松岡洋右(まつおか ようすけ)
 1880.3.4〜1946.6.27。山口県出身。
 1893年渡米。1900年オレゴン州立大学卒業。02年帰国。04年外交官試験に合格し領事館補として上海赴任。関東都督府外事課長、ロシア、アメリカ勤務を経て、外務省政務局勤務となる。21年退官。7月田中義一の推薦で満鉄に入社。理事を経て27年副総裁。29年帰国。30年政友会から当選。31年帝国議会で満蒙生命線論を展開し、幣原外交を非難。32年国際連盟総会首席全権。33年2月連盟総会を退場し、政府は国際連盟を離脱した。帰国後世界新秩序建設を遊説して回る。35年から39年まで満鉄総裁。満鉄調査部を設置する。40年7月第2次近衛内閣で外相。大東亜共栄圏を提唱。9月三国同盟を締結した。さらにソビエトを加えた4国同盟を構想するも、帰国後日米交渉に反対して七月更迭。戦後A級戦犯。極東国際軍事裁判に起訴されるが、病状が悪化して46年6月死去。