| 歴代室町管領一覧 |
| 管領は行政の代表を指す言葉。鎌倉時代の内管領などが先例。足利政権下では、将軍補佐職であり行政機関の最高官職であった「執事」をそう呼ぶようになった。途中から細川・斯波・畠山の3家から交代で就任するようになったため、三管領と呼ばれた。室町中期頃から実力を失い、守護大名が権力を握るようになる。応仁の乱後は細川家のみとなり、常時設置されず臨時職扱いであった。 |
| 名 | 在職期間 | 将軍代 | 備考 |
| 高師直 | 1336〜1349 | 足利尊氏 | 執事。政策の実権は足利直義にあり後の管領ほどではなかった。師直は、武将として南朝方とたびたび交戦し、よく勝利を得たため実権を増し、直義やその支持派と対立するようになり、一度は勝利するが、後に敗北して暗殺された。文筆家であり和歌もよくしたが、悪名の方で後世知られる。 |
| 高師世 | 1349 | 足利尊氏 | 執事。師直の子。 |
| 高師直 | 1349〜1351 | 足利尊氏 | 執事。 |
| 仁木頼章 | 1351〜1358 | 足利尊氏 | 執事。尊氏の挙兵以来、その死まで付き従った武将。 |
| 細川清氏 | 1358〜1361 | 足利義詮 | 執事。尊氏に従い南朝と戦う。その功により義詮から執事となったが、専横の振る舞いが見られたため、追討を受け南朝に鞍替えする。一旦京都を占領したが敗北し四国に逃れる。細川頼之の軍勢と戦い戦死した。 |
| 斯波義将 | 1362〜1366 | 足利義詮 | 以降は管領と称する。義詮、義満、義持に仕えた。義満にたびたび諫言した。管領辞任後も活動した。 |
| 細川頼之 | 1367〜1379 | 足利義満 | 観応の擾乱で尊氏について戦う。義詮に後事を託され義満の補佐に当たった。管領細川家の基礎を築く。 |
| 斯波義将 | 1379〜1391 | 足利義満 | |
| 細川頼元 | 1391〜1393 | 足利義満 | 兄頼之の養子となり跡を継ぐ。明徳の乱で活躍。 |
| 斯波義将 | 1393〜1398 | 足利義満・義持 | |
| 畠山基国 | 1398〜1405 | 足利義持 | 明徳の乱、応永の乱で功をたてる。畠山中興の祖。 |
| 斯波義重 | 1405〜1409 | 足利義持 | 応永の乱に参陣。のち将軍義持の怒りに触れ高野山に出奔。 |
| 斯波義将 | 1409 | 足利義持 | |
| 斯波義淳 | 1409〜1410 | 足利義持 | 斯波義重の子で、幼少の身で管領職を譲られたが、当然実権は父親にあった。 |
| 畠山満家 | 1410〜1412 | 足利義持 | 応永の乱で大内義弘を討ち取る。 |
| 細川満元 | 1412〜1421 | 足利義持 | 4ヶ国守護。 |
| 畠山満家 | 1421〜1429 | 足利義持・義量 | |
| 斯波義淳 | 1429〜1432 | 足利義教 | |
| 細川持之 | 1432〜1442 | 足利義教 | 足利義教に仕え、たびたび諫言するも為せず、結局赤松氏の将軍暗殺につながった。幼少の足利義勝を擁立し、赤松氏を討伐した。 |
| 畠山持国 | 1442〜1445 | 足利義勝 | 嘉吉の乱に際し、赤松氏を攻めたが、後に赤松氏再興をはかり、山名宗全と対立した。 |
| 細川勝元 | 1445〜1449 | − | 16歳で管領に就いたのをはじめ、計3回管領となった。当初山名宗全と協力していたが、後に対立し、応仁の乱に至る。 |
| 畠山持国 | 1449〜1452 | 足利義政 | |
| 細川勝元 | 1452〜1464 | 足利義政 | |
| 畠山政長 | 1464〜1467 | 足利義政 | 畠山持国の養子となったが、持国に実子の義就が生まれると、持国・義就親子と対立するようになり、細川勝元を頼った。 |
| 斯波義廉 | 1467〜1468 | 足利義政 | 一族の義敏と争い、女婿山名宗全の支援も受けて守護職を取り戻した。そのため、義敏は細川勝元を頼り応仁の乱の一因を作る。 |
| 細川勝元 | 1468〜1473 | 足利義政 | |
| 畠山政長 | 1473 | 足利義政 | |
| 畠山政長 | 1477〜1486 | 足利義尚 | |
| 細川政元 | 1486 | 足利義尚 | 細川勝元の子。将軍義材(義稙)を廃し、足利義澄を擁立した。 |
| 畠山政長 | 1486〜1487 | 足利義尚 | 応仁の乱後の管領では専横を疎まれ、対立勢力に攻められて自殺した。 |
| 細川政元 | 1487 | 足利義尚 | |
| 細川政元 | 1490 | 足利義稙 | |
| 細川政元 | 1494〜1507 | 足利義澄 | |
| 細川高国 | 1508〜1525 | 足利義稙 | 細川政元の養子となり、同後継をめぐって対立勢力を次々と滅ぼす。将軍義稙を復帰させ、管領となった。さらに義稙を廃し義晴を擁立した。しかし波多野氏、三好氏と対立し、摂津天王寺で敗死した。 |
| 細川稙国 | 1525 | 足利義晴 | |
| 畠山義尭 | 1526 | 足利義晴 | |
| 細川晴元 | 1536〜1549 | 足利義晴・義輝 | 三好元長らと手を組み、細川高国を滅ぼし、さらに三好元長をも堺に滅ぼした。三好長慶が立つと将軍義輝を擁して近江に逃れたが、反撃に失敗し、長慶と和睦。隠棲した。 |
| 細川氏綱 | 1552〜1563 | 足利義輝 | 最後の管領。三好長慶に擁立されたが実権はなかった。 |