自循論入門


自循論の動機は、「自分が自分である」と紛れもなく感じている、 この『自分』とは何だろうか、という疑問に、スカッとした回答を与えることである。
まず最初に、自循論を展開する背景となる世界観を明らかにしておく。
無限乱雑空間には、あらゆるものが無限に含まれ、それ故に無意味である。 そこに境界と法則という制約を加えることで物理世界が生まれ、 意味と自由を加えることで情報世界が生まれる。 なお、物理世界に境界と法則を与えているのは、情報世界である。 この循環構造が、自循論の中心原理(セントラルドグマ)になっている。
有意味な世界は、物理世界と情報世界の相互依存関係である。 無限乱雑空間の中には、互いには無関係で独立した、 無数の有意味な世界が存在する。 私達にとっての有意味な世界は、この宇宙、ただ一つであり、 原則として他の有意味な世界と連絡することはできない。
情報世界の中核を為すのが「自」である。 情報世界とは、万人にとって共通な「自」というシンボルを中核とした、 意味シンボルの複雑で巨大なネットワークである。
複数の人の間での、情報世界の重なりに着目してみよう。 その内訳は、「相互にほぼ全く異なる身体性」 「わずかな共通点を持つ無意識」 「多くの共感を呼ぶ意識(体験)」 「共通認識の要となる理性・悟性」 そして万人にとって完全に共通で、 純粋数学的に定義される「自」という最抽象シンボルである。 「自」とは、誰もが感覚の最奥に持っている、共通の概念である。
「自」は、その概念の中に、必然的に 「見る自分」と「見られる自分」の2種類の自分を含んでしまう。 比喩として、「見られる自分」を、意識のスクリーンに映し出される 自分の身体か感じたあらゆること、 「見る自分」を、それを脳の最奥で眺めている認識主体(ホムンクルス) のように考えると分かり易いだろう。
「見られる自分」は、常に過去にある。 「見る自分」は、常に現在にあり、見られることは無い。 私達は、「見られる自分」という影から 「見る自分」という主体を推定しようとする。 この運動が、過去から現在への時間の流れの原型を為し、 その延長が、未来という概念の原型を為す。
「自」は、その概念の中に、必然的に 「自分でないもの」という純粋否定を含む。 これが空間的な区別の源泉になっている。 このように「自」という現象は、無限乱雑空間を 原型時間・原型空間で照らすための準備を含んでいる。 なお、「今・ここ」から、「今、かつ、ここでないもの」を 観測できないことを定式化したのが相対性理論である。
自循とは、「見られる自分」が「見る自分」を見ることを、 有限回数続ける、という現象である。 ある有限性の中に限って、自己充足的・自己完結的に持続する世界、 自分だけに根拠を持つ世界を、自力で支えている現象である。
無限乱雑空間から意味のある世界を拾い上げるためには、 まず「自循」という現象を、意味の素粒子として確保する必要がある。 そうして始めて、物理世界と情報世界の相互依存関係にある 「意味世界」を勝ち取ることができ、 内部に宗教、哲学、科学の発展を包含できるようになるのである。
私達が「自分が自分である」と感じていることの原点と、 この意味世界(宇宙)全体の成り立ちの原点とは、 全く同じであり、それが「自循」という現象なのである。