アウン・サン(Aung San)
1915.2.13〜47.7.19。マグエ県(ミャンマー)出身。
1936年ラングーン大学在学中に、学生連盟委員長のウー・ヌ(後の初代首相)と共に学生のストライキを指導した。卒業後、「われらビルマ人連盟」に参加。タキン・アウンサンと名乗り活動する。40年バー・モーの貧民党と連盟が合併すると事務局長となる。同年逮捕状が出たため、廈門へ脱出する。鈴木敬二参謀本部大佐の手引きで来日。41年「南機関」の協力でビルマ人青年30人と軍事訓練を受け、ビルマ独立軍を結成。ビルマに帰国する。42年鈴木が離任し、ビルマ防衛軍に改編されて司令官となる。43年バーモー内閣の国防相。しかし44年共産党、人民革命党と提携し、抗日戦線「反ファシスト人民自由連盟」を結成。45年3月に蜂起する。10月連盟総裁となり、ビルマ総督に自治を要求する。46年9月行政参事会副議長に任命される。47年1月「アウンサン・アトリー協定」に調印。独立を目指すが、同年7月ウー・ソーの配下の手で閣僚6人と共に暗殺された。オン・サンとも呼ばれるがアウン・サンの方が正しい。