来栖三郎(くるす さぶろう)
1886.3.6〜1954.4.7。神奈川県出身。
横浜商工会議所副会頭来栖荘兵衛の3男。1909年東京高等商業学校専攻部卒業。10年外務省入省。中国、アメリカ、フィリピン、チリ、イタリア、ギリシャで勤務。28年ペルー公使、32年通商局長、36年駐ベルギー大使を経て39年駐ドイツ大使。日米関係の改善を第一とし、日独接近に反対したが、40年9月の三国同盟締結には駐独大使として署名した。41年2月帰国し日米交渉継続のためすぐに渡米。11月20日ハル国務長官に乙案を手渡すが、ハル・ノートの提示を受けて交渉は決裂、12月7日に最後通牒を渡した。42年9月交換船で帰国。45年2月に退官。戦後公職追放となった。夫人はアメリカ人。