(あいぞめ

「Japan−Blue」ジャパン・ブルーといわれている、生活の中でも親しみやすい藍色(あいいろ)。昭和30年代に誂えたという弊社の藍染半纏をご紹介しながら、今回は藍染についてお話します。 




*藍草・原料〜すくも〜
江戸時代、日本では「藍染」が盛んになり「紺屋」(こんや・こうや)といわれる藍染専門の染物屋が各地に出来たそうです。藍染に用いられる染料は、藍草(タデ科の蓼藍といわれる植物)を乾燥後自然発酵させて<すくも>というものを作ります。更に搗き固めて固形化したものを藍玉といいます。これが天然藍染めの原料となります。
江戸時代では阿波の国(徳島県)が最大の生産地だったそうで、化学染料による合成藍の使用が多くなった現代でも、徳島では「藍師」と呼ばれる職人さんたちが、<すくも>作りを受け継いでいるそうです。
*〜藍を建てる〜染液づくり
紺屋では、泥状の<すくも>を大きな陶器でできている藍瓶で、水や灰などを入れて加熱、発酵させ染液をつくります。発酵すると水面にできる藍色の泡を<藍の華>と呼び、これが染色可能な合図となるそうです。この状態を藍が建つといい、この染液づくりのことを藍を建てるというそうです。<すくも>の利点はいつでも発酵させ染色でき、夏場には最適で保存も楽なところで、また、藍が建つ日数や藍瓶の状態は、匂いや味、発酵している音など、熟練した職人の感覚などでわかるそうです。


 
*型付け・型染め〜風を切る〜
大紋、中形、小紋など図柄が切り抜かれた型紙を白木綿の上に置き、型紙の上から防染糊をヘラ付けします。両面します。糊を乗せた部分は染まらず、模様が現れるしくみです。着物や反物、のれん等に使われてきた技法だそうです。糊作りの加減や、型の継ぎ目が乱れないように、裏表の柄がずれないようになど技術が必要とされるそうです。型付け後、下染め(大豆をすりつぶした汁)を施し布をたたんで、いよいよ染めていきます。淡い色の藍瓶から濃い藍瓶へと漬け染めしていきます。瓶から引き出して空気にあてると藍が酸化し、藍色に発色します。これを<風をきる>というそうです。水洗いして糊を落とし干して乾燥させて出来上がり!
*藍色 いろいろ
藍色には染めの回数によって濃淡があり、微妙に変化し日本独特の色名があります。濃い順から留紺>黒紺>紺>藍>納戸>花色>縹(はなだ)>浅葱(あさぎ)>瓶のぞき などとついています。
紺/深縹(こきはなだ・ふかはなだ)とも呼ばれ一般的なネイビーブルー。納戸(なんど)/緑みのかかったくすんだ藍色。江戸時代後期に流行したそう。浅葱(あさぎ)/水色よりも濃く花色より薄い、新撰組の誠の羽織の色。瓶覗き(かめのぞき)/ごくごく白に近い薄い水色。藍色では最も薄い色で、染色の際にも藍瓶に漬けてもすぐに引き上げてしまうことから<瓶覗き>と呼ばれるそうです。



東京国際キルトフェスティバル2010で撮影
*藍染の特徴・効用
天然藍染めは藍が糸で生きている故、洗えば洗うほど色が冴え、歳月をおく程色も落ち着く。木綿によく染まり、染料が糸や布に付着することにより布が丈夫になる。という特徴があげられるそうです。そして、防虫、防火、消臭、保湿効果などの効用もあります。弊社の半纏も40年は経っていても、シックな黒紺の色はあせることなくくっきりと残っていて、屋号の抱柏の紋もすっきりと型付けされています。確かに虫もくっていません。布地もしっかりと糸が詰まっているようなさわり心地で、袖を通すと温かみが感じられました。
宝物です。
*徳島県の藍師・藍染師
今年の東京国際キルトフェスティバルでは現代も天然藍作りを伝承している阿波徳島の藍師、藍染師の方々の紹介・展示・実演の特設がありました。藍の栽培、すくも作り、染色と江戸時代に生産国内一だった阿波の藍作りを伝承、普及しているそうです。古いものもありましたが、藍の色は変化しつつも目に冴える粋な色でした。

出藍の誉・しゅつらんのほまれ「青は藍より出でて藍より青し」(青色の染料は藍という草から作られるが、その色は藍草の色よりも青い。学問も積み重ねによって、さらに発展するとの意。)

まさに、日本の良き伝統が受け継がれていく様を表したような
ことわざですね。


参考文献 中央公論者 三谷一馬著 江戸職人図聚
参考hp  Weblio原色大辞典
東京国際キルトフェスティバル2010で撮影