フランスの国籍法と移民法の再改正の動き


A. 再改正までの流れ

B. ヴェイユ報告

「フランス国籍の付与についての出生地主義の原則の適用条件」

 国家が国籍付与の指標とするのは、出生地、親子関係(血統主義)、婚姻関係、居住地の4つ。フランス絶対王朝時代は、王国に生まれ、居住し、臣民として王の主権を認めることによりフランス国籍を取得。革命後も1791年憲法からVIII年にかけては、同様の指標を維持。このような出生地主義が、1804年から1889年の期間を除き、共和国の原則となった。(注:隣国ドイツは血統主義を原則とする。)

  1. 国籍付与の条件:一世紀にわたる議論

     1801年のナポレオン民法典第一草案は、絶対王朝時代の出生地主義に対して血統主義をとった。但し外国人のフランスを出生地とする子の処遇については未決定であり、ナポレオン第一統領は「フランスで生まれた者はみなフランス人である」という表現を提案したが、裁判所が第一草案を認めなかった。そのため非公式委員会が設置され、コンセイユ・デタに法案を提出、委員会報告では、単純な出生地主義への批判が示された。結局、1804年のナポレオン民法典は単純な出生地主義の代わりに血統主義をとり、「フランス人を父として生まれた子はフランス人である」と規定した。外国人のフランスを出生地とする子の処遇についての議論は19世紀半ばに再燃し、第二共和制の1851年法では「二重出生地主義」が導入され、フランスを出生地とする外国人のフランスを出生地とする子に国籍を与えることとなった。だが同時に与えた成人時のフランス国籍の拒否権による徴兵逃れが多発したため、1889年法で拒否権は廃止。またフランスを出生地としない外国人のフランスを出生地とする子についても、成人時までフランスに居住していれば国籍を与えられるが、成人後に外国に居住した場合は拒否もできるとした。

  2. 共和国の出生地主義の伝統

     フランス国との絆は、フランス社会で受けた教育に由来し、フランスでの過去の居住を成人時に確認することで保証される。これが1889年以来のフランス法制の特徴である。

  3. 1889年から1993年の期間の諸改正

     主要な改正は1927年、1945年、1973年の3回。1974年からの10年間は、失業問題対策のために移民の新規受け入れを停止。1984年になって(注:社会党政権時代)、外国人居住者の長期(10年間)滞在許可証を創設。1986年11月のシラク政権(注:第一次コアビタシオン時代)の法案では、婚姻による国籍付与を単純な届出ベースでは行わないこと、フランスを出生地としない外国人のフランスを出生地とする子については意思確認を必要とすることが盛り込まれた。反対が多かったために法案は撤回されたが、翌年6月に国籍法改正に関する委員会を設け、1988年1月に報告書がまとめられた。

     1993年法(注:第二次コアビタシオン時代)のベースとなった同報告書の、共和国の出生地主義の伝統からの逸脱は、フランスを出生地としない外国人のフランスを出生地とする子への国籍付与が成人時に行われる点ではなく、意思確認を求める点にある。意思の尊重という議論と並んで、戦前・戦後の欧州系移民よりも現代の非欧州系移民の方がフランスへの同化が難しいという議論があるが、国立人口動態調査院の研究はそれを否定しており、教育が有効な役割を果たしていると言える。また16歳から21歳の間に届け出る義務を課しているが、フランスを出生地とし、成人時にフランスに居住している条件の他に、追加の証明事項も要求している。

  4. 1993年改正法下の実状:現状報告

     施行は1994年1月1日。法務省によって行われた統計調査や地方自治体での調査をもとに、実状を検討する。対象者のボイコットにあうのではないかという懸念は杞憂だった。対象者数は各年齢で2万3000ないし2万9000人と推定されるが、1996年末の法務省発表によると、届出によって国籍を取得した者は、1976年生まれが1万5512人、1977年生まれが2万1104人、1978年生まれが2万3048人、1979年生まれが2万0453人、1980年生まれが1万3508人であり、早期に届出を済ませる者が多い。16歳で届け出た者は、1994年には32%、1995年には43%、1996年には46%であった。上位4つの国籍は、モロッコが37%、ポルトガルが28.6%、チュニジアが12.3%、トルコが10.2%で、合計78.1%にのぼる。しかしながら、手続きに障害を覚える者もいる。親の反対や手続き機関の知識不足もあるが、最大の障害となっているのは過去5年間の居住地の証明であり、1996年度の拒絶事由の42%に相当する。過去2年間の拒絶の割合は全国平均で2.6%だが、地域によって相当の差が見られる。16歳までの義務教育だけでは居住証明にならないとしている点は、修正すべき問題である。さらに問題なのは、手続きが必要だと知らないために手続きをしないまま過ぎてしまった対象者の存在である。1988年の委員会報告は、市役所・学校などによるフォローを求めているが、実行されていないのが現状である。広汎なキャンペーンは1994年当時に行われただけであり、教育省の窓口の設置にも地域格差がある。

「公正かつ効率的な移民政策に向けて」序文(抄)

 フランスは19世紀後半から移民の国だったが、移民政策というものは戦前はなかった。1945年11月2日の政令により、労働力不足と出生率低下への対策としての移民政策をド・ゴール将軍がうちだした。その他の移民受け入れ政策に関連する法源としては、難民の地位に関する1951年7月28日のジュネーヴ協定、難民・無国籍者保護局の創設に関する1952年7月25日の法律、1957年のローマ条約(EU加盟国の国民の移動の自由の規定あり)、1962年のエヴィアン協定(アルジェリア国民に関する特別の地位)などがある。このように積極的な受け入れ政策をとっていたのが、1974年に失業問題対策のために方向を一転して以来、20回におよぶ修正が1945年令に対して行われた。1984年になって外国人長期滞在者の滞在資格証が創設される一方で、非欧州系非熟練労働者の移民が削減され、中間に位置する外国人の処遇は細分された。相次ぐ改正の原因には、経済状況の変化と並び、民主主義国による移民政策の場合は国家主権に制限が課せられているということがある。つまり、民族や国籍による移民の差別を撤廃すること(アメリカは、差別的な1921年の移民法を1965年には廃止した)、難民の地位を保証すること、移民が家族で生活を営む権利を定めること、滞在資格の更新を重ねた者の強制送還を禁ずること、などが求められるわけである。
 フランスの移民問題の特徴として、政治問題になりやすいということがある。政権が代わる度に、前政権の政策を否定し、コントロールか権利かという二項対立がもちだされ、混乱の原因となる。それゆえ、本ミッションに当たっては、現行法制下の現状の聞き取り調査を重んじた。合法的な滞在を認めるべき者と滞在を認めるべきではない者という大分類の内訳については、コントロール派も権利派もおおむね意見の一致を見ている。だが実際は、滞在を認めるべきでない者が滞在している一方で、合法的な滞在を認めるべき者が滞在できないという矛盾が生じている。不法移民への懸念から入国条件が次第に厳しくなり、入国者は原則的に不法移民か潜在的犯罪者のように考えられている。領事館が理由もなくビザの発給を拒否したりすればフランスの対外イメージを落とすことになるし、合法的に入国できるはずの者を不法入国者と同じように厳しくコントロールすべきではなく、外国人を無差別にコントロールしようとすることは効率的ではない。
 それゆえ、無用の仕事を増やさずに不法移民をコントロールすべきであるという点で意見は一致している。実地と原則を風通しよく結びつける解決策を今回の改正に盛り込むべきと考える。

C. 法案作成・審議の過程

'97.8.21閣僚会議で、ヴェイユ報告にもとづいて法案を作成する方針が決定された。国籍法改正案はギグー法相、移民法改正案はシュヴェーヌマン内相が担当。
'97.8.22内務省より30条(うち25条はヴェイユ報告をそのまま反映)から成る移民法改正原案が提出され、同25日の閣僚会議で討議。
'97.9.3閣僚会議で両法案についての首相の最終判断が下された。
'97.9.15コンセイユ・デタ(注:行政裁判所の最高審と法令の諮問機関を兼ねる。政府提出の法案は閣議採択の前にコンセイユ・デタに諮問することが憲法で規定されている)に送付。
'97.9.18下院法制委員会がヴェイユ氏を聴聞。
'97.10.1「人権問題全国審議会」による諮問終了、法案全体の書き直しを提言。
97.10.3「(移民)同化高等院」による諮問終了、国籍法案には反対意見もあったが、両法案に賛同。
'97.10.9コンセイユ・デタによる諮問終了。強制送還に先立つ行政勾留期間の短縮を勧告。
'97.10.15閣議で採択。
'97.11.13下院法制委員会で国籍法修正案の採決。
'97.11.20下院法制委員会で移民法修正案の採決。
'97.11.26-29下院で国籍法案の審議。
'97.12.1下院で国籍法案が通過(賛成267票、反対246票、白紙投票29、棄権25)。
'97.12.12-17下院で移民法案の審議。
'97.12.17下院で移民法案が通過(賛成276票、反対254票)。
'97.12.17上院で国籍法案に国民投票請求動議、審議は延期に。
'98.1.14上院で再修正した国籍法案を可決。
'98.1.21上院で移民法案の審議開始。
'98.3.4下院で元の国籍法案を可決。
'98.4.8下院で移民法案を可決。

D. 国籍法案

E. 移民法案

F. 法案への反応

(文責:斎藤かぐみ、1997年9月〜12月、参考資料:1997年8月1日・23日・27日、9月5日・16日・20日・23日・25日、10月2日・5-6日・11日・16日、11月14日・15日・20日・21日・26日・28日・29日・30-12月1日・3日・4日・11日・12日・13日・14-15日・16日・17日・18日・19日・20日付、1998年1月16日・20日・3月?日・4月10日付「ル・モンド」紙)


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