米内光政内閣(1940. 1.16〜. 7.22)

 阿部信行内閣の総辞職後、ドイツ派の台頭に危機感を抱いていた重臣グループが、日中戦争の不拡大やドイツ・イタリアとの協力強化に反対していた海軍大将の米内光政を首班に推した。
 時期的にも、独ソ不可侵条約でドイツ熱が冷めていた時期であり、前内閣からの欧州大戦不介入方針も受け継いで、閣僚人事は、英米派要人と政党関係者で構成された。
 成立時の問題は、欧州大戦で発生した貿易の影響と日中戦争によって引き起こされた物価の高騰、そして対中戦争の拡大である。
 物価高騰は、物資物価統制を強化することで打開策を図り、日中戦争は分裂した国民政府の統合を促して外交交渉を行うことで解決を目指した。
 ところが成立直後に、衆議院で斉藤隆夫議員が、日中戦争の拡大について軍部の処理のまずさを指摘したことから、陸軍の反発を買い、さらに、ドイツ軍の電撃侵攻が成功を収めていることが伝わると、ドイツ熱が再燃。日本の南進政策と重ね合わせるような主張が拡がった。
 これが、近衛文麿の主導で進められていた新体制運動と結びつき、近衛の再登場を期待する動きが強まる結果となる。
 この動きに合わせて、かねてより英米協調派や海軍の動きに不満を持っていた陸軍は、畑 俊六陸相を辞任させ、後任を決定しなかったため、軍部大臣現役武官制がネックとなり、米内内閣は総辞職に追い込まれた。

【米内光政内閣閣僚一覧】
 総理    米内光政(海軍大将)
 外務    有田八郎(貴族院・研究会)
 内務    児玉秀雄(貴族院・伯爵・研究会)
 大蔵    桜内幸雄(衆議院・民政党)
 陸軍    畑 俊六(陸軍大将)
 海軍    吉田善吾(海軍中将)
 司法    木村尚達
 文部    松浦鎮次郎
 農林    島田俊雄(衆議院・政友会)
商工    藤原銀次郎(貴族院・研究会)
 逓信    勝 正憲(衆議院・民政党)
 鉄道    松野鶴平(衆議院・政友会)
 拓務    小磯国昭(陸軍大将)
 厚生    吉田 茂(貴族院)
 書記官長  石渡荘太郎
 法制局長官 広瀬久忠