岡田啓介(おかだ けいすけ)
 1868.2.14〜1952.10.17。福井県出身。
 1889年海軍兵学校卒業。日清戦争に出兵。1901年海軍大学校卒業。日露戦争では春日副長で日本海海戦に参加。海軍大学校教官、水雷学校長、春日艦長を経て、13年海軍省人事局長、20年海軍艦政本部長、23年海軍次官。24年大将。連合艦隊司令長官。26年横須賀鎮守府司令官。27年田中義一内閣で海相。29年軍事参議官。30年のロンドン海軍軍縮条約では、政府方針を支持し、海軍内の不平派を調停する。32年斎藤内閣で海相。33年1月後備役。34年7月西園寺公望の支持で組閣。挙国一致をスローガンに内閣を強力にするため、内閣審議会を設置したが、陸軍パンフレット問題、天皇機関説問題などで軍部に押し切られる。36年2・26事件では自宅を襲撃されるが妹の夫松尾伝蔵大佐が身代わりとなり、女婿の迫水久常の尽力で難を逃れたが、責任をとって総辞職。日米開戦には反対し、戦時中は東条内閣の倒閣を工作。小磯内閣、鈴木内閣を推薦した。戦後サンフランシスコ講和条約発効直後に死去。