松方正義
 1835(天保6.2.25)〜1924.7.2
 元老・政治家。
 薩摩藩出身。郷士の出で子供の頃は貧窮だった。
 島津久光に近習番として仕え、その関係で大久保利通に認められる。
 1865年、御船奉行添役で長崎に行き、経済を実地で学んだ。
 1868年、長崎裁判所参謀になったのを皮切りに維新政府に仕え、内国事務局判事、日田県知事を経て、民部大丞。
 租税権頭、租税頭として地租改正にあたる。
 1875年、大蔵大輔。
 1877年に勧業局長兼仏国博覧会副総裁に任ぜられ、渡欧し、各国を見て回る。
 当時、大隈財政は、西南戦争などによって大量に発行した不換紙幣を、国債の発行で資金を得て償却する政策を実施していた。
 それに対し松方は、国債償却を進めながらも、殖産興業によって経済力を付け、剰余金を生み出して正貨を購入運用し、中央銀行を設立して発行紙幣の信用を高め、価値が安定したら、不換紙幣と交換して整理するというものだった(松方財政)。
 1881年、政変で大蔵卿となると、この政策を推し進め、翌年日本銀行を設立。銀兌換制度を確立した。
 1884年、兌換銀行券を発行。
 1885年、内閣制度による初代大蔵大臣に就任、以後、歴代内閣で大蔵大臣を続けた。
 1891年、内閣を組織し、大蔵大臣を兼任。大津事件、選挙干渉事件などが起こった。
 1898年まで自らの内閣も含めて大蔵大臣を続け、金本位制を確立した。
 一方で、この間、戦争などの財源を得るために、増税を実施したため、国民の多くを占めた農民は、納税負債により土地を失い、小作人を増やす結果となった。
 その後、日本赤十字社社長、枢密顧問官、内大臣を歴任して、公爵に昇る。
 1924年に没し、国葬に処された。
 第15銀行の松方巌、フランス美術品の松方コレクションで知られた松方幸次郎、登山家で有名な松方三郎などは、松方正義の子息にあたる。