徒然日記
Essay
このコーナーは私、島田恵子が旅やスペイン語について感じることを徒然なるままに綴るコーナーです。

私の見た英国


   

其の(1)

  1994年、春.私は長年の憧れの国であった英国に向かう機内にいた。隣の席にいた若いカップルと友達になる.日系ブラジル人二世で、日本で5年働き、帰国する前に新婚旅行も兼ねてヨーロッパを一ヶ月見て回るのだと言う。奥さんはブラジルでは秘書として働いていたとのことで、英語がわかるが、ご主人は英語はまったくわからない。二人の間ではポルトガル語で話すのだそうだ。

  私はB&B(朝食だけを出す民宿のような宿)を予約していたが、彼らは宿を決めていないので,良かったらそこに一緒に行けないかと言う事になる。夕方にヒースロウ空港に着くので、私も知らないところで一人でうろうろするより、彼らと一緒のほうが心強い。飛行機を降りるとすぐB&Bに電話する。幸い空いている部屋があるとのことで、私達は先ずはほっとして、中心部に向かうバスに乗り込んだ。もう時計は午後7時を少し回っていた。

其の(2)

  ヒースロウ空港から市内に向かうエアバスには,私達三人の他には,中年のイタリア人カップルと,若いイギリス人男性一人と若いオーストラリア人女性一人しか乗っていなかった。バスの後部にこの字型に座席があり,私達は一番後ろの席に進行方向を向いて座り、イタリア人カップルと若い男女が向かい合って席に着いた。
  始めは,イタリア人カップルは,二人でイタリア語で話しているし,若い男女は英語で話していた.イギリス人男性は観光の名所を若い女性に教えてやっていた。そのうち,彼らは自然に四人で話をはじめた。
  私達は日本語で三人で話していたが,当然彼らとの会話に加われるものと思っていた。しかし,彼らは決して私達と視線を合わせないのだ。私の席からは,イタリア人の顔が見えるので,私は時々彼らの顔を見ているのだが,彼らは私のほうを見ようとはしなかった。私はなんともいえない気分になった。これが無視、というものか・・・。ブラジル人カップルも私と同じように感じているらしく,顔が段段こわばって来るのがわかる。お互いに何とか話しを続けようとするのだが、相手の顔付きが変わってくるのを見ていると,会話はぎこちなくなり,話しが途切れてしまった。憧れの英国に来て最初にこんな苦い思いを味わう事になるなんて,思っても見なかった。もう暮れてしまった街を走るバスの中で,私の心は沈んでいった。

其の(3)

  エアバスを降り、タクシーを拾う。黒のオースチンだ。中が広いのでびっくり。大きなスーツケースも楽々入る。運転手にB&Bの住所を見せる。ロンドンのタクシードライヴァーは,知らない道はないと聞いていたので,安心して任せる。どんな細い道も隈なく知らないと,テストに合格できないのだそうだ。
  私は,バスでの苦い思いをかみ締めながら、B&Bの女主人,リズはどんな人かしらと考えていた。もうすっかり暮れた街をしばらく走ったタクシーが,止まったのは,ごく普通の住宅街の一角だった。呼び鈴を押してから,しばらく間があって,ドアが開いた。穏やかな顔立ちの中年女性が,恥ずかしそうな笑顔で、“Nice to meet you.”と迎えてくれる。ほっとする。今までのさえない気分が吹っ飛んだ。
  部屋は二階とのことで,私のスーツケースを持って案内してくれる。部屋は6畳ぐらいの広さで、ベッド,クローゼット,ナイトテーブル,椅子などがそろっている。非常に簡素な部屋だが,うれしかったのは,大きな姿見の前に黄色いラッパズイセンがたくさんいけてあったことだ。私のイメージでは,その花は英国の春を象徴するものだったから。それに、お客を迎えるために,花を飾っておいてくれると言う心づかいが、とてもうれしかった。
  お腹がぺこぺこだったので,近くのレストランを教えてもらい,三人ででかける。ギリシャ料理の店だ。繁盛していて,満席に近いほどのお客の入りだった。私は,野菜がいろいろ入ったスープ、スモークハム,鱈のなんとか風〔ペースト状〕、パン.どれもとても美味しかった。イギリスの料理を誉める人にあった事がないが,やはり記念すべき第1夜の夕飯もイギリス料理ではなかった…
  宿に帰り,シャワーを浴び,食堂で三人でお茶を入れてくつろぐ。若い二人は,私に出会ったおかげで、苦労せずにこんないい宿に泊まれてラッキーだったとよろこんでくれる。私も良い連れができて心強かったし、二人とも誠実な人柄なので,とても楽しかった。彼らは先ず最初に,ビートルズの出身地リバプールに行くとのこと。お互いの旅の無事を祈りながら,住所を交換する。ベッドに入ったのは真夜中近かった。


つづく
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