様体として、ある平面を考えると、
これをゴム膜のように考えて、どのように引き伸ばしたり
丸めたりしても、点同士の位相空間上の連結の関係が変わらないので、
多様体としても同相のものと見做される。
n次元多様体とは、ちょうど曲面が曲線の運動によって作られるように
n-1次元多様体の1助変数によって作られる集合と考える。
抽象的な位相空間内での多様体は、
現実の物理空間では実現不可能な形状を表すことも出来る。
- [補足・1]
多様体に「距離」「平行位置関係」という概念を導入すると、
リーマン空間または擬リーマン空間となる。
- [補足・2]
現実世界には、空間にある曲面における曲率などの局所的な性質や、
電磁場、流体力学のように各点にベクトル量が与えられるような
ベクトル場がある。
このように、「ある対象全体」を、
「局所的には等質と見做せる部分」の接続(張り合わせ)として扱う方法を
抽象化したのが多様体である。
- 位相多様体 topological manifold
- [定義]
ハウスドルフ空間において、
各点pがn次元ユークリッド空間Rnの
開集合に同相な
近傍U(p)をもつ時、これをn次元位相多様体という。
- [イメージ]
各点のまわりの性質が「座標」によって記述されるということ。
座標を導入することで、点は数値の組(x1,…,xn)、
その点上の関数を f(x1,…,xn) を表現できる。
- [補足・1]
コッホ曲線は円と同相であるが至るところ微分不可能であり、
2点間の距離は無限大である。
微分可能性を要求するには、各点の近傍同士の関係
(微分可能構造)を定義する必要がある。
- 微分可能多様体 differentiable manifold
- [定義]
n次元位相多様体Mの
座標近傍系をS={(Uα、ψα)}α∈A とする。
Sに属する任意の座標近傍
(Uα、ψα)、
(Uβ、ψβ)
に対して、Uα∩Uβ≠φ ならば、
ψβ
○
ψα-1は
Rnの開集合
ψα(Uα∩Uβ) から
Rnの開集合
ψβ(Uα∩Uβ) への
同相写像である。
ここで、
Rnの座標(x1,…,xn)を用いると、
(ψβ
○
ψα-1)( x )
= (fβα1(x1,…,xn), … ,
fβαn(x1,…,xn))
という形に表すことができる。
この n個の関数 fβα1, … ,
fβαn が、任意のα,β∈A
(但し Uα∩Uβ≠φ) に対して
r回連続微分可能(または(実)解析的)であるとき、
SをCr級(または(実)解析的)
座標近傍系と呼ぶ(但し1≦r≦∞)。
実解析的座標近傍系をCω級座標近傍系
ということもある。
n次元位相多様体MがCr級座標近傍系(但し1≦r≦ω)をもつとき、
MとSの組 (M,S) をn次元Cr級微分可能多様体
differentiable manifold of class Cr と呼ぶ。
- [イメージ]
※検討中
r回連続微分可能ということは、それだけ「なめらか」という意味だと思われる。
- 群 group
- [定義]
集合Gの任意の二つの元x,yに対して
Gの元xyが一意に定まり、以下の条件を満たす時、
Gを積 product に関する群と呼ぶ。
- (xy)z=x(yz)
(結合法則)
- Gの特別な元 e が存在し、Gの任意の元 x に対して xe=x となる。
(この e を単位元 unit element と呼ぶ。)
- Gの任意の元 x に対して xx-1=e となる
Gの元x-1が存在する。
(このx-1を x の逆元
inverse element と呼ぶ。)
- [イメージ]
単なるモノの集まりである集合に、「掛け算」(積)という演算を定義したもの。
掛け算を行った結果もまた、同じ集合に属しているのがポイント。
(x∈G, y∈G ⇒ xy∈G 。つまり群Gは乗法に対して閉じている。)
- 加群 additive group
- [定義]
集合Gの任意の二つの元x,yに対して
Gの元x+yが一意に定まり、以下の条件を満たす時、
Gを和 sum に関する加群と呼ぶ。
- x+y = y+x
(可換法則)
- (x+y)+z = x+(y+z)
(結合法則)
- Gの特別な元 0 が存在し、Gの任意の元 x に対して x+0 =x となる。
(この 0 を零元 zero element と呼ぶ。)
- Gの任意の元 x に対して x+(-x)=0 となる
Gの元-xが存在する。
(この-xを x の逆元
inverse element と呼ぶ。)
- (xy)z=x(yz)
(結合法則)
- [イメージ]
単なるモノの集まりである集合に、「足し算」(和)という演算を定義したもの。
足し算を行った結果もまた、同じ集合に属している、という点が重要。
加群は、群の定義に可換法則 ab=ba を追加したものと
本質的に同じで、
この時、群で定義した積という演算abを単に「a+b」という形で書き、
単位元を零元で置き換え、逆元の表現を x-1 でなく -x と表記したもの、
と見ることが出来る。
なお、可換法則の成り立つ群のことを
Abel群 または 可換群 commutative group という。
- 体 field
- [定義]
集合Gの任意の二つの元x,yに対して
二種類の演算 x+y∈G、xy∈G がそれぞれ一意に定義され、
以下の条件を満たす時、Gを体と呼ぶ。
- x+y=y+x
(加法に対する可換法則)
- (x+y)+z = x+(y+z)
(加法に対する結合法則)
- Gの特別な元 0 が存在し、Gの任意の元 x に対して x+0 =x となる。
- Gの任意の元 x に対して x+(-x)=0 となる
Gの元 -xが存在する。
- (xy)z=x(yz)
(乗法に対する結合法則)
- Gの特別な元 1 が存在し、Gの任意の元 x に対して x1=1x=x となる。
- Gの(0以外の)任意の元 x に対して
xx-1=x-1x=1 となる
Gの元x-1が存在する。
- x(y+z)=xy+xz、(y+z)x=yx+zx
(分配法則)
- 1≠0
- [イメージ]
単なるモノの集まりである集合に、「足し算」(和)と
「掛け算」(積)という2種類の演算を定義したもの。
体は群と
加群の定義を含み、
それぞれの単位元記号「1」と「0」を異なる要素とした上で、
「足し算(加法)」「掛け算(乗法)」という二つの算法の間に
分配法則を導入したものだと言える。
¶ 体の定義の(乗法に対する)逆元において、
零元を除外しているのは何故だろうか?
仮に、零元の逆元を取ることを認めたとしよう。
分配法則から(y+(-y))x=yx+(-yx)
=z+(-z) で、
「y+(-y)」「z+(-z)」とも加法の逆元の定義から 0 になる。
つまり、任意のxに対して 0x=0 となる。
一方、乗法の逆元の定義 ww-1=1 に対して
w=0 と置くと、0 0-1=1 となる。
これは0-1の部分を x と置き換えると 0x=1 という形をしている。
結局、0x=0=1 となってしまい、0≠1 という体の定義を満たさなくなってしまう。
分配法則を満たし、かつ零元と単位元が異なるものである、
ということを満たすためには、零元の(乗法に対する)逆元は認められないのである。
なお、体Gから零元を除いた集合を、Gの乗法群 multiplicative group と呼び、
これは Abel群となっている。
- 環 ring
- [定義]
集合Gの任意の二つの元x,yに対して
二種類の演算 x+y∈G、xy∈G がそれぞれ一意に定義され、
以下の条件を満たす時、Gを環と呼ぶ。
- x+y=y+x
(加法に対する可換法則)
- (x+y)+z = x+(y+z)
(加法に対する結合法則)
- Gの特別な元 0 が存在し、Gの任意の元 x に対して x+0 =x となる。
- Gの任意の元 x に対して x+(-x)=0 となる
Gの元 -xが存在する。
- (xy)z=x(yz)
(乗法に対する結合法則)
- x(y+z)=xy+xz、(y+z)x=yx+zx
(分配法則)
- [イメージ]
環は、体よりも一般的な概念である。
もし単位元を持てば単位的環 unitary ring と呼ばれるが、
唯一つの元からなる環では零元と単位元は同じとされ、
これを零環 zero ring と呼ぶ。
乗法に対する可換法則 ab=ba を満たすとき、
特に可換環 communicative ring と呼ばれる。
一般に体は可換なものを扱うので、
体は「可換環であって、なおかつ
零元以外が乗法に対する群をなすもの」
と言い表すこともできる。
- 半群 semigroup
- [定義]
乗法が定義され、かつ結合法則(xy)z=x(yz)が成立する集合。
- [イメージ]
群から、単位元や逆元の存在を捨象して、
結合法則の部分のみを取り出したもの。
- 商群 group of quotients
- [定義]
以下の条件を満たす半群Sを含む群Gを商群と呼ぶ。
- xy=yx、すなわち可換である。
- ax=bx ⇒ a=b (簡約法則 cancellation law)
このようにして構成した商群Gは以下のような性質を持つ。
- Sの元の間の算法は、Gにおいても保存される。
- Gの構造はSから一意に定まる。
- Gの任意の元 x は、Sの適当な2つの元 a,b によって
x = a-1b = ba-1
という商の形式で表現することができる。
- [イメージ]
簡約法則の成立するSの元によって商形式(b÷a)を可能にする。
- 準群 quasigroup
- [定義]
集合Qに対して乗法が定義され、a,b,c∈Qに対して
以下の条件が成立する時、Qを準群という。
- ab=c において、a,cを定めると、bが一意に定まる。
- ab=c において、b,cを定めると、aが一意に定まる。
- [イメージ]
群から、単位元や逆元の存在を捨象して、
更に結合法則ではなく乗法における一意性のみを定義した集合。
- 束 lattice
- [定義]
順序集合Lの任意の元 x , y に対して、
{ x , y } の上限、下限が存在する時、
この集合を束という。
この時の上限を x , y の「結び」join と呼び、
x∪y と表す。
また、下限を x , y の「交わり」meet と呼び、
x∩y と表す。
この時、束において以下の3法則が成立する。
- x∪y = y∪x ,
x∩y = y∩x
(可換法則)
- x∪(y∪z) = (x∪y)∪z ,
x∩(y∩z) = (x∩y)∩z
(結合法則)
- x∪(y∩x) =
(x∪y)∩x = x
(吸収法則)
束を、これら3つの法則が成立する算法∪, ∩を
導入した代数系と定義しても良い。
- [補足]
束においては以下の法則が成立する。
- [イメージ]
どの2つの元を持ってきても上限と下限が存在する集合。
- 位相群 topological group
- [定義]
以下の条件を満たす時、Gを位相群という。
- Gは群である。
ここで導入される群を位相群に対する基礎群 underlying group と言う。
- Gは位相空間である。
ここで導入される位相空間を位相群に対する基礎位相空間 underlying topological space と言う。
- 直積位相空間G×Gを考え、写像μ:G×G→G を群の乗法 μ(x,y)=xy で定義した時、
写像μは連続である。
- 写像ν:G→G を群の逆元 ν(x)=x-1 で定義した時、
写像νは連続である。
- [補足]
上記の3番目、4番目の条件は、以下のように纏めることもできる。
- 写像μ':G×G→G をμ'(x,y)=x-1y で定義した時、写像μ'は連続である。
また、この条件は、基礎位相空間の開集合の性質で表した以下の3つの条件と同じでことである。
- x,y∈Gで、xyの任意の近傍Uに対して、VW⊂U を満たす
「xの近傍V」「yの近傍W」が存在する。
- x-1の任意の近傍U'に対して、V'-1⊂U' を満たす
「xの近傍V'」が存在する。
- [イメージ]
単なる要素の集まりである集合に対して、
点と点の連結関係を表現する最も単純な概念を加える
位相空間と、
点同士の間に演算による関係を加える
群の、
両方の性質を定義したもの。
すなわち境界と乗法の両方を扱える集合である。
位相群は、もはや単なる点の集合ではなく、
群論的な代数的性質と、位相的な連続性を与えられた空間であり、
ここから自然と解析的な微分可能性を導いていく土台となっている。
(微分という概念の根本には、変数域x と
それに従って変化する値域y=f(x) の関係が代数的に表され、
各々が連続である、という要請があり、
これを最も単純な形式に抽象化したのが位相群だと言える。)
- 位相変換群 topological transformation group
- [定義]
Gを群、Mを集合とし、
fをG×MからMへの写像とする。
f( g , x )=g( x ) ( g∈G , x∈M )
と置き、以下の2条件が成り立つ時、Gを集合Mの変換群という。
- Gの単位元eに対してe(x)=x (x∈M)
- Gの任意の元 g , h に対して (gh)(x)=g(h(x)) (x∈M)
この時、x→g(x) はMのそれ自身の上への1対1写像である。
ここで、Gを位相群、
Mを位相空間とし、
更に写像( g , x ) → g( x ) がG×MからMへの連続写像となっている時、
GをMの位相変換群という。
この場合、x→g(x) はMの同相写像である。
- [イメージ]
※検討中
- リー群 Lie group
- [定義]
集合Gが以下の3つの条件を満たすとき、これをリー群という。
- Gは群である。
- Gはパラコンパクト実解析的多様体である。
(但し連結でなくても良い。)
- G×GからGへの写像(x,y)→xy-1は実解析的である。
- [イメージ]
※検討中、素粒子の標準模型との関係についても補足
- ミンコフスキー空間 Minkowski space
- [定義]
4次元実ベクトル空間Mに、その2ベクトルx、y間の不定計量内積を次のように与えたもの。
x・y=xGty=x0y0
-x1y1
-x2y2
-x3y3
- [補足・1]
Mのベクトルxは、x・xおよびx0の符号を使って、次のように分類される。
- 時間的 timelike
- x・x>0、x0>0:未来時間的
- x・x>0、x0<0:過去時間的
- 光的 lightlike
- x・x=0、x0>0:未来光的
- x・x=0、x0=0:原点
- x・x=0、x0<0:過去光的
- 空間的 spacelike
未来または過去の時間的ベクトル全体のなす集合を
未来錘 future cone、過去錘 past cone と呼び、
光的ベクトル全体のなす集合を光錘 light cone、
空間的ベクトル全体のなす集合を側錘 side cone という。
- [補足・2]
Mikowski空間は、光速度が1の単位系を扱う
特殊相対性原理
で用いられ、互い時に時間的なM上の2事象x、yについて、
((x-y)・(x-y))1/2を
その2事象間の固有時間 proper time という。
- リーマン多様体 Riemannian manifold
- [定義]
Cr級微分可能多様体M上に、
Cr-1級リーマン計量gが与えられたとき(但し1≦r≦ω)、
(M,g) をCr級リーマン多様体またはリーマン空間という。
gはCr-1級(0,2)型テンソル場で、gをMの
基本テンソル fundamental tensor ともいう。
- [イメージ]
リーマン空間は、以下の二つの手段により幾何学的概念を付加された多様体である。
- 計量:近接した二点間の距離を計算する手段
- 接続:近接した二点における二つの方向が平行かどうかを
決める手段
- [補足・1]
曲率テンソル curvature tensor、
リッチテンソル Ricci tensor、
スカラー曲率 scalar curvature
の定義を与えて相対性理論との橋渡しをする。
- [補足・2]
リーマン空間においては、距離は方向に依らない。
つまり、計量は座標のみの関数であり、座標の微分には依存しない。
また、曲率はゼロではないが、捩れ率はゼロである。
- 擬リーマン多様体 pseudo Riemannian manifold
- [定義]
R n+1上の
対称双線型形式((x,y))=
-x0y0
+x1y1
+ … +xnyn
を定義し
(これは正定値ではないので内積ではない)、
R n+1の
接空間に、この双線型形式を与えたもの。
- [イメージ]
リーマン空間を一般化し、
「時間的」「空間的」な距離で隔てられた2事象間を区別できるようにしたもの。
リーマン空間は、
ユークリッド空間を張り合わせて(接続して)形作られ、
二点間の距離は非負の正定値計量になる。
一方、擬リーマン空間は、
ミンコフスキー空間を接続して形作り、
二点間の距離は虚数にもなり得る。
一般相対性理論における時空は、
4次元擬リーマン多様体として観測される。
- ファイバー束 fiber bundle
- [定義]
位相空間E、B、F、
連続写像p:E→B、
Fの効果的な左位相変換群G、
Bの開被覆
{Uα} (α∈Λ)
および同相写像
φα:Uα×F
→
p-1(Uα)
の族で、次の3つを満たす系(E、p、B、F,G、Uα、φα)を
座標束 coordinate bundle という。
- p
○
φα(b,y)=b
(b∈Uα, y∈F)
¶ 先ず、同相写像φについて、
底空間Bの開集合UαとファイバーFの
直積空間を取ることは、
任意のαを当てはめていくことで、
底空間に沿ってファイバーFを束ねていくことに相当する。
このファイバー束B×Fと全空間Eと関係付けたい。
その表現として、連続写像p:E→Bを用いて、
bの近傍のファイバーの組を逆写像p-1で
全空間に対応させたものを
写像pで移すとbに戻る、と表現している。
要するに、写像pによって、底空間とファイバーの組と
全空間を結び付けている、ということだ。
- φa,b(y)=φa(b,y)と定義する。
φa,b:F
→
p-1(b) (b∈Uα)
ここで、b∈Uα∩Uβ
なる点b について、
gβα(b)=φ-1β,b
○
φa,b∈G
¶ 同相写像φについて、点a を固定化すると、
近傍Uαの広がりが消えて、
同相写像φはファイバーFと底空間の1点bに対応する
全空間の集合への写像を意味する。
ここで、bを二つの近傍Uα、
Uβの共通部分にある点とする時、
そのファイバーFを全空間に対応させたものに、
更に相手方の近傍βを用いたφβ,bの逆写像を行う、
という一連の操作(合成写像)が、
効果的な位相変換群
となっている、という事を表現している。
二つの近傍の共通点を用いて、これに位相変換群という
代数的な構造を導入することで、
単に底空間に沿ってファイバーを束ねるのでなく、
どのような構造で束ねるのか、
という概念を導入することが出来る。
例えば底空間である円に線分をファイバーとして指定すると、
これらが連続になるように素直に束ねると
円柱が得られるが、
途中で半回転するとメビウスの輪が得られる。
この構造差は、底空間の二つの近傍の共通部分にあるファイバーの
張り合わせ方を位相変換群で定義することで指定される。
このように、全空間に構造を与えるという意味で、
位相変換群Gは構造群 structure group と呼ばれる。
- gβα:Uα∩Uβ→G
は連続写像
ここで、もう一つの座標束
(E、p、B、F、G、Uμ'、φμ')に対して
b∈Uα∩Uμ'のとき
- g~μα(b)=
φ'-1μ,b
○
φa,b ∈G
- g~μα:Uα∩Uμ'→G
が連続
であるならば、
この2つの座標束は同値 equivalent であると定義し、
この同値関係による同値類ξ=(E、p、B、F、G)をファイバー束という。
- [イメージ]
『全空間』としての多様体と、
これをより低い次元の『底空間』の
別の多様体に射影するための体系。
¶ 例えば、トーラス(ドーナツ状の円環体)の表面は二次元多様体、
円環の軸にあたる水平の円は一次元多様体であるが、
トーラスの断面である縦の円Cから
その中心にある水平の円上の1点Pへの射影を定義した時、
CをPのファイバーと呼ぶ。
トーラスの場合、水平の円のどの点に対するファイバーも
同じ形をしているので、特に標準ファイバーと呼ばれる。
見方を変えると、底空間である水平の円に沿って、
ファイバーCを束ねた「ファイバー束」として、
全空間であるトーラスを捕らえることが出来る、ということである。
ある2次元球面上の各点ごとに、
その点に接する平面内のベクトルを考える時、
このベクトル場全体を、
単なる3次元ベクトル空間の部分空間として眺めるのではなく、
底空間である球面上の各点に対して、
その各点に対するベクトルをファイバーとして捉え、
このファイバーを位相変換群という代数的構造で束ねた全体として
全空間であるベクトル場を見做すことで、
球面上の各点にただバラバラに散らばっているベクトル達を、
代数的に連続で滑らかな全空間として捉え、
解析的な扱いを容易に出来るのである。
♪コラム
■無限 infinite
- 数学も物理もその根源に「集合」という
「全体と、それを構成する一つ一つ」という概念を置いている。
本来分割する必要もなく「ただそこにある現実」を、
切り刻めるものだと仮定して理論を組み立てた結果、
元に戻せなくなってしまっている可能性もある。
数学は、自らが組み上げた概念で、自ら苦しんでいる状況にあるのかも知れない。
- 空間とは、単なる孤立した「大きさがゼロである点」の寄せ集めではなく、
有限の大きさを持つ“近くという概念”を繋ぎ合わせて覆い尽くされたものだ。
日常茶飯事に無限やゼロを扱う数学においても、空間に広がりを持たせるためには、
ゼロを積み上げるのではなく、
任意に小さくはあるが決してゼロではない“近く”という有限性を前提とせざるを得ない。
- デデキントによる無限集合の定義は、
『集合Aが、Aの或る真部分集合A'と対等である』つまり、
全体と部分に1対1対応が存在する、ということだ。
例として、自然数全体と偶数全体は1対1対応が存在するので、対等である。
どの有限の区間を見ても、偶数は自然数の半分くらいしか無いので、
真部分集合であることは間違いないが、
個数も半分くらいなのでは、と思うが、
無限では個数が定義できないので、1対1対応、即ち
数えるという《プロセス》が定義できることで、
両者を対等と見做し、同じ濃度である、という言い方をする。
つまり、「数え切って結果を比較できる有限の場合の個数」と、
「数え切れないので対応付けの《プロセス》から定義した濃度」は、
本質的に概念が異なる。
大事な事は、人間が無限を扱おうとした時には、
「どこまでも近づいていく」とか「いつまでも数えられる」といったような
無限の《プロセス》を使用している、という事だ。
数学における無限とは、実体とか大きさとして扱えない無限を、
《プロセス》によって捕まえようとするものである。
(この事情は、無限を実体のように扱おうとする超準解析においても、
その定義の中に無限を既に潜ませているという意味において同様である。)
- 有限原理主義者(無限否定原理主義者)である私としては、
『無限なるものの存在』に、人生を賭けて楯突いて行きたい。
その攻撃対象としては、数学とて例外ではない。
後の世の数学者が、今の数学を省みて、
「一般集合論に無限公理を無邪気に加えたから、
ZF集合論に対する考察の少なからぬ部分が言葉の遊びになってしまったんだ」
と言われる日が来ると、私は頑なに信じている。
無限公理 axiom of infinity は、
数学的に記述すると以下のようになる。
∃x (0∈x ∧ ∀y∈x (y∪{y,y}∈x)
とても難しいことを書いてあるように見えるが、要するに、
0, a, {a,a}, {a,a,a}, {a,a,a,a}, … といった集合を全て含むような集合x が
存在する(∃)、と言っているだけである。
a を 1、{a,a} を 2、{a,a,a} を 3、と敢えてアラビア数字で表記するならば、
これは 0,1,2,3,… という自然数の全体を含む集合x が存在する、
と言っているに過ぎない。
しかし、実はここに重大なトリックが潜んでいる。
- 0という概念を根拠もなく認める。
- 1という存在の最小単位を根拠もなく認める。
- 何かに1を加えていくという操作を、いつまで繰り返していっても、
それらは全て存在すると、根拠もなく認める。
公理なんだから「根拠もなく認める」のは良いのだが、
「存在の最小単位(量子)」という考え方、すなわち
「無限に細かいものを否定する考え方」を導入しているくせに、
それらをくっつけ合わせて出来上がる総体は、どんなに大きくなっても
否定しない、という、ご都合主義の自己矛盾を、私は読み取るのである。
現在の数学の多くの考察は無限公理を含む
ZFC集合論に立脚しているので、
「無限を否定しながら無限を肯定している」という矛盾を抱えていると言える。
集合において
「何かが一個、存在する」と、有限能力による直観や思考において表明する時、
実は、そもそも私達は、あらゆる「無限なるもの」を否定しているのである。
へんちょこりんな「∃」という記号に惑わされて、
「無限なるものが存在する」ということを信じ込まされないように気をつけよう。
「存在する」ということの意味を、しっかり考えたい。
- 有限÷無限=0
- 無限に対比すれば、全ての有限はゼロになる。
「永遠の命」にとって、全ての瞬間が無意味になることは想像に難くない。
言い換えると、私が日々を有意義に感じるのは、私がいつか死ぬからである。
- もし私が無限の寿命を持っているとすると、
たまたま今、私が生まれてから38年経過している、
という確率はゼロである。
- もし何か一つでも無限を認めるなら、全ては無になる。
- 人類はその大きさも寿命も有限である。
人類は無(ゼロ)ではなく、今あるがごとく存在していると自己認識している。
よって、人類が認識できる空間や時間(宇宙)も有限である。
■未整理
- 2009-12-26 (土)
- 連続と離散は、時間と空間に対応するだろうか?
大雑把にいって、空間とは、異なるものを並べて置くための形式である。
区別し、相互外在的に並置するために、広がりを有する。
従って空間は、本質的に「離れている」ことから成り立っているのであり、
本来はそこに「連続」という概念は含まれていないように思われる。
ある直線が、連続した点から成っている、と考える時、
私たちは必然的に「どこまで分割しても、その間がある」といったような、
極限を用いて「連続」をイメージする。
しかし、この「どこまで行っても」という解析的な考え方は、
時間の連続性と無限性を借りてきて補完されているのではないか。
つまり、純然たる空間は、本来、どこまで行っても離散的なものであり、
空間を空間として考える限り、それが隙間無く詰まっている連続なものだ、
と考える必要はない。
ところが一方、人間は思考の節約のために、理想を求めたがる。
ホンモノの宇宙空間ですら、プランク長以下では長さ自体を定義できないのに、
「どこまでも滑らかな空間」という、気味の悪い偽造品を脳内に発生させ、
それを支えるような実数とか連続といった概念を、
時間から借りてきて、でっちあげているのではないか。
ベルクソンは、時間を空間の中に展開することによって、
その持続の純粋性が分断され、汚され、もともと一体の質である体験が、
各時刻の状態の寄せ集めという無残なものにされてしまった、
と主張しているように思われる。
つまり、時間の連続性に、空間の分離性を持ち込んだことで、
時間の「持続」の純粋性が損なわれた、と言っているように思われる。
一体の質である体験が、バラバラに崩壊してしまったのだと。
では、こうも言えないだろうか。空間の分離性に、時間の連続性を持ち込んだことで、
空間の「分離」の純粋性が損なわれたのだと。
確固たる実在の居場所が、グチャグチャに攪拌されてしまったのだと。
- 2009-11-6 (金)
- 世の中には、本当は無限や連続なんて実在は無くて、
全ては有限で離散しているからこそ、
今そこにあるものの大きさはその通りの大きさで存在し、
今過ぎ去りつつある時間はその通りの速度で流れるのだ。
それでも、開かれた可能性に対する自由と、
宇宙の一体性と時間の純粋持続のために、私たちは、
本質的に無限や連続に支えられていなければならない。
無限から有限を切り取ったのは【私たち】自身なのに、
【私たち】は【私たち】の存在基盤として無限を必要としている。
物理世界に有限を押し付け、情報世界に無限だの連続だのを押し付けた、
その真犯人は誰だ?
…【私たち】だ。
- 2009-8-9 (日)
- 多分、今、我々が生きている宇宙の他にも、宇宙は沢山あるだろう。
そこに知的生命がいたとすると、多分、
物理法則からして我々の宇宙とは異なるのだから、
科学技術や文化、言語の形態も、全く異なるものであろう。
それでも、数学は通じ合うような気がしてならない。
数学だけは、いかなる文明間でも共通言語になるように思われる。…何故か。
数学は、公理から出発して厳密な論理を経て様々な定理を証明していく学問だ。
では、その基盤となる「公理」には、どのようなものがあるのだろうか。
おそらく現代の数学の殆どの分野がその基礎を置く「ZFC集合論」の
10個の公理を眺めてみよう。
- 外延性公理 axiom of extensionality
二つの集合の、全ての要素が等しいなら、それらの集合は同じものである。
- 対の公理 axiom of unordered pair
二つの集合(a,b)のみを要素とする集合xは、存在する。
- 和集合の公理 axiom of sum-set
集合x,yの全ての要素からなる集合zは、存在する。
- べき集合の公理 axiom of power set
集合aの全ての部分集合からなる集合P(a)は、存在する。
- 空集合の公理 axiom of empty set
要素を含まない集合は、存在する。
- 無限公理 axiom of infinity
自然数の全てを含む集合は、存在する。
- 分出公理 axiom of separation
集合aの要素のうち、ある論理式Aを満たす部分集合は、存在する。
- 置換公理 axiom of replacement
集合aに対し、関数ψによる写像は、集合として存在する。
(集合の一意写像は集合である。)
- 正則性公理 axiom of regularity
任意の論理式を満たす集合のうち、その要素は論理式を満たさないものが存在する。
(x∈x とか x∈y∧y∈x のような集合は存在しない。)
- 選択公理 axiom of choice
複数の「空でない集合」から一つずつ要素を選択したものは、集合として存在する。
個々の公理を採用するか否かは、その知的存在の世界観に依存するかも知れない。
例えば、無限公理を採用しない知的存在もいるかもしれない。
選択公理を認めると、球を有限個に分割して組み立て直すと同じ体積の球が2個できる、
という直観に反する定理が得られる(バナッハ=タルスキーのパラドックス)。
公理を狭めれば、証明できる定理も限られるし、
公理を広げれば、様々な内部矛盾を抱えることになる。
未知の文明同士は、どのような数学の公理を採用しているかを確認し合えば、
どのような知的レベルにあるのかを了解し合えるのではないか。
特に、集合論における公理は、
「要素と集合」「ゼロと無限」「変化と同一視」に関する
非常に基本的な取り組みの姿勢・方針を示している。
ゲーデルの不完全性定理以降、「完全で無矛盾な唯一の数学体系」という夢は
捨てざるを得なくなったのだが、これは逆に言えば、
どのような基本方針(公理系)から、どのような
実りある豊かな定理群を導くかについて、無数の方針が存在することを意味する。
実際、人類も、置換公理や選択公理を除外したり、別の公理を付け加えたりした
新たな公理系を盛んに研究している。
私達が普通に生活している分には、
「公理」とは、常識、宗教、法律、信念、約束などであろうし、
「定理」の多くは、個々人が捻り出す「自分に都合の良い解釈」だろうし、
「証明」とは、大した厳密性もない屁理屈であろう。
しかし、数学では、その全てが普遍的に記述されなければならない。
数学は、「数(ナンバー)」だけを扱う学問ではない。
数学(mathematics)とは、ギリシア語の「μάθημα (máthema)」、
即ち科学・知識・学習を語源とし、人間が世界を認識する基本的な方法
(量・構造・空間・変化(時間))について研究する学問である。
つまり、数学とは、「私達は、知的存在として、どのように宇宙と
向き合っているか」を厳密に表現しようとしている学問なのである。
もし、他の宇宙に存在する多くの知的生命体と交信することができ、
お互いの数学を交換できたら、素晴らしい知見が得られるであろう。
その時こそ、「知性」と「意識」の問題も、明確に定式化できるに違いない。
- 2008-4-29 (火)
- もし持続する「自認識」を前提条件に置いたら、
それだけで純粋数学や相対性理論や量子力学や時空の適切な次元数は、
必然的に導かれるのではないか。
すなわち、どのような経緯で偶然が積み重なって自意識が発生したとしても、
その自意識の群れにとっては、必ず数学があり、
情報伝達速度の上限があり、本質的な不確定性があるのではないか。
むしろ、「自意識」は、各種の物理や数学が演繹的に導出される公理として
定義されるべきではないだろうか。
- 2008-4-27 (日)
- 数学や記号論理学で「PならばQ」などと表現する時、
私はどうしても、これが静的な構造を示しているのではなく、
時間の経過を表現していると感じられるのだ。
時間が経過しているので、前者と後者は別物である。
例えば「自分は自分である」という等式表現についても、
現実の文脈では「自分Aは自分Bである」と区別されていて、
自分Aは観測対象としての一瞬間前の自分であり、
自分Bが観測主体としての「いま・ここ」の自分である。
分離規則(モーダスポネンス)((P→Q)∧P)⇒Q
の例として
「私が人間なら私は哺乳類である。私は人間だ。だから私は哺乳類だ。」
も、良く考えてみると、時間経過が複雑に潜在している。
「P→Q:ある任意の瞬間に私が人間であると捉えられたならば(仮説)、
次の瞬間以降に私は哺乳類としても扱うことができる(仮説)。」
「P:具体的な時刻tで私は人間として捉えられた(事実)。」
「Q:時刻t以降、私は常に哺乳類として捉えられる(可能)。」
このように、論理式の文脈の中に位置づけられた時、
各場所にあるP、Qは、同じようでいて、
実は時間的に異なる“意味”を負わされている。
つまり、こうだ。
推論過程は、時間消費を含意する。
勿論、記号論理学では論理式の時間不変性を暗黙の前提としているので
このようなややこしいことをいちいち考える必要は無いのだが、
しかし、脳内で単純に「AならばB」と考える時ですら、
現実的にも概念的にも時間消費から完全に逃れることは出来ないのだ。
推論とか命題計算といったものは、時間概念を前提としている。
あらゆる現象や思考は何らかの計算であり、時間を消費している。
このような時間は、物理現象と結び付いた「いわゆる時間」
よりも抽象度の高いものであり、「原型時間」とでも呼ぶべきものである。
暗黙的にでも明示的にでも
「同じものを違うものとして区別する仕掛け」としての「原型時間」。
この概念は物理世界にも概念世界にも至るところベッタリと染み込んでおり、
記号論理学や純粋数学ですら、逃れることは出来ないのだ。
- 2008-4-3 (木)
- 無限という概念は、実は時空概念から生まれている。
詳細にその定義を見ると、時空概念を抜きに
無限を扱うことが出来ないことが分かる。
先ず、空間の広がりとして直接的に
無限をイメージすることは誰にもできない。
「どこまでも広がっていく」とか「際限なく細かい」といった
『変化の行き着く先を明確に指定しない』ことが、
即ち無限のイメージであり、定義にもなっている。
これは単なる言葉のアヤではなく、
数学上の定義でも同様である。
それ以上に無限をうまく扱う方法など無いのだ。
「どこまでも」「どんどん」「際限なく」「ぎりぎりまで」
といった「無限」に関連して現れる表現の全ては、
「変化」を意味している。
変化とは、「同じでありながら、同じでなくなる」
(例えば、同じボールが、異なる位置に存在するようになる)ことを意味する。
「同じでありながら、同じでなくなる」という矛盾を内包するための器を、
我々は「時空」と呼んでいるのだった。
「無限」は「変化」を前提にするので、時空概念と切り離せないのだ。
このことは、かなり深刻な問題を提起する。
無限を扱う純粋数学は、物理と切り離すことは出来ず、
時間の起源である自我とも切り離せない、ということになるからだ。
数学は極めて純粋に自己完結的であると見做されているが、
実は物理や主観の構造を抜きにして語ることは出来ない、
ということが暴露されてしまうからだ。
- 2008-3-16 (日)
- 位相空間のイメージが掴めずに苦しんでいる。
閉集合というのが「収束先も自分自身である」という意味で
極限操作について「閉じて」おり、だからこそ
「端っこまでミッチリ詰まっている」「境界を含む」集合だ、
というのもイメージは出来る。
一方、開集合は「ある点にとっての、そのあたり」という意味で、
近傍の概念と密接に関係する。
どれだけ寄せ集めてもその性質が変わらないためには
「境界を含まない」集合でなければならない、というのも納得は出来る。
(「境界を含む集合」(閉集合)の群れを寄せ集めて、ある境界Aの内側ギリギリ一杯まで
敷き詰めたら、境界Aを含まない集合(開集合)を作れてしまう。)
しかし、閉集合と開集合が、見事に単純・厳密・形式的な補集合の関係にあるのに対して、
「収束の概念」と「近傍の概念」は、私にとっては
対立概念・相補概念だとは感じられないのだ。
何かこう、「収束」とか「連続」を論じるためには、全体集合に対して、
「収束という操作を定めるための構造=境界を含むという概念=閉集合」と
「収束先に含まれないエリアを定めるための構造=境界を含まないという概念=開集合」を
セットにして考える必要があるんだろう。漠然とそんな感じがする。
極めて抽象度が高く、 考え始めると脳が悲鳴を上げ始める。
でも、頑張って感覚的に理解したい。
極めて平易に見える位相の定義の中に、
人類が無限とか連続といったものをどう扱うべきかの
エッセンスの全てが詰まっているように思われるからだ。
参考文献:
- 裳華房『群と位相』 著:横田一郎 ISBN4-7853-1105-3
- 岩波『数学辞典』ISBN4-00-080016-7
- 早川書房『ディアスポラ』著:グレッグ・イーガン
ISBN4-15-011531-1 C0197