マッカーサー、ダグラス(Douglas MacArthur)
 1880.1.26〜1964.4.5。アーカンソー出身。
 フィリピン駐留米軍総司令官・初代軍事総督アーサーの子。ウェストポイント陸軍士官学校卒業。工兵少尉となりフィリピンに勤務。日露戦争観戦武官、父が在日アメリカ大使館付武官となり、その副官として1905年来日。第1次世界大戦ではレインボー師団創設を進言、参謀長として参戦する。19年陸軍士官学校校長、25年少将、30年陸軍参謀総長と全て最年少記録。35年軍事顧問としてフィリピンに赴任。41年7月に現役復帰し、米極東軍司令官。日米開戦後、バターン半島に追いつめられるが42年3月ルーズベルト大統領の命令でオーストラリアへ脱出。この時、「アイシャルリターン」を公約としたので知られる。南西太平洋軍総司令官として同年7月に反攻を開始。44年10月にレイテ島に上陸して公約を果たす。45年2月マニラを解放、終戦後の同年8月連合国軍最高司令官、米極東軍最高司令官となる。8月30日厚木に進駐。9月27日昭和天皇の訪問を受けたときの写真は国民に衝撃を与える。象徴制という形の天皇制の存続、民主制度化政策、憲法改正、農地解放、婦人解放などを行い、「濠端天皇」とも呼ばれた。日本での人気は高く、50万通もの好意的投書があったといわれる。48年大統領選に出馬するも敗北。50年朝鮮戦争勃発では強硬主張を唱え、中朝国境爆撃案でトルーマン大統領と対立、軍職を解任されて帰国した。この時、20万人の日本人が見送った。後、レミントンランド社社長に就任。