袁世凱
 1859.8.20〜1916.6.6
 軍閥政治家。
 河南省項城出身。
 科挙の試験を2度落ちた後、軍人の道を選び呉長慶門下となる。
 その翌1882年、朝鮮壬午騒乱大院君を天津へ連れ幽閉するなど早くも能力を発揮、1884年の朝鮮甲申事変も鎮圧。
 その能力を買われ、新建陸軍の責任者に抜擢された。後の軍閥の基礎はこのときに生まれたといえる。
 西太后の信任を得た後、義和団事件鎮圧で列国に知られる存在となる。
 1901年、直隷総督兼北洋大臣の地位に就き内政の改革に努めた。
 1908年に戊戌変法失敗の時の怨恨から一旦政界を逐われるが、辛亥革命が勃発すると、復帰し革命勢力と交戦した。
 1912年、革命側との交渉で、清朝が滅亡すると、孫文の跡を継いで中華民国の第2代臨時大総統に就いた。
 その地位を元に独裁権力を確立すると、宋教仁を暗殺し、さらに各地の反袁蜂起(第2革命)を鎮圧して、正式な初代大総統に就いた。
 第1次世界大戦には中立を宣言したが、日本の対華21ヶ条要求を受諾。1916年元旦に自ら皇帝の地位に就き、年号を洪憲元年と改元、国号を中華帝国と改めた。
 しかし、雲南省をきっかけに各地で武装蜂起が起こり、列国も帝位を支持しなかったため、3ヶ月で帝位を取り消すに至る。それからわずか3ヶ月後の6月6日に孤立した中で急死した。