歴代京都所司代一覧
京都所司代というのは、幕府の侍所の頭人(所司)の代官を指した。鎌倉時代にははっきりしないが、室町時代には京都と鎌倉に置かれていた。京都所司は、検非違使の職務であった京都の市政と警察権を行使したが、時には所司は在京せず、所司代が指揮を執った。そのため所司代が「京都市長」として一般に受け取られるようになった。織田政権から以降、京都所司代(あるいは京都奉行)は、市政を管理し、さらに朝廷や公家の支配機関となった。織豊時代には都市再開発を行い、今の京都の基本が作られている。江戸幕府ではさらに畿内8カ国の司法裁判権、西国大名の監視機関としての権限も与えられた。幕末に京都が表舞台になると、京都守護職が設置されて、その支配下に置かれるが、明治維新でともに廃止となる。
官名在職期間備考
村井貞勝長門守1573〜1582織田政権下。本能寺の変の時、二条御所で死亡。
桑原貞成次右衛門1582羽柴秀吉が任命。まもなく罷免される。
杉原家次七郎左衛門1582まもなく罷免。
浅野長吉弾正少弼1583浅野長政。まもなく罷免。
前田玄以1583〜1600
奥平信昌美作守1600〜1601関ヶ原合戦後の京都支配のため。
加藤正次喜左衛門1601詳細不明。
松田政行勝右衛門1601〜1603前田玄以の元で京都支配を担当、加藤正次や次の板倉勝重の元でも京都支配補佐を勤める。
板倉勝重伊賀守1601〜1620駿府町奉行、江戸町奉行、関東代官と歴任し、京都所司代となる。対豊臣政策もあわせて担当。宮中での猪熊事件を利用し朝廷への権力拡大をはかり、朝廷・公家・寺社の統制を行った。
板倉重宗周防守1620〜1654勝重の子で、父の跡を継いで所司代職を引き続き担当した。後任者牧野親成時代も職務を補佐した。
牧野親成佐渡守1654〜1668
板倉重矩内膳正1668〜1670
永井尚庸伊賀守1670〜1676
戸田忠昌越前守1676〜1681
稲葉正通丹後守1681〜1686
土屋政直相模守1685〜1687
内藤重頼大和守1687〜1690
松平信興因幡守1690〜1691
小笠原長重佐渡守1691〜1702
松平信庸紀伊守1702〜1714
水野忠之監物・和泉守1714〜1717後に享保の改革前半を担当。開発と年貢増徴を行ったが、米価が低落して問題となり、辞任した。
松平忠固伊賀守1717〜1724
牧野英成因幡守・佐渡守・河内守1724〜1734
土岐頼稔丹後守1734〜1742
牧野貞道越中守・備後守1742〜1749
松平資訓豊後守1749〜1752
酒井忠用讃岐守1752〜1756
松平輝高右京大夫1756〜1758
井上利容河内守1758〜1760
阿部正右伊予守1760〜1764
阿部正允飛騨守1764〜1769
土井利里大炊頭1769〜1777
久世広明出雲守1777〜1781
牧野貞長越中守1781〜1784
戸田忠寛因幡守1784〜1787
松平乗完和泉守1787〜1789
太田資愛備中守1789〜1792
堀田正順相模守・大蔵大輔1792〜1798
牧野忠精備前守1798〜1801
土井利厚大炊頭1801〜1802
青山忠裕下野守1802〜1804
稲葉正ェ丹後守1804〜1806
阿部正由播磨守1806〜1808
酒井忠進讃岐守1808〜1815
大久保忠真加賀守1815〜1818
松平乗寛和泉守1818〜1822
内藤信教紀伊守1822〜1825
松平康任周防守1825〜1826
水野忠邦左近将監・越前守1826〜1828出世するために家臣の反対を退けて唐津藩から浜松へ転封した。老中になってからは天保の改革を行う。一旦辞職後老中に返り咲くも天保の改革が問題となり、老中辞職出羽転封の処分を受けた。
本庄宗発伯耆守1828〜1831
太田資始備後守1831〜1834
松平信順伊豆守1834〜1837
土井利位大炊頭1837〜1838雪の結晶を調べた学者として知られる。
間部詮勝下総守1838〜1840
牧野忠雅備前守1840〜1843
酒井忠義若狭守1843〜1850
内藤信親紀伊守1850〜1851
脇坂安宅淡路守1851〜1857
本多忠民中務大輔・美濃守1857〜1858
酒井忠義若狭守1858〜1862
松平宗秀伯耆守1862
牧野忠恭備前守1862〜1863
稲葉正邦長門守1863〜1864
松平定敬越中守1864〜1867