シーメンス事件
 大正はじめの海軍収賄事件。
 海軍は、ドイツのシーメンス社から軍需品を購入していたが、その際、発注品の代金の3.5%〜15%分を手数料として受け取っていた。
 シーメンス社の日本支社員カール・リヒテルが解雇されたことを恨み、社の機密書類を盗み出し、それを基に社を脅迫した事件が発覚し、リヒテルは逮捕され、ベルリンで裁判を受けることになった。
 その際、日本海軍高官への贈賄に関する資料が示されたことから、その報道が1914年1月22日にロイター通信で発表された。
 翌日、都下の新聞社が一斉にこのことを報道したため、野党同志会島田三郎はこれを取り上げ、同日議会で追求の姿勢を見せた。
 同志会は、山本内閣(山本権兵衛首相は海軍)の倒壊を目的とし、尾崎行雄らは腐敗を追及した。また在野の護憲運動、営業税導入に反対する商工会などが参加し、一大政治運動に発展する。
 内閣と海軍は劣勢に追いやられ、海軍内部では査問委員会が発足。問題に関わった藤井光五郎少将、沢崎寛猛大佐らを軍法会議にかけた。
 さらに巡洋戦艦金剛の発注に絡むヴィッカース社との不正も発覚、松本和中将が軍法会議にかけられ、三井物産の岩原謙三山本条太郎も収監された。
 2月10日、内閣弾劾決議案が上程され、与党政友会によって否決されるが、弾劾国民大会の参加者が議会を包囲し警官隊と衝突した。
 2月12日、衆議院は海軍予算の3000万円削除を可決する。
 貴族院は、3月13日に海軍予算7000万円削除を決め、両院協議会が開かれるが、一致せず、予算案は不成立となった。
 これを受け、3月24日に山本権兵衛内閣は総辞職した。
 松本中将、藤井少将、沢崎大佐は懲役・科料刑となり、山本前首相、斎藤前海相は予備役編入処分を受け、三井物産の重役は控訴審で執行猶予処分となった。
 この後、政友会に代わって政府系の同志会が勢力を拡大し、陸軍の増強、対中国強硬へと進むことになる。