私が生きる理由 宇宙の開闢から消失までの間に儚い生涯を送った
全ての《意識》の総体が、宇宙という存在を
内側から支えている。風船を膨らませるように。無限に存在する宇宙の中で、私達の住む宇宙が、
今あるが如くある理由は、私達がそこにいる、
という以上のものでは有り得ない。神はいない。少しずつ違う多数の《意識》が、
《世界》を安定かつ豊かなものに保っている。安定かつ豊かに保たれた《世界》が
少しずつ違う多数の《意識》を生み、育んでいる。個々人の《意識》は、《世界》の断片であり、不完全だが、
唯一無二の純粋で完全な《自己》という概念を共有し、
《自己》を通して《世界》の中で互いに結びついている。「愛」とは………
自己と認識できる範囲を拡大したいと願う感情だ。
他者と結びつき《世界》として完成したいと願う《意識》だ。だから、生きる限り、愛することはやめられない。
自己がある限り、愛だけは捨てられない。
■光子の物語
- 光子は光速度で移動する質量0の粒子と考えられている。 (実際には超微小質量を持つかも知れないが、ここではそれをさておく。) だが、相対性理論の結論(または前提)からすると、 光子自身は時間が進んでいるとは感じない。 実際、ローレンツ変換式は、v=cの時、変換後の経過時間が0となる形をしている。
- 自分自身は時間が経過していると感じていないのに、 宇宙の中を光速で往来する、という光子の立場に頭を切り替え、 「自分にとっての時間が経過しない」というのが何を意味するのか イメージしてみよう。
- 自分自身では時間が経過したと感じないのだから、「同時に」宇宙のあらゆる 場所にいることが出来る。ビッグバンの直後に生まれた光子が、 宇宙の死まで走り続けたとしても、自分の時間は進まないのだから、 宇宙の誕生から死までは一瞬どころかゼロ秒以内に終っていることであり、 気付くことすら出来ない。 (「ゼロ秒以内」という表現はおかしいが。)
- この宇宙に10の88乗個ほど存在する光子は、 どれも、この宇宙の存在など全く意に介する暇も無く、 自分自身がこの宇宙に存在してしまっていることにすら気付くことなく、 この宇宙で許される最高の速度で飄々と飛び交っている。
- 「生まれてから死ぬまで、自分が何者であるか知ることすらない」 という表現部分だけを見れば、人間も同じようなものかも知れないが、 人間には「自分自身が何か」という事を感じる時間的余裕がある。 しかし、光子は、この意味世界の中にありながらそれに気付かず、 この意味世界とは無関係である。 つまり一つ一つの光子にとっては、この意味世界全体が無意味であるのだ。 こうして考えてみると、毎日、眼球の中に飛び込んでくる身近な光子が、 とても神秘的に思われてくる。