| 第一次世界大戦 |
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史上最初の地球規模で起こった世界大戦。 基本的な原因は欧州諸国の帝国主義拡張政策の対立と、バルカン半島での諸勢力の衝突にあるといわれる。 産業革命と植民地獲得競争に後れたドイツは、オーストリア、トルコとの関係を結び、一方イギリス、フランス、ロシアは協力関係を築いていた。 トルコ、オーストリア・ハンガリーの両帝国の勢力下にあったバルカン半島は、同じく勢力を伸ばしていたロシア帝国との対立の最前線で、両勢力が入り乱れていたため、火薬庫と呼ばれて不穏な状況下にあった。 オーストリアはバルカンの主要国セルビアを一方的に支配下に組み込もうとしたが、地元のナショナリズムの高揚を生む結果となる。 1914年6月28日、セルビアを訪れていたオーストリア・ハンガリー帝国皇太子夫妻は、セルビア人テロリストに数度にわたり狙われたあげく、暗殺されてしまう(セルビア事件)。 7月28日、オーストリア・ハンガリー帝国はドイツの支援を受けてセルビアに宣戦を布告。一方、同じスラブ人の国家であるロシア帝国は総動員令を発した。 8月1日、ドイツはロシアに宣戦を布告。続いてロシアの同盟国フランスに宣戦布告した。 ドイツは、まずフランスを攻撃した後、ロシアとの大戦を企図し、フランスの国境沿いにある要塞群を越えるため、中立国ベルギーに侵攻して迂回する作戦を採った。 このため、中立だったイギリスが反発、ベルギー侵攻を口実にドイツに宣戦を布告し、欧州大戦へと拡大した。 イギリスは、同盟国の日本に対し、東アジアで戦乱が起こった場合の軍事行動を期待し、さらにアジアのドイツ艦隊抑制のための出動を求めたが、一方で、日本の軍事行動の拡大には懸念を持っていた。 8月23日、日本もドイツに宣戦布告し、大戦に参加する。 日本は、この戦争で中国や南洋諸島のドイツ権益の取得を狙っていた。日本軍は、山東半島の青島要塞攻略と南洋諸島攻略に軍を派遣。南洋諸島の赤道以北を瞬く間に占領した。 山東半島の青島要塞攻略戦は、中国の同意がなかったが、結局中国政府は事後承認し、日本軍は鉄道、青島市街、そして青島要塞を占領した。 ドイツは、対フランスの西部戦線が進展せず、英仏連合軍との間に広大な塹壕を築き、膠着状態に陥っていた。 戦争初期の戦闘は、近世以来の騎馬と歩兵の戦闘だったので、塹壕戦はこれに有効であった。しかし、塹壕内部の環境は最悪で病人が続出することになる。 この膠着状態を打破するためにイギリスが投入したのが、通称タンクと呼ばれた戦車である。フランス・ドイツもすぐにこれを採用し、この新兵器の登場で、戦争は一気に機械化と大量破壊化していく。 一方、対ロシア東部戦線も膠着していた。ドイツに二正面作戦は困難で、経済的には未熟なロシアの戦意も低かった。 ドイツは、西部戦線を挽回するために、マスタードガスを使用。毒ガス兵器はたちまち両軍の主力兵器となり、その攻撃方法も急速に発達して膨大な死傷者を出した。 イギリスは、ドイツの経済封鎖を企図して海上行動に移るが、それに対し、ドイツは潜水艦を多数出動させて通商破壊作戦を展開する。さらに、飛行船を繰り出してロンドンを空襲、戦場では両軍がやはり新兵器の飛行機を投入した。 1917年になると、ドイツは無制限潜水艦戦を展開。この結果、アメリカの艦船も攻撃されたため、アメリカは中立を破棄して対ドイツ参戦する。 この頃から、戦争の限界が各所で現れ始めた。 社会主義運動の第2インターナショナルは、各国の立場によって異なったことから主戦と不戦で分裂し分解していたが、ロシアでは国民の不満が高まって労働者と兵士の反乱が起こり、2度の革命で帝国は崩壊、各所の「ソビエト」が連合して新政権が誕生する。 ソビエトは連合国から離脱して独断で講和交渉を始める。 ドイツやその同盟諸国でも国民の不満から反戦の気運が高まっていた。一方、連合国側でも、戦場で発生したインフルエンザ(スペイン風邪)の大流行によって、膨大な死者を出し、戦争を遂行することが困難になってきていた。 1918年、そもそもの始まりだったオーストリア・ハンガリー帝国は降伏、同盟諸国も崩壊、ついに11月18日、ドイツの軍港キールで水兵の反乱が起こり、皇帝はオランダに亡命。社会民主党政権が誕生して連合国に降伏し大戦は終結した。 後にパリ講和会議でベルサイユ条約が結ばれ、ドイツは莫大な賠償費用を払わされることになり、疲弊したドイツはファシズム政権への樹立へとつながっていく。 この戦争でドイツなどの同盟諸国は死者338万人、英仏などの連合諸国は515万人の死者を出した。この数字は、戦争中に流行したインフルエンザの死者も含まれているが、この流行はヨーロッパを中心に全世界で死者2500万人を出している。これがこの戦争に関連した最大の人的被害といえる。 |